白髪屋敷の赤い鬼/モブ有

 白髪屋敷と呼ばれる家に住む者たちのことを、界隈で知らぬ者は居なかった。
 赤黒青、と三色揃ったその鬼は、呼び名の所以である白い髪を晒して歩く。通りを歩めば好奇とも恐怖ともつかぬまなざしを向けられるにもかかわらず、当人達は気づかぬ様子で生活している。おまけに三人そろって大変な見目が整っているものだから余計に性質が悪い。せめて己が容貌に欠片ほどでも良い、自覚があれば、勃発する大小様々な揉め事を減らすことが出来ただろう。
 その中でもいっとう目立つ、赤鬼の話をしようと思う。
 白い髪にだらしのない赤の着流し。何処の出かもとんと判らぬ、浅黒い肌をした赤い鬼――自身を盗賊と名乗る、不遜な男の話である。

 花街の喧騒は二種類に分けられる。
 きゃらきゃらとしどけない女の嬌声と匂いに、鼻の下を伸ばした男達の笑い声。もう一つは、転がる賽を睨み、あるいは嘆きあるいは歓喜する賭場のやり取り。盗賊は専ら後者に加わる方で、今宵も賭場小屋で「ひと仕事」に精を出していた。
 鉄火場で繰り広げられるは馴染みの丁半。開かれた壺の中、賽の目に口笛を吹く盗賊の前で、いかにもごろつきといった風貌の男が腰から雪崩れて崩れ落ちた。
「如何様だ、じゃなきゃああり得ねえ!」
 場を叩き、気色ばんで叫んだ男が指を差す。車座になった男達は人差し指が示す先を自然と目で追い、たどり着いた先の盗賊を注視した。
「おいおい、難癖付けてくれるなよ。オレ様は何にも仕掛けちゃいねえぜ」
 浴びる視線をものともせず、余裕の素振りで盗賊は笑った。
 行儀悪く煙管の吸い口を噛み、上下に揺らせると煙までが嘲笑しているようで男の癇に障る。それだけではない、整えられず久しい白髪の隙間から覗く紫珠の目も、笑んで歪んだ頬の傷も、だらしのない胡坐に猫背に丸めたその姿勢すらも――全てが余裕と優越をもって、負けた男をあざ笑う。
 盗賊はすう、と煙を吸って楽しんだ後、小気味の良い仕草でぱんと膝を叩いた。
「誰か見たか? オレ様が如何様なんてェ狡い真似をしたって、見てくれた野郎がいるのかよ?」
 そう言って、ぐるうり。紫の視線が場を見渡す。喧噪の止んだ賭場の端から端まで巡っても、盗賊と目を合わせる者は居なかった。
「そら、誰ァれも居やしねェ。恨むんなら手前の感の悪さを怨みな」
「手前ェ……巫山戯けやがってェ!!」
 堪忍袋の緒が切れた、懐に隠し持っていた短刀を抜き放つと、鞘を投げ捨て盗賊へと飛び掛かった。
 こういった刃傷沙汰も、賭場の上では日常茶飯事である。止めて巻き込まれるほど莫迦でもない者達がさっと場を開け、男は壺を蹴とばし襲い掛かる。誰もが次の瞬間に、鉄火場へ散る赤い飛沫と悲鳴を予想したが――
 だん、と勢いの良い音と共に、畳に伏せたのは男の方だった。
「恐ェなァ、おちおち稼いでもいられねえ。腕がいいのも考えモンだ」
 平気の平左の声でもって言う、盗賊の足裏が男の背中に合った。遅れて、畳に短刀がたん、と突き刺さる音が響く。
 目の良い者なら視認できたろう。向かってくる白刃、その手首を盗賊が掴み、逆手に捻り上げて転がした――ただそれだけのことだったのだけれど、ぬらぬらと光る凶悪な刃の切っ先に微塵の恐怖も見せず腕一つであしらった、その動きは見事だった。誰かがああ鬼だ、と呟いたが、紫の瞳に動揺の影もない。
「糞……糞野郎が……」
 男が呻き、抜け出そうともがく所へさらに力が加わる。盗賊が赤い着流しの裾が乱れるのも構わず――元より乱れているので気にも留めないのだろうが――膝に肘をかけ、ぐっと体重をかけると、男は潰れた蛙のような悲鳴を上げた。
