【同人再録】再殺ピリオド-1
発行: 2011/12/29 300 円
・盗賊王×獏良前提のバクラ×獏良
・古代に獏良の前世みたいな人がいた
・その前世獏良と盗賊王がいい仲だった
という前提ありきの、現代のバク獏メインです。バクラが↑の記憶を取り戻してもやもやする話。
・小説:書き下ろし
・表紙:696
【ひとときのあまいゆめをみた さめたうつしよにきみはいない】
大切なものなど、持つものじゃない。
そう悟るのがもう少し早ければ良かった。ほんの一日でも良い、『それ』と出会う一秒でも前に分かっていれば。未来を知ることが出来ていれば。
そうしたら、抱きしめなどしなかった。
何かを抱え込むには両手が必要で、新しく得る為には今まで持っていたものを捨てなければならない。これから持つものを諦めなければならない。
何かを選ぶということは、何かを切り捨てることだ。
欲しいものを欲しいだけ手に入れてきた盗賊は、そんな簡単なことすら知らないまま大人になってしまった。誰にも負けない強い力と精神を手に入れても、結局彼はこどもだった。幼い頃、全てを失ったあの頃から、一歩も前に進んでいない。
『それ』を捨てて、王宮へ。
行かねばならない。その為に生きてきた。耐えてきた。我が生は復讐の為に有る。破壊と破滅をもたらす為に。全てはそれだけの為に――
だのに動かない、腕の中で脈を打つ薄らと暖かいぬくもりが、盗賊の足を緩やかに縛る。白く長い髪が褐色の肌に触れるだけで、盗賊の狂気は鈍ってしまう。青い瞳で見つめられるだけで、らしくもなく、心が穏やかになってしまう。
正しく枷だ。
そして、『それ』もまた、己が枷になっていることを知っていた。
「いいよ」
交わり合い、果て、互いに裸で寄り添うある夜のこと。
盗賊の手を導き、細い首に触れさせた『それ』は云った。
「ボクを殺して、バクラはやりたいことをして」
向けられるのは、この場に似つかわしくない、緩い笑み。
促されるままに盗賊の指は首に絡むが、力を込めることは出来なかった。細い身体は柔らか過ぎて、少しでも手荒に扱ったなら簡単に壊れてしまう。
小枝でもへし折るように、その細く美しい、幾度も唇で愛でた喉を潰してしまう。
「……ふざけんなよ」
盗賊は呻くように云う。
「惚れた奴を守れねえ、情けねえ男だと思ってんのか」
虚勢だった。分かっていた。
目の前にぶら下がる状況。『それ』を殺めれば枷が消える。腕の中のものを捨てられる。空っぽになった胸に憎悪を抱えて、一陣の狂気となって復讐を果たせる。
『それ』さえいなければ。
『それ』さえ、ここにいなければ。
「ボクね、バクラの役には立てないんだ」
躊躇う盗賊へ、『それ』は語りかける。少しだけ悔しそうに、切なそうに。
「待つのはいやだ。役に立たないのも邪魔になるのも置いて行かれるのもいやだ。ただの帰りを待つなんて耐えられない。
だから、お願いだよ」
ボクのために、ころして。
柔らかく白い手のひらが、褐色の手をするりと撫でた。
望んでいる。
そうしてくれと、小さな唇で云う。
「バクラ」
青い瞳に鏡映る盗賊の顔は、醜く歪んでいた。それでいて、安堵の欠片を含んで暗く輝いている。
ああ、全部終わる。
終わって、始まる。
ぬるま湯に似た心地よい日々が終わる。他愛もない会話で笑い、共に同じものを食べ、寒い夜には体温を分け合い、笑いあった。そんな日常が――終わる。
思い出すと心臓が痛んだ。この期に及んでまだ追いすがる、己の弱さが腹立たしい。
そんな彼の背中を、甘い声がそっと押した。
まるで褥でくちづけを強請るように。
命が無くなることに怯えながら、それ自体がまるで、施される愛撫かのように。
「いたくしないで、ね?」
初めて抱いた時と同じ言葉を、『それ』は囁いた。
盗賊は――逆らえなかった。
柔らかな手を纏わせたまま、ぐっ、と、細首を掴む手に力を込める。なだらかに反り返る背中と共に、裸足の足裏が敷布を掻く。
