白髪屋敷の黒い鬼

白髪屋敷と呼ばれる家に住む者たちのことを、界隈で知らぬ者は居なかった。
 赤黒青、と三色揃ったその鬼は、呼び名の所以である白い髪を晒して歩く。通りを歩めば好奇とも恐怖ともつかぬまなざしを向けられるにもかかわらず、当人達は気づかぬ様子で生活している。おまけに三人そろって大変な見目が整っているものだから余計に性質が悪い。せめて己が容貌に欠片ほどでも良い、自覚があれば、勃発する大小様々な揉め事を減らすことが出来ただろう。
 その中でもいっとう性質の悪い、黒鬼の話をしようと思う。
 白い髪に黒い装い。宵闇そのものに半身を埋めたまま、夜に不穏な熾火を撒いて笑う黒い鬼――バクラという名の男の、陽の裏側の物語である。

 羽織の色は鮮やかな藍染に。
 笠を被り、色を纏い、誰が見ても振り向かぬ。派手過ぎず地味過ぎず、決して目立たぬよう。其れは見事なまでに普遍普通の、常識の範囲内の色使い。
 普段は白と黒で知られる男がこのような為りをしていると、誰も思いはしないだろう。
 だからこその、白髪晒しだ――と、バクラは言った。
「ご近所の皆様は、あすこの鬼は全員まともじゃねえとお思いなのさ。そう思ってくれりゃあ、オレ様も立ち回りが楽になる」
 何故日中、あのように奇異の瞳を投げられるにも関わらず、白髪に黒という分かりやすいいでたちで頻繁に外を出回っているのか。ある取引の夜、渡し舟屋の裏で御伽が問うた時のバクラの返答が、それであった。
「昼と夜で顔を使い分けてる、ってことなのか」
「うちは全員有名人の人気者だからなァ。隠すより、出した方がいいってこともある」
 要は頭の使いよう。笠の上からこめかみをとんとん、と叩く様子を、御伽は関心した様子で眺めていた。
「ボクだったら、そんな悪目立ちする容貌を武器にしようなんて思わないけどな」
「だから手前は何処行ったって、素性が直ぐにバレんだよ。御伽屋の旦那」
 にた、と、笠の下の唇を曲げて、バクラは笑う。
「オレ様も手前も、昼間は兎も角、夜は人様に知られたくない商売だ。最近じゃ壁に耳あり障子に目ありなんてもんじゃねえ。誰もが誰かを疑ってる。まァ、愉しいっちゃあ愉しいが、気をつけろよ」
「心配してくれるのか、珍しい」
「上々の取引先様だ、いなくなられちゃあ困る。お渡しするのは小綺麗な飾り賽子だけじゃねェんだからよ」
 言ってバクラは、ぞんざいな仕草で油紙の包みを御伽に投げた。中には幾つかの小さな塊が入っているらしく、かさかさ、と音を立てる。
 御伽は其れを難しい表情で受け取り、暫し躊躇ってから、懐に収めた。
「……好きでやっているんじゃないんだ、こんなことは」
「解ってるって、手前なりの親孝行なんだろ。泣かせる話さ」
「茶化さないでくれ。……なあバクラ」
「あァ?」
「知ってるんだろう、これが何に使われるのか」
 神妙な声音で呟く御伽の声に合わせて、ざ、と、風が鳴った。
 背の高い草が宵闇の中で一列になって薙がれ、風は幅の色い川の水に自然の規則模様を生んで流れてゆく。木々とぶつかる場所で風が音もなく散ってゆくのを、御伽は険しい瞳で見つめていた。
 昼間、この川に向けて手を合わせていた老人が居た。
 ひそひそと内緒の話をしながら通り過ぎてゆく娘たちが居た。
 白髪を目立たせる為、意味のない散歩をしていたバクラは良く知っているのだ。其の理由の裏と表を。そして、御伽の視線の意味も。
