【同人再録】 その後のボクらの関係途上-4
ある夜の彼女と彼と『彼』の話 2
意味が分からない。全く理解できない。
荒唐無稽な物語を聞かされたバクラの第一声は、
「寝ぼけてんのか」
だった。
「寝ぼけてなんかいないよ。本当のこと」
「じゃあオレ様はてめえの前の男の過去の姿で? ここはオレ様が居た時代よりずうっと先の世界だってのかよ」
「そうだよ。キミは三千年前の人なんだ。きっと魂っていうものは同じで、でもあいつとは違うんだよ」
「馬鹿云うなっつうの。オレ様は最初っから最後まで正真正銘、盗賊王バクラ様さ。てめえの男なんざ知らねえよ」
そんな訳の分からない野郎とは無関係だ、とバクラは唾ごと言葉を吐き捨てた。
誰か信じられるものか、自分自身の未来の存在が、目の前の少女の身体を借りて寄生していたなどと。そして消失と入れ替わりに今のこの身がこの場所に存在しているだなんて、作り話にしてもあまりにもお粗末すぎる。
だがリョウの目は真剣だった。涙の痕をくっきりと残しているくせに綺麗に笑った、その後での出来事だ。流石にこのタイミングで頭の悪い冗談を云ってごまかしたりはしないだろう。
だったら本当なのか?
いやしかし――バクラは眉間に皺を寄せる。
「それじゃあ話が進まねえ――ってんなら、とりあえず聞いてやるよ。話さなきゃなんねえだの、うじうじ云ってた部分がスッキリするってんならな」
ぐっと腕を組み、バクラはリョウを睥睨する。本当なら聞きたくもない、どうせ昔の男の話がふんだんに含まれているのだろう。
バクラは既に自覚していた。正確には、リョウが部屋を飛び出したあの瞬間に、自覚せざるを得なかった。
リョウが欲しいと思う。
即物的な肉欲ではなく、一個存在としてのリョウを手に入れたいと願っている。惚れたなんて生易しいものではなく、略奪を求める欲望が渦を巻く。
いつからそんな感情が生まれていたのかは不明だ。日々の合間に少しずつ育っていったとしか思えない。寝起きを共にし、この地の文化を教わり、怒ったり笑ったり――そんな些細な日常がバクラを腑抜けた男に変え、代わりに得たのが、この恋情。
だからこそ飛び出して云ったリョウを追いかけ、全く土地勘のないこの地を駆けずりまわったのだ。馬を探してみたものの見つからず、二本の足で走り、勘に任せてこんな場所に辿り着いた。そうして見つけたリョウが身投げしようとしているのを見て、どれだけ心臓が痛んだか。きっと彼女は考えもしないだろう。
それすら、昔の男であり未来の自分という訳の分からない『バクラ』とやらの影響だというのか。
気に食わない。機嫌も悪くなるというものだ。
「バクラがここにいるのは、多分、ボクが呼んだんだと思う」
「てめえにはそんな能力があんのか?」
「わかんない。……でもボクは千年リングの最後の所有者で、夢でバクラを呼びとめたのはボクだったから」
小さな手のひらでぎゅっと胸を抑え、リョウは云う。
「そんなこと望んでなかったけど、ボクの本心は『バクラ』を欲しがってて、『バクラ』じゃないけどすごく近くて違うキミを引っ張ってしまったんだって、そう思うんだ」
「てめえがオレ様の世話を焼いたのは、そういう理由からか。責任感じてお世話されてたとはな」
「違っ…… そうかも、しれないけど」
黒い長衣を見つけたあの瞬間の、見開かれた青い瞳。それと同じ切なげな一色を刷いた真ん丸い目は斜め下を向く。
ああ、また傷つけた。青い目はこんな時ばかり表情豊かだ。
傷つけたいわけではない、ということはない。むしろ傷つけたいとすら思う。よその男のことばかり考えているリョウをずたずたに引き裂いて、自分のことでいっぱいにしてやりたい。心を奪うと云うのはそういうことだ。
それでも何故か、俯くリョウを痛ましいと思う感覚があり、らしくもなく甘やかしたい欲求も無くもない――相反する本音がぶつかり合う。不愉快に鳴り響いて頭痛まで呼ぶ。
「ボクはあいつとバクラの同じとこを探して、違うとこも見て、がっかりしたり安心したり、して」
「へえ?」
「バクラのことを好きになったらいけないって、思ってて」
そうしたらいつか帰ってきてくれるって信じてた。
と、リョウは続ける。