「博打も喧嘩も三流だなァ。オレ様と遊びてぇなら、どっちかでも腕磨いてから出直して来な」
「で、でけえ口叩けるのも今の内だぜ、こっちにゃあ手前なんか片手で捻れる位ェの、すげえお人が居んだ。俺にこんな真似をしたら――」
「おうおう、そいつは楽しみだ。オレ様も小指の運動位はしといてやるよ」
 言って、とん。盗賊は咥えさしの煙管を取り、男の頭を軽く叩いた。乏しい頭髪がいい具合に藻屑替わりになったか、火種がちりちりと煙を出す。
 そこでどっ、と周囲の賭博人も笑い出すと、もう男が此処に居座れるだけの理由はなくなった。
「覚えたぞ、赤鬼が! 地獄へ落ちやがれ!!」
 這う這うの体でもなお悪態をつく男が、盗賊の脚の下から逃げ出して叫ぶ。
「生憎地獄は見飽きてンだ。手前も精々、おっ死んだ後にオレ様に尻叩かれねえように気を付けるこった。次は可愛い火傷じゃすまねえぜ」
 捨て台詞も様にならず、返って盗賊の引立て台詞になる始末。ぐっと唇を噛み逃げ出してゆく後姿を、既にこの場を酒の肴にしていたツボ振りが笑って眺めて居た。彼だけではない、この一連の流れは既に笑い話となって、盗賊に気安く話しかける者もいる。
「しかし、良かったンかい、お兄さん。掛け金払い逃げされっちまったろう?」
「なァに、心配いらねえさ」
 言って、盗賊は懐から小汚い巾着袋を取り出して見せた。口を開いて中身を頂戴してゆく所を、話しかけた男がひいふうみいと数えて、にやり。
「釣りが来る。やるねえ」
「実はコッチが本職でなァ」
「おお、そんじゃあ気を付けねえと、俺もまるごともってかれちまう」
 からからから。二人そろって笑うと、盗賊は煙管を仕舞い、まだたっぷりと中身が残っている巾着袋ぽいと投げた。先ほどから苦い顔をしたままだった中盆に向かって、である。
「荒らした分はこいつで勘弁しとけ。また来っからよ」
「一昨日来やがれ、この赤鬼ッ子が」
 馴染みらしい中盆は巾着を受け取ると、まるで近所の子供を叱るような様子で盗賊の頭を軽く叩いた。にししと、それこそ童か何かのように盗賊も笑う。
「次は別嬪もつれてくるからよ、勘弁してくれや」
「おっかねえ鬼っ子が増えるだけだろう。黒いのはお断りだよ、ありゃあ賭場より花街向けだ」
「違ぇねえ」
 本人が聞いていたら激怒では済まなそうな言葉を吐いて、盗賊は軽く手を振る。そうして彼もまた、以前以上に喧しく盛り上がる賭場を後にした。
 稼いだ分はたんまりある。そこそこの女が買えそうな分だ、こいつは一晩――と考え、ふと、恐らくこの時間でもまだ起きているであろう、遊女よりなお白い肌をした、それこそ鬼の姫のように綺麗な顔を思い出した。この時間に帰宅してもきっと、ぱたぱたと軽い足取りで迎えに来てお帰りなさい――と、
「……言うわけねえよなァ、多分」
 都合のいい妄想に、盗賊は頭を掻く。いやしかし待てよ、若しかしたら迎えに来るかも。青い瞳を潤ませて、それでもって湯浴みも終えて。白い肌をほくほくと桜色にして、いかにも旨そうな色に染めあがった項でもって、知らず誘惑などしてくれるかもしれない。
 二択の賭けだ。失敗すれば人肌には在りつけず、黒い鬼の嘲笑を受ける。
 盗賊は丁半よりも強く強く、うんうんと唸って悩み――結局、
「……今日は帰っか」
 分の悪い方が、勝った時に気持ち良いからなあ。
 などと嘯いて、喧噪に背中を向ける事にした。
 盗賊がその夜の賭けに勝ったか負けたかは、また別の話である。