爪先に喜びのうた【2013獏良生誕SS】

【注意!】
・同人誌「たぶん人生は上々だ。」 の後日談です。
・別に読んでなくてもなんとなく読めると思います。
・簡単に説明しますと、最終回後バクラが盗賊王の姿で帰ってきてにゃんにゃんしてる生活を送っています。

「バクラ見てみてこれねえすごくない?」
 と、興奮気味の獏良の声に邪魔をされ、バクラは雑誌の文字列から視線を上げた。
 時刻は夜、場所は獏良の自室。勉強机の椅子を勝手に借り、ゲーム雑誌のバックナンバーを読んでいたバクラの丁度目の高さに、空中から降ってきたかのような白い足が二つ。滅多に上がらない二段ベッドの上の段――今は亡き獏良の妹が使っていた段であり、今は物置になっている――の柵の隙間から、獏良が足をぶら下げているのだ。
 脛までまくり上げられたジーンズの紺色と真っ白い肌のコントラストは、見慣れた今でも不意に目に入ると眩しく感じる。艶めかしさは欠片もないのに、うっすら浮いた静脈に舌を這わせたくなるのは最早習性であろう。よし今夜は膝裏を押さえつけて足がよく見える体位でもってセックスしよう。
 などとバクラが無言で考えていると、ぱこんと頭を蹴られた。
「どこ見てるんだよ」
「見ろっつって差し出してきたのはてめえだろ」
「視線の位置が違う。脚じゃなくて足。足首から先。にくづきに忘却の却」
「ご丁寧な説明をどうも」
 バクラは眉間に皺を寄せ、頭に乗せられた足を除けた。払う手のまま足首を掴み、見ろと言われた足を見る。
 裸足の爪先に、童実野高校の上履きが引っかかっていた。
「汚ねえな、何やってんだ」
「汚くないです。もう履かなくなったの、洗ってしまっておいたんだから」
「洗う洗わねえの問題じゃねえよ。今まで何踏んだか分からない上履きでオレ様の頭蹴るたぁいい度胸じゃねえか」
「細かいな、いいじゃないか別に。じゃああとでお前の頭洗ってあげるからちゃんと聞いて」
 今宵の体位がベッドで正常位から風呂場で背面立位に変更された瞬間だった。
 脳内プランを変更しつつ、あくまで表情は鬱陶しげなそれを崩さず、バクラは雑誌を机の上に置く。
 静脈と筋が浮く、皮膚が薄く硬い足の甲から先を覆う上履きは、バクラもまた見慣れたものだった。かつて身体的同居生活を送っていた際に、獏良を装って学校に行った回数は
決して少なくない。下駄箱の位置は六段のうち上から三番目。靴より先にラブレターを見る方が多かった気がする。
 学年とクラスと名前が書かれたそれは、素足で履くと妙な違和感があった。ちぐはぐなような、気持ちの悪いような、変な感じだ。それより裸足の方がいい。貝のような小さな爪が綺麗にならぶ獏良のつま先を、実は結構気に入っているバクラである。
「で、何だよ」
「鈍いな、見て分からないのか」
「不健康な足と薄汚ねぇ上履きに何の感想を云えっつうんだ」
「減らず口。かかと見てよ。ほら」
 と、獏良はふくれっ面で足をかるく上げて見せた。
 上履きの踵部分が、靴の中に納まっていない。よく見れば足全体がぎゅうぎゅうに詰まって履いていおり、触った感じも中でつま先を丸めているらしかった。
「足がね、おっきくなったみたい」
 去年より。
 そう云って、獏良はふにゃりと笑った。
 何がそんなに嬉しいのか。バクラはじっとりとした視線を上履きと獏良の上に行き来させた。思考数秒。そうして違和。理解。
「ちゃんと成長してるんだねぇ、ボク」
 そういうこと、だった。
 かつての日々、変化することを頑なに拒み、停滞を愛していた獏良了はもういない。以前だったらどうだろう――足の大きさが変わったなんてそんな大したことでもない一件で、躁鬱激しい獏良は落ち込んでいたはずだ。変わりたくないこのままがいいずっとこれでいい、そういってめそめそと泣いただろう。
 そうして、殻を剝いた卵よりも敏感で傷つきやすい獏良の心を、バクラは丁寧に舐めて絡め取って、癒す演技とと慰める素振りで騙し、またひとつ、縛り上げる糸を増やすのだ。
 今は違う。
 変化を、前進を、成長する喜びを、獏良はひどく喜んだ。
 歩む隣にバクラがいるからだ。バクラがいることを確かめながら、いつもの覚束ない足取りで、未来に向かって進むのである。
「こういうの嬉しいって、新鮮でさ。なんかお前に見せたかった」
「……そうかよ」
「もっと大きくなったらどうしようか。お前の靴、履けるかもよ」
「28.5になってから出直して来い」
「0.5増えてる!!」
 何がそんなに衝撃なのか、獏良は足をひっこめてベッドから飛び降り、上履きを放り捨てて玄関へ走って行った。だだだ、と足音が遠ざかり、同じテンポで今度は近づいてくる。先日購入したバクラのスニーカーを両手で振ら下げて。
「本当だ……増えてる」
「残念だったなァ、まだ追いつけそうになくてよ」
 今の姿――盗賊であった、生前の筋肉質な身体のそれである――でもってにたりと笑うと、ものすごく悪人面になることを、バクラはよく知っている。次の瞬間、機嫌を損ねて飛んでくるであろうスニーカーの右を予知して軽く身を引いておくことも忘れない。
