白髪屋敷の青い鬼

白髪屋敷と呼ばれる家に住む者たちのことを、界隈で知らぬ者は居なかった。
 赤黒青、と三色揃ったその鬼は、呼び名の所以である白い髪を晒して歩く。通りを歩めば好奇とも恐怖ともつかぬまなざしを向けられるにもかかわらず、当人達は気づかぬ様子で生活している。おまけに三人そろって大変な見目が整っているものだから余計に性質が悪い。せめて己が容貌に欠片ほどでも良い、自覚があれば、勃発する大小様々な揉め事を減らすことが出来ただろう。
 その中でもいっとう浮世離れした、青鬼の話をしようと思う。
 白い髪に青い瞳。空ばかり眺めているからか、不意にふわりと浮いて消え行きそうな青い鬼――了という名の、とりとめのない話である。

 働く、ということを誰も教えてくれなかったので。
 何もせずとも金というものは世の中を巡り、この家に流れてくるものだと思っていた。
『そんな訳ねえだろ、世間知らずにも程があるぜ』
 ある日、了は自分と同じ顔をした少年にそう言われた。
 ならば、如何様にしてこの家が裕福に、食うにも着るにも遊ぶにも困らずに居られるのか。了はその理由も知らなかったので、もう一人の同居人にも問うてみた。
『そんなん、オレ様がきっちり稼いできてるからに決まってんだろ? 此れでよォ』
 機嫌の良い時に伺ったのが良かったのだろう。早くに夜遊びを覚えた盗賊は、まだ幼さの残る掌で何かを転がす素振りを見せた。卓の上では小さな賽子が二つ、赤いぞろ目でもって了のことを見つめていた。
 なるほどつまり、この賽子を使った何かで、この家は収入を得ているのだな。
 了は大きな瞳で賽子を眺め、成程其れならボクもこういうので稼げるようになろう、と思った。
 そう決めたのがまだ幼い、了の歳が十かそこいらの時分のこと。
 まさか十七になっても、その決意が揺らいでいないとは誰が予想しただろう――しかも、若干間違った方向に向かって。

「ほらほら見てバクラ、上手でしょ」
 ある晴れた昼下がり、縁側で棋書を斜め読みしていた双子の片割れに向かい、了が両手を差し出した。其れはもう誇らしげな表情でもって。
「……?」
 バクラは目を細め、了の掌を凝視する。一見して何も乗っていない。
「よく見て、ほら此れ!」
 ずい、と手を近づけられたところで、バクラはようやく其れを見つけることが出来た。立方体に墨の点。小指の爪の先程の大きさの、極小の木製賽子だった。
「ちゃんと目も刻みで入れて、色も付けてみた」
「お前またそんなみみっちい作業してやがったのかよ……」
「あ、溜息やめて。転がっちゃうから」
 呆れ顔のバクラに比べて、了は満面の笑顔だ。また腕を上げたと自画自賛で喜ぶ表情は、十の頃と変わっていない。
 盗賊の言葉に間違った解釈を覚えた了は、賽子を振る方ではなく作る方に傾倒して行った。最初は大きく、面も荒い、とても賽子としては使用できない玩具に過ぎなかった。然し片手間に折り紙や組木細工にまで手を出したのが功を奏したか、腕はぐんぐんと上達し、今では大中小極小と様々な大きさでもって、過ぎるほど立派な一品を作り出すようにまでなったのだ。
 何より目を引く細工物が、使用するでなく飾る為に作られた賽子である。目の掘りに動植物など、意匠を凝らして作り上げたものは、もはや趣味の域を脱している。
「実はこんなのもあります」
 と、袂から出してきたのは六面ではなく十面の賽子。朱塗りと白塗りで、どこから調達してきたのか金の瞳の意匠入り。こちらも見事に滑らかな仕上がりである。
 バクラは其れを手に取り、矯めつ眇めつ、しげしげと眺めた。
「見たこともねえ形だな。どうやって使う?」
「さあ。バクラが考えればいいんじゃない? あげるからさ」
「またか。使いようがねえんだ、宿主サマの賽子は」
「別に捨てちゃってもいいよ。作るのが楽しいから、気にしない」
「そいつは結構なこった」
 と、言いながら、バクラは賽子――十面と極小の其れである――を、ぞんざいに掌に収めた。
「で、お次は何を作るんで」
「おっきいバクラがちょっと変わった賽子欲しいっていってたから、其れの設計から始めるつもりだけど?」
「変わったってな、どんなんだ」
「中に鉛入れて欲しいんだって。変だよね、そうしたら偏った目しか出ないのにさ」
「……あァ、そういう」
 またしても呆れ顔のバクラに、了はその意味を図れない。そもそも丁半の類の賭け事に全く知識がないのだから当然である。如何様の片棒を担がされているなどと、露ほども思わぬ笑顔は眩しかった。ただ細工物を作るのが楽しい、其れだけしか頭にないのだ。
 だが、ふとその笑顔が曇った。空はこんなにも青く雲雀も長閑に鳴くというのに、了の青い瞳はにわか雨の予報を告げていた。
「昔はさ、賽子でごはんが食べられるんだあなんて思っていたけど、そうじゃないんだよね」
「何だ、藪から棒に」
「御免ね」
 ぺたん、と、裾が乱れるのも構わずに、了はバクラの背後に座る。
 意図をすぐに理解したらしいバクラは、別に、とだけ言った。
 白い髪に青い瞳。鬼の子など誰も雇いたがらない。見世物小屋に身を売る気もないのなら、稼ぐことを諦める他ない。外へ出れば好奇の目――もう慣れてしまったけれど、見る方はいつまでも新鮮な興味を向けてくるものだ――があり、何をするのも難しい。盗賊のように夜の世界へ飛び出すのもいいのかもしれない。けれど其れも、恐ろしい。
 黙ってしまった了に、バクラはぱたん、と棋書を閉じる音で答えた。
「飯と掃除と、夜伽もかァ? 十分働いて下さってるじゃねえか」
「……最後のが何かあれだけど、だって、二人とも家の事やらないじゃないか」
「だから、持ちつ持たれつなんだよ」
 今の儘で良い。
 バクラはそう言い捨てると、さっさと薄暗い離れへ帰ってしまった。
 取り残された了は暫し、自分なりにバクラの言葉を翻訳しようと悩んでみたが――結局真意は解らず仕舞い。
「これでいいなら、嬉しいけどさ」
 渡し損ねた十面の賽子、二つのうち白い其れを握りしめて、了はふすんと溜息をついた。

