【同人再録】再殺ピリオド-2【R18】
【掌、指、温度、違和感】
獏良にとって、他人の温度とは肌に上手く馴染まないものだった。
友人と認識しているクラスメイトが偶に触れる温度すら、あまり歓迎したくない。一度触れると、離された時が怖くなるから嫌だった。離れた後の自分の肌がやけに寒く感じられて、それがひどくおそろしい。
ぼくのまわりにはだれもとどまらない。
どうせいなくなるのだから、触れないで欲しい。
離す方は寒くない、離される方が寒いのだ。だったらどこまでも自分の殻の中に閉じこもって、他人を拒絶していた方がずっとましだ。
他人の温度なんて知りたくない。
バクラだけでいい。
心の部屋で触れ合うバクラの温度は、獏良自身と全く同一である。姿を模しているのだから当たり前だ。冷たくも熱くもなく、闇のように温い。寒くない。
それならば、良い。
心地が良い、自己愛に満ちた世界。
バクラは獏良を手放すことはない。宿主である以上、決して離れることが出来ない。そんなことをしたら、彼は現実の世界での肉体を無くしてしまう。それに――獏良はバクラに云われるがまま、きちんと役に立っているのだ。居なくなる、要らなくなる理由がない。
獏良の心の拠り所はそれだけだ。絶対に自分から離れることのない、否、出来ない片割れがいる。そいつの所為で孤独になっても、完璧なる孤独になることはない。いついなくなるかわからない百人を侍らせるより、絶対の一人に膝をついていた方がずっと幸せだと獏良は思う。
(おまえが、いてくれれば)
溢れる感情は、母音の悲鳴で掻き消された。
毒の沼の主は、今日も愉しげに獏良を苛んでいる。身を任せたのは獏良の方だ。クラスメイトとのほんの些細な出来事で心に出来てしまった傷痕を舐めてもらう為、乱暴なやり口ですべて忘れさせて欲しくて、下肢を開く。
(これは贄だろうか)
穿たれながら思う。
違う。自分は贄ではない。マゾヒストでもない。
獏良がバクラの為に何かを為すことなど、今まで一回もなかった。彼の望みには毎回応じてきたが、従っているのではなく望んでそうしている。そうすることが自分自身の安定に繋がる。
全てはただの自己愛。
献身をまねた、恐ろしく濃密な、自己愛だった。
「ッ、ア」
ずくん、と甘い痛みが走る。肉体的な快感だろうか、それとも心の充福だろうか。
浅く仰け反る喉にまた、あの視線を感じた。
(今日も、だ)
青と一緒に、紫のスカーフェイスが見ている。息を乱して、濡れた唇を舐めながらこちらを見ている。
煙る情欲の瞳。即物的な快楽で潤んでいる。
バクラは一人しかいないのに、もう一人、まるで全く違う誰かに眺められている気分だった。穿たれながら、視線でも犯されている。やけにぎらつく肉食獣の紫が、喘ぐ獏良の顔を、首を、無遠慮に眺める――
「あ、ちょ、」
いけない、何だか変な風にゾクリとした。
まだ先だと思っていた絶頂が、意外と近い場所にあることを獏良は知る。首の後ろがきつく熱くなり、背骨を一本一本奏でていく電撃。
腰まで落ちて、響いたら、落ちる。
「バクラ、ぁ、駄目、っ」
揺さぶられながら訴えると、バクラはにたりと笑った。
「随分早ェじゃねえか」
昨日の今日で。
意地悪はとめどない。そうだ、昨日も交わったのだった。
心の部屋は現実と違い、精が尽きるということがない。気持ち良ければ気持ちが良いだけ、硬くなった性器から欲の塊が溢れてくる。漲って震えるそれは穿たれる毎に切なく射精を訴え、獏良は耐えきれずに手を伸ばした。
最奥を貫かれながら、自らで手淫をする。まるで色狂いだ。しかもそれを見下ろしているバクラの目の色は二つ。
嘲りを含んだ、愉悦の塊みたいな青。
獰猛に唸る、得体の知れない紫。
「っう、あ、あっ……!」
ゾクゾクする。全て見られている、晒されている事実が危うい快楽を獏良に運んだ。バクラが上ずった声で変態野郎と辛辣な評価を下してくる――否定できない。どうしてしまったのだろう。
「おら、ちゃんと目ェ合わせて扱けよ。見られてキモチイイんだろ?」
「違、ちがう、っあ、これは、」