「あいつはボクにそうしろなんて云う奴じゃない。ただボクが、他の誰かを好きになっちゃいけないってボク自身に決めてたんだ。 そういう風に考えてる時点で、多分ボクはバクラのこと、好きだなって思ってたんだと思う。
バクラといて楽しかった。あいつと違う呼び名で呼ばれるのもくすぐったくて、でも幸せだった。あいつとは出来なかったことが出来て、でもそれだけじゃなくて、重ねたからじゃなくて、ただ普通に楽しかったんだ。無くしたくなかった」
好き――その言葉に、不覚にも胸がざわついた。
落ち着けオレ様は百戦錬磨の盗賊王サマだ女に惚れられるのなんざ慣れっこじゃねえか、と三回繰り返して言い聞かせることで、バクラは何とか平静を保つ。
「追いかけてきてくれて、嬉しかった。道とかも分かんないはずなのに、探してくれたんだって。そんなかっこ悪い恰好でさ」
「うるせえな、みてくれのことは云うんじゃねえよ、野暮い女だな」
「そんな恰好で来てくれたから、ボクは気が付いたんだよ。好きだって。
でも――」
その先に呟いた、ばくらが、という消え入る声が影を落とす。
先程から口を開けば自分のことが『バクラ』のことばかりだ。その名前はオレ様のもんだと怒鳴りたいのを抑えているだけ、随分優しいとバクラは思う。亡霊に固執して、今ここにいる自分を見ていないのが気に食わない。
「で、てめえはどうしてえんだよ」
ぶち壊してやりたくなった。
今欲しくてたまらない女は、下らない妄想に捕らわれている。リョウがリョウ自身で作り上げた戒めに翻弄されて、欲望に自制をかけている姿はひどく滑稽だ。
黒衣と同じ色の、棘のついた妄執。
(引き裂いてやるよ、リョウ)
青い瞳に映るのは一人でいい。バクラはふんと鼻を鳴らし、俯きがちなリョウの顎を掴んで上向かせた。
「結局前の男が忘れらんねえって、そういう話がしてえのか? 惚気なら余所でやれよ、オレ様には関係ねえ」
「怒ってないの?」
黙っていたこと――と、リョウは云った。
「本当のこと、云わなかったのに。隠してたのに」
「そうだなァ」
強風にかき消されそうなリョウの声に被せて、バクラは云う。
「そりゃあ腹も立ってるぜ。てめえがオレ様とそいつを、始終比べてたっつうのがよ」
「え、そこ?」
「他に何があんだよ。あー、あともう一つ、オレ様の面ァ引っ叩いたのもな」
お喋りを聞くのはここまでだ。事態の手綱を引っ手繰り、主導権を得たバクラはにやりと笑った。
「長々とお話して頂いたけどよ、オレ様には関係ねえことばっかりだぜ」
「そんなことない。話さなきゃいけないことだったんだ。今じゃなきゃ云えなかった。一生だよ」
「一生聞かなくても結構だぜ。てめえがオレ様に惚れてるって以外に重要なことがあんのかよ」
まだ顎は捕えたままだ。上向かされたままリョウは目を真ん丸にして、長い睫でぱさぱさと瞬きをする。
いかにも美味そうな唇が、目の前で半開きになっている。血の色を透かした綺麗な赤。柔らかい隙間から覗く白い歯列と小さな舌は、まるでバクラを誘うようだ。
我慢などとうの昔に捨てた。リョウはまだ呆気にとられている。吸い寄せられるまま、バクラは唇を奪ってやった。
「!?ちょっ……!」
ひと拍子遅れて驚いた、突き出す両手をバクラはひょいとまとめて抑え込んだ。先程の不意打ちならまだしも、こういった状況で女を逃がすようなバクラではない。
両腕を胸に引き込み、腰を引きよせて密着させてしまえば身動きは取れない。細めた紫の瞳で見るリョウの表情は小気味よいくらいに狼狽しており、瞬きすら忘れているようだった。
ベンチからばさりと音を立てて地面に落ちた黒衣に、バクラはざまあみろと笑う。リョウにではなく、未来の自分に向けてだ。
「てめえはオレ様に惚れたんだろ、リョウ」
「そ…… う、だと、思うけど、でも」
唇と唇の間に小さな隙間を作り、言葉を喋れるだけの余裕を作ってやる。リョウの目は潤んで今にも泣きそうだ。だが拒否の意は薄い――やろうと思えばもっと暴れられるだろうに、強張った身体を動かそうとしない。
分かり易く揺れているリョウを更に追い詰めるべく、バクラは「でもじゃねえ」と続けた。
「だったらうだうだ考えてねえでてめえを寄越しな。
云っただろ、オレ様の傍に居て骨抜きにならねえ女なんざこの世にいねえってよ」
「でも駄目だ、駄目なんだよ。ボクはたぶん、ぜんぶでバクラのこと好きなんじゃない。あいつのことも忘れてない」
