【同人再録】アラート-4

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「云っ、て、」
 目を――覚ました。
 視界を占めるのは暗闇。夜の帳ではない闇そのものが、辺りに有機的な影を渦巻きながら覆っている。
 了は闇の上に寝そべっていた。
 四方を格子囲われた。隔絶された檻の中で。
 頬がやけに冷たい。指で触れると、泣いていた。
「まぁた起きやがったのか」
 呆然とした了に向けて、不快そうな声が投げつけられた。弾かれたように起き上がると、格子の向こうに闇がいた。ボーダーのシャツにジーンズをまとった、人の形をした闇だ。先程まで抱き合っていたバクラと全く同じ姿。けれど――明らかに違う。
 あのバクラは、こんなに冷たい目をしていなかった。
「ったくよ…… いい加減にしてくれよ。もう時間がねえんだぜ」
 バクラはがりがりと後ろ頭を掻き、いかにも仕方ない、といった様子でもって了に近づいてきた。のろのろと起き上がり、ぺったりと座り込んだ了の目線にあわせ、格子越しにしゃがみ込む。
 酷く邪悪な、愛情のかけらもない視線を投げつけて。
「大人しく寝てくれっての。てめえが気持ち良く寝られるように、どれだけオレ様が気ィ遣ってやってると思ってんだ」
「え…あ……」
「あー、じゃねえよ。馬鹿女」
 ガン、と格子を殴られた。了は小動物のように身を固くする。
 意味が分からない。どうしてここで、何をしている? 何をしていた?
「てめえの代わりに、このオレ様がバトルシティに行ってやろうってんだよ。邪魔されちゃあ困るんだ、ここで良い子にしててくれよ、宿主サマ」
 ――思い出した。
(そうだ、ボク、ぼくは、バクラに無理やり、閉じ込められて)
 夢を見ていた、のだ。
 バクラは双子ではない。恋人でもない。彼は了の身体を憑代にした闇の生き物だ。千年リングの化身にして、了の生活を脅かすもの。身体を奪い、了の振りをして、友人に危害を加えるもの。
 了はそのことを友人に秘密にしたまま、苦悩の日々を送っていた。バクラは敵だけれど、酷い男だけれど、その手から与えられる快楽は甘く深く、抗えるものではなかった。そして彼は、きれいごとのない了の本心を誰より理解していた。
 完璧な理解者がいることに、了は溺れた。
 バクラを無くしたくない。失いたくない。ずっとそばに居て欲しい。過度の依存を、バクラは巧みに操り了を利用した。利用されていると分かっていても離れられない。そのことも、バクラは全て知っている。了が心の底で何を望んでいるのかも、きっと全て、分かっていた。
 だから――あんな夢を見せたのだ。
「お前……ッ、何して、こんなひどいこと!」
 格子を握りしめる。了の手は小刻みに震えていた。
 ああ、今となっては全て理解できる。あの秒針の音は、杏子達との待ち合わせの時間までのタイムリミットだったのだ。音色を変え、意味を変え、それでも危機があることを、了の本能はずっと訴え続けていた。幸せな夢の中に居てもなお、ずっと叫び続けていたのだ。
 目を覚まして。早く。
 このままでいたら、きっとボクは後悔する。お願いだから気づいて、と。
「ボクの身体を好きにしたいなら、こんな手の込んだ真似しないで無理やり奪えばいいじゃないか! 何で、何であんな夢見せたんだ! あんな――!」
「うるせえな、そのやりとりも飽きたんだよ」
 家畜を見る目だった。事実、彼にとって了は家畜か贄のようなものだろう。了の中にはまだ夢で優しくしてくれたあのバクラが残っており、冷たい目で見られるだけで物理的に胸が痛んだ。まるで双子の彼にそうされているような気分になって、涙が止まらない。
「ひどい、ひどいよ……」
「おいおい、それはこっちの台詞だろ」
