【同人再録】たぶん人生は上々だ。A-3【R18】
ぽたぽたぽた、と、獏良の前髪から雫が落ちる。外部の冷気に吸い込まれて湯気が姿を潜めたバスルームで何が起こったのかは、冷静に見れば一目瞭然だった。つまり頭だか身体だかを流していたバクラがシャワーを扉に向けた時に獏良が扉を開けてしまったわけで、当然隔てるものが無い湯は正面にあったものをくまなくずぶ濡れにしてくれたというわけで、クリーム色の寝間着もろとも獏良は無残な目にあった、というそういう顛末だった。
あんまりの状況に半笑いで突っ立つ獏良を、バクラはまじまじと上から下まで眺めた。たぶんあと三秒後に笑われる、そう思うと頬が引きつる。素っ裸でたたき出してやろうかと獏良は手の中のコップを握り締めた。親切で歯磨きセットを差し入れてやったというのに、この仕打ち。最悪だ。ぺったりと身体に張り付く薄い寝間着が気持ち悪い。
何と罵倒するか、冷静な怒りと共に獏良が考えていると、ごくり。シャワーの水音が大層やかましく鳴っているというのに、バクラが唾を飲む音がやけに明瞭に聞えた。
目の前で再び、シャワーの噴水が弾ける。それはバクラがシャワーヘッドを手放したからで、四方八方に湯を吹き上げる狭い浴室の壁に、獏良はあっという間に背中を押し付けられ首筋に噛み付かれていた。
「や、ちょっ!?」
余りにも唐突に襲い掛かられて、獏良はコップを取り落とした。タイルの上にステンレスがぶつかる硬い音とプラスチックが転がる音が同時に響く。それから、くち、と、肌を舐め上げるぬるい音も。
「ちょっと、何するんだよ!」
「…風呂入ったらするっつったろ」
「ちゃんと洗ってから! 大体ボクは歯を磨けって言おうと思ってわざわざ――っ痛い!」
わざわざ、のその先は、高く小さい悲鳴に飲み込まれた。手首を押さえて壁に押し付けた、バクラの手にもう一匙ぶんの力が加わったからだ。ぎりりと万力で締め付けられたかのような痛みが走って、仰け反った喉にも唇が噛み付く。ぬるり、薄い喉仏を舐め上げられて、別の悲鳴があがりそうになったのは流石に耐えた。 けれど久方ぶりの官能の波はもう獏良の膝あたりまでを浸しにかかっていて、抗うだけの力が出てこない。せめてじろりと睨みつけると、目前で、欲にけぶる両目が形だけでにやりと笑った。
「そんな格好してやがる宿主サマが悪いんだよ」
そんな格好ってどんな格好だ。自身の姿を見下ろすと、別段変わった格好などしていなかった。ただ濡れて張り付いた気持ちの悪い寝間着をまとわりつかせているだけだ。色の薄い肌が若干透けて、痩せた身体のおうとつがくっきり際立ってしまっている。そこまで考えて、ああそうかと理解してしまった。思った通り、バクラは透けた寝間着の上から褐色の手を滑らせて、鎖骨から胸へといやらしく指を這わせてゆく。湯を浴びた後、身体はすぐに初秋の冷気でつめたく冷える。その温度差のせいでぷつりと堅くなった乳首が布地を押し上げていて、確かにこれはいやらしいかもしれないと納得してしまった。だからといってこのままなし崩しにさせてなるものか!
