【同人再録】 その後のボクらの関係途上-2

ある昼のオレ様とリョウの話

 

 闇に包まれていたと思ったら、見たこともない奇天烈な地に立っていた。
 人生とは数奇なものだとバクラは思う。妙に胸がすっとして落ち着かない以外、この世界は概ね平穏だ。言い換えれば退屈、である。
 この状況の原因に関して何か知っているらしいリョウとかいう小娘と、バクラは共に生活している。どうやら自分がここにいるのはこの女の所為のようだ。でなければ馬鹿みたいに親切にあれこれ教えたり世話を焼いたりするはずがない。
 兎角常識の通じない、バクラが見聞して得た知識が通用しない世界で、彼女はたった一人、バクラと世界を融和させる通訳の役割を担っている。これが不細工な女であったり男であったりしたら速攻始末していたのだけれど、リョウは大変見目の良い女であるので、とりあえず彼女の家――見たことの無い素材で出来た白い壁に囲まれた塔の高い階――に厄介になっている。決して彼女の美しい外見に絆されたわけではない。有事の際に力でねじ伏せることが出来るから、である。
 リョウはどこもかしこも白い女だった。
 白い肌と白い髪、大きな青い瞳。厄災を呼ぶ外見はこの地では異端ではない。こうして外――多分外だろう、異様に空が狭く、大地に土も砂もないのが気になるが――を歩いていても、石を投げられることもないのだから。
「なあ、リョウ」
「ん?」
「今日はどこに連れて行こうっつんだよ」
 リョウに与えられたセーターという貫頭衣とジーンズとかいう窮屈な足通しに身を包み、バクラは彼女の傍らを歩く。小さく白い手は塔の家を出てからずっと、バクラの袖口を掴んで離さない。
「買い物に行くんだよ。キミ、すごい沢山食べるんだもん。食費がかさんで参っちゃうね」
「オレ様まで連れて行く理由は?」
「家の中に引きこもってたら退屈だと思って」
 振り向いてリョウは笑う。花のような――と表現して差支えない。されどそれは、咲ききれない花である。
 細められた青い瞳の奥に奇妙な怯えが含まれていることを、バクラは知っている。否、出会った時からその色は消えることが無い。
 深入りすると厄介なことになりそうなので、バクラは気づかぬふりをしている。捕まれた袖を鬱陶しく思いながら、素知らぬ風で大あくびだ。
「気ィ遣ってくれんなら、たまには一人で出歩かせてくんねえもんかね」
「駄目だよ。一人にしたら何でかすか分からない」
「オレ様だって多少は覚えたぜ? あの地面の白黒模様んとこは、アッチの青い火が点いた時じゃねえと踏んじゃいけねえんだろ」
「横断歩道と信号ね。覚えてくれるのは嬉しいけど、名前もちゃんとセットにしてよ。あと火じゃなくて電気」
「そのデンキってのがわけわかんねえ。自由に点けたり消したりできる無くならな火って何だそりゃあ。あん中には魔物でも宿ってんのか」
「……今度、小学生向けの理科の本読んであげるよ」
「リカ? ショウガクセイ?」
「あーもう! とにかく教えてあげるってこと!」
 呆れた様子で言葉をまとめるリョウ。いつもこうして問答が終わる。
 面倒くさがりながら、リョウはひとつひとつ、バクラに物事を教えた。理解とは身体で学ぶもの、そうやって生きてきたバクラにとって、あれこれ指をさして教えられるのは好ましくない。だがあまりにも何もかもが違い過ぎる此処では、しばらくの間大人しくお勉強をせねばならないのだろうと思う。
(ひととおりのことが分かったら、オレ様の好きにさせてもらうさ)
 口には出せない本心を舌の上で転がして、バクラは鼻を鳴らした。
 一度、逃げ出したことがある。
 窮屈な箱庭生活に辟易するのに、時間はいらない。リョウがバクラを置いて家から出て行った時、隙を見て脱出したのだ。彼女が家を出る場所に扉らしきものがあったので、そこから出て行った。扉には複雑な形をした錠前が掛かっていたが、飛び出した捻子のような部分を捻ったらあっさり開錠できた。これでは施錠の意味がない、盗賊王ナメんじゃねえよ――などと思って、手探りで高い塔の階段を探して降りていったのだが。
