【同人再録】廃墟と鏡のメルクルディ-1

発行: 2010/08/22
「廃墟でばくばくエロ書きたい」という勢い任せの本。微妙に最終回後パラレルなようなそうでないような。廃墟に一人訪れる宿主と、廃墟にすむ「幽霊」バクラの邂逅話。
キーワードは「廃墟」「制服」「ソファプレイ」。趣味をそのままつぎ込んだ俺得SS。

・小説:書き下ろし
・表紙:平純久至様


ねえ知ってる?
その廃墟にいる幽霊はね、
自分とおなじ顔をしているんだって。

1,

『これは友達の知り合いから聞いた話なんだけど』
 という言葉から始まる話を耳にする。
 内容は不思議な話、怖い話。それらは又聞きの又聞きだったりして、実際に体験した者から話を聞けない、できないことになっている。なぜなら恐怖体験を身に受けた人間というのは、大抵誰だか分からなかったり行方不明になっていたり、ひどい場合は死んでいたり。そういった理由によって辿り着けないと相場が決まっているからだ。
 いま学校で話題になっている廃墟の幽霊の話だって、やれ先輩が見ただの友人だのと有耶無耶になっていって、結局は親戚の親戚の親戚みたいな、名前も知らない誰かの話になる。
 それがなんとなく気に食わなくて、頬杖をついてクラスの噂話を耳にしていて。
 なら自分がその『誰か』になればいいのではないか、という結論に至った。
 規則的に揺れる電車の中、車両の端っこの座席で壁に頭を押し付けて、獏良了はぱちんと長い睫で瞬きをする。
 後ろ頭から差し込んでくる陽光はぽかぽかと暖かい。衣替えにはまだ早く、動くと少し暑く感じるくらいの季節。肩のあたりに柔らかい毛布を掛けてもらっているような、そんな暖かさが緊張感のない眠気を誘った。
 学校さぼっちゃってるのに、気持ちいいなあ。
 むしろさぼっているから気持ちがいいのか、どんな時代でもサボタージュで手に入れる空白の自由というのは学生にとって押し並べて幸せなものなのだ。クラスメイトは今頃、うつらうつらするのを耐えて黒板の英文をノートに写している、そんな風に思うとなんだかくすぐったいような楽しさを感じてしまう。誰も知らない場所で気づかれず、こっそりといたずらをしているような、そんな気分だ。
 がたんごとん、電車は揺れる。時間感覚を麻痺させる、単調なリズムに合わせて、獏良はもう一度、瞬きをする。
 降りる駅はどこだっけ。
 行ったこともない小さな町。
 目的地はどこだっけ。
 町の奥にある山のなか。
 そこには何があるんだっけ。
 誰も住んでいない古い洋館。
 どうして行くんだっけ。
 同じ顔の幽霊に、会いに。
 かくんと落ちてしまいそうな意識の傍らで、状況を確認した。
 そうだ、自分は噂話の検証をしに行くのだった。
 いまいち頼りない人づての話ではなくて、この身体で真偽を確かめに行くのだ。
 場所が分かっているのに噂ばかりを口にしているクラスメイトはどうしてそれだけで満足しているのだろう。こんなに楽しそうなことがあるのに放置しているなんてもったいない、「自分と同じ顔の幽霊」なんて、そんなものに会える機会はそうそうない。
 たとえばもし幽霊がいなかったとして。鏡や硝子に写った自分の姿を見間違えてそんな噂が生まれたのだとしても、それならそうだったのか、と納得できるじゃないか。
 ――でも、本当のことが分かったって、絶対誰にも教えてあげないんだ。
 ふふふ、と小さな笑い声をこぼして、獏良は独り言をつぶやいた。
 謎解きは一人でするから楽しいのだ。誰もかれもみんな、謎を感じたなら自分の手で解明してみればいい。おすそ分けはしない主義、おいしいものは自分一人で食べたいタイプ、それが獏良了である。
 がたんごとん、電車は揺れる。心地よい眠気とともに。
 同じ車両に数人いた乗客はいつの間にかいなくなり、臙脂色の座席に腰を下ろしているのは獏良だけになっていた。通勤通学の時刻よりも遅い、昼前の平日はまるで日常から切り取られたかのように、生き物の音を耳に届けない。窓の向こうで通り過ぎていく景色さえ似たり寄ったりの住宅とビルで、まるで同じ場所をぐるぐる回っているよう。車両の天井で空気を攪拌する古びた扇風機までもがどことなく退屈そうだ。
 次は――駅、――駅、と、かすれたノイズを鼓膜が拾って、獏良は閉じかけていた瞼を開いた。硝子越しに見えた駅の看板は目的地を名乗っており、慌てて立ち上がる。置き忘れそうになった鞄を引っ掴んで、あわや閉じるところだった扉の隙間から前のめりに飛び出した。
 ぷしゅうと音を立てて閉じた電車が出発してしまうと、緩やかな静寂が獏良の周りに沈み込んだ。
 完全に何も聞こえないわけではない。発車の余韻が空気を震わせて、飛び立った鳥の羽音が微かに聞こえてくる。小さな改札には眠たげな駅員が舟をこいでいるし、駅前のスーパーからは人の声もする。だがすべてがどこか希薄で、薄い布を張った向こう側で誰かがささやいているのに似た、そんな感覚だった。
 一歩足を踏み出す。たん、と、自分の靴音はよく聞こえた。
 自動改札になる前の、切符を切る台が役目を終えつつもまだ存在だけは残っている古臭い駅を抜けて、進んだ町並みを眺める。タイムスリップとはいかないまでも、発展という言葉が見つからない、どことなく寂れた懐かしい景色が広がっていた。
 年季の入った自販機と今どき珍しいプロパンガスのボンベの隙間から、金色の視線がじっと投げかけられる。ぼそぼその毛並の黒い野良猫が一匹、部外者を訝しむ目つきで獏良を見上げていた。
 何の気はなしにこんにちはと声をかけると、猫はしばらく獏良を睥睨した後、ぷいとそっぽを向いて回れ右をしてしまった。長い尻尾をふりふり、太陽の届かない暗がりへと溶けていってしいまう。
 つれないなあ。
 呟いて、ぽん、と両膝を叩く。
 ここからは全く未知の領域。耳に入れた噂話の詳細はこの駅でいったん途切れ、道筋をなくして廃墟へとたどり着く。どこをどう行けばいいものかさっぱり見当がつかない。駄目でもともと、GPSという文明の利器を操作して自分の現在位置を表示してみたけれど、携帯電話の液晶画面に表示された地図はまったく役に立たなかった。
 太陽を頭の上に望んで、とりあえず三六〇度、回転してみる。
 最初に目についたものの方向へ進んでみよう。己の直観にすべてを任せて、獏良は住宅地の向こうへと、つま先を躍らせた。

