【同人再録】ないものねだりの裏側(闇マリマリ♀)

発行: 2013/08/10
「 闇人格×表人格女体化アンソロジー【右隣の女の子】 」
遊戯王・闇人格×表人格女体化アンソロジーです。
総勢20名の執筆陣による闇遊戯×表遊戯♀・闇バクラ×獏良♀・マリク×マリク♀作品を収録。の、西尾分再録です。


 広い背中が憎かった。

 しっかりとした筋肉がついた腕。
 痩せている癖に厚い胸。
 華奢のかけらもない頸。
 彼という外観を作り上げる全てのパーツは、そこに在るというただそれだけでナムの唇を噛み締めさせる原因になった。
 目にするのも嫌だ。
 触れることすら苦痛に感じるほどだ。
 彼と自分は元は同一であるはずなのに、どうしてこうも違うのか。苛立ちはナムの神経をマリクのねちこい声そっくりの調子で逆撫でしては、理不尽な八つ当たりに変化させた。その度にへらへらと笑って躱され、見透かした目で見られることはひどい屈辱だった。
 こんなにも苛立つ。その理由は分かっていた。
 それらは全て、どんなに望み、努力しても決して手に入らない――雄という性別だけが持ち得るものなのだから。

 心を揺さぶる感情の名前。
 ただの子供じみた、それは――

 

 