 塔の入口でリョウと鉢合わせした。
 彼女はぽかんと口を開けてバクラを見、手にしていた布袋を放り出して駆け寄ってきた。やべえ逃げろと思ったバクラだが、どんとぶつかってしがみ付いてきたリョウの目には恐怖があった。
『どうして勝手に外に出るの!』
 リョウは泣いていなかった。ただまっさらな恐怖が青い目を覆い尽くして、綺麗な顔を台無しに引きつらせて怯えていた。
 震えながら彼女は云う。いなくならないで、と。
 その時バクラは、ああこの女はオレ様に惚れているのかと思った。ひとりじめしたい、閉じ込めてどこにも逃がしたくない、そんな一途で勝手な願いがそうさせるのかと。
 だったら一晩お相手願ってから、改めて出て行こう。おいしい機会は逃がさないのが盗賊王である。取り乱すリョウを何とか宥め、石の部屋に戻って即押し倒してやった。
 結果、更に泥沼を呼ぶことになった。
 回想するにも堪えない攻防戦があり、バクラはリョウが自分に惚れているわけではないと知る。どころか、どうやらよその男に操立てをしているようだ。あいつがあいつが、と何度も云うのでそういうことなのだろう。そのくせ自分を囲おうと云うのだからたちが悪い。女は見た目で判じてはならない、リョウは想像以上に難儀な生き物だ。
 それでも、塔の入口で縋られて感じた震えは悪いものではなかったし――叫び、怒り、喚き疲れて眠るリョウの寝顔は、バクラの目を奪う程には、好ましいつくりに見えた。
 バクラは盗賊だ。生まれ育った地から遠い此処へ落とされた今も、生き様は変わらない。欲しいものは奪って手に入れる。
 今欲しいのは、この地で立ち回れるだけの知識。ついでにこの妙な女の心を奪ってしまってもいいかもしれない。
 そういう訳で、バクラはリョウの云うことをそれなりに聞いてやっているのだった。
 目的のものを手に入れたら、さてどうしようか。
 欲しいものを探して旅でもしてみようか。
 暗闇で立ち尽くしていた頃。そのさらに昔、欲しくて欲しくて堪らなかったものがあった。自分はそれを憎んでいて、殺してやろうと決めていた。
 だが、肝心のそれが何だか分からない。殺意は記憶として残っているだけで、今の自分にないものだ。
 あの闇に何もかも食われてしまったのだろうか。昔憎んでいた、欲しかった、過去形の存在を。
 その存在はとてつもなく大きいものだった。だからこんなにも、胸に大きな穴が開いたようなスカスカした気分になる。その分だけどうにも魂が引き締まらず、腑抜けていると自身でよく分かる。女に手を取られ、知らぬ道を歩いている。愛用のナイフだけは手放すのを拒み、貫頭衣の裾に隠してはいるが――まったくみっともない姿だ。片一方でそれも悪くないんじゃないかなどと考えている己が居る。こんな人間だっただろうか。まるで違う誰かに生まれ変わってしまったかのようだ。
(ま、どうとでもならァ)
 唾と一緒に思考を吐き捨てる。
 少なくとも、闇の中で身動きが取れずにいるより、こうして自分の足で歩けているだけましなはずだ。空気が臭いのが少々気に食わないが、致し方ない。
 などと過去を振り返っているうちに、目的地に到着した。
 買い物などと云うから市を想像していたのだけれど、辿り着いたのは塔の家と同じような素材で出来た巨大な四角い建物だった。神殿の類に似ていないこともないが、色とりどりの旗が立ち並び軽快な音楽が流れていたりするので、そういったものとは無縁だろう。出入りする人間も多い。
「祭りかなんかか、こりゃあ」
「セールやってるからね。まあお祭りみたいなものかな」
「そりゃあいい、腕が鳴るぜ」
「……何度も云うけど、変なことはしないでよ」
 じとりとした目でリョウがこちらを睨んでくる。
「バクラの常識はここでは非常識なんだからね。その危なっかしい刃物だって、お巡りさんに見つかったら大変なことになるんだから」
「ハイハイ。何度も聞いたぜ、その台詞」
「何度も云わせてるのはそっちでしょ。とにかくボクから離れないで。勝手に周りのものにも触っちゃ駄目」
