【同人再録】601号室の亡霊-1【R18】


発行: 2013/12/29
おなじみ最終回後、バクラを失って寂しい辛いつらいもうやだってなった宿主がそうだバクラのお墓つくって弔ってやればちゃんとお別れできるんじゃね?つって墓標を作る話…をきっかけに、どんどん病んでく病み主ストーリー。無論暗い。

・小説:書き下ろし
・表紙:半田96様


土だらけのスコップと汚れた爪先

暗闇

確かあの日も、ボクは蝉の声を聴いていた

 

 

或る夜、終わりの始まりの前夜祭にて。

 

 

「蝉なんざ鳴いてねえだろ」
 第一この場所で聞こえるはずもないと、獏良の上で汗の筋をぬぐったバクラが言った。
 掠れた声と湿気た気配。下腹部に埋まった違和感もそのままに、指先ひとつ動かすのも億劫な世界だ。酸素を吸い込むことすら面倒臭い。
 否、酸素と呼べるのだろうか。この暗闇の中、心の部屋での呼吸で何を吸い何を吐いているのか、獏良の理解を超えている。自分の心の中なのだから自分自身の心の一部なのだろうか、それとも自分自身は闇そのものだと主張する目の前の男――バクラが広げた両腕の中、飲み込まれて沈んだこの場所で、バクラの一部を吸い込んでいるのだろうか。
 だとしたらもう、心深くまで侵されている。肺の中にまでバクラが染みこんで、溶けてゆく様子を獏良は思った。そうして自分がなくなってしまうのも悪くない。もういっそ、同じものになれてしまえたらと感じることも、最近は多くなってきたものだから。
 何を考えているのか、バクラのことがわからなくて。
 初めは、わかりたくもないと思っていた。
 それから、わかりたいと思うようになった。
 今は、願うだけではわかるはずもないと知っている。
 ともに時を重ねるごとに、彼を理解することなど不可能だと思い知った。バトルシティの後を境に、バクラはじわじわとわけのわからない存在に変化していっている。その癖妙に優しく、愛撫は手ぬるいから余計に混乱する。恋をしていたなら、愛を抱いていたなら、その優しさを嬉しく感じられたかもしれない。だが生憎獏良は、こんな関係に――心の部屋で肌と体液を交える関係になった今でも、バクラのことを愛しいと思ったことはなかった。依存が度を越して、触れていないと落ち着かない。あとはそう、ただ単に、気持ち良いことが癖になってしまったと、それだけのことだった。
 盲目などではない。だからこそ感じ取れることがある。バクラのこの異常な穏やかさは、一時限りの異常性なのだと。
 穏やかな日常、凪のような夜。こうして交わる時でさえ、意地悪の語尾は手加減されているように感じる。
 虫は幼虫から成虫へ変わる時、蛹の中で一度溶けて、それから姿をまったく変えて羽化するという。
 今のバクラはまさにそれだ。だから蝉の声なんて幻聴を聴いたのだろう。
 季節外れの絶命の歌を。
 土中で耐えて羽化し、短い生を叫んで、七日で死ぬ蝉の歌。
 これはきっと、嵐の前の静けさだ。
 今のバクラは土から出た蝉だ。そして蛹の中にいる。ならば今を逃せない。ついでに一緒に有耶無耶に、ひとつなって溶けてしまえれば。
 ひとつになってしまえば、個をなくしてしまえば、理解できるのかもしれない。
 そうなりたいと漠然と思った。
 ――愛してもいないくせに。
「どうせ、置いていくんでしょ」
 負けず掠れた声でつぶやくと、バクラがあァ? と、疑問の唸り声をあげた。
「てめえはまた、頭ン中でよそ事考えてんのを説明無しに口に出しやがる」
「ボクのことは何でも知ってるて言った。解説が必要?」
「意地の悪いことを言うんじゃねえよ」
「お前は最近、意地悪しないからね」
 だから代わりにボクが意地悪をしたんだ。そう言ってやると、バクラは少しだけ目を大きくし、それからすぐに眇めて、そうかよ、と答えた。
「優しいのはお嫌いかよ、宿主サマ」
「すきだよ。でもお前がそうやってるのは、気持ち悪い」
「強引なのをご所望で――っつって、突かれるのを期待してのお言葉か?」
 くい、と腰を押し付ける動きが、足りない言葉を補って余りある。
 身体の方は確かにそれを期待していた。埋めたままの硬い肉に腹側を擦りあげられて、汗で冷えた肌に快感の鳥肌が立つ。氷のようだった耳に滑らかな歯列が噛みつく痛み。嫌いじゃない。もう一熱吐き出してから意識を手放せたらさぞかしよく眠れるだろう。悪夢も裸足で逃げ出す、圧倒的な深い眠り――不安を押し流して隠してしまう泥眠の海に、息すら忘れて潜るのも悪くない。
