【同人再録】Not work, Not revenger.(盗賊王)
発行: 2015/05/04
「 BURGLAR 」■盗賊王のみ カップリングなし
盗賊王について3つのテーマを設け、各担当でそれぞれ6Pずつかいてみた盗賊王合同誌です。
コスプレイヤーさんによる写真、小説、漫画が一冊にまとまってます。
ばっちりシリアス、担当によっては重たい感じ。
【写真】テーマ:稼業…しいな
【漫画】テーマ:復讐…半田96
【小説】テーマ:生きる…西尾696←これの再録です。
胃の腑など要らない。腹が減るから。
疲労など要らない。眠くなるから。
反動で動く手足は足して四ツ。
獲物を捕らえる眼球が二ツ。
それだけですべてがうまくいく。
怨嗟を喰らって生きる死体。
そうあれたなら、
きっとすべてがうまくいく。
生きる、ということは。
何故にこのように面倒なことばかりなのだと、眠りの闇から瞼をこじ開ける度にバクラは思う。
生き物でいることは面倒臭い。ヒトに限らず生命全般に言えることだが、ひときわこのヒトとかいう生物は、命というちっぽけな塊を養う為の労力が多すぎる。生きること、ただ生命を継続させること、それだけの目的に対して、かかる労力が多すぎる。
例えば食事。
例えば睡眠。
どちらかひとつを少しでも削れば、生命活動に支障が出る。長く滞らせれば、簡単に死ぬ。
不摂生を繰り返せば病を背負い、僅かな傷でも放置すれば腐り、毒を生む。五体満足を保たねばまともに歩くことも出来ない。
面倒だ、と、思う。
(かったりぃなァ)
寝返り代わりの瞬きはゆっくりと一つ。仰向けに眺める汚れた天井は薄闇と汚れで色も曖昧だ。軽く首を動かすと、ぴちりと走る痺れ。思ったよりも筋が痛んでいたようだ。舌打ちと共に、緩慢な動きで起き上がる。乾いた掌を首筋に当て、左右に軽く振る――髪に紛れ込んでいた砂がぱらぱらと胸に降りかかる。頸部に軽度の痛み。活動に影響はなし。寝方が悪かったのだろう。
今宵のかくれ宿は寝台がやたらと固かった。寝床が平らで屋根があるだけで、野宿とそう変わらない殺風景さだ。地階が食堂になっている為、喧しいのが難点でもある。
しかしながら、寝台の寝心地などどうでもいい――のだ。
バクラにとっては。
この身体を動かせるだけの、とりたくもない睡眠と食事。最低限の生命維持活動に支障のない燃料を継ぎだせるのならば、快も不快もそこにはなかった。
胡乱に開いた瞳は濃い紫に煙っている。濁っている、と言っても過言ではない。
クル・エルナで生き、そして死んだヒトの数の分だけ、その紫は死に凝っている。もとは明るく暖かい夜明けの紫であったのに、復讐のさだめを負った時、その色は冥界の灯と同じ、青く凍えた炎となった。
冷たい炎はぬくもりを奪い、ヒトらしさをも焼き尽くそうと燃え続ける。故に、生きるものであれば当たり前に出来ることがバクラにはひどく億劫に感じられた。食べるのも眠るのも勿論のこと、息をすることすらも、本当は面倒臭い。
それでも、止めることはできない。
生きたいのではなく、死にたいのではなく、生きなければならないから、全てが終わるその時まで、その億劫をやり過ごさねばならない。
生きなければならないバクラを生きにくくしているのは彼ら同胞の重み、そのものだった。
(かったりぃ)
寝台であぐらをかき、不愉快なあくびを一つ吐き出したバクラは思う。
何故ヒトは――否、他人はどうでもいい。バクラと言う名のこの生き物は、食べ、眠り、排泄し、それを繰り返さないと生きられないのか。そこに楽しみなど何もないのに、せねばならない。だるい、面倒臭い、億劫だ。
すべきことは復讐。
それ以外は要らない。