2,

「見つかるもんだなあ…」
 草木の匂いが濃い森の中で、獏良は半ば呆然とつぶやいた。
 どこをどう進んだのか定かではないが、緑色が多い方へ多い方へと歩みを進めていたらいつの間にか山道に入っていた。まだ人の匂いがするバス停や道路を避けると道はけもの道に変わり、そのうち道ですら無くなった。人間の気配と反比例して増えていくのは虫や鳥の存在、そして、この場所のあるじはお前ら人間ではないと主張するかのように繁茂している植物。
 名前も知らない蔓草とやけに大きなシダ植物をかいくぐって、スニーカーの底と制服の裾が程よく泥に汚れた頃、獏良の目に飛び込んできたのは目も覚めるような青色だった。
 それが建物の屋根の色だと気づくまでに少し時間がかかった。
 空は名前の通りの空色で、絵の具を水で溶かしたようなにじんだ色彩だったけれど、その屋根の色は緑と煤を混ぜた濃い青で、水の色でも空の色でも海の色でもなかった。似合う表現が見当たらず、分類は青緑、だけどそれ以外の何かの色、としか言いようがない。
 かき分けた草の端で手のひらを少し切った。屋根の色と対照的に赤い傷にはとりあえず唾をつけておいて、獏良はその建物と対峙する。
「…見つかった、は、いいけど…」
 廃屋。洋館。
 二階建ての、それほど大きくない館だ。人の話には尾びれ背びれがつくもので、耳にした内容では巨大な洋館が聳え立っていたということだった。いくつも窓があって立派な門があって、その門はなぜか開いていると聞いた。だが目の前のそれには塀と門はあるにはあるがささやかなもので、錆びた南京錠と太い鎖で厳重に戒められていた。おまけに、明らかな人の手によるもの――私有地につき立ち入り禁止と書かれた看板と、黄色と黒のストライプ模様をした帯がぐるぐると巻かれている。これには興ざめせざるを得ない、もうどんな人間にも忘れ去られた物件だと期待していたのに、所有者がきちんといるではないか。
 なあんだ、と、自然、落胆が漏れてしまった。
 ここに至るまでの道のりは、都会っ子の獏良にしてみれば小さな冒険でもあった。未踏の地を踏むような、すぐそばの茂みから見たこともない生き物が飛び出してくるのではないかと期待させるような何かがあった。なのにメインディッシュにあたるこの洋館がこの体たらくでは、肩の力が抜けてしまう。歩いているうちはちっとも感じなかった両足への疲労が急に主張を始めたので、獏良はそのまま、ぺたんと草の上に座り込んだ。
「これは…本当に幽霊なんかいないかも」
 いなくてもいい、と思ってはいたけれど、場所自体に萎えさせられるという予測はしていなかった。
 やるせない気分で鞄を放り出して、全景を眺めてみる。
 青い屋根は見事なものだ。それを支える建物は煉瓦造りか、蔦に覆われてよく見えない。一階に並んだ窓は硝子がすべて割れており、周りの植物が枠だけになったそこから内部へと侵入していた。塀は漆喰かコンクリートか、疎い獏良には分からないがそれらしい素材で囲われ、錆びた黒い門は、現役時代にはなかなか素敵な意匠だったのだろうと思わせる蔓草模様。無粋な人工物が絡まっていなければ、悪くない外見だと言える。
 庭らしい場所には、自然の力で生きながらえた白い薔薇がいくつか花をつけていた。だが、整えられることのないそれらは好き放題にのびて、そこらの野草と変わりがない。
「もったいないなあ…」