 同時に、そんなものはただの対処療法でしかないことも、知っているから辛かった。辛いことからはいつだって逃げてきたけれど、たとえ逃げた先にもっと酷い目に合うとわかっていても、今辛いのが嫌で仕方なくてずっと物事から逃げてきた獏良だけれど、今回ばかりはなあなあにしたら立ち直れない気がする。
 置いて行くんでしょう、と問いかけて、答えなかったバクラの唇は、ごまかすように耳朶を食んだ。なかったことにしようとする動きは、肯定と変わらない。
 置いて行かれたらきっと気が狂う。自分という個を無くしても構わない程に恐ろしいことなのに、バクラもそんなことは知っているはずなのに、どうして一人にしようとするのだろう。大事な大事な宿主サマという言葉に皮肉はあっても、獏良という器がなければ世界に影響を与えられないのがバクラなのだ。その獏良を手放すなんて、何を考えているのか。これも、わからない。
 そうだ、わかるはずもないバクラのことを理解するには、やっぱり彼になるしかないのだ。
「お前のこと、わからないよ」
 咎めるつもりで言ったのに、言葉には多分に吐息が含まれていて、甘く湿っていた。勘違いしたらしいバクラが、これ幸いと腰を進めてくる。
 ちがう、やめて、と訴える声に制止力はなかった。どこまでも快感に弱い心が逃避を促す。息苦しいこのもやつきなど忘れてしまえ。促す声は自分と同じ音色で言うから厄介この上ない。
「てめえのヤメテは『もっとして』だからな。宿主語は一通り覚えてるぜ」
「何勝手なこと」
「勝手はお互い様じゃねえか――おら」
 ぐん、と進めた腰に合わせて、過剰なまでに獏良の性器が反応する。手で擦る必要はもうなくなってしまった。内部のどこをどう攻めれば陥落するか、わかりきっている動きに腹が立つ。せめてもの反抗にと獏良は相手の肩甲骨に強く爪を立てるが、子猫に引っかかれたくらいにしか感じないのか、耳元で鼻で笑われた。
「いつも言ってんだろ。よそ事考えンな」
「よそ事じゃない、お前の、」
 ことを、考えているのに。
 その先を言わせないバクラに再度、腹が立った。
 いつだって肝心なことは教えず言わず、白黒をつけないあいまいな逃げ方。バクラの手管は性質が悪い。溺れてしまう自分も同等に性質の悪い性格をしているけれど、逃げてはいけない時だってあるのだ。
 今日こそ。ちゃんと。
(もしかしたら明日、こいつは羽化してしまうかもしれない)
 そんなことになったら、後悔どころの騒ぎではない。
 まともに顔を見合わせられるのはこの夜更け、眠りの為のベッドを抜けて、心の部屋でまぐわう今しかないのだ。だからちゃんと聞かないと。言わないと。
(お前とひとつになってしまいたいって)
(お前がボクの完璧な理解者になったように、ボクもお前を理解したいって)
 孤独だった獏良了が孤独でなくなったように、バクラもそうなればいいと思っていることを、きちんと伝えなければ。バクラの為ではなく、自分の為に。そうすれば、そうなれば、バクラも獏良に依存する。完璧な共依存と完璧な理わかっまりそれは、個と個がつながった一個体。
 理想はそれなのだ。そうなりたい。
 羽化の前に、居なくなる前に。
(確か、昨日もそう思って、ボクは足掻いていたのではなかったっけ――)
 獏良は胡乱に閉じそうになる目をなんとか開き、爪を立てるではなく拳でもってどん、と、バクラの背中を叩いた。
「ちゃんと、今日こそ、答えてよ」
「何にだよ」
 バクラは目を合わせない。まるで甘やかす動きでゆるく腰をゆすりながら、耳朶から耳孔へ舌先を這わす。
「お前は、居なくなるんで、しょ?」
「まさか」
 そんなわけねえよ、と、何でもないことのようにバクラは言った。
 上手すぎて、嘘だとわかる嘘だった。有無を言わせないよう音を立てて叩きつけられた腰が、思考を奪う。
「ひ、ぅ」
 高所から落としたグラスが割れる感覚とよく似ている。或いは砕けるパズルのピースだろうか。ごりごりと容赦なく内臓を抉る性行の刺激に、獏良の決意は細かく砕けた。このまま喉まで突き抜けそうな深い注挿。腰をつかむ五指はまるで鍵爪だ。
「集中しろよ、気持ちよくなりてえんだろ」
 律動に合わせて息切れる声。これだってきっと演技だ。悔しい。獏良は拳を背中に叩きつける。嘘嘘嘘、嘘ばっかりだ。嘘の愛撫で得た快感だって、そんなものはやっぱり嘘だ。