だのに、生きるにはその「それ以外」の方が余程多い。復讐の念だけで腹が満たされ、憎悪に身を任せれば身体が休まるような、そんな生き物であったら良かったのに。
復讐者として動いていない時。 盗賊として生業を果たしていない時。 そのどちらでもない、ただ息をしているだけの時、バクラはただの「バクラ」になる。そういう時、いま自分は何者なのか、わからなくなってしまう。
嫌いなのだ、この時間が。
生命を維持すること、これを怠れば目的を果たせないと分かっていても、空虚な時間に耐えられない。胸の中身がからっぽになり、その時ばかりは、この肩にどっしりと背負っては囁きを繰り返す同胞たちの声さえ遠くなる。胸の空洞には、その虚を埋め尽くさんとして、要らぬ情報が勝手に入り込んで来る。それがひどく喧しい。
同胞の囁きの代わりに耳に滑り込むのは無縁なものどもが立てる生活音――市場の喧騒、遊ぶ子供たちの声、賑やかな女たちのお喋り、食堂で景気よくぶつかり合う杯の音――そんなものばかり。耳を塞いでも指の隙間をすり抜ける。いっそこの耳孔を突き、一切の音を無くしてしまいたい。そんな衝動を受けるほどの無遠慮な干渉。あまりにも不快で、せめてもの気紛らわしにと女を買ってみても、その女自体が煩わしくて逆効果だった。
腹が立つことに、いっとう効果的な耳栓は睡眠だった。遠ざけたいと願うヒトの三大欲求のうちの一つが、皮肉にもバクラの神経を休ませた。
そうして沈み込む眠りは、呪われた過去と地続きだ。
天涯孤独の身となった日の夜から、一夜と違わず、バクラは同じ夢を見る。
幼い自分が物陰で目を見開き、儀式を見つめている、あの夜の夢だ。煮えたぎる釜、ヒトの形を無くし、誰が誰かも分からなくなった同胞たち。たった今まで生きていた、今はすでに亡骸となった物体。あれは父で、母で、友だ。それらがいっしょくたになって蕩けていく。血と肉と骨がどろどろに煮える時の臭いなど、知りたくもなかった。
悲鳴を上げたら自分もあの釜の中身になるのだと分かって居たから、両手で口を押えて堪えた。手に歯を立て、声が抑えるのを噛み殺した。犬歯は子どもの柔らかな皮膚を食い破り、口の中に血の味が満ちても、うめき声ひとつあげられない。肉まで届いた歯形は成長したこの左手にもまだ残っている。生涯消えない深い傷を作ったのはこれが初めてだった。
実際にはその凄惨な現場を目撃したのは短い時間のことで、すぐに逃げた。けれど夢は肥大し、気が遠くなるほどの時間、その現場を見続けなければならなかった。ただ息を止め、瞬きも許されず、嗚咽を飲み込み恐怖に身体中をこわばらせ、堪える。釜をかき混ぜる男たちにいつ見つかってしまうか、もういっそ見つけてくれ、楽にしてくれと願わずにはいられない。
恐怖が次第に怨みに代わる。
どうしてオレがこんな目に。
それは自分の言葉だったか、死した同胞のそれだったか。それは誰にも解らない。
煮えて蕩けた肉体から滲み出た魂が、バクラの中に入ってくる。想像を絶するほどの業火の怨嗟が身体を浸み込む。
そして、夢は唐突に終わるのだ。
先ほどの億劫な目覚めのように。
(ご苦労なこった)
そんな夢を見せなくても、ちゃあんと復讐は果たしてやるさ。
夢を見せている何か――くそったれた神か、それとも哀れな同胞か。どちらにせよ毎日ご苦労なことだ。特に感慨もなく鼻を鳴らし、それで夢は御終いだった。
身を焦がした夢のわりに、現実に舞い戻れば空虚な自分がそこにいた。
あんなに恐ろしい夢なのに、脂汗もかかず涙も流さず、ああまたあの夢かと思うだけ。ただ喉だけは乾いていたので、端の欠けた水差しからがぶりと水をひと口、もう二口飲み下す。
乾いた口と乾いた心。吸った息の吐き出し方さえ忘れそうになる。