望まれるまま、長く苦しませるような真似はしない。
苦痛は一瞬だけ。
あらん限りの力を込めて、盗賊は細い頸を絞めた。
「っ……!」
名を呼びたかった。けれど出来なかった。呼んだら、互いに決意が緩む。何もかも捨てて逃げたくなる――きっと。
無言の内に絞め上げる中、目と目が合った。
青と紫。幾度も視線を交わし互いを映し合った、愛しいいとしい色。こんな時でさえ、穏やかに細められる。
薄紅色の唇が笑った。
震える指先が、右頬の傷をそっと撫ぜて、落ちる。
「いってらっしゃい」
――こうして盗賊は、再び狂気と成り果てた。
風のない、静かな夜のことだった。
【ああ、また見られている。】
心の部屋に温度はない。
熱くもなく冷たくもなく、云うなれば生ぬるい。獏良の平熱である三十五度七分とちょうど同じくらいだろうか、手のひらを当てていると境界を無くしてそのまま溶けてしまいそうな気がする。
自分の心の中なのだから当たり前だ。獏良は裸のままでぼんやりと思う。
プライベートでは服を着ない主義だとかそういうことではなく、この部屋に居る時は大抵裸である。
何故かと問われれば、必要がないからだ。
セックスに衣類は要らない。現実逃避の為にここへ逃げて、バクラに何もかも忘れさせてもらう。それ以外にこんなわけのわからない場所へ訪れる理由はない。
快不快を問われればぎりぎり快、に分類されるバクラとのセックスは、現実での嫌なことを忘れさせてくれる特効薬だった。喜怒哀楽のうちの哀はどうやらバクラの好物のようで、苦しみ悲しむ獏良を犯すのは彼にとっても楽しいことであるらしい。お互いに利害は一致して、この場所で天地をなくし交わるのももう慣れた。
獏良とて分かっている。己の悲しみの、哀しみの、その原因は大半がバクラだ。まるっきり矛盾している。バクラに苦しめられ、バクラに救ってもらう。閉じた循環世界、メビウスの輪で出来た道を只管走る無間地獄だ。
その矛盾からすら目を逸らしたい獏良は、進んでバクラに身を任せた。目を逸らす為に、ますます頻繁に交わる。何もかも忘れられる肉欲の海で瞼を閉じ耳を塞ぐことで、友人への裏切り行為も、反道徳的なセックスも、孤独な環境を作り上げた憎い相手に身を委ねる苦しみからも逃げられる。宛ら甘美な毒の沼、一度落ちれば、後は沈み続けるのみ。
毒も甘ければ心地よいと思っている時点で、もう戻れない。
戻りたくもない。
住めば都――とは違うかもしれないが、毒沼の住み心地は悪くない。最近は大分気持ち良さを理解してきたし、新しい発見だってある。
そう、発見。
気が付いたのはごく最近で、今宵で漸く、確信に変わった。
(また見てる)
視線、であった。
バクラの目の色は、宿主である獏良と同じ青色をしている。薄氷色のそれは色彩と同様、冷やかな視線を投げることが多いのだけれど――こうしてまぐわった後、氷点下の視線が偶に温度を違えていることに獏良は気が付いたのだ。
闇の温度のように生ぬるくはない。
比喩ではなく熱い、正しく熱視線である。
その視線はまっすぐに獏良に向けられている。正確には顔ではなく少し下、恐らく首のあたりではないかと推測された。錯覚だと分かっていても、薄い皮膚を押し上げる喉仏付近がちりちりと痛痒い。
獏良が狸寝入りをしていることくらい、バクラにも分かっているだろう。嘘吐きは他人の嘘にも敏感なのだ。騙す者は騙されない。震える瞼や睫、制御できずにひくつく唇の様子でも一目瞭然の筈。
それでも視線は外れない。じっとこちらを見ている。
(いいのかなあ)
見ても。
目を覚ましても。
似つかわしくない熱視線を送っているバクラが今どんな表情なのか、興味がある。嘘吐きの二枚舌で唇を舐めて笑う毒蜘蛛男が、一体何の理由があって、全体どうして熱烈に、事後の獏良を眺め続けているのか。
頬でも赤らめていたらどうしよう。