「何だてめえら、またベッタリ二ケツしてんのかよ」
 偶然出会った日曜の夕暮れ時、かけられた声に振り返ったナムの視線の先に居たのは、うんざり顔のバクラだった。人混みに辟易しているのが丸わかりの表情を浮かべ、隣には相変わらずの浮世離れした緩い笑みを浮かべている了の姿。見た目が大変整っているので、立っているだけで目立っている。否、日本という国で、より目立つのはナム達の方なのだけれど。
「そっちこそ、相変わらずの仲良しっぷりだな」
 大型二輪のエンジンをかける手を止め、ナムは唇を持ち上げて笑って見せた。バクラがより一層嫌な顔をするので、少し胸がすく。開口一番で嫌味を言ってくる相手に対して、友好的な態度を取る必要はない。ナムは被りかけていたヘルメットを後部座席のマリクに押し付け、軽い仕草でシートから降りた。
「足がないのは苦労するだろ。よければ乗せて行ってあげようか? 了だけ」
「ああ、荷物がひとつ減って大助かりだぜ。宿主、持ってってもらえ」
「人を荷物呼ばわりしないでよ。第一マリク君が困るじゃないか」
「大丈夫だよ、こいつ歩いて帰すから」
 帰れるから、ではない。帰すから、の言葉に、この二人の上下関係が見て取れる。なんでもないように酷いことを言うナムに、酷な言葉を吐いた心算は全くない。マリクもまた軽く肩を竦め、大型二輪を降りてナムの背後に控えるだけだ。これでは当事者たち以外の方が困ってしまう。とはいえ思考のピントが一般より一、二センチずれている了と、自分以外は基本的にどうでもいいバクラのことである。言葉を挟みづらいナムとマリクの関係に、眉をひそめることはなかった。
「いいよ、バクラ一人で帰す方が無駄遣いとかしそうでヤダし。でもナム君のおっきいバイクの後ろにはいつか乗っかってみたいなー」
 などと言って了が可愛らしく首を傾げるので、今度はバクラが肩を竦めた。マリクはにやあと粘着質に笑い、ナムを指さした後に、左右のこめかみに立てた人差し指を添えてご機嫌斜めなんだと無言で表現。背後に立つ所為で、マリクの表情も仕草も、ナムの眼には見えなかった。
 気づかないまま、彼女は了に笑顔を返す。
「了なら大歓迎だよ。今度二人で旅行とかどうだい? まだ日本をしっかり観光したことがないから、了が一緒に行ってくれるなら嬉しいよ」
「そりゃあいい、うるさいのが一泊二日でいなくなるなら大歓迎だ。ついでにその牛みてえな乳の秘訣も聞いて来いよ。てめえの俎板、アバラ当たって痛えしな」
「そこまで小さくない」
 身体的特徴をからかわれたナムがバクラを睨み、了が更に脛をがつんと蹴って、お喋りは終了。軽い挨拶をして、五分に満たない再会は幕を閉じた。
 並んで歩く細い長身と小柄な後ろ姿をぼんやり見送るナムに、マリクは意味ありげな視線を送り、
「可愛いもんだなァ、ちっこい女。主人格、ああいうの好きだろ?」
「別に。守ってあげたいとは思うけど、同性愛の趣味はない」
「そりゃそうだ。昨日もオレとお楽しみだったんだしなァ」
 へらり、と言い、マリクが弛緩した笑みでナムの顔を覗き込む。ナムはぎろりとマリクを睨むと、右手を反射的に振り上げ――ようとして、やめた。人目があるし、ヒステリックに屈辱を晴らしても、この男は笑うだけだと知っているからだ。代わりに左手で、マリクの肩をぐっと押しのけることにする。
「ボクの前に立つな。目障りだ」
「はいはい」
 肉食獣に似た恫喝に、マリクは軽く首を揺らして応じた。ゆらりと方向転換、そして大型二輪の後部座席に腰を下ろす。
「さっさと帰ろうぜぇ、主人格サマ」
 小脇に抱えていたヘルメットをナムに投げて寄越し、マリクは飄々とした態度を崩さない。余裕とも取れるその表情に、ナムは小さく唇を噛んだ。今あいつに近づきたくない。強くそう思う。それでもここで立ち往生し好奇の視線をぶつけられるよりはましだ。腰に慣れたシートに座して、ナムはハンドルを強く握った。
 剥き出した二の腕に、苛立ちの分だけスピードを増した時速七十キロメートルの風が痛い。背中に不愉快な温度はなく、これはナムがマリクに強く言い聞かせたからだ。後ろに乗っている間は許可なく触るな。気持ちが悪い。そう告げたら、マリクはおなじみのはいはいという軽い返事を寄越し、それ以来きちんと言いつけを守っている。ただ気配だけが――悔しいことにシートよりも余程肌に慣れてしまったマリクの気配だけが、掌一つ分に満たない距離の向こうにあった。
「……お前、悔しくないのか」
 風の音にかき消されそうな小さな声での呟き。それでも、マリクがナムの声を聞き洩らすはずがない。なにがぁ? と、だらしない声で返事をする。
「ボクの前に立つな。視界に入るな。許可なく触るな。そんな風に命令されて、女の背後に立っているのが恥ずかしくないのか。一回くらい言い返したらどうなんだ」
 理不尽だ――分かっていた。
 自分で命じた癖に、従うことにまで難癖をつけている。ナム自身が誰よりよく分かっていた。こんな理にかなわないことはない。理性的な分析と感情の爆発はいつだって天秤を揺らしては、ナムの眉間を厳しくさせる。
 そして結局、皿は憎しみに傾いて、子供じみた八つ当たりを生むのだ。
(だって、あいつは全部もっている)
