運び屋と心変わり
ツイッターで一人盛り上がってしまった心変わり宿主と危ない運び屋稼業の盗賊王の適当なパラレルです。
1.決して詮索しないこと。
2.荷が何であろうと仕事を全うすること。
この二つを守っていれば、とりあえず生活には困らない。
腕時計のデジタル表示は午前零時、十分前。短く白い髪に浅黒い肌の運び屋は、美味くもないガムを奥歯で噛みながら、倉庫街の木材にしゃがみこんで時間が来るのを待っていた。
彼の仕事は、クライアントの意向通りに、任された荷物を運ぶこと。
A地点からB地点まで、もしくはC・Dを経由して追加の荷を受け取り、決して人には――得に国家権力の網と邪魔をする誰々かの妨害――に引っ掛からないように注意して。稀に刺激的なカーチェイスが起こったりもするが、基本的にはこっそりと、けが人も死人も出さないように行動するのがこの職業の基本だ。彼、バクラは荒事を嫌いはしないが、言いつけを守ればクライアントがボーナスを寄越すので、金に困っている時には大人しくする。今はというと、そんなに困っていないので監視の目が付いたら目つぶししてしまっても構わないだろう、くらいの気分でガムを噛んでいた。
(ああクソ、気分悪ィ)
ショートブーツの底で木材の角を削り、バクラは紫色の瞳を薄く閉じる。
バクラは不機嫌だった。つい先ほどまで居座っていた雀荘での負けが、未だに苛立ちを煮えさせているのだ。あそこでああしておけば――欲をかかなければ――ギャンブルのたらればは無益かつ、詮無い。
だが、どんなにはらわたの居心地が悪くとも金は稼がねばならない。乏しい財布の中身を満たさないと、したい時にしたい事が出来ない。奔放なバクラにとって、金銭不足からくる不自由は大きな枷なのだ。
兎にも角にも、お仕事である。
バクラはちらりと足元を見た。材木の前に今回の支給品が積んである。クライアントが用意してきたものは、海外旅行用のトランクと梱包用のビニール紐、結束バンド。それからガムテープ。
(天地無用、で、水濡れ厳禁)
宅急便と同じ注意書きは分かりやすいので気に入っている。この職イコール『ちょっと危ないクロネコヤマト』というのがバクラ自身の認識だ。
(で――コワレモノ)
傷は絶対に付けないように、だったか。
今朝の電話で寄越された内容を、指折り数えて思い出す。寝ぼけながらの受け答えだったので末の方が若干不安だが、
(それだけわかってりゃあ、十分だ)
それ以上の詮索はするだけ無駄、というものだった。
敏い良い耳が微かに人の足音――おそらく三人――の遠ざかる様子と、稼働するエンジンの振動を伝える。本日の仕事内容は午前零時、指定の倉庫に用意された荷を、とある場所まで運ぶ。それだけのこと。
デジタル時計は秒針の音を立てない。もうそろそろ、だろうか。
クライアント側の人間に顔を見られると厄介だ。十分に音が遠ざかってから、億劫そうにバクラは立ち上がった。
梅雨目前の湿気を含んだ潮風が髪を無遠慮に撫ぜる。潮風も嫌いだ。生温かければ尚更不快だ。人の手にべたべたと触られているようで気持ちが悪い。風を振り払うように、バクラは速足で倉庫へ向かう。
鍵は掛かっていなかった。見張りの人間もいなかった。
引きずると喧しいトランクを肩に担ぎ、身体分だけ開けた隙間に滑り込んで中へ。ないとは思うが伏兵に閉じ込められるのもつまらないので、扉は締めず、先ほどの待機場所から頂戴してきた小さな材木を挟んでおく。よどみなく意識せず行う警戒は、それだけこの仕事をこなしてきたからだ。
倉庫の中は思ったより狭かった。明日にでも運び出されそうな、準備万端の木箱やセメントの袋、何が入っているのか分からない小型のコンテナが視界を埋める。裸電球が一つ、覇気のないか細いオレンジ色で倉庫の壁を照らしていた。