 がっかりを音にした、そんな声を獏良は吐きだした。
 そのままごろんと草の上に寝転がる。太陽光がまぶしくて、反射でぎゅっと目を瞑った。
 中に入ってしまったら、これは不法侵入ということになる。ばれなければいいやと思う反面、少し気が引ける気もする。
 もし南京錠も黄色のテープもなかったら、こんなためらいなど感じずに、そのまま中に進んでいっただろう。人の手のせいでためらいが生じてしまった。でも荒廃してることに変わりはないしなあ、ばれないんじゃないかなあ、うだうだと考えながら、手元で茂っている草をちぎっては投げる。
 そんな風に草いじりをしていたから、気づかなかったのだ。草を踏む誰かの足音。間近にならないと、分からなかった。
 がさり――と、頭のすぐ近くで、音。
 目を開けると、太陽の代わりに自分の顔が、そこにあった。
「…え?」
 ざあ、と、強い風が吹いた。
 さかさまに覗き込んでいるその顔の、長い髪が巻き上げられて青空に散らばる。長い髪だなと思って、自分と同じなのだからそれはそうだろう、と、他人事のように思った。
「何やってんだ」
 そう声をかけられたことで、これが鏡に映った像でないことを確実に認識する。
 よく考えなくても相手はこちらのつむじあたりにつま先を置いて、さかさまに見下ろしているのだから鏡なわけがない。第一空中に鏡が存在するわけもない。そしてまじまじと見てみれば、彼――と表現すべきか、自分と同じ顔をしたもの、便宜上彼と呼ぶそれは、制服を着ているものの学ランを脱いだYシャツ姿だ。全く同じ、ではない。
 目つきはやけに鋭い。睨み付けるような青色で、彼は獏良のことを見下ろしている。
 怖いという感覚はなかった。突然目の前に現れた、正体不明の存在に対し、獏良はえらく間の抜けた声で問いかけていた。
「…幽霊?」
「あァ?」
「きみ、幽霊? ほんとにいたんだ」
 草をちぎっていた手で指をさして、獏良はなおも問う。
 問われた彼はぎゅっと眉間にしわを寄せ、そうして軽く鼻を鳴らすと、
「さあな」
 そう言い、覗き込むのを止めて歩き出してしまった。
 獏良もまた身を起こし、草を払って立ち上がる。突然のことで頭が働いていない気もするが、身体と精神のすべてが彼に向かって集中していた。興醒めしていたところに現れた噂そのもの、と思われる彼は、一瞬でも目を離したらふっと消えてしまいそうだ。絶対に目を離さないようにしなければ――そう思って、自分と同じ背丈の背中を追いかける。
 そこで気が付いた。彼には影が無かった。
 いよいよもって、これは幽霊に違いない――奇妙な昂揚感が首筋を駆け上がる。
 がさがさと草を踏み分けるやかましい音を立てて背中へ追いつくと、彼はちらりとだけこちらを向いた。同じ色の青い目が、感情を覗かせずに獏良を見る。
「何でついてくんだ」
「きみがさっさと行っちゃうから」
「ついてくる理由を聞いてる」
「本当かどうか確かめたかったから」
 同じ顔の幽霊が出るって、噂になってるんだ。
 言って、大きく一歩踏み出し、隣に並ぶことに成功する。並んでみると本当に、目線が同じ高さになった。
「きみ、結構有名人なんだよ」
「キミキミうるせえな、その呼び方やめろ」
「じゃあなんて呼べばいいの? 名前、あるの?」
 問いかけに、彼は視線を獏良から逸らして、答えた。
「名前は――てめえと同じさ、宿主サマ」