我ながらぞっとする妄想だった。寒くも熱くも無い心の部屋でも鳥肌が立つ。気持ちが悪い。そもそもあり得ない。恋人同士ならまだしもただの共犯関係で、恋情など芽生えるはずがなかろう。
もそもそと思考するのも限界だった。怒るかな、怒ってもイイや、どうせ今以上にひどい関係になんてなるわけがない――単純明快な理由をコンマ一秒で打ちたててから、獏良は薄く目を開いてみた。
矢張りバクラは近くに居た。
想像していたとおりの場所――横向きに寝そべる獏良から手のひら一つ分ほどの距離――で、肘枕をついて、切れ長の瞳を細めて。
いつもどおりの、なんてことない表情だ。
左目だけは。
右目だけが、異様だった。
「バ――…」
クラ、と。
言葉の尻が途切れた。
左目は見慣れた青色。長い睫に冷たく感情の薄いそれ。
右目は、見たことも無い色をしていた。
あえて例えるならば、夕日と夜空が混ざり合った逢魔が刻の紫だろうか。熾火の熱はそこから発せられていて、獏良を見ている。熱源はどうやらこちらの瞳だけらしい。
そして、瞼から頬を縦に割る傷痕。目の下には横向きに二条の傷が伸び、白茶けた惨いおうとつを描いている。
「ヘッタクソな狸寝入りだな」
見たことも無い異形の姿に目を丸くしていると、バクラが不機嫌な口調――つまり平素の口調でもって言葉を放ってきた。
「本気で寝るなら身体に戻れ。明日起きられなくなっても知らねえぜ」
「え、あ、あの」
「あン?」
気づいていないのだ。咄嗟にそう理解する。
バクラは自分自身の変化に全く気付いていない。
色を違えた瞳も、頬の傷も。
(だめだ)
云ってはいけない気がして、獏良は口を噤んだ。
何故だか分からないけれど、知らせてはいけない。知らせたら何かが起きてしまう。そんな確信めいた奇妙な畏怖が、紫の目から発せられているように感じられた。
「何間抜けたツラしてんだ」
「な、んでも、ないよ」
ぐっと唾を飲みこんで、獏良もまた平素を装う。こくりと動いた喉を、紫の瞳はまだ注視していた。
ちりちりと肌を焼く熱視線。
伺うと、その宵の色は深い感傷を帯びているようだ。計り知れない悔恨と哀しみとが混ざり合って、見るに堪えない色彩として完成されている。
あまり他人の機微に興味のない獏良だが、その紫を見ていると胸の辺りがぎゅっとした。鈍感な自分にこんなにも訴えかけることができるのだから、きっとこれは悲哀そのものの色なのだろう。まじまじと獏良は思う。
「人の面ジロジロ見てんじゃねえよ、最中は顔背けやがる癖に」
バクラの皮肉が無ければ、ずっと眺めていたかもしれない。はっとした獏良は、青い方の瞳を見る。
そちらだけ見ていれば何の違和感もない、いつもどおりのバクラだ。鏡映るほど顔を近づけていても差し支えない、そんな間柄になってしまった己が共犯者――
「っ、と」
獏良は小さく声を漏らして、ぎゅっと瞼を伏せた。
瞳が丸い鏡になることを、今初めて知った。近すぎる距離は目の中に己を浮かび上がらせる。バクラの目に自分が映り込んでいたということは、即ち逆のこともまた起こっている。獏良の目の中に、紫のスカーフェイスが浮かび上がっていたらいけない。故に、見つめ合ってはいけないのだ。
「おい、寝るなら上がれっつってんだろ」
瞑目した獏良へ、腹立たしげなバクラの声が降ってくる。
無視をして、獏良は本当に眠ってしまうべく長い息を吐いた。
やっぱり、目を閉じていることが正解なのだ。
今迄通りに、何も知らないのがいい。
紫色も傷痕も、きっと、知らなくてもいいことなのだから。
「おい、宿主」
「疲れたんだよ、いいから寝かせて。起こさなくていいから」
今夜は二回もセックスしたから、それで疲れてしまったのだ。とてもとても眠いのだ。
暗示を二回、繰り返して胸の内で呟く。真実にするべく寝息を真似ていれば、いつの間にか本当に、深い眠りに落ちて行けるはずだ。
(全部知らない。おやすみなさい)
――明日になったら、全部忘れていますように。
【見たくもない痕を、今日も眺めている。】
おやすみ三秒という言葉がある。