 自分の闇として生まれた癖に、彼は雄の性別を持っていた。血族の為、幼少の時分から男として育てられ、性別を偽って生きてきた。口調も仕草も男であるように義務付けられてきた。それでも肩の細さや膨らむ胸は雌である事実をナムに訴え、心は軋んだ。
 女性とは弱く脆いものだ。庇護されるべきものだ。自分はそうではない。そんな弱い生き物では背負えない。偽りの性別でもいい、強くありたいと願ってやまなかった――姉を、血筋を、背に刻まれた重みを守る為に。納得、するために。
 背中の、死を呼び寄せそうなほどの激痛を。
 男だから、背負わなければならなかったのだと。
(それなのに、あいつは)
 また時速が上がる。道路交通法を無視したスピードに、背後のマリクは文句も言わない。
 どうしても手に入らない男の身体を、マリクは全て持っていた。負の感情が形として具現したのなら、女性であってもいいはずなのに、そうではなかった。ナムが求めた逞しい身体、強靭でいてしなやかな理想の肉体は、触れられるほどの近くにありながら絶対に手に入らない。それが気に食わない。憎い憎い憎い――そして、
(羨ましいんだ、ボクは)
 お前のことが。
 だから見たくない。触れたくない、触れられたくない。
 それでも夜毎交わるのは、マリクと重なる瞬間に、凹と凸がぴったり重なりあった瞬間に、男でも女でもないひとつの塊になれるからだ。矛盾のない、正円のように完璧な形。超越した何かになれる瞬間の為に、ナムは身体を許す。交わる度に己の性別を確認せざるを得ない、貫く肉の槍を持ち得ない現実に耐えながら。
「男だったら、ボクに逆らって自分の主張をしてみせろ。情けない。それとも、抵抗もできない腰抜けなのか?」
 滑る口は、本心を吐き出せない。歪む唇をまた噛む。
「抵抗ねえ」
 背後の気配で、マリクが欠伸をするのが分かった。いかにも気の抜けた、だらしのない気配だった。
「やってもいいが、そうしたらきっと主人格は泣いちまうよ」
「誰が!」
「無理やり組み伏せられてレイプされたら、か弱い主人格サマの心が折れちまう。そうしたらオレが存在する理由もなくなる。あくまで主人格あってのオレなのさ。それに、オレを後ろに置いておきたい意味は、ちゃあんと理解してるしねぇ」
「理解だと?  できるものか――出来ているものか。お前なんかに!」
「おっと、怖い恐い。安全運転で頼むぜぇ?」
 振り切れそうなスピードメータの針を見て、ナムははっと正気を取り戻した。穏やかに減速しながら、息を吐いて心も落ち着ける。彼の言葉に惑わされてはいけない。どうせそこに真実など一つもないのだから。
『ちゃあんと理解してるしねぇ』
 そんなこと、出来る訳がない。
「……お前には、きっと一生解らない」
「解るさ」
「解らない」
「解ってないのは主人格の方さ」
 つん、と。
 背中を指先で押され、ぞくり。悪寒に似た何かに支配され、ナムは公道であることを忘れて大きく左へ車体を崩した。倒れそうになったところを、上手く逆向きに力を加えて持ち直し、ブレーキ。
 他に人も車がいなかったらいいものの、下手をすれば大事故だ。ナムは振り向き、ヘルメットをかなぐり捨てる。
「お前!」
「安全運転って言ったろォ?」
「いきなり触るな! 危ない!」
「逆らえって言ったのはそっちだぜ」
 ひひひ、と嫌な声を上げ、マリクは息を荒げるナムの背中を続けて捕えた。逃げようとした腰を片手で捕え、もう片手は背後から手首を抑え、腹と背中をぴったりと合わせる。またしても背を走る得体のしれない蛇の感覚に、ナムは青ざめながら赤面するという器用な顔色の変え方をした。
「離せ、勝手に何して――」
「男の身体が羨ましいかい?」
 ぴたり、ナムの動きが止まった。
 擦り寄る動きのマリクが、ナムを背後から絡めていく。性的な動きではない、捕食のそれによく似ていた。場所、時間、そういった認知が薄れ、ナムの思考はマリクの言葉に支配されていく。貫かれた図星は、言葉のナイフが鋭すぎて血も出ない。
「何で…… 解って、」
「おっと、オレが言った『理解してる』ってのは、ソッチの本音のことじゃあない。もっと奥の方の、深い部分に後生大事にしまわれてる奴さ。主人格サマ自身ですらお気づきでない、本音の本音だ」
「は……? 何だ、それ……」
「言えないね。暴くべからず。折角綺麗に埋めてあるものを、墓守が掘り返すのはご法度だろう?」
 見透かした笑み。
 ナムの肩口でいやらしい舌なめずりをひとつしたマリクは、翻る布のように手を離した。それきり、まるで先程の会話などなかったかのように、またしてもつかみどころのない表情に戻る。
「ま、いつまでも放置されちゃあ、壁の立場がねえんだけどなぁ」
「……意味が解らない」
「解んなくていいんじゃねえかい?」
 ほら、と、ヘルメットを放り投げられ、ナムは納得いかない表情のまま、仕方なくシートに座り直した。
「今度は触るなよ」
「はいはい、仰せの通りに」
 ぎろりと睨んでも、どこ吹く風だ。
 停車した大型二輪、タイヤの跡が残った道路。その脇に真っ直ぐ伸びた線路の上を電車が駆け抜けていく。
 鉄と鉄が噛み合う喧しい音で塞がれる聴覚の外側で、マリクが言った言葉は、ナムの耳には届かなかった。

 

 

 

 

『後ろに置いとけば、いつだって寄りかかれるだろうよ』