「そいつはこの腕を御覧じろう、ってとこだ。忘れさせてやるよ、オレ様のもんになりゃあな」
「違うんだ、忘れたくないんだ」
ぐっとバクラの胸を押して、リョウは云う。
「ボクはあいつのこと、好きだったのか分からない。
バクラのことは好きだと思う。でもあいつのは、そんなんじゃなくて、もっと面倒くさくて、絡まってて……だから」
「だから何だよ」
「忘れさせないで、欲しい。でもキミのことが好き」
どうしたらいいのか、もう分かんないよ。
遂にリョウはくしゃりと顔を歪ませ、泣き笑いの表情で脱力してしまった。
崩れ落ちる身体を抱き留める形になったバクラは、漸く自覚した。思っていたよりも厄介な女に惚れてしまったことを。
過去の恋慕に捕らわれているなら、目を覚まさせる自信があった。だが名前の無い感情で強く繋がっているというリョウを引き剥がす方法は、今のところ考えつかない。蕩ける程甘やかしても性感で蕩かしても、心の繋がりは消せそうにない。何よりリョウ自身が、それを忘れたくないと願っている。
他の男を心の奥に住まわせたままのリョウを抱いても、略奪したことにはならない。恋も肉欲も時間も全てを手に入れたとしても、一番深い部分は手に入らないではないか。
容易ではない女に出会ってしまったと、バクラは瞑目する。
そして――思うのだ。
「……上等じゃねえか」
思考は呟きになっていた。
聞こえなかったのか、リョウは首を傾げて、力のない様子で首を傾げる。
「上等だって云ったんだ。いいぜ、オレ様はとんでもなく好い男なんでな――前の男が忘れらんねえどうしようもねえてめえを、可愛がってやるよ」
「どういう……意味?」
「そのまんまでいいって云ってんだ。今はな」
そう、今はこのままでいい。
バクラは盗賊である。財宝のある場所は難関であればあるほど、踏破の快感が増すことを知っている。リョウから男を引き剥がすのは容易ではない――なればその難関を超え、手に入れた時に得る絶頂は何物にも代えがたい最高の快感だろう。
不愉快は香辛料だ。そう考えれば、先は愉しい。
リョウの元へ来る前の闇で、バクラはいろいろなものを闇に食われた。やらなければならなかったことや欲しくてたまらなかったもの、そういったものの分だけ空白になった部分に、すっぽりリョウを入れてしまえばいい。多少すかすかと落ち着かないが、それもやがて馴染むだろう。
そうだ、肝心なことを云い忘れていた――バクラは言葉のおしまいに、ついでと云わんばかりに付け加えた。
「云い忘れてたけどな、オレ様はてめえに惚れてるらしいぜ」
「へ?」
「だから余所の男のことでぎゃあぎゃあ喚いてるのを見ンのは、ちィっとばかり面白くねえ」
ぽかん、という表現が一等似合う表情で、リョウはバクラを見上げていた。
「そうなの?」
「そういうこった」
「いつから?」
「さあな、てめえは分かンのか? いつオレ様に惚れたか」
考えても詮無い謎を放り投げたら、リョウも分からない、と答えた。
感情なんてそんなものなのだ。勝手に芽生えて勝手に育まれて、いつの間にか巨大に育つ。理由があって生じたものは相反する理由で絶やすことが出来よう、だがそもそもの根が正体不明ならば、そう容易くなくすことは出来ないのだ――と、バクラは思う。らしくもないお綺麗な思考だったが、悪くない。
リョウは一人で何回かうん、うんと頷き、それで漸く落ち着いたらしい。彼女の思考回路がバクラ自身理解できない所にあるのは既に知っているので、何に頷いているのか詮索する気も無かった。
納得したかと問うたら、たぶん、と云う。
「一つだけ確認させて」
「何だよ」
「……居なくなったりしないよね」
あいつみたいに、とは、云わなかった。
それでも言葉にはたっぷりと、その意味が含まれている。バクラの胃の腑に瞬間的な苛立ちが生まれたが、分からないでもなかった。
怖がっているのは、それなのだろう。
一度バクラが逃げ出した時、大袈裟なほど怯えていたリョウ。居なくなった男を想起させる出来事に恐慌し、泣きじゃくった顔を覚えている。
「どこにも行かねえよ」
誰かさんと違って、な。
バクラもまた言外に、たっぷりと真意を含んでやる。汲めないほど馬鹿でもないのか、リョウはきゅっと唇を噛み締め、うん、とだけ頷いた。