あの紫が悪いんだ。ボクのせいじゃない――云えない言葉が喉に引っかかって苦しかった。
バクラだけなら、こんな風にはならない。
どうしてだろう、何かがおかしい。世界の変容を獏良は感じたが、交わる最中にそれを知ってもどうこうすることは出来なかった。見下ろすバクラの瞳は二色で、右頬に傷があって、ちぐはぐな視線で獏良を視姦する。
肌と肌、重なった部分が急に熱く感じた。
心地よい同一体温、三十五度七分であるはずの肌が燃えるように熱い。離れたらきっと、寒くて凍えてしまうくらいに熱い。快感に溺れながら別離の恐怖もまた感じた獏良は、咄嗟にバクラの腰へと両足を絡めた。
今までそんなこと、したこともない。バクラがおやと片眉を上げる。
「積極的だな。もっと奥ってか」
「ちがう、嫌だ、そんなんじゃ、ないっ」
「じゃあ何だってんだよ、いつも以上に悦くなっちまってる理由、オレ様に教えて頂けねえ?」
逆にこちらが教えて欲しい。一体何なのだ、この状況は。
押し黙る獏良に性根の悪い笑い声を浴びせ、バクラは更に腰を進めてきた。
視線は未だ緩まない。腹側の敏感な箇所に先端が擦りつけられ、意図しない悲鳴が漏れる。そこ、と云えない唇は喘ぐのに忙しい。苦しくて死にそうだ。
引きつけた腰を両脚で捕えているのだから、バクラの切っ先は一番気持ちいい場所を擦り突くしかない。燃える体温はじわじわと身体中に広がって、遂には内部を埋める性器まで熱く感じるようになった。
気持ちが悪い。あの微温湯の温度が欲しい。怖い。
そう思いながら、心の片隅でどこか安堵を感じている。
「こわ、い」
自分の心が分からない。
はくはくと息を見出し、獏良は小さく鳴いた。
早く終わりにしたい。射精して、されて、こんなわけのわからない状況から逃げ出したい。
意思が直結した獏良の手は必死で手淫を繰り返した。絡まる視線の中、必死で扱き上げ、先走りでぬめる先端を指の腹で撫でて、とにかく一刻も早く終わりにするべく刺激を強めていく。
その必死さを別の意味で解釈したらしいバクラは、非常に意地の悪い表情でもってにやりと笑った。
「てめえ一人じゃイけねえよ」
「っ、な、ん」
「そういう風に躾けたからなァ」
にたつくバクラが言葉を続ける。
「怖いか? 助けてやろうか」
上唇を舐めて、眇められる瞳。籠絡し弄うことに愉悦を感じる青と、依然分からない、熱っぽい感情を差し向ける紫が獏良を見る。
「た」
「あン?」
苦しい――胸が、苦しい。
怖い、甘い、気持ちい、気持ち悪い、やめて、もっと。
混ざり合って塊になったそれを吐き出したい。
獏良の手が、中途半端な手淫で汚れた右手が、震えながらバクラに差し出される。
触れた肌は、熱かった。
「たすけ、て、もう、」
どちらの色に、そう望んだのだろう。
分からないまま、願いだけは聞き届けられた。腰に食い込むバクラの五指に力が籠り、抉った箇所に熱源――内臓に叩き付けられる精に、獏良は震え上がる。
上げる悲鳴も無かった。
男の身で覚えてしまった中出しの快感が引鉄になる。獏良は大きく仰け反ると、駆け抜ける電撃に全てを任せて射精した。
「ひ、ぅ、ぅあ、ァ」
びくびくびく、と、連続して腰を揺する。揺すられる。
幾度かに分かれて吐き出す精は、現実世界ではない所為か、量も多く濃かった。
どろどろに汚れた下肢から、ずるんと性器が引き抜かれる。栓を抜かれた気分だ。とぷりと溢れてくるのはバクラが吐き出した精――獏良の震えと同期してひくつく入口から、だらしなく垂れる。
「おクチが緩くなってんぜ。涎みてえ」
意地の悪い揶揄を云い、バクラが湿った髪をかき上げる。
長く白い髪を梳く指は、獏良自身と同じ、細く薄く硬い手だ。
何故だろうか、一瞬、違和感を覚えた。
彼の指はあんなに細かっただろうか。手のひらはあんなに薄かっただろうか。
射精後の胡乱な意識では、よく分からない。
(ああぼくはいまいったいどうなってしまっているのだろう)
ただぼんやりと、バクラを眺めるしかない。
彼は獏良を無言で見下ろし、不意に、つい、と唇を持ち上げた。