「嫌だって、何分かりやすく発情してんのお前!」
「だから宿主サマが悪いっつってんだろ。これでも我慢してやったんだぜえ? 大人しくベッドで待ってりゃあ良かったんだよ」
くつくつくつ、と笑って、バクラは互い違いにかませた膝の間に腿を押し込んできた。密着する下肢の間でひときわ高い温度を放っているそこを、獏良は思わず目で追ってしまう。いや、見なくても分かる。ごりごりと下半身を分かりやすく押し付けられて、露骨な欲求が自分に向けられていることを再認識。頬が熱くなるのは床でのたうって縦横無尽に吹き上がる湯のせいだと思いたい。
「もっとちゃんと…ああもう、がっつきすぎ!」
「三ヶ月以上してねえんだ、けちくせえこと言うんじゃねえ」
「お前が勝手に居なくなったのが悪いんだろ! ちょ、やめて、噛まないで!」
「随分筋っぽくなりやがって。肉ほとんどねえじゃねえか」
唯一自由がきく片腕でぐいぐいと肩をおしやっても、硬い身体はびくともしない。左と右の首筋と喉と、皮膚一枚隔ててすぐに骨にぶつかる鎖骨を、バクラの犬歯が執拗に虐めた。がり。噛まれる。ちくりとするのは吸い上げられたからで、鬱血した痕を舌先が舐める。ねじ込まれた膝に押し込まれ、もう長いこと触れていなかった獏良の下肢にびりりと電流が走った。
「ほんと、どうしようも、ないっ」
濡れた髪の毛をひっぱっても引き剥がせず、獏良は結局自分から折れた。本気で抵抗してもどうやったって抑え込まれる。全部無駄だ。だったら諦めてしまおう。獏良自身、したくないわけではないのだから――絶対に言ってなんかやらないけれど、本心を暴いてしまえば中身は目の前の男と同じ、すぐにでも身体を重ねてしまいたいのだ。今までにないくらい真っ向から性欲を示されて、欲まみれの目をされて、一気に気分が盛り上がってしまった。逆らうとか歯磨きとかそういったものはもうどうでもいい。そんな風に思わせてしまうなんて本当にずるい。卑怯だ。一度だってこんな風にあからさまに求めたりなんてしなかった癖に、久しぶりに会ったタイミングで荒々しく襲い掛かってくるなんて。けだものの我侭を許してしまった自分自身が悔しくて仕方ない。バクラを御しきれないなんてプライドが許さない。なのに先ほどからずっと、翻弄されっぱなしなのだ。
知れず唇を噛んでいると、鎖骨を食むバクラがそのままの体勢で視線だけをじろりと上げて獏良を見上げてきた。刃物のように鋭く熱っぽいそれにねめつけられて、ぞくり。勝手に下半身が震える。
「…ンだよ、しおらしいじゃねえか」
抵抗をやめた獏良に、バクラは機嫌よく囁いた。上ずった低い声に鼓膜を犯されて、また身体がわななく。何だってこの声はこんなにも自分を惑わすのだろう、考えたって分からない。さっきからこめかみで心音が煩くて仕方ない。
鎖骨から筋と骨を辿って、バクラの舌が迫ってくる。とがった顎をなぞり唇へ。無意識に気にしてしまうさきほどのにんにく臭に獏良の身体は勝手に身構えた。けれど、噛み付いてきた唇からはミントの味がした。
「んっ…?」
ぬるりぬるりと上下の唇を遊ばれながら、首を傾げる。
「ね、歯、みがいた?」
引き剥がそうとしても無理なのでそのまま喋ると、バクラはなんでもない様子でおうと低く答えた。歯ブラシは?問うと、予備、と短い返事が返ってきた。
買い置きの予備の歯ブラシは、鏡台の下の引き出しに入っている。そのことはかつて買い物をしたバクラが良く知っているだろう。
「オレ様が使ってた奴、宿主サマがどっかに隠しちまってたみてえだしよ」
ちらり、視線はタイルの上に転がったコップと歯ブラシに注がれる。思い出して寂しくなるからなァ、と、何もかもお見通しの声音でもってバクラは言った。