「ダメダメダメダメ、うるせえな……」
「何か云った?」
「いや、何も」
 軽く肩を竦めて、誤魔化してみる。何故かリョウは一瞬だけ眉を寄せ、切なげな顔をした。たまに見せる顔だか、毎回物言いたげに唇を開いて、すぐに閉じる。そうしてつとめて明るい様子を装って笑うのだ。
「よし、じゃあ行こう。カート押してね」
 予想通りリョウは笑顔を見せ、入口に大量に並んでいる押し車に緑色の籠を積んでバクラに押し付けた。取っ手がついていて、押すと驚くほどスムーズに進む。地面がつるつるした石で出来ている所為か、滑らか過ぎて逆に押しづらい。
「ほら、何やってんの。こっち」
 押し車の端を掴み、リョウが導く。まずはお野菜、と云うとおり、壁一面に色鮮やかな食物が並んでいた。大半は見たことの無い形をしたものばかりだが、鼻をうごめかせると良い匂いがする。
 初めてのものばかりの世界で、見慣れた存在を見つけるのは良いものだ。リョウの頭越しに、バクラは己の好物を目にした。
 彼女が青い菜っ葉を二つ見比べて何か思案している間に、ひょいとそれを手に取ってみる。白くて小さい、独特の匂いのそれ。
(いいモンがあるじゃねえか)
 四、五個にまとめられた大蒜の網を、バクラは躊躇いなくぶち破いて中身を取り出した。皮をむいてひと齧り――
 する前に、手の甲をぴしゃりとはたかれた。
「何すんだてめえ!」
「それはこっちの台詞だよ! 勝手に商品食べちゃ駄目じゃないか、しかも生で!」
「バカ云えよ、食いモンは味見てから買うに決まってンじゃねえか。上等だったら金くらい払ってやんよ、これっくらいならしょぼい指輪の一個で充分」
「だからキミの常識はこっちでは非常識だって、さっき云ったばっかりじゃないか! ここにはここの決まりがあるの! それに従えない人は外になんか出してあげない!」
 見た目に合わず大声を出したリョウは、自分で自分の声量に驚いたようだった。はっと口を押えて、周りの人だかりを見やる。それからバツの悪そうな顔をして頭を下げると、バクラの手から大蒜を網ごと奪い取った。
「と、とにかく、これはもう手ぇつけちゃったんだから買ってあげる」
「そりゃどーも」
「不貞腐れないでよ。あーあ、レジで怒られたりしないかなあ……」
 頭ごなしに怒られて面白くないバクラを後目に、リョウは肩を落として溜息を吐いた。非常に気疲れしているのがよくわかる、細い背中が丸まっている。
 罪悪感を覚えるバクラではないが、どうにも居心地の悪い空気だ。周りに人間はこちらをちらちらとみて、しかし何も云わない。ぎっと睨むとそそくさ逃げて行った。
 勝手に世話を焼いている癖に、勝手に疲れて落ち込んでいる。だったら放り出せばいいのに、どうしてリョウはその手を離そうとはしないのだろうか。じっと白い頭のつむじを見下ろして、盗賊王は下唇を突き出す。これだから女は分からない。
 視線に気づいたリョウが、くるんとこちらを振り向く。その表情からは先程の怒声などどこ吹く風で、この切り換えの早さも彼女の不思議な点の一つだった。
「なに、まだ欲しいものがあるの?」
「あ? あー、肉は食いてえけどよ」
「お肉ね。安いのでいっか。その分沢山買ってあげよう」
 からからと軽快な音を立てて、押し車の滑車が回る。
 一八〇度の方向転換をし、リョウは反対側の壁を目指して突き進む。バクラもそれに従いついていく。背中に肩に身体中に、無遠慮な奇異の目を感じながら。
 肌の色、目の色。存在自体。あらゆる意味で、自分はこの地では異邦人だ。悩むべき、考えるべきことは山ほどある。呑気に女に手を引かれている場合では、絶対に、確実に、ない。
 しかしながら夕食にたんまり肉が食べられるというだけで、そう悪くない気分になってしまうだなんて――ああ、やっぱりきっかり、腑抜けている。
 そうして、
「あ、タイムセールやってるよ! バクラ急ご!」
 などと云って手を引いて小走り。
 この手を握るリョウの手のひらの柔らかさもまた、悪くない感触だった。