ならばよし。バクラは腕を解き、リョウを胸から解放した。
「それと、金輪際オレ様とソイツを重ねて見たりすんじゃねえぞ。魂が同じだなんだ云ってやがったが、オレ様はオレ様一人だ。先の世界の自分なんざ知らねえよ」
それに、そんなダセぇ長衣も着たりしねえしな。
と、バクラは地面で丸まった黒衣を忌々しげに指さした。
するとリョウは小さく笑って、そうだねと云った。
「そのコートはあいつのお気に入りだったんだよ。趣味、全然違うんだね」
「そうかい。そいつは重畳」
「そういう云い方はちょっと似てるけど」
最後に可愛くないことを云われた。
軽く小突くと、リョウは赤い目元のままきゃらきゃらと笑った。久方ぶりに見た、憂いのない笑顔にバクラはまんざらでもない気分になり――自分が思っている以上にのめり込んでいることを、自覚せずにはいられなかった。
どんな言い訳をしても、惚れた腫れたなんて単純だ。好いた女が笑えば嬉しい。憂えば腹立たしい。余所ばかり見ていれば嫉妬する。
あの時、黒衣を暴いた時のバクラの苛立ちも、全ては恋が故の独占欲である。そしてこれからは、未来の自分という不可解な恋の難敵――しかも亡者である――と戦うことになる。
それもこれも丸めて上等。
言い放ったのは、自分だ。
「帰ろっか」
不意にバクラに差し出された、リョウの手は小さく白い。
バクラははいよと返事をし、その手に手を重ねてやる。
握り込んだ体温は冷たく、されど女の柔らかさを宿して温く感じられた。
そのうちこの手であれこれさせてやろう。
具体的にいやらしいことを考えつつ、バクラは歩きづらい履物を引っ掛け引っ掻け、帰路についた。
静まり始めた風が穏やかに、リョウの髪を揺らす。繋いだ手の反対側に黒衣を抱えても、覗く横顔は晴れやかだった。
おわりとはじまり(そしてこれから)の話
「バクラって結構優しいよね」
帰り道、ボクが素直な感想を云ったら、思っていた以上に物凄い怪訝な顔をされた。
「今までのことを考えてみたらそうなったんだよ」
「頼りがいのある好い男だってんなら分かるけどなァ」
呆れ顔から一変。バクラは一人さもあらん、みたいな顔をしてボクの隣で頷いている。誰もそんなこと云ってないのに、たまに変な風に勘違いするのが面白い。もしかしたらはぐらかしているのかもしれないけど。
優しいと思う。本当に。
『バクラ』のことを忘れられないボクで良いなんて、そんな風に云ってくれるって、誰が思うだろう。
バクラがそう云ってくれたから、ボクはボクを許せた。
誰かを好きになってもいいよって、自分に云ってやれた。そうしたら、何だかいつもよりずっと楽に息が出来た。
誰かに駄目なんて云われたわけじゃないのに、どうしてもそれを許せなかった。意地を張って、『バクラ』じゃなきゃ駄目なんだって目を瞑っていた。
手を引っ張ってくれたバクラを、ボクは好きだと思う。
ボクを縛る『バクラ』を、忘れたくないと思う。
片方を好きになったらもう片方を捨てなきゃいけないなんて、決まっていない。バクラが許してくれるなら、ボクがボクを許せるなら、それでもいいはずだ。
――でもやっぱり、うん、
「ちょっとだけ、しんどいんだけどね」
「ん? 何か云ったか」
「ううん、なんでもない」
聞こえなかったらしいバクラに手を振って、ボクは笑う。
例えばもし、立場が逆だったら。
好きだと思う人の胸の中に、自分以外の人がいたら、ボクは悲しい。嫌だし許せない。あの夢の中でバクラの胸に千年リングが掛かっていたのを見た時と同じ気持ちになるだろう。だから、隣で何でもない顔をして歩いているバクラに申し訳なく思う。ここで、「こんなボクでごめんね」っていうしおらしい気持ちまで浮かんだら、そもそもこんなことにはならなかったんだけれど、仕方ない。昔からボクはこういう性格だ。
ボクは自分がかわいくて、一番大事で。
苦しいのが嫌でいろいろなことを秘密にして、それで首を絞めた。バクラも巻き込んで。
多分これから、苦しいことは増えていく。押しとどめることを止めたバクラへの気持ちと、一生消えない『バクラ』への、呪いみたいなボクの執着。
苦しいのは嫌だ。ずっと楽をしていたい。
(でも、苦しいのを我慢しないと、ボクは前を向けない)