つまりは、捨てるか捨てまいかその時にひどく迷って、いつか帰ってくるかもしれないのにとほんの少しだけ思っていたこともまたばれてしまっているに違いない。
その希望だか妄想だかもはやり苛立ちの原因のひとつになっていて、目の下の隈をいっそう濃くしたものだ。こんなことならやはり捨てておけば良かったと獏良は内心地団駄を踏みたくなる。資源の無駄、と普段考えたことも無いエコの精神でもって、獏良は全てをバクラのせいにすることにした。元凶の男の唇に思い切り噛み付いてやる。においがどうとかと気にする必要がない分だけ、遠慮無しに。
「いッ…」
反射で短く呻いた声にざまあみろと笑ってみる。お互いにキスの時に眼を閉じるだなんてロマンティックさとは無縁なため、獏良が瞳だけで笑ったことは目の前の紫色の目玉にも見えただろう。案の定、にやりと笑い返したバクラがより一層深く噛み付いてくる。
「ふ、く…」
開いたままの歯列を、思ったよりも厚めの舌が挨拶していく。感触は違うのに動きは全く同じで、それがなんだか悲しいような嬉しいような奇妙な感覚を獏良におぼえさせた。それでも、尖らせた舌の先と先がひたりと触れて、瞬間、嬉々として絡み合った時には頭の芯がじんとした。痺れは背骨を伝って、尾骨あたりで熱に変わる。たまらず腰を捩ればくふりと吐息が口の中に吹き込まれた。
「…宿主」
バクラがそう呟いたのが、重ねた唇の動きで分かる。なに、と答えたかったけれどすぐに舌がまた絡み始めてままならなかった。押し付けられていた手がほどかれてたので、両肩に両腕を巻きつけてきつくしがみつく。消えない砂の匂いと、馴染んだ石鹸の香りを一気に吸い込んで不思議な気分だった。同じなのに違くて違うのに同じで、わけが分からない。
考えるのはもう後にしよう。獏良は実にあっさりと一秒で見切りをつけた。そんなことよりも今はもっとたくさん触れてもらわなければ。言葉でも態度でも、この数ヶ月間の埋め合わせをするつもりがないのなら身体で払ってもらうしかない。快感なんてものをすっかり忘れていたこの萎れた身体にたっぷり栄養を与えてもらわないと。
そう考えているのが分かっているのかいないのか、バクラの舌は底抜けにしつこく口内を這い回った。全く丁寧ではないがつるつるの歯の表面に這って、舌の裏側、表面、口腔の内壁、そして上顎のおうとつまでしっかりと蹂躙してから、ようやっともう一度、舌の先で絡み合う。尖らせた先と先でお互いにくすぐりあうのが悦いのだ――証拠に、溢れる唾液は官能の味がする。
「ん、ぅ、んン」
ひく、ひく、と、腰を揺らしながら、獏良はうっとりと瞼を浅く伏せた。なんて気持ちがいいのか、この感覚を表現する語彙を持ち合わせていない。キスひとつで恐ろしいほどの充足感だった。バクラには決して知られたくないけれど、涙腺が緩みそうだ。伏せかけの両目でもって相手を伺うと、バクラもまた少しばかり瞼を下げていた。だが視線はよりいっそう熱を持って、酩酊したようになっているであろう獏良自身を見つめている。
ああだめだ、その目はだめだ。首が熱くなる。たまらなくなって身を捩ると、逃すまいと割り込んだ膝で股間を押し上げられた。
「っあ!」
思わず悲鳴を上げてしまう。バクラのほうが背が高いせいで、膝を持ち上げられると踵か浮いた。一点に体重が掛かって、刺激がいっそう強まる。くくく、とバクラが笑った。
「溜まってんじゃねえの?」
貧乏ゆすりをするように小刻みに膝を擦りつけながら、意地の悪い声が言う。
「オレ様が居ない間、抜いてなかったのかよ」