その光がかろうじて届く、闇と光の中間点に、今回の荷物が居た。
――否、あった。
荷が何であろうと、バクラにとってあくまで『物』なのだから、居るのではなく有る、が正しい。
例えそれが、ヒトの姿をしていても。
「……誰かいるの?」
言葉を発したそれは、真新しいシーツを被っただけのような、簡素な貫頭衣のようなものを纏っていたいた。暗くてよく見えないが、どうやら壁と荷物の間に入り込んで、膝を抱えているらしい。
低くも高くもない声で、それはバクラに向かって、誰、と問いかけてきた。
バクラは遠慮のない足取りでそれに近づき、尻のポケットにねじ込んでいた小型のペンライトで荷を照らした。突然の光に驚き、対象は顔を背ける。
晒された横顔は綺麗だった。
十六.七歳だろうか。性別の分からない、第二次成長期を始める前に時間が止まってしまったかのような顔立ちをしており、瞳は青く、髪は白い。光が強すぎるからかもしれないが、広く開いた襟から覗く首筋と鎖骨などまるで汚れのない、滑らかな乳白色だ。
バクラは睥睨し、息を吐く。
感嘆の――では、なく。
「……ンだよ、今回はソウイウお荷物かよ」
うんざりとした溜息、である。
生きた人間の配達は珍しくない。借金のカタか都合の悪いものを目撃されたか、そういった理由で一般社会から消えてもらいたいと誰かに願われた人間は、需要と供給の天秤によって闇から闇へと売られていく。この顔ならば臓器よりもガワを活かして取引されたのだろう。性別など関係なしに、綺麗なものを手に入れたがる金持ちはごまんといる。どのような用途に用いられるかは、ご想像の通りといったところだ。いずれにせよ、ろくな使われ方はしないのだけれど。
そうして、そういった生の荷物ほど、面倒臭い仕事はないのである。
「道理で金払いがいいと思ったぜ。ったく、寝起きに仕事は受けるモンじゃねえな」
ペンライトをくるくるかちり。指で回して尻にねじ込んだバクラは、うんざりとした仕草で対象の前にしゃがみ込んだ。明るくなったり暗くなったりで目が慣れないらしいそれは、突然現れた男に警戒するわけでもなく、かといって縋るわけでもなく、つかみどころのない目でバクラを見つめ返してくる。
「予想としては死体だったんだがなァ、五体満足傷をつけるな、ってのは面倒だ。トランク入れたらまずいんじゃねえのか、コレ」
「ボクに言ってるの?」
「あ? 違ェよ独り言だ。荷物に話しかける奴がいるかよ――よっ、と」
放置していたトランクをコンクリ床に置き、バクラは側面をコンコン、と叩く。
「おら、立てよ。トランク詰めにされたくなきゃあな」
「……」
「無視からコラ。ガキ」
「話しかけないって言った」
「今はてめえに言ってんだよ。オレ様が呼んだらハイだ」
「……」
対象は答えない。立ち上がる様子もなく、ただ透き通った青緑の瞳でバクラを見上げてくる。凡そ人らしくない、小動物のような視線だった。思考が全く読めない。
苛立ったバクラは、その小さな頭のすぐ脇の壁を蹴った。ガン、と音が響き、靴底に巻き込まれた白い髪がざりりと踏みにじられる小さな音もする。
「手間ァ掛けさせんなよ。それとも立って歩くより、トランクで運ばれる方がイイってのか?」
唇の端を嗜虐的に吊り上げ、バクラは笑った。
こうして笑ったその顔が、対象にとってどのように見えるのかなど知り尽くしている。きっと恐ろしい鬼か悪魔のように見えるだろう。怯え従うのが八割、泣くのが二割。どちらにせよ、子供に言うことを聞かせるのは程々の脅しが一番効果的なのだ。
だが――青い瞳のそれは、ぱちり、と瞬きを一つして。
「悪いんだけど、出来ないよ」
少しだけ首を傾げて、そう言った。
「はァ?」