『バクラ』だけを思って、停滞するのはおしまいになった。
思えばボクは今日初めて、「これから」っていうものを意識したのかもしれない。
教えてくれたのはバクラだ。ダサい灰色のスウェット姿で、歩きづらそうに隣を行くこの人が、ボクに未来をくれた。過去から来た人が未来をくれるなんておかしな話だ。恨みつらみを重ねた神様による粋な計らいだろうか。もしそうなら信じてもいいかもしれない――どこの宗教のどんな神様なのかは知らないけれど。
ちらりとバクラを伺う。灰色の髪、褐色の肌に大きな傷、高い背丈と紫の瞳。たまに子供っぽい顔をする、ボクの同居人。
そんな人と、ボクは歩いていくことにする。
あいつのいない、苦しい世界を。
あいつじゃないバクラと、二人で。
「そういやリョウ、部屋に放り出してきた袋、ありゃあ何だ?」
決意も新たに前を向いていたボクに、バクラがふっと思い出した口調でそんなことを聞いてきた。
すっかり忘れていた。そうだ、何の為にお夕飯が終わってからわざわざ出かけてきたのかって、あれを取りに行くためだ。
ふふふと笑って、ボクはバクラより一歩先に出る。
「云ったでしょ、お土産あるよって。あれはバクラにあげようと思って、ボクが選んであげたんだよ」
「てめえが選んだモンてなロクなのがねえだろ。この服とか」
「それは部屋で着るものなんだから安いのでいいの。
見たらきっとびっくりするよ。バクラも大分、いろんなこと覚えたみたいだしね。キミからしたら魔法みたいに見えることが簡単に出来ちゃうんだから」
「へえ、そいつは楽しみだ」
バクラは片眉を上げて、ちょっと馬鹿にするみたいな顔で笑った。
絶対にびっくりするはず。
そうして、これ現代で生きてく彼に必要なもの。
あいつだって持ってなかった(というより必要がなかった)、ボクと色違いの携帯電話。取り寄せが予定より早く済んで、ボクは急いで受け取りに行った。
もうすぐ春休みが終わるから、バクラが一人でいてもすぐ連絡がつくように――なんて、それは建前だ。
本当は、いつでもどこでも繋がっていられるように。
(ボクはボクが自覚するよりも先に、バクラと一緒に居たいって、そう思ってたんだ)
自覚したら恥ずかしくなってきた。一歩前に出ていて正解だ。そのまま顔を見せずに歩くことにする。
なのにバクラは喉で笑って、耳が赤いぜ、なんて云ってきた。
「なーに考えて赤面してんだ? ついにオレ様と寝る気になったか?」
「それはまだ。気長に付き合ってくれたら、そのうちね」
「は。オレ様を袖にするなんざ、とんでもねえ女だぜ」
不貞腐れて云う癖に待ってくれるんだから、やっぱり優しい。
「ほんとにさ。そのうち、ね」
嫌じゃない。きっと、いつか、バクラだけを想えるボクになる。
『バクラ』を思い出に出来たら、そうしたら、待ってくれたご褒美に何でもあげるつもりだ。やらしいことでもいい、バクラがしたいって思うなら、ボクの全部をあげたっていい。
「だから、もうちょっとだけ待って」
「……オレ様はそんなに気の長い方じゃねえぜ」
限界が来たら襲うから覚悟しとけ、なんてバクラは云う。
多分そんなことはしないだろう。どうにも分かってないみたいだけど、彼はわりとお人よしだ。だからボクはついつい甘えてしまうわけで――それはそれ、割れ鍋に綴じ蓋という言葉のとおり、つまりボクらはお似合いの二人だった。
「襲ったら防犯ブザー鳴らして逃げるからね。そしたらバクラはお巡りさんに捕まって牢屋に入っちゃうんだから」
「何だそりゃあ? 見回りの兵の呼子みたいなもんか」
「そうそう。すっごい音がするんだよ。後で見せてあげる」
なんて、赤い耳を別の話題で誤魔化せてるうちにさっさと帰ろう。
早く帰って、バクラに携帯の使い方を教えてあげないといけない。電話帳にボクのアドレスを登録させて、無くさないようにネックストラップもつけて。その姿を想像したら、何だか可愛くて笑えた。首から下げるのが千年リングだったら嫌だけど、携帯なら問題なしだ。
それから、そう、あいつのコートも洗濯して、ちゃんといつものクローゼットに掛けておかなきゃ。
(――でもきっと、鍵はかけない)
あいつの存在を、記憶を、ボクはもう閉じ込めたりしない。
小さくてちっぽけだけど、それがボクなりの、一歩進んだ証拠になるはずだから。