 バクラはしゃがんだまま、苛立ちそのものの動きで格子をもう一度叩いた。何で出来ているのかは分からないが、闇の色をしたそれはびくともしない。入口すらないのだ。了は項垂れ、すすり泣くほかない。
 絶望する了のつむじへ、容赦のない言葉は降り積もっていく。
「もう一回だけ説明してやるよ」
「う、ぅ、」
「いいか、オレ様はてめえの身体を好きにさせてもらう代金に、最高の夢が見られるようにしてやったんだ」
「……っ」
「家賃がわりさ。優しいだろ? ちっとばか理の間、少しの邪魔もされたくなかったんでな。オレ様が仕事をしてる間、宿主サマはゆっくりと、いい夢の中で幸せにしていられるって寸法さ。最高じゃねえか。てめえの心の部屋は扱いやすいからな、本心を暴いて、願望を叶えてやるくらい簡単なこった。……でもなァ」
 ふ、と、バクラは了の背後を指さして、云った。
「流石に、そいつは我儘すぎやしねえか?」
 示された先にあったものは――闇の、かたまりだった。
 目を、凝らさなくても分かる。
 闇には手が生えていた。脚もあった。白い髪と白い肌と、青い瞳もあった。
 格子の内側、了のすぐ近くで、沢山のバクラが死体のように――人形のように、積み重なって、山になっていた。
「ひッ……!?」
「全部、てめえの願望の残骸だ」
 残酷なほどに冷静に、本物のバクラはそう云い放った。
「何人いると思ってる? オレ様が何回、てめえに夢を見せてやったと思ってる? 待ち合わせに遅れちまうって、何度も云ってるじゃねえか――何が気に食わねえんだよ」
 てめえが欲しいオレ様を、山ほどくれてやったじゃねえか、と。
 呆れた声でバクラは吐き、格子から手を差し込んだ。呆然とする了の顔を両手で掴み、上向かせ、現実を見させる。木偶人形になった沢山のバクラ達を、哀れな夢の象徴を。
「何回やっても、てめえは目を覚ます。オレ様がさて行きますかと腰を上げると、魘されて泣きながら起きやがる。こっちが云いてえよ、何でこんなことをしやがる」
「あ、あ、」
「よく見ろよ、目ン玉に焼き付けろ。そこに在んのは可哀想なオレ様達だ。全部てめえが殺したんだ。てめえが目を覚ましたら、こいつらは存在する意味を無くすからな」
「やめ、や、やめて」
「一番新しい奴は――あァ、大方双子とか家族とか、そんな感じだったみてえだんな。そいつはてめえに優しくしたはずだ。あり得ねえくらい甘やかして、気持ち悪ィ愛情とやらで浸してくれたはずだ。 その前は宿主サマが大好きな幻想世界の住人か? ファンタジー、お好きだもんなあ。お姫様になって助けてもらって、最高じゃねえか」
 先程まで交わっていたバクラが、うつ伏せになって倒れていた。ぐんにゃりと手足を曲げ、魂がないことを表す瞳は濁り切って色が無い。その向こうには映画や漫画で見るような、古い中世の衣装を纏ったバクラが仰向けに。その上にもバクラが、バクラが、バクラが、様々な衣装と設定でもって、積み重なっていた。
 全て、了の欲望だ。
 汚くて、自分勝手で、都合のいい、醜い欲の塊だ。
「何が気に食わねえんだ、宿主」
「やめ……もう、」
 目を見開き、首を振る了をバクラは許さなかった。己の恥すべき部分から、決して目をそらさせない。冷たい息が首筋にかかり、その唇は優しいキスをくれはしなかった。この期に及んで、まだ期待している。優しいバクラを欲している、浅ましい自分に吐き気がした。
 汚い、欲深い了自身。その中で唯一美しく、綺麗なまま残っていたのがあの声だ。あの警鐘だけが、狂っていなかった。かけらしか残っていない、僅かだけれど正しい意識。辛いけど、苦しいけれど、幸せな夢を捨てて。でないと友人がまた酷い目に合う、後悔すると叫んでいた。
 全て思い出した了の中に、走馬灯のように記憶が甦る。双子のバクラも、その前のバクラも、その前の前のバクラの時も、いつも頭にアラートが鳴り響いていた。だから目を覚ますことが出来ていたのだ。