 ――その夜半過ぎ、柳の下の暗がりにて。
「今回も良い細工だな。全く、毎回何処から仕入れてくるんだ?」
 長い黒髪に歌舞伎混じりの化粧。役者のようないでたちの青年から、バクラは金を受け取っていた。
「凄く売れ行きが良くてね。直に取引できると有難いんだけど」
「生憎人嫌いの先生でな。手前も幸運な奴だぜ、こいつを毎回、専属で買い取れるんだからよ」
「他の業者にも同じことを言ってるんだろうけどね……」
「滅相もない。御宅だけさ、御伽屋」
 軽く肩を竦め、バクラは曖昧な笑みを浮かべて見せる。御伽屋と呼ばれた青年はさして嬉しくも嘆いてもおらぬ様子で、つい、と、銭を余計に差し出した。
「何の真似だ?」
「その手の中の奴も頂けないか? 朱塗りがちらりと見えたよ」
 促され、バクラはああこれか、と掌を開いてみせた。朱色に金の筋彫り、一の目が瞳で刻まれた、あの十面の賽子である。何の塗料が含まれているのか、宵闇の中、提灯の灯りだけでもちらちらと輝いて美しい。
 その輝きに見せられたのか、御伽はごくりと喉を鳴らした。
「見たことのない形だな。是非、個人的に買い取りたい」
 もう一声重ねて銭を差し出され、しかしバクラは、朱と金の賽子を再び、掌の中に閉じ込めた。
「悪いがこいつは遣れねェな。先生からの宿題があるからよ」
「宿題?」
「遊び方を考えてくれ――ってな」
 其れじゃあ毎度有り。
 次の言葉を吐き出させず、バクラはさっと提灯の灯りを消した。まるで一瞬にして姿を消したかのよう――実際にはそんなことは幽霊でもない限り出来ないのだけれど、黒い装いと上手く消す気配の所為で、本当にそう見えてしまう。
 取り残された御伽を後目に、バクラは帰路、しゃらん、と銭袋を放り投げて笑った。
「……飾り賽子に如何様賽子、いい仕事しやがる」
 つまりの所、知らぬが花、知らぬが仏。
「感謝してるぜ、稼ぎ頭の宿主先生サマ」