あぐらをかき、再び見上げる天井は薄暗い。バクラにとって朝とは夕方のことで、昼というのは夜だった。日の出とともに活動するのではなく、日の入りとともに夜を渡る。だから目覚めた時、大抵は食事時等で喧しいのだ。開きっぱなしの鼓膜がありがたくない生活音を、階下から拾ってはバクラに与えてくる。賑やかな酒場の喧騒。聞きたくもないのに。
そんなものをだらだらと受け入れてなど、とてもではないがいられない。何かしなければ、静かに狂ってしまいそうだ。
掛け布がわりにしていた赤い外套に袖を通し、頭巾は目深に。投げ脱いだ靴を引っ掛け、バクラはのっそりと部屋を出る。
寝違えた首は鈍く痛むままだ。全く、ヒトというのは本当に脆い。
(ああ)
背負う同胞の影響か、吐き出す息は怨嗟の匂いがする。
死者の灰色の溜息をつき、バクラは一人吐き捨てた。
宿から食堂へ降りた途端、忌まわしき喧噪がもう一段階濃くなった。
大勢の他人の気配という濃密な嫌悪感――ありがたくない熱烈な歓迎を押し付けられ、バクラは思わず唾を吐く。もともと汚れた床だ、誰も気にはしない。
そこへ、給仕の娘が目の前を通り過ぎた。体躯に似合わぬ量の酒と料理を盆に載せ、今にも皿が零れ落ちそうだ。手馴れているのか重みをものともせず、娘は階上の宿から下りてきたバクラを見て快活な笑顔を浮かべた。そうして早口に何事かをバクラに伝え、すぐに客の待つ卓へと裾を翻す。花から花へと飛び移る働き蜂のようだった。
彼女が何を言ったのか、あまりにも店内が騒がしすぎてバクラにはよく聞こえなかった。恐らく好きな卓に座れとでも言ったのだろう。別に何か食いたい気分でもなかったが、身体は疲労と空腹を訴えている。適当に目についた卓に座り、指輪一個分の食事を注文する。卓はまた片付いておらず、前の客の食い散らかし――零れた酒や食べ残しの乗った皿が大小乗ったままだったが、別段珍しいことでもない。働き蜂がさっと片付け、代わりに注文通りの酒と料理を置いていく。
酒の味は分からない。水と同じように感じる。肉の味も分からない。何を食べても砂を噛んでいるような気がする。味などない、だから不味くも美味くもない――今更だ。随分昔からそうだった。こうして何者でもないただのバクラでいる時に口にする物に、味は無い。盗賊稼業の最中で齧る干し肉の味ならばいやという程覚えているのだけれど。
酒の杯を鏡に、映り込む自分の顔は無そのものだった。
とっとと身体に栄養を与え、一仕事しよう。そうすればこの不快な無気力から解放され、ただの一人の盗賊になれる。そのためにも、砂と水を胃袋に詰め込む作業をとっとと終わらせねば。
殆ど惰性の動きで皿と口を往復していること、少々。それは突然のことだった。卓の向かいにどん、と叩きつけるように置かれた酒瓶と共に、複数の人間の気配がバクラを囲んだ。視線を上げなくても分かる。六人。ごろつきか夜盗の類といったところか。彼らは何かをバクラにがなり立てながら、図々しい仕草で空いている椅子にどっかと腰掛けた。向かいの髭の男が、否応なしにバクラの視界に入り込んで来る。
男は言う。要約すると、随分と豪勢な食事じゃないか、一人で飲むのもつまらないだろうから一緒に楽しんでやろう、と言ったところか。そういえば他の卓よりもバクラの卓には大皿が並んでいた。指輪の価値はそこそこだったらしい。何を食べても味は同じであるので、内容を気にしていなかった。
男はバクラが何も言わないのを良いことに、皿の上の肉に手を伸ばした。汚れた手が一切れをつまみ、口の中に放り込む。
結果、男は自分の舌を咀嚼するは羽目になった。
くぐもった絶叫。床に叩き付けられた皿の音を合図に、店内がざわつく。卓を巻き込んで転がる血だらけ男。取り巻きが椅子を蹴って立ち上がる。働き蜂が怯えた目でこちらを見る。