「そ、んな気分に、っなれなかった…!」
「は、そんならお互いに三ヶ月振りってこったな」
何がおかしいのか、そうして続けてくつくつ笑ったバクラは、壁についていた手を肌の上に下ろした。張り付いた寝間着の上から、硬く強張った乳首を指で挟みこんで、恐ろしくじれったい動きで転がし始める。
「っぁ、あ…ッ!」
そこを捏ねられるのは嫌いではない。そうなるように時間をかけてしつけられた身体は、三ヶ月の空白を置いてもきちんと感覚を覚えている。心の部屋でじっくりと開発された性感帯は現実でも有効に作用するらしい、と、ぼんやりする頭の中で獏良は思った。首筋も喉も胸も、痛いのに気持ちがいい。親指と中指で摘み上げた乳首の先を人差し指にぐりぐりといじめられて、浮いた踵からふくらはぎにかけて攣りそうなほど感じた。
「…女みてえ」
失礼なことを言うバクラの目が、感じきっている獏良をまんざらでもなさそうに眺めて笑う。白い肌に目立つそこを開発したのはそっちだろと言ってやりたかったけれど、その余裕も獏良には無かった。水しぶきがはじける世界で、息を切らせてただ褐色の肌に縋りつく。もう片手で後ろ髪を掴まれて仰ぎ向けられた視線の先で、紫の瞳に鏡映る自分の顔はひどくみっともなく濡れていた。半開きになった口と蕩けた目と、ああ本当にこれではポルノ女優みたいだ。見たくなくて視線を反らそうとすると、すぐに唇を塞がれた。
「相変わらず顔だけは上等だなァ」
くっついた上唇がそんな風に言葉の形に動くので、獏良は意味が分からず吐息だけを零した。今更何を言ってるんだろうか、身体を共有していた時はこれはお前の顔だったんだよ、いやってほど見てるじゃないか。そう言いたいけれど指はまだねちねちと胸をまさぐっているので上手くいかない。もどかしく息を吐き出していると、髪を掴んでいた手がするりと解けた。大きな掌が頬に触れて、指の先がこめかみを撫でる。濡れて張り付いた髪ごと頬をおとがいを撫でていく。気持ち悪いくらいぬるい愛撫をされて、居た堪れない。
「小せぇツラ」
「…は?」
「小せぇ耳にでけえ目ン玉、やわい首」
「…何言ってるの」
ひとつひとつ、顔のパーツを確認するように指先が辿る。近すぎてぼやけるバクラの表情はよく分からなかった。いつのまにか意地の悪い指先は矛先を変えて肌の上を滑り始めている。筋張ったあちこちを、あばらを浮かせた胸からへこんだ腹、骨が目立つ腰までを掌全体で確かめて、そうしてバクラは、彼曰く『小せぇ耳』に、がぶりと噛み付いて、
「――喰っちまいてェ」
「っ……!」
聞いたことの無い声だった。
剣呑さを含んだ甘さ、男らしく擦れた声、全く知らない他人のようでよく知った余韻を残した声に、思い切り鼓膜を犯された。
ずるい、と言う間もなく、反射で腰が思い切りはねた。挟み込んだ硬い膝にいやおうなく性器が擦れて、今日はじめて、明確な嬌声が獏良の唇を割る。びくびくと喉を反らせて悲鳴を上げたその喉に肉食獣の牙がきつく立てられる。駄目だ、ひどい、そんなことを口走りたいのに声にもならない。獏良は震え上がった。肩に爪を立ててしがみつきながら、耐えられずに腰が揺れる。こんなこと今までだったら絶対になかったのに。バクラの声でこんな風になるなんておかしい。
「ゃ、め、喋んないで、っ」
「あァ?」
あまりのことに首を振って逃れようとすると、聞こえなかったのかバクラはそ知らぬそぶりで身体を寄せてきた。壁と堅い身体に挟まれて身動きが出来ない。息が鼓膜に滑り込んでくる。ぞくぞくと背中が震え上がる。声がなおも言う。
「何だって? 聞こえねえよ」
「っだから、耳元で、しゃべ、あ、やだ」