比喩表現であって、要はとても寝つきが良いという意味である。実際に三秒で眠りにつける人間はそういないし、もしいたとすれば相当の疲労が重なっている者であろう。眠るより先に医者に行った方が良い。
だが、そんな一般常識が通用しないのが心の部屋である。現実では叶わないことがあっさり実現したりする、どこまでもイメージの世界だ。おやすみを宣言した獏良が本当に三秒で眠りについたことは全くおかしくない。真実眠ったならそれは獏良が心の底から眠りたいと、意識を手放したいと望んだという、ただそれだけ。
それだけだが、なんというか、そう、
「オレ様は身体に戻れっつったんだよ……」
云うことをきかないのが、腹立たしいのであって。
だのに頭の片隅で、自分とは違う意識が獏良の寝顔を眺めて温い感情を抱いている。
ぐしゃぐしゃと頭を掻いて、バクラは上半身を起こした。
傍らには本気寝を始めた獏良。白い髪を白絹のように散らばせて、胎児のように手足を丸めて眠りこけている。長い睫は狸寝入りでないことを証明するかのように、ぴくりとも震えない。規則正しい寝息に薄い胸が上下し、半開きの唇からは浅い寝息。
(ああ――懐かしい)
などと。
思ってしまうことが滑稽だった。
望んで思っているわけではない。全ては反射行動だ。理性で抑え込めるならばとっくに捕えて、そのような思考は根こそぎ駆逐している。
できないから、厄介なのだ。
術がないから、苛立たしいのだ。
「……クソが」
吐き捨てても釈然としない。腹の底に溜まる不愉快がひと嵩増す感覚。
もうあと少し獏良と問答を続けていたら、思考するのもおぞましいような行為を行っていたかもしれない。だからこそ肉体の器へ戻れと命じたのだけれど、結果意識を手放しているなら良しとしよう。最善とは行かないがまずます佳良である。
――目が覚めていたら。
――口を利いていたら。
気を抜くと、引き摺られる。
厄介な記憶が熱を持って、獏良に手を伸ばしたがる。
目が離せない。白い喉に残る赤黒い絞殺の痕跡――獏良を模したこの身体、この手より一回り大きい手のひらが食い込んだ痕が、視界を占めて離さない。
バクラが絞めたのではない。これは現実のものですらない。
因果の巡りの、不運な事故。
或いは、運命を司る神の皮肉なる悪戯か。
『――バクラ』
「……うるせえよ」
不意に、柔らかい声が獏良の唇から零れる幻聴を聞いた。
まぼろし。
『それ』と『これ』は違うものだと、きちんと理解している。
理解していないのは、バクラの中に未だ息づいている忌まわしい記憶だけだ。
「いい加減しつこいな、てめえも」
己がこめかみを押え、バクラは呻く。そこに刻まれた記憶に向かって。
当のバクラとて、意識したのはごく最近のことだった。
周囲を取り巻く事態が進む中で少しずつ、己がやるべきことを取り戻してきた。王の名前を知ることや、その為に必要なジオラマ制作の計画。しなければならないことは大量にあり、退屈している暇もない。
そんな中で、ヒトであった頃の生ぬるい記憶をも思い出した。
その記憶は復讐ではなく、たったひとりの人間を求めていた。
白く長い髪と青い瞳。太陽光に弱い滑らかな肌。細く柔らかく小さく、脆弱な生き物。
獏良に良く似た面影が笑う。
名は獏良と同じ、水の流れのような三文字。
『それ』は――リョウ、は。
かつてヒトの身であったバクラが、唯一愛した存在だった。
前世だとか何だとか、そう云った細かいことは知り及ぶところではない。ただ次元を超えた因果が存在していることは確実であろう。獏良了との相性がいろいろな意味でぴったりと嵌っていたその理由を、バクラはこの時初めて理解した。
居心地の良い心の内。真っ白で無垢な外見の癖に腹に飼うどろどろの闇が良い感じなのだと、かつて初めて言葉を交わした時に云った。それは揶揄のつもりだったけれど、ここへきて実際、本当に居心地の良さを感じていた。
