錆脚 02
眼が開いていても覚醒していない、うつつと夢の狭間をぐらぐらと行き来している生活では時間や日付の変化もなにもあったものではなかった。
痛みを感じなかったのは半身にまわった麻酔のおかげだった、そのことに気がついたのは最初の夜に眠って起きてからのことで、それから先はとにかく痛くて痛くて、了は寝台の上で痛いという言葉では説明もできない地獄の中を彷徨った。
知らない男が何かを言って、知らない女が足のまわりで何かしていたことは分かるが、耳は閉じていたように思う。けれど情けなく漏れる自分の悲鳴がただいたいたすけてもういやだ、とばかり叫んでいる声ははっきり聞えた。
ずくずく疼く傷跡は常に熱した鉄の塊を押し付けられているように熱かったし、骨なのか筋肉なのかわからないが皮膚の内側は動かしても居ないのに常に激痛が走っていた。時折打たれる薬で楽にはなれるが、同時に意識も半分くらい蕩けてしまう。そして成分が切れたらまた泣く、その繰り返し。あまりにも泣き叫び暴れるからか、処置をしに来る男女は席を外す時に了の口に布を噛ませ手足を寝台に括りつけるほどになってしまった。そのときの乱雑なやり方や面倒臭そうな顔を見て、ああ彼らは医者ではないのだと思った。ならば何故こうして、いやいやながらも手当をするのだろう。了はうろんな頭で僅かに首を傾げた。
バクラはどこへ行ったのだろう。意識がかろうじて残っている時間はいつもそう考えた。
別に恋しいだとかいとおしいだとかそういったせつなくも情緒深いことを考えていたわけではなくて、了の頭の中にはバクラと行動した記憶しか刻まれていないからだ。拾われてから数年間、常に行動を共にしていた。無論かたときも離れずにいたわけではなくて、ねぐらに何日ももどらないこともしばしばだった。その度に甘ったるい残り香をつけて帰ってきたので、恐らく女性と夜を過ごしていたのだと知っている。そこに気だるい嫉妬を感じていたら、バクラと了の関係はもっと分かりやすいものになっていただろう。そのときに了が思ったことは、ああこいつ男色趣味じゃないんだ、だったら何でボクを手元においておくんだろう、ただそれだけだった。
曖昧な関係をずっと続けて、いつ切れてもおかしくないあやふやなつながりはもう絶たれた。今はただされるがまま流されるままになっているだけだ。
傷はどうやら縫合されているらしく、血を見た覚えは無かった。この痛みが落ち着いて起き上がれるようになったら一体自分の運命はどうなってしまうのか。この部屋だか宿だかの主は何を思って世話をするのか。ひょっとして働かせるつもりなのだろうか、ボクの不器用さを知らないからだかわいそうに。ほんとうに役に立たないのに。すべてを知った後にがっかりする男の顔を想像して、了は少し笑いたい気分になった。だが噛まされた布のせいで、なんとも気の抜けた息が鼻から零れるだけだった。
そうしたら、役にも立たないことを知ったら、今度はどうなるだろう。
起き上がらなくてもできる仕事なんてあるだろうか。もし性別が女性だったら客をとって稼ぐことができただろうが、生憎了はなよやかな見た目を裏切って普通に男だった。加えて片輪者。これではどうにもならないだろう。
(そうしたら、その時こそボクは死ぬんだろうか)
痛みがじくじくと盛り上がってきた。薬が切れてきたようだ。
汗を吸ったチュニカがじわりと熱くなって、すぐに冷えた。身体はいつも冷えていて、全ての熱は左足が全部吸い取っているのだと思う。
目を開いているのに、視界の隅が暗く色を落とし始めた。痛みと眠気と疲労が同時に波となって了の身体を浸していく。いっとうはじめに眠気が脳を覆い尽くしてくれたら、痛みを感じることもなく暗闇に落ちていける。そうなればいいと願う。もう痛いのはこりごりだ。
(どうせ死ぬなら、)
(首がちゃんと繋がってるのを確認してからがいいなあ)
足を失った理由がちゃんと残っているか。それだけをきちんと確認してから死にたいと思った。
よく考えなくてもバクラは了を抱えて逃げたのだしここに連れてきたのも彼であるし、扉越しに声も聞いていた。だが手で触れてその太くたくましい首がきちんと胴体にくっついているのか、しっかりと納得してからがいい。もしかしたらバクラの首はぽろりともげていて、それを上手に頭にのっけて歩いたかもしくは小脇に頭を抱えてその頭が喋っていたかもしれないではないか。そんな光景はなかなか見れたものではない、見てみたいけど、嫌だ。
足があって、腰があって胸があって肩があって、首につながり頭になる。短く白い髪と紫の瞳があるのは身体のてっぺんでなければならない。そこから見下ろす視線ならばよく覚えている。よく旋毛辺りに感じたものだったから。
了は特にバクラのどこが好ましいだとかを思ったことはなかったけれど、眼だけは少し気に入っていた。あからさまな喜怒哀楽を示して、よく笑いよく怒り、口よりもよほど雄弁だった。ああそうだ、そういえばたまに真意の見えない両目で了を睨むことがあった。あの眼の理由も出来れば知りたいな。思いながら望みながら、いよいよ濃くなっていく暗闇に眼を閉じた。今回は眠気の勝利。やったね。