「何言ってんのかわかんねえっつうの。…てか、どうしたよ宿主サマ、いきなり盛り上がっちまってるみてえじゃねえか」
悶える獏良と反対に、ご満悦な声が響く。腰骨をなぜていた手がまとわりつく寝間着を剥がして肌へ直接滑り込むのを感覚だけで察知しても、何も言えなかった。べちゃり。濡れた布がタイルに着地する音がやけに大きく耳に届く。軽く膝を浮かされて出来た隙間に侵入した手が、恥骨を辿って性器に触れる。
「ひゃ、ッ!?」
裏返った声が勝手に出た。思わず背中に爪を立ててしまう。結構な力で食い込んだ筈なのに、バクラは痛いとも言わずご満悦のままでくつくつと笑った。その声が腹立たしいのにぞくぞくしてああもうわけがわからない。ぬるぬると指先で裏側を撫でられて、爪先まで痺れる。
「乳首弄っただけでこれかよ。っとに弱ぇな、ココ」
ぴったりと重なり合う胸と胸の間に強引にもう片手をねじ込んで、上機嫌のバクラは言う。言いながら、先ほどいやというほどこねくり回した右ではなく左に狙いを定めて、今度はきつく捻り上げる。仰け反って痛みを訴えても、下半身はきちんと反応してしまう――完全に、手玉に取られている。悔しくて噛む唇さえ、べろりと舐められて宥められてしまう。親指の先が細かく動いていっとう敏感な先端をぐりぐりと苛めて、更に身体中に電気が走った。
「っ調子に、乗、ぁ、や、ッそこ、あ…!」
「あん? そこってどこだ?」
それこそ調子に乗った声音に腹が立つ。
何か罵声を浴びせたくて開いた口からは母音の連続が勝手に連なってしまう。それか、欲しくて堪らない箇所を訴えることしか。
「だから、そこ、先、のとこ、あっ」
「どっちだよ、上と下と」
「両方っ、ん、も、出そ」
「早ぇ。我慢しな」
ううと唸って我慢する。言うとおりにしてしまう身体は獏良の命令を聞いてくれない。言いなりに耐えてぐっと力がこもる腰をまた大きな手が撫でた。いいこだと褒められたようで腹が立つ。
先端ばかりを責めていた指が徐々に動きを変えて、我慢しろと言ったくせに搾り取るようなそれに変わった。根元のもっと奥の膨らみをやわやわと揉みしだいて、溜まった精を押し出し出口に向かってしごき上げる。薄い先走りや浴びた湯では滑りが悪く痛みを伴う手淫も、痛いだとか訴える要素にはならなかった。だがバクラにとっては問題だったようで、彼はち、と音を立てて舌を打つと、ちっと待てと言い後ろ手を伸ばした。
手探りで掴んだのはボディソープのボトルだった。ポンプをがしがしと乱暴に押して中身を掌にたっぷりと乗せるその間、壁とバクラに挟まれた獏良には何をしているのか全く見えず、ただ唇を噛んで荒い息を吐き出しているしかない。だから、唐突に冷たいぬるぬるした感触に包まれた時には、裏返ったおかしな声をあげてしまった。
「ひゃ、な、なに」
視線を下に向けても褐色しか見えない。正体を見極める前にやたらすべりのいい掌が勢いよく動いて、高い声がバスルームの壁という壁に反響した。
「あ、ぁあ、ぅ、あ、ッ!」
泣き出しそうな悲鳴を上げて獏良は首を振る。踏ん張りの利かないタイルに何度も足を取られて転びそうになりながら、母音の連続の間にむりやめてたすけてと何度も言った。出したくて言っているのか身体を支えられないことを言っているのか、それも自分自身分からない。ずるずると背中は壁を滑って、震える両足は力を込められずに膝から崩れていく。バクラもあわせて腰をかがめてきたので、タイルの凹凸に背中の皮膚を擦られながら獏良は床に尻を落とした。やけに手際よくバクラが片足を肩に担ぎ上げてきて、奥まった入口まで見えてしまう苦しい格好を強いられる。その間にもちっとも手の動きは緩まないのだから参ってしまう。