「宿主サマ」
遠く近く、声が響く。伸ばされる手のひら。
(あ)
指先が、喉仏に触れる。
(何かされる)
咄嗟に思った。逃げなければと。
いま、たった刹那で、何かが切り替わった。バクラの呼ぶ慇懃な呼び名――やどぬしさま、の声音が、明らかに企てを含んだそれに変化していた。
何かされる。何かがはじまる。
事後の気だるさがさあっと波のように引いていく。ざわざわと落ち着かない。闇が粘度を増してくる。
しかし思考は鈍く、身体の動きは更に愚鈍であった。
「お願いがあるんだけど、よ」
声は嘘の甘さで濡れていた。獏良の身体に染みついた、甘ったるい虚実の味だ。
駄目だいけないにげないとにげないと。何か恐ろしいことをされる。バクラがお願いなどと口にする時には、大抵ろくでもないことが起こるのだ。
「い、」
嫌だ、と云おうとした唇を、嘘の味で塞がれた。
目を見開く獏良の目の前で、バクラの手のひらが、蜘蛛が足を開くように広がる。
そして、その手指はまるで獲物を絡め取るように、
「オレ様の為に、死んでくれねえ?」
――頸を、捕えた。
【ほしかったのは、】
「っく、ぁ」
獏良の口の端から、苦しげな息が漏れる。
首を絞めること自体は初めてではない。気道を閉めると中の締まりが良くなるので、割と頻繁にバクラは獏良の喉を捕える。苦しげに喘ぐ唇や指の腹から伝わる早い脈動が心地よく、悪戯に締めては緩め、そんな風に苛めたこともある。
だからだろう、初めは怯えていたものの、獏良は派手な抵抗をしなかった。或いは事後の疲労が思考能力も奪い、生殺与奪さえ分からなくなったのか。
ほう、と、まるで心地よいかのように、獏良は息を吐く。
「嬉しそうじゃねえか、変態」
選んで故意に、バクラは汚い言葉を投げる。獏良は聞こえているのかいないのか、曖昧な母音を零して喉を晒した。
その首に、指が絡んだ白い喉に。
バクラは自身の手より一回り大きい、赤黒い締め痕を見た。いつもの浅い痕ではない。もっと色濃い、生々しい、殺害の痕跡だ。
「――ッ」
幻聴に続いて、リアルな幻覚。
思っていたよりずっと、盗賊の意識が深く根を張っている。
手を離す愚だけは避けた。そうしたらまるで、痛めつけることをバクラが躊躇っているかのように取られてしまう。都合よく解釈されるのは御免だ。
いずれにせよ、もう一度殺せばそれで全て片が付く。
心の部屋で心を殺す。それで空っぽの肉体が手に入る。盗賊も二度目の殺害には耐えきれまい。
特等席で見せてやるのだ。
あの日と同じように、身体を交えた直後の気だるさの中で。
愛したものが腕の中で緩やかに果てていく、あの光景を。
その為にも、盗賊に振り回されるわけにはいかない。バクラは勤めて平常通りの性悪な笑みを浮かべて、獏良に囁いた。
「気持ち良いか? 宿主サマ」
「ん、ん」
はくり。唇が苦しげに開き、舌が覗く。
「きもちい、じゃなくて、おちつく」
「はァ?」
「首に、ね、何か、かかってると、落ち着くんだ」
「呆れたな、本物のマゾかよ」
「リングの紐とか、そういうの…… 誰かに、触られてるみたいで」
だから、嫌いじゃないかも。
とろりと酩酊した表情で呟いた獏良は、青い瞳でバクラを見上げる。
「ねえ、バクラ」
ざわざわする。落ち着かない。覚えている筈がないのに、獏良はあの頃の記憶を持っていないのに。
重なりそうで重ならなかった錯覚が、この時初めて、ぴたりと輪郭を一つにした。
添えられた手のひら。その温度。見上げる瞳。青く丸い瞳鏡の向こうに、自分の顔がある。
右頬に――傷。
紫の、瞳。
「――……」
身体にも表れていたのか、あの女々しい盗賊の名残が。
バクラは胸の内で舌を打つ。甘く見過ぎていた――根が深いどころではない。本当に乗っ取られかねない。
そんなにも、リョウが愛しかったのか。
恋も知らずに育った男が、唯一愛した存在。それほどまでに、盗賊の中で了の存在は大きいのか。
右目で見ている獏良と、左目で見ているリョウ。
違うものだ。
リョウは了ではない。
宿主ではない。
(あれはオレ様が殺したんだ。否――違う、)