 思えば確かなものなど、バクラから何一つ、与えられたことはなかった。
 故意にそうしているのか。香りすら残さず、許さずに、彼は。
「や、っぱり、意地悪だ、お前っ」
「だから、それがお好きなんだろ?」
「そういう意味じゃ、ない、お前、ボクに何も――いなくなる、くせに」
 喉からあふれるのは訴えなのか喘ぎなのか。腰から背中を抱かれ、ぐいと急に引き上げられた姿勢で獏良は呻いた。胡坐をかくバクラの上に、足を開いて跨って、繋がりあって。自重でさらに深く潜り込む熱に、ぞくぞくと感じ上がって止まらない。
「何も、くれない、なんて」
「くれてやってるじゃねえか、キモチイイのを毎晩よ。それとも女みてえに指輪だ何だって、そういうモンが欲しいのか? 千年輪があんだろ」
「あれはもともとボクの――あぅ、っ」
 背をかがめたバクラが鎖骨をかじる。痛みと紙一重に、これもまた快感だった。筋だらけでやわらかくも何ともない、痩せた背中を辿り上げる中指から毒が滲んでいる。思考を溶かす危険な病毒だ。
 獏良は何度も首を振り、飲まれそうになる意識を手放さないよう抗った。垂直な揺さぶりは上がる時より下がる時の方がきつい。尾?骨から旋毛までを突き抜ける刺激に、顎が跳ね上がって戻らない。開いたままの口からだらしない唾液が垂れ、首筋をつたう生ぬるさもまた肌を甘く苛んだ。その喉をバクラが舐め、くつくつと笑う。
「てめえの、何だって?」
 答えられないように動きながら問うのは卑怯だ。白い髪を振り乱し、獏良は声を上げる。嗚咽のように短く、高く。
 そうしてバクラが有耶無耶にすればするほど、獏良の不安は杞憂ではなく事実として硬く形を変えていった。はぐらかし、ごまかし、遠ざけ、快感で塗りつぶして。そんなことをしなければならないくらい、バクラがこの話題を避けていることを、感じ取れないほどに馬鹿ではない。
 馬鹿だったら、それはそれで幸せだったのだけれど。
「いい子にしてりゃ可愛がってもらえんだ、それでいいじゃねえか」
 赤子をあやすような、手ぬるい愛撫に恐怖を感じる。それもこれもすべて失うのだ。
(ああ、もう欠片も疑っていない)
 がくがくと頭ごと揺らしながら、朦朧と獏良は思った。
 彼がいなくなることを。
 そして、残される覚悟も何も出来ていないまま、その日を迎えるであろうことを。
「上手に喰らえよ、宿主サマ」
 いやらしい声で絶頂を伝えるバクラの声に、獏良は是非すら応えられない。中で硬度を増した熱が暴発するのを、成す術もなく受け止めることが精一杯だ。流し込まれる体液、これも実体のない心の中での嘘ごとなのに、泣きそうになる。
 絶頂の瞬間に、肩を噛まれた。痛みもすぐに快感になった。声もなく放たれる熱の熱さだけが雄弁で、それ以外言葉もない。バクラがこういったことをして本当に気持ちよいのかどうかも、そういえば知らないままだった。
(なにもしらない、ボクは)
 知られないまま、はるか高みから引きずりおろされるように獏良もまた絶頂を迎える。
「ぁ、っ――」
 涙声の最後の悲鳴。強く握る拳に爪が食い込む。
 射精は獏良の覚悟そのままに、惰性のようにすっきりしないものだった。互いの腹の間で吐き出す精はすぐに生ぬるく温度を変え遠ざかる人肌のようにすぐに冷たく垂れてゆく。
 悲しくて、悔しくて、腹が立って。
 無言のまま力の入らない拳でバクラの背中を殴る。互いに顔を互い違いに肩へ乗せているせいで、表情を確かめられない。なけなしの力を込めて頭を上げたなら確認できたのかもしれない。ぐずる獏良に対して彼がどう思っているのか。苛立っているのか、困っているのか――胡乱な獏良には想像すらできなかった。
 知りたいけれど、恐ろしい。そこにある表情が空虚であったら。
 この行為に、今までの日々に、バクラが何も感じていなかったら。わからないままの方がよかったと後悔するかもしれない真実が、すぐ近くにある。
 それでも、知りたいのだろうか。
「眠っちまえ、もう」
 くしゃりと髪をかき混ぜたのは、優しさなのかごまかしなのか。獏良は迷い、そして屈服した。
 もういいや、もうわかんない。
(明日こそ)
 昨夜も、その前も同じように思った過去に蓋をする。バクラの手のひらは冷たく、喉の奥に詰まる半端な覚悟や恐怖や、何もかもに、都合よく覆い隠してゆく。同時に瞼も重たくなり、瞳もまた閉じた。閉じた先もまた暗闇だけれど、眠気の甘い匂いは容赦なく獏良を引きずり込んでゆく。