「立てないんだ、ボクまだ、『羽なし』だから」
「何言ってんだ、てめえ」
「ボクは『心変わり』だから、羽が生えないと飛べないし、そもそも歩けないんだ。だからそのトランクがボクを運ぶために持ってこられたんだとしたら、正しいと思うよ」
つらつらつら、と説明された。
バクラは訝しげに眉を寄せたまま、何も言えなくなる。この荷物はひょっとすると、頭の螺子が数本抜けているいかれなのではなかろうか。そんな風に考え、しかし気狂いにしてはしっかりと喋るし瞳もまともだ。そんな雰囲気はどこにもない。
壁を蹴った姿勢のまま固まったバクラをじっと見て、それは不思議そうな表情を浮かべた。
「もしかして、ボクが何なのか知らないで、何かしようとしてるの?」
「知る必要がねえから知らねえんだ。オレ様の仕事はてめえを客の御望みの場所に運ぶことだからな」
「じゃあ教えてあげる。ボクはあなたたちに『心変わり』って呼ばれているものだよ」
これが証拠。
と、それは唐突に、襟を開いて胸を晒した。
いきなりのことで制止も出来ないバクラは、間近で晒された平らな胸を見る。性別の分からない、人間臭くない綺麗な肌――胸の真ん中に。
穴が、あった。
歪なハートの形をした穴が、背後の壁を覗き見できるほどの大きさで、ぽかんと口を開けていた。
「――な、んだ、そりゃあ」
一瞬にして口の中が乾く。バクラは足を離し、ただの子供――と思っていた、人ではない何かから距離を取る。尻に戻したペンライトが弾みでカツンと硬い音を立てて転がり、でたらめな方向に光をまき散らして、最後にまるで図ったかのように、それの全身を白光で照らした。
横顔だけでは分からなかった。真正面から照らされたそれの、右半身の異形の姿。
白い貫頭衣から覗く手足も、晒した胸も綺麗な顔も。
ちょうど真ん中で区切ったかのように、肌は墨色に染まっていた。
練り粉でも混ぜたかのように微かにちらちらと光る、不可思議な闇色だった。乳白色の肌の境目は定規で区切ったかのように正確で、いっそう不気味に見える。胸の孔も、肌の色も、常軌を逸している。
面食らうバクラの目の前で、それは――『心変わり』は、頼りなく視線を下げた。
「ボクは『心変わり』のこども。誰かの心を奪って此処を埋めないと一人前になれない。でも、誰の心も欲しくないんだ」
恥じる様子もなく胸を晒した、少女のような、少年のような、超越した存在がバクラを見つめる。
視線を受けて、バクラは動けなかった。突然のことに頭が付いて行かない。
どこか冷静な部分で、クソったれ聞いてねえぞこんなのは、だの、死体でもナマでも運ぶが人外は請け負ってねえっての、だのとあらん限りの罵倒を吐き出している自分がいる。
幸いなことに、向こうはこちらに危害を加える気はなさそうだ。というか、言葉を信じるなら出来ないだろう。約二メートルの距離で、歩けない者に何が出来る? そう考えると、冷静な思考が混乱をなだめて、汗も若干引いていく。
こめかみで心音はうるさいが、仕事に何の支障もない。黙らせてトランクにつめて、夜毎車で移動して、届けてお仕舞。そうすれば金が支払われる。単純明快なシステムだ、それでいい。
それで――いい、筈、なのに。
「あなたはボクを、何処へ連れて行くの?」
テメエには関係ねえよ、と。
とぼけた問いかけに乾いた舌で吐き出した、バクラ自身の仕事と思惑。
それこそ心とかいう部分は――まるで平手でひっくり返されたような、正体不明の衝撃を受けていた。
(テメエはオレ様に、何をした)
『1.決して詮索しないこと。』
『2.荷が何であろうと仕事を全うすること。』
不文律の二箇条にひびが入る不穏な音が、波の音に混じって、響いた。
今たしかに、『これ』が欲しいと、バクラは強く思ってしまったのだ。