 バクラは、御伽の年相応以上に疲弊した横顔を黙って眺め――つい、と、肩を竦めた。
「さぁ、知らねえな」
「……そうか
「そうさ。手元を離れた売りモンが何処をどう渡って最後にどうなるかなんて、考えたこともねえぜ」
 と、御伽が安堵とも寂寥とも取れぬ溜息を吐いた瞬間に、くふり。意味ありげな含み笑いが漏れる。此れから吐き出す言葉が相手の懐を無遠慮に弄ることを、確信しての笑みだった。さも今思い出しました、という様子で、バクラは手を叩く。
「……ああ、そう云えば、」
「そう云えば?」
「どっかの川ッ縁で、女の死体が見つかったってなァ。ウチのでけえのも世話んなってる廓の女郎、膨れて上がったんだって?」
 瞬間、御伽の横顔に苦痛を浮かんだ。流石に夜は化粧を解いているが、いつものように紅を目元に引いていたなら、さぞかし派手に歪んだだろう。
「最近多いよなァ。噂じゃ薬漬けにされて前後も分からなくなっちまった哀れな女が、逃げ出して身投げしたんだってよ」
「……」
「阿片漬けなんざ今時めずらしくもねえがな、売りモンを縛るにゃ持って来いだ。ちょいと裏を伝っていけば、誰だって手に入れられる。医者にお内儀に女衒にやくざ、それから廓に出入りしてる物売りもな――おっと、手前の質問とは何の関係もねえ話だった」
「……嫌な男だ」
 難しい顔から不快、経て、悲しみへ。御伽はくしゃりと丸めた紙のように顔を歪ませ、項垂れた。
 バクラの金色の目はいかにも愉しげに彼を眺めている。二つの黄金色は満月に似て、薄い唇は三日月だ。星も月もない子の刻、この川辺にだけ月が三つも在る。
 バクラは何もかも解っているのだ。御伽は唇を噛み、己の失言を悔いた。狂った父親の為――其の手伝いをしてしまっている自分。心を崩す薬を手に入れ、廓に流し、其れが辿り着く場所も知っている。この川の水にも溶けている筈だ。女郎の死体の、その肌から、きっと。
 此れ以上、此処へ立っていることは不毛と感じたのだろう。御伽は不愉快ばかりを生む男に向かって、代金の入った包みを投げて寄越した。片手で其れを受け取ったバクラが、毎度有り、と慇懃に頭を下げる。御伽は視線も向けはしない。
「お喋りが過ぎたな。もう行けよ、次のお客が待ってるんだろ」
「何、御宅をいっとう優先して取引させて頂いてるのさ。御伽屋にだきゃあ何時だって、正真正銘の上物流してんだぜ? 効果はよく知って――」
「黙ってくれ」
 鋭い口調で言い放たれたバクラは再び肩を竦め、はいはい、と気のない返事をした。
 取引のついでに愉しい余興も見物できた。白髪を隠す笠を下げて、舟屋の影から夜の闇へと消えていく。
「ああそうだ、近いうちに例の先生サマの細工物、出来上がるみてえだから――宜しければどうぞ、御贔屓に」
 其の時は昼間の顔ってことで、お互いに。
 最後の最後まで嫌味を残して、バクラは返事のない男の元を去った。
 御伽の表情を思い出すと愉快で喉が鳴ってしまう。昼の平穏と夜の不穏、その狭間で生きている――人の生き死にとまつわる苦痛を趣味で収集し平らげてゆく姿は正に鬼だ。
(それしか娯楽がねえんだからよ)
 くつくつ、と、忍び笑いを漏らし、バクラは目を細める。視線の先には賑やかで享楽的で、薄暗い事情など知らぬと云わんばかりの陽の気配に満ちている。
 穏やか極まる日常から、薄皮一枚剥いだ裏の闇。其処こそが彼の、黒い鬼の住処だった。