(あの男が殺したんだ、オレ様じゃねえ。オレ様はもう、あの馬鹿な盗賊じゃねえ)
点滅する思考。盗賊の意識が混ざり込もうとする。激しい内側の攻防戦。
「ボクを、殺すの?」
そんな闘争など知らない獏良が、苦しげな声でそう問うた。
その声でバクラは自己を取り戻す。どこまでも無垢な問いかけ。耳孔から内部へ、脳へ、身体中に染みていくのをバクラは感じた。
片隅に巣食う盗賊が暴れ出す。右頬が痛む。拒む意識が、首を掴む指を硬直させる。
それら全てを抑え込み、バクラは笑んだ。
「ああ、そうだ。オレ様の為に」
「ばくら、の、ため」
「そうしねえと、オレ様のやりてえことが出来なくなっちまうのさ」
「遊戯くんたちとの、こと?」
「ああ。オレ様がどんだけ必死かは、てめえもようく知ってるだろ? だからお願いだ。オレ様の為に、死んでくれ」
いつもみてえに、オレ様の役に立ってくれよ。
優しく優しく、左手で獏良の頬を撫ぜる。荒れ狂う内側で盗賊が叫ぶ。リョウに触るなというその訴えは、勘違いも甚だしい。
「何、そう怖いことじゃねえ。生きてても死んでても、オレ様はずっと傍にいる。何せてめえは大事な宿主サマ、だからな」
バクラの言葉に、びきびきと盗賊が抗う。
やめろ、ふざけるな、離せ。声が頭で反響し、頭痛を誘う。喉が渇く。気持ち悪いくらいに獏良を愛しく思う幻の感情が、これ以上の狼藉は許さないと訴えてくる。
痛みも苛立ちも、決して表に漏らしてはならない。バクラは仮面の表情のまま、未だ陶然としたままの獏良に向かって笑んで見せる。
「オレ様は嘘吐きだが、こればっかりは本当だぜ」
一人にしねえよ、永遠に――だなんて。
それこそ大嘘だ。
喉を絞める指にぐっと力を込める。すると獏良は痛みと快楽の入り混じる、絶妙な悲鳴を上げた。
「いた、い、よ、いたくしないで」
また符合した。
『いたくしないで』――リョウの最後の言葉だ。
滝のように感情が溢れ出てくる。バクラの中で、かつてない程に盗賊が猛った。
『殺したかったんじゃねえ』
『そうするべきだったんだ』
『リョウもそれを望んだんだ』
『そうじゃなきゃ一歩も動けなかった』
『今だって――本当は』
(ああクソ邪魔だ)
ヒトであった部分は獏良の言葉を引き金に、苦悩で暴れまわり始めた。
あの頃はそのまま狂気に飲まれて、全てを忘れられた。今残っているのは純粋なただひとりの盗賊としての意思だ。バクラから云わせれば莫迦な色惚け。恋人を殺めたことを後悔し、まだ愛しい恋しいと泣く惨めな男。
(いらねえんだよ、人間だった頃の記憶なんざ)
バクラは盗賊を抑え込み呻く。頭を掴んで水面に沈めるように、ただひたすら黙れ黙れと念じ続けた。
そうでもしないと飲まれてしまう。みっともない錯覚に取り込まれ、重なる虚像を愛してしまう。
獏良了はリョウではないというのに、あの日のやり直しを。
今度こそ幸せな結末を。
バクラの中でもがきながらも、盗賊は必死に求めた。ありったけの声で、届かない声で、リョウを呼んだ。
首を捕えられた獏良に、そんな声が聞こえるはずもない。
(さあ絶望しろ。宿主はてめえになんざ気づかねえ)
胸の内の嘲笑と共に、バクラは首を絞めていく。仰け反る喉、爪先が敷布ではなく闇を掻く。
苦しげに開く唇。
震えながら、最後の言葉を――
「いや、だ」
確かに、そう云った。
「……何、だって?」
「いやだ、って、いった」
か細い声で、それでもしっかりと、獏良は繰り返した。
繰り返して――拒んだ。
今までどんなことも最終的には応じてきた、従順であった獏良が、拒んだ。
あり得ないことだった。獏良は完璧に仕上がっている。バクラへの依存は深く染み込み絶対に抗うことなどないはずだ。
役に立つことが、か細い獏良の心を何とか支えている。役に立てば、云うことを聞けば、捨てられない。ずっと傍に居てくれる。その感情に愛も恋も無い。されど盲目と呼んで差支えない強さを秘めている。
なのに、何故。
呆気にとられたバクラの手から、力が緩む。盗賊の意識の介入だろうか、指先に力が入らない。