 不完全な記憶の正体も、唯一まともだった本心のかけらが力の限りに訴えていたから生まれたものに他ならない。バクラを偽物なんじゃないかと疑い、次に自分が偽物なのではないかと疑い、どの夢でも、恐ろしくなって了は叫んだ。そう、最初の危惧は正しかった。偽物だったのだ、了以外の全てが。
 気づかせる為に、生活には常に違和感があった。記憶の齟齬を切っ掛けに、どうにか目を覚まさせようとした。真実に気づかせようとした。それがなければ本当に、了は夢の中で甘さに溺れて、バクラの思うがままになっていただろう。
 此度も了は、目を覚ました。一度は快楽で掻き消されてしまったけれど、完全に溺れきる前に、割れ鐘の警鐘に無理やり起こされた。
 あの時最後に口走った言葉こそ、了にとって忘れたい記憶だった。
 好きだと云って欲しい。求めて欲しい、愛して欲しい。
 叶わないから、願ったのだ。
 理想のバクラを、仮初の世界で作り上げて――
「また……おなじこと、するの…?」
 震える了が、恐る恐る問う。
 そんなことをしたって、また同じ結末を迎えるに決まっている。また目を覚ます。バクラの苛立ちを深くさせるだけだと、思いつくままに了は述べた。どうにか思い直してもらえるように。こんなことを辞めてもらえるように。
 しかし、バクラは首を横に振った。
「いいや、次が最後だぜ」
 その言葉には、いい加減にしろと脅す意味を多分に含んでいた。声は真に恐怖を生み、かけらの本心を握りつぶす。
 バクラは格子越しに、了を引き寄せた。甘い抱擁ではなく、拘束でもって。
「ひ……」
「いいか、本当に最後だ。一番幸せな自分をイメージしな。一番欲しいオレ様を想像しろ。そいつはてめえの理想どおりに、てめえを愛してくれるはずだ。
 もし今回も途中で目覚めやがったら、そうだな――重ね掛けに、今までてめえが殺したオレ様達が、全員襲い掛かってくるっていう仕掛けをしておいてやる。嬉しいだろ、皆、てめえが好きなんだとよ。気持ち悪ィなぁ、好きだの愛してるだの、あり得ねえってのに。うえ、吐きそうだ」
「やだ、やめてそんなの! いい子にするから、お願いだから! お前の邪魔なんかしないから――」
「何人居るんだろうなぁ、輪姦の妄想はしたことねえか? 安心しろ、全員オレ様だからよ、手ぬかりなくてめえの心を犯し尽くしてくれるさ。
 嫌なら目覚めるな。オレ様が起こすまで、ようく、眠っておけ」
 酷薄な笑いが絶望を物語る。
 説得は出来なかった、最初から無意味だった。
 バクラは聞く耳を持たない。夢ではない本物のバクラは、了の願いを聞き入れてくれたことなど一度も無かった。今までないのだから、今回もないに決まっている。そうと分かっていても、了は叫んだ。嫌だ、こわい、やめて、いい子にするからお願いお願いお願い――
 必死の懇願を無視し、バクラは了の瞼を、掌で覆った。もう片手は額へ。夢を生み出す脳みそを掴むような、五指は氷のように冷たい。
「オヤスミナサイだ、宿主」
 ぐ、と、額が圧迫される。意識が遠のく。
 指の隙間から、偽物のバクラたちがこちらを見ていた。無機質に、それでいてじっとりと湿った、それは獣のような目だった。
 きっと了は、目を覚ましてしまうだろう。そうしてあの獣たちに、愛情という狂気でもって底の底まで蹂躙されるだろう。その時、美しくも形を保っていた了の自制心は、跡形もなく砕けるはずだ。
 その時、救いは完全に無くなる。
「たす、け」
 伸ばした指は、誰にも届かなかった。
「良い夢を――宿主サマ」
 声音だけは優しい挨拶と共に、 甘く、残酷な眠りが、その身を浸す。
 無慈悲な暗転。
 そうして了の意識は、闇の内側に向かって、砂糖菓子のように溶けて行った。