それだけではない、男同士であるにも関わらず合い過ぎる身体の相性や読み尽くせる行動、扱いやすさ。そういった符合は全てヒトだった頃の名残だった。
だが、『それ』は『これ』ではない。
盗賊が抱いたその者は、獏良了とは別の存在だ。皮肉な因果が絡まっていたとしても、あくまでそれは過去と現在の接点を描いているだけで、存在の同一足り得ない。
たとえ、獏良の頸に絞殺の痕が残っていたとしても。
『了』は『リョウ』ではないのだ。
だのに盗賊の意識はしつこく居残り、獏良をリョウと重ねて見たがる。バクラでも制御しきれない強い想いが、獏良への手荒い扱いを否定する。復讐や憎しみといった負の感情は全てバクラが引き継いでおり、残り滓の盗賊の意識に残っているのは、リョウへの想いそれだけなのだろう。少しでも気を抜くと、身体を乗っ取られかねない。首の痕に目を奪われるのもその影響だ。
「色惚けが……」
吐き捨てても、苛立ちは収まらない。儘ならない視線の先の獏良は、未だ深い眠りの中だ。
今は穏やかな寝顔を晒しているが、つい数時間前はそうではなかった。逃避の為に逃げ込んでくる癖に、獏良は交わる最中に泣き叫ぶ。嫌だ、やめろ、触るな――そういった罵詈雑言を吐きながらも必死に爪を立てて縋ってくる矛盾。
そういった不条理は、バクラにとっては好ましくさえある。自分では処理しきれない飽和した感情、そのどす黒く重たい塊は美味だ。手荒く手緩く可愛がって、痛めつけて癒して、その繰り返しは正しく愉悦と表現して差支えない。
だが、脳の中の盗賊は云う。
何故嫌がる。
どうしてそんな、耐えるような顔をする。
こんなに可愛がってやってんじゃねえか。
気持ちいいっていつもみてえに笑ってくれよ、リョウ――
最早他人である過去の自分の、縋るような声など聴きたくなかった。忌まわしい。そんな気持ちの悪い愛情だとかに振り回されて、己が道を踏み外しかけた男がまだ自分の中に残っているなど、なんと耐えがたい屈辱だろう。
「……いい加減、カタをつけなきゃなんねえな」
いとしくも恋しくも無い、ただの宿主に熱のこもった視線を向ける気持ち悪さにバクラは辟易とする。
いつまでも、こんな厄介なものを引きずる必要はない。
無防備な頸を指の先で辿り、バクラは目を細めた。
――いっそのこと、一思いに心を殺してしまおうか。
あの日のように。
自らを殺めることを望んだ恋人を、盗賊だった頃の己が殺したように。
そうして未だまとわりつく盗賊自体も、絶望で殺してしまおうか。
バクラは緩く息を吐きながら思った。悪い案ではない。獏良の仕上がりは上々だが、計画を進めるにはあまりにも邪魔になりすぎるこの過去を片付けられるならば、価値の天秤も吊り合おう。
それくらい厄介なのだ。
不快なのだ。
愛情だとか恋情だとか、そんな生ぬるいものに縋っていた自分自身の影が――
「ッ、」
不意に、つきんと右目が痛んだ。
咄嗟に抑えたそこに、怪我はない。まるで刃でも突き立てられたかのように鋭く痛んだが、抑えた手に血はついていない。
となると、盗賊の抵抗か。
「――同じことはしたくねえ、ってか?」
己の内側へ向けて、バクラは嘲笑った。目を押えた手でそのままこめかみを辿り、痛むそこをぐっと押す。まるでその場所に盗賊が巣食っているかのように。押しつぶすように、強く。
荒ぶる抵抗。右目が疼く。響く痛みに脂汗が滲む。
思ったより強い影響力に、しかしバクラは笑ったままだ。
「安心しろよ、今すぐには殺さねえ――てめえが二度と出てこれねえように、最高のシチュエーションで宿主の心を絞殺してやるよ」
てめえには特等席を用意してやる。
たっぷりとした嘲りと悪意を含め、バクラは喉で哂った。
心を殺す。
獏良も、盗賊も。
全てが綺麗に片付いたら、さぞかし気持ち良く、計画を実行することができるだろう。
そうと決まれば、この場に長居する理由はない。眠り続ける獏良を一人置いて、バクラは暴れる盗賊を抱え込んだまま闇に溶けた。