「っバクラ、もうむり、だめ、」
自尊心をかなぐり捨てて、獏良は二度目の懇願を口にした。
爪先も唇も細かい震えが止まらない。バクラの目にもそれは映っているはずだ。――なのに、紫の目はにいと笑って、
「…まだだ」
「何で、やだもう、くるしい、だしたい」
「こっちだって我慢してんだよ」
低い声でそう言われた。
意味が分からず、獏良は涙交じりの視線を下向きに落とす。そこには目を背けたくなるほど硬く育った自分の性器に絡みつく褐色の手と、そのすぐ近くに、グロテスクと表現して差し支えないバクラの性器が存在を主張していた。
「うわ…」
思わず、口から引いた声が出た。
気持ちよさに酔っていた身体がきゅっと冷える。それはむり、と両手でバッテンを作りたくなるような、なんというか、同じ男性としてでも顔が引きつってしまった。大きさだとかそういう理由もあるが実際そいつが身体の中に入ってくるのである。勝手に臀部が緊張するのは致し方ないことだと思う。思いたい。
「…いれるの?」
「他にどうすんだよ」
「手、とか…」
「ふざけてんのか」
獏良の提案にぐるぐると喉の奥で獣のように唸って、バクラは手指の動きを変えてきた。先まで辿っていた指がボディソープを絡めとって、膨らみの更に奥へと進んでゆく。ぬめる指に入口をこじ開けられて、獏良は目をそらしてぐっと息を詰めた。
「力抜けよ、初めてじゃねえだろうが」
無体なことを言ってくれる。
今しがた目の前にしたソレが進入してきますと分かっていて、誰がリラックスできるものか。心の部屋でまぐわっていた頃は、自分も相手も同じ見た目であるからして性器だって同様だったのだ。別に自分の性器のなりかたちがどうというわけでもないけれど、あの頃とは違うということをもっと認識して頂きたい。だが獏良が限界であるようにバクラもまたそうであって、近い距離で交わす呼吸は互いに熱く短い。自分だって止める気は無い。なのに身体はすっかり緊張してしまっている。
戸惑う獏良をじっと眺めて数秒。
バクラは短気だった。
「…付き合ってらんねえ」
問答無用に指が入口をさらに押し開く。久方ぶりの違和感に顔を顰める暇もなく、ボディソープをたっぷり塗りたくった赤黒い先端がぐぬり、と容赦なく潜り込んできた。
「ひ、ぃっ……!」
喉の奥で潰れた悲鳴が舌に絡んで、おかしな音になって漏れた。肩に食い込んだ爪が更に深く、赤い亀裂を作って皮膚にめり込む。バクラは少し顔を顰め、此度も何も言わなかった。
「い、たい、痛い、むり」
「てめえが力入れてっからだ」
「ゃだ、やだむり痛いいたいはいんない」
「うるせえ泣くな! まだ先だけだろうが!」
このまま一気に捻じ込まれたいのか、と脅されて、獏良はひゅっと喉を鳴らして顔を上げた。痛いという言葉で説明するには役不足な刺激に怯えた眼がバクラを見る。
初めて心の部屋で交わった時も怯えたことがある。その時は同性間の性交渉に嫌悪感を抱いてのことで、怒りも怯えも吐き気も混ざっていた。今はその抵抗がなくなった分、純粋な痛みの成分だけで歪んだ表情は非常に痛々しくバクラの目に映った、はずだった。
普通ならば泣くなと宥めるはずの動きが、ぴたり止まる。
ごくり、と鳴る喉。
下半身の変化が、そのまま獏良にも伝わった。
「ひッ!?」
硬さを増したそれに獏良は声を上げて仰け反った。ありえない、と絶叫したい気分になるがそれもままならない。何考えてるの変態バカ最低とも言いたかったが、その最低男は更に手指を増やして入口をこじ開けた挙句、先のいっとう太い部分を押し込んできた。いろいろ無理だ、死ぬ!