視線、視線、視線。
「……ッせえなァ」
久々に声を出した。自分の声はこんな風だったかと、どこか場違いなことを思う。
手の中でナイフを遊ばせながら、バクラもまた立ち上がり、緩慢な動作で男の前へと向かう。顔から下を赤く染め、両手で口を押さえる仕草が幼い自分を思い出させ、苛立ちはもう一匙追加された。
見下ろす視線に温度があるなら、熱いだろうか、氷のようだろうか。怯えた男の眼に、赤い外套と白い髪の盗賊は、どう映ったのか。男はもがきながら後ずさり、まともな声を発せない喉から無様な音を絞り出す。
「肉が食いたきゃテメエの舌でも食んでろよ。メシもソレも味は変わンねぇだろ」
ぱた、と音をたて、血の雫が床に一滴垂れる。血だまりは浅く広がり、バクラの靴底に染みた。
「羨ましいぜ」
自然と頬が持ち上がる。おかしくもないのに、何故か笑っていた。
凄惨な笑みだったろう。男が目を剥く。
「美味いだの不味いだの、楽しそうじゃねえか。
こちとら寝たくもねえのに寝て、食いたくもねえのに食ってんだ。欲しくもねえモンに金払ってよ――てめえらみたいに生きられたら、さぞかし愉快なんだろうなァ、人生ってのがよ」
ぱたぱたぱた。血が滴る音が聞こえるほど、辺りは静かになっている。
つまらない。
バクラの舌打ちで、沈黙は破れた。男の絶叫は怒りを含み、取り巻き達に身振り手振りで指示を出す。だが無言で舌を切り落とすような相手に対し、飛び掛かれる者はそういない。巻き込まれてはかなわないと、客はこぞって店から逃げて行った。喧しさを取り戻した世界に、バクラが二度目の舌打ちをする。その時だった。
逃げる客がバクラの肩にぶつかる。同時に、音が耳に滑り込んできた。
その内容は驚くほど滑らかに、邪魔な音の入る隙間など無いくらいに明瞭に耳孔を通り、脳に意味を伝えた。王墓について調べるよう依頼したのが数日前のこと、どうやらこの場に、あの時の調べ屋が居たらしい。
危険な情報は誰にも聞かせるわけにはいかない。見とがめられるわけにもいかない。だからすれ違いざまに、囁き程度で簡潔に伝えるのがいっとうかしこい遣り方だ。
そう、たとえば、こんな阿鼻叫喚の中なら特に。
誰もが自分の安全を守ることに精一杯で、他人など見ても居ない。丁度良い拍子で、しかも非常に具合のいい方法で寄越された目当ての情報に、バクラは笑った。先ほどの凄惨な笑みではなく、それより尚更酷い、どす黒い笑みだった。
血の足跡を残しながら、バクラも店を出る。どのみちこの宿はもう使えない。長く居座れば見回りの兵がやってくるだろう。
月明かりのない夜、路行くヒトの群れと反対の方向へ、バクラは歩き出した。
弛緩した身体中に精気が蘇る。目覚めの悪さも砂が詰まったような手足の重さも、もう忘れた。
すべきことをし、成すべき復讐を果たす為。そのために、この身体を動かせる。
もう先ほどまでの誰でもないバクラではない。一陣の狂気となって、夜を素早く這うけものだ。憎き全てへの復讐の為に、向かうは王墓、その場所のみ。
漲る意志に瞳は爛と燃える。
と、そこへなんとも締まらない、腹の音がぐうと鳴った。バクラは胃を押え、難しい顔をする。
そういえば腹が減っていた。
「何か美味そうなモン食ってからにすっか」
あとは酒と、女がいればなお良い。
鼻歌など歌いながら、バクラは軽快な足取りで方向転換。ならず者たちのたまり場と化している酒場や賭場がひしめく賑やかな路地に向けて歩いていく。
無気力などもう、どこにもない。
狂える獣は頭巾で牙を隠す。真っ赤な外套に覆われた背中は人の波に乗り、そうしてやがて、闇に紛れて見えなくなった。
最後に一つ、呟きだけがぽとりと落ちる。
「あァ、愉しくて堪ンねぇぜ」