急に吸い込んだ酸素に、獏良がげほげほと激しく咽せる。血液ごと循環が止まっていた所為か、触れている肌は冷たく感じられた。
「死ぬ、のは……嫌だ」
それでもなお、はっきりとした声で云う。
いつの間にか、唇がかさかさに渇いていた。喋ったら割れそうなそこを一度舐め、バクラは息を吐く。
動揺したらいけない。乗っ取られる。
「云ったろ、死んでも生きても変わんねえよ」
「ちがうよ、全然ちがう」
まだ手指は喉にある。押し込めばまた絞まる。いつでも出来る――そう、いつでも。
だったら今すぐやればいいと頭のどこかで冷静な自分が云い、そのとおりにしようとして、出来なかった。見下ろす手は獏良を模した繊手であるはずが、褐色に色を違えていた。
変化に気づかぬ獏良は言葉を続ける。胡乱な、事後の甘さを引きずって。
「ボクが死んだら、もう役立たずになるじゃないか」
「あ?」
「死んだら役に立てないよ。お前の手伝い、出来なくなる」
「最後の大仕事だと思えばいいじゃねえか。お前の死は無駄にしねえよ。ちゃあんと有意義に、その身体を使ってやるさ」
「それで、ただの人形になったボクの身体は、最後にお前に捨てられるんだろ?」
だって、死んでるんだもの。
役に立つ訳がない。心が無いのだから。
獏良の理論はあまりにも自己的過ぎて、バクラには理解しづらい。
なんとか拾い上げられた部分を揶揄に変えて、バクラは獏良に放ってやった。
「役に立つ役に立つって、随分健気じゃねえか」
すると、獏良は気怠さにひと匙分の不快を混ぜた表情を浮かべて首を振った。
「それも違う。お前、ボクのことなんにもわかってない」
「分かってるさ、てめえはオレ様の役に立つことで、自分にも価値があるって思ってんだもんなあ?」
「ならどうして分からないの。今お前に殺されてあげたら、結局最後に捨てられる。そんなの嫌だって云ってるんだ」
ひたり、と、真っ直ぐに、青い目が向けられた。
丸い瞳の鏡には、顔の右半分を盗賊に侵食された己が映り込んでいる。紫の瞳、頬の傷。同様なのは、どちらの色も獏良の物言いを飲み込めずに訝しげな様子であることだけだ。
獏良はひるまず、二色を――二人を、見上げる。
「お前がしようとしてることが悪いことだって、ボクは知ってる。
きっといつか、お前は遊戯くんたちと真っ向から敵対する」
「その通りだ。だから何だよ、生き残ってオレ様の役に立って、そのご褒美にオトモダチに手を出すなとでもお願いするつもりか?」
「違うよ。馬鹿じゃないのか。
ボクが望んでるのは一つだけだ」
見たことの無い強い意思を浮かべ、獏良はなおも唇を開く。
先を、聞いてはいけない気がした。
聞きたくない。聞いたらいけない。盗賊がいるのだ。同じシチュエーションで心を殺して、そうして一緒に殺すはずだったのに。
このまま獏良を喋らせていたら、殺されるのはこちらの方になるかもしれない。増長し膨れ上がる盗賊の侵食は肉体にまで達し、獏良の喉を捕える手は指どころか手首まで褐色だ。
乗っ取られたらどうなる。
色惚けた男に成り下がって、獏良を連れて、今度こそ逃げるのか。長年腹に溜めてきた全ての計画を捨てて、それこそ獏良の体温のように生暖かい、微温湯の日々を過ごすとでも?
(そんなのは御免だ)
もういい。問答などどうでもいい。要は殺せばいい。簡単なことだ。
バクラはありったけの力で、盗賊の干渉を振り払った。
喉首を締め上げる。
苦しげに――それでも、獏良は。
「っ……待つ、のは、嫌だ」
喋るのを、やめなかった。
獏良の声が、幻聴と重なる。
同じ言葉を、あの日、聞いた。リョウの緩い微笑と共に。
『役に立たないのも邪魔になるのも置いて行かれるのもいやだ。ただの帰りを待つなんて耐えられない』
『だから、お願いだよ』
「……だから、お願いだ」
添えられた手の温度も同じ。低い体温。心地よさが滲む。
あの日、リョウは続けてこう云った。
『ボクのために、ころして』。
ならば、獏良は、何と云うのか――
「一緒に、連れて行って」
それは。
あの日盗賊が欲しかった――手に入らなかった、言葉だった。