「お前……」
 ほら来た。
 右目の狭い視界に入らないよう気を付け、バクラは防御に机上の雑誌を引き寄せ構える。
 ところが、スニーカーは飛んで来ず――拍子抜けするほどの、幸せそうな獏良の笑顔が飛んできた。
 分厚い胸板に向かって。
「お……」
 おい何やってんだてめえ、の、お、である。
「うるさい、いまちょっと黙って。ぶち壊さないで」
「な、にを、だよ」
「うれしいのを」
 ぎゅ。
 腰回りに、獏良の細い腕が絡みつく。こんな生温い抱擁、もしかして戻ってきて初めてではなかろうか。顎をくすぐる髪の房がくすぐったい。居心地が悪い。ついでに、持ったままのスニーカーの靴底が、思いきり背中に当たっていて汚い。不愉快だ。
 なのに振りほどけない、離せの一言すら言えない自分の顔を、今獏良が見ていなくてよかったと心底バクラは思った。多分ものすごい顔をしている。般若のような。
「……嬉しいってな、何だ」
 たっぷりの沈黙の後、絞り出すように問うてみた。
 獏良は胸板に顔を埋めて、くぐもった声でうん、という。
「お前が生きてるんだって、ちゃんと。成長してるんだって、それが嬉しい」
「何だそりゃあ……」
「だって、お前って奇跡的にここにいるんだもの。ひょっとしたらボクだけおじいちゃんになって、お前だけずっとこのままとか、あるかもしれないじゃないか。
 でも成長してるなら、そんなことは起きないから」
 ね、と、獏良は胸元で笑ったようだった。
(ああ、こいつは)
 未だに一人になることを怖がって、夢にうなされるくらいだから。
 怖くてこわくて仕方がないのだと、つい忘れがちになる真実を、バクラは居心地悪い抱擁の中で再確認した。
 成長を喜べるようになっても、きっとこれだけは変わらないだろう。孤独への恐怖、失うことへの怯え。普段は平気な顔をしている癖に傍を離れたがらないのは、この身が神の気まぐれか闇の力の思し召しか、普通ではない何かによってもたらされたものだからだ。
 成長するということは、死に一歩ずつ近づいていくことと同義であるけれど。
 その瞬間まで一緒に居る気があるからこそ、獏良はこうして笑うのだろう。
「……死が二人を別つまで、か」
「何か言った?」
「別に」
 我ながらみっともない台詞を吐いてしまった。バクラはらしくない言葉を丸めて捨てる気持ちで、生ぬるい抱擁を漸く引きはがした。
「お喜びのところ申し訳ねえが、そろそろ寝ねえか、宿主サマ」
 今日は日曜、もう深夜である。学生でないバクラは気にならないが、学生にとって月曜日は一週間の内もっとも過酷な朝と戦わなければならない日なのである。
「そっか。そうだねー……、あ」
「あん?」
「二日になった」
 胸から顔をあげ、獏良は机の上の卓上時計を指さした。
 時刻は0:13、もう月曜日。そして、九月二日である。
「てめえ誕生日じゃねえか」
「うん、そう。あ、明日帰り遅いから、適当にご飯食べてね」
 一応、曲がりなりにも恋人みたいなもの――いくら気持ち悪くともこれが一般的な関係性の表現として正しいのだから致し方なが決して納得はしていない、あくまで仮称であり二人の関係は名前のない何かである――という立場の相手を差し置き、誕生日は友人が優先らしい。特にバクラも何かしてやる気はないので、構わないのであるが。
「じゃあ、お風呂入ってもう寝よう」
 両手の靴はそのままに、くるんと身をひるがえして部屋の扉へ向かう獏良の、銀の波のような髪の流れが綺麗だった。
白い髪は、再会の日より大分伸びた。もう腰まで届きそうな髪を尚も伸びるに任せている理由を、バクラはひっそりと知っている。かつてのあの頃、バクラが獏良の白髪を何故か好み、心の部屋でよく触れていたことを忘れていないからだ。
 人が生きれば、髪も伸びる。足も背も成長し、細胞は増えて死んでを繰り返す。
 バツの悪い気分で後ろ頭を掻いたバクラの横顔が、壁に嵌められた鏡に写っていた。そう、この身もまた、髪が伸びた。うなじのあたりが暑苦しい。そのうち適当に切ってしまおう――否、
(宿主に見せてから、切ってやるか)
 その度に喜んで、抱き着かれるのは勘弁だが。
 本日二度目のらしくなさを、バクラは舌打ちで掻き消した。こういうのは似合わない。それよりも皮肉のひとつでも、細い背中に吐いてやらねば。
 そう、例えば、
「今年は祝いのお言葉、強請らねえんだな」
 などという、昔、誕生日で祝いの言葉云々で揉めたことを掘り返すような意地悪い言葉などを。
「また、泣いて嫌がったりしてくれんだろ? 言ってやろうか」
 からかうつもりでバクラが云うと、獏良はくるりと振り返り、いらないよと答えた。
 その瞬間に、バクラは痛感した。得意の皮肉も意地悪も、ひょっとしたら悪意でさえも、心からの幸せとやらには、何の効果もないことを。
「すごくうれしいもの貰ったから、今年はそれだけで十分なんだ」
 そう云った獏良の顔は、先程よりも一層に幸せそうな――それこそ花が咲くが如く、見事な満面の笑みを浮かべていた。