「やっやだやだやだ!無理!やだ!」
「…ンなツラして嫌がってみせるてめえが悪い」
「知らないそんなの、痛い、ッや…――っ!」
じたばたもがいても無駄だった。明らかにどこか裂けた、皮膚が引き延ばされる痛みではなく傷の痛みを感じる。ず、と嫌な感触と一緒に一層硬くなった性器が内臓に潜り込むのを、歯も食いしばれずに獏良は受けた。弱った身体に酷すぎる仕打ちだった。
「し、んじらんない…!」
呻くように訴えると、バクラが変なふうに唇を曲げて笑った。忘れていたけれどこいつはサディストで、痛がったり嫌がったりは逆効果だったのだ。そんなことを思い出しても今更遅く、涙を溜めた目で痛みを訴えたのは全く墓穴だった。そう理解しても全てが手遅れだ、育った性器は太いところを通り過ぎて、あとはもう惰性で先に進んでくる。気持ちよさとは無縁の違和感と痛みに顔を顰めてしまうが、たぶんそれも逆効果。血と精の匂いに興奮した呼吸が首筋に当たって、歪んだ頬を撫でられる。
いい顔だと褒められても全く嬉しくない。褒められながら腰を引いて埋められて、びりっと痛んだ。
「ぅ、あ…!」
続けてゆさゆさと、探るような動きが繰り返された。馴染んだ感触とは全く違う、熱くて太くてどくどくと脈を打つ塊に傷を擦られて、ただ痛い。まるで心臓をもう一つ下半身に埋め込まれたような気分だ。
ただ耳元に当たるバクラの吐息は擦れて興奮していて、それが萎えた欲に火をつけようとする。身体は気持ちよくないのにぞくぞくする――ちぐはぐで、もうわけが分からない。
「やどぬし、」
上ずった声で呼ばれて、ぞくん。首筋が震える。
開いていても機能していなかった目を瞬きで復活させて、獏良はバクラを見た。
無体な男は湿った表情を浮かべて、抜き差しするにはきつすぎる締め付けを緩和させるように揺さぶってくる。
(さいあくだ)
表情だけで、もどかしいのだとすぐに分かる。それだけで怒りが若干熱を下げてしまうなんて、本当に自分はどうしてしまったのだろう。
向こうはたまらない顔をしていて、こちらは先ほどまでの波が嘘だったかのように萎えている状況。お互い盛り上げるためにしなければならないことは明確。
何だってこんなに上手くいかないんだと歯噛みしながらも、獏良は自分の手を汚すしかなかった。
向かい合って座り込んで、片足を担ぎ上げられたみっともない格好で、両手を伸ばす。ボディソープまみれにさせられた自分の性器に、そっと手指を絡めた。
「っ…」
目の前でバクラが喉の奥で何か言った。当然だ、こんな真似したことがない。貫かれながら自分自身に手淫を施すなんて、心の部屋ではそんなことをしなくても十分気持ちよかったのだから。
ぬめりを掬い上げて、先ほどバクラにされたときと同じ、根元から先端まで絞るように扱き上げる。単純なことに快感はすぐに拾い上げられて、あ、と上がった高い声には痛み以外のものがきちんと含まれていた。
「ん、ぅ、んん、っ」
眼を閉じて、視覚よりも触覚に集中する。いくらか擦っているうちに下半身の強張りは解け始めて、食い締めていた入口も徐々に緩んできた。抵抗が少なくなるにつれ、バクラの動きも大きく変わってくる。
全て見られていると思うと、気持ちいいんだか恥ずかしいんだか分からない感覚に身体中が熱くなった。あの熱っぽい紫色の目玉はきっと凝視している。だらしなく開いた口元から青ざめた頬から、湿った肌の上を通って下肢まで。指を絡めて上下に動かすそのさまも全部見られている。