 南京錠が掛けられた門を通り過ぎ、彼――同じ名前を名乗るバクラは館の裏側へと回った。
 塀の一部に大きく欠けている部分がある。しゃがめばなんとか通れる程度の大きさのそこへ、バクラはひょいと身をかがめて潜り込んだ。来るなら勝手にこいという意思表示と判断して、四つん這いになった獏良はためらわず後を追う。幽霊ならすり抜けとかできないのかとも思いそのまま質問してみたが、振り向いてももらえなかった。
 身軽なバクラは、割れた窓のサッシに手をついてひょいと室内に入り込む。運動神経のよくない獏良は両手をかけてなんとか踏み込むことに成功。
 そして広がった、目の前の世界に、ため息をつかずにはいられなかった。
「すご……」
 そう呟いた声は、高い天井に響いて散った。
 蔦這う壁は外観だけではなかったのだ。あちこちの窓から侵入し、外から中へと突き入った樹木から伝わった緑の触手が、玄関からホールにかけてのおうとつや家具、壁に絡まってゆく。長いこと雨風にさらされて変色した茶色い絨毯には苔が生え、壁にかかった色あせた絵すら例外なく侵食されている。かろうじて免れているのは天井のシャンデリアの残骸だが、細かな意匠のせいで、それすら蔦に見えてしまう。
 それらすべてが枠だけの窓と、吹き抜けにある天窓の、曇った硝子から差し込む太陽光に照らされて、不思議な緑色に輝いているのだった。
「自然とこんな風に、なるもんなの…?」
 外は晴天だというのに、この場所はひんやりと冷たい。急な温度変化に獏良が思わず二の腕をさすると、バクラはさあな、と、先程と同じ答えを呟いた。
 さく、さく、と、苔を踏む音を立てて、バクラが迷いない足取りでもって進んで行く。彼の歩いた後にはスニーカーの形をした跡が出来、苔を踏むのを躊躇った獏良は、その足跡の上に同じように足裏をつけて進むことにした。
 分からないことはたくさんある。聞きたいこともたくさんある。少し立ち止まるとすぐに離されてしまう距離を縮めるために早足になりながら、獏良は再び口を開いた。
「ねえ、ねえきみ、」
「その呼び方はやめろっつっただろ」
「じゃあ、えっと、バクラ…でいいの?」
「ああ」
「バクラ、何者なの? 幽霊じゃないの? 何してるの? ここはバクラの家なの? なんでボクと同じ姿なの?」
「質問ばっかだな、てめえは」
 人に聞く前にはまず自分からって、学校で教わらなかったのかよ。バクラは冷たい口調でもって言い、ホールを抜けた先にある階段の手すりに手をかけた。そこにも緑の侵食が始まっている。
「てめえは何もんで、何しにここにきた?」
 細い指先が意味ありげに、薔薇の模様の彫り込みをなぞる。どこかいやらしげな動きで、まるで蛇か蜘蛛のようだ。
 けんけんぱをする要領で足跡を追った獏良がそれに追いつき、首をかしげた。質問の意味を、かみ砕いてみる。
「ボクは…獏良了、だけど」
「そうか」
「きみに会いに来たんだ」
「だからそれ止めろ」
「二人称で呼ぶときは仕方ないじゃないか」
「お前とか、てめえとかあんだろ」
「初対面なのにそれは呼びづらいよ」
 ぴくん、と、バクラの肩が小さく跳ねた。
 眇めた目がゆっくりと、こちらを向く。強く寄せた眉はいかにも不満げで、口はまっすぐ閉じているものの、なんだかとがらせているような、ふてくされているような、そんな風に見えた。意外な表情に獏良はぐっと言葉に詰まり、何も言えなくなってしまう。
 重ねて、お前、と強く言われて、否定する材料も見当たらずに、獏良はわかったよと頷いた。
「おまえって呼ぶよ。…変なやつ」
「…てめえほどじゃねえよ」
 不機嫌な声はそのまま。しかし少しだけ満足げにうなずいてから、バクラは階段を昇り始めた。
 彫り込んだ薔薇の上を蔓草が這う、人為と自然のコラボレーションがなされた手すりと階段は、螺旋を描いて二階へと繋がっていた。遺伝子構造を思わせるくるくるとしたステップには赤い絨毯が敷かれている。過去はきっと上質なさわり心地だっただろう天鵞絨だ。
 それを踏みしめて上った階上は、緑の侵食をさほど受けてはいなかった。
「二階はふつうの廃墟っぽいね」
「下だってただの廃墟だろ」
「そんなことないよ、なんかこう、綺麗だった。あんなとこなら住みたいかもね」
「…住めばいいんじゃねえの」
「何言ってるのさ。ここ、私有地でしょ? き――おまえは、幽霊だからいいんだろうけどさ」
「本当に幽霊だと思ってんのか」
 小窓が並ぶ廊下を歩きながら、バクラが言う。感情の読めない声で。
「…なに?」
「宿主サマは、オレ様が幽霊だと思ってんだな」
「そりゃあそうだよ。…それより、さっきから気になってたんだけど、なに? その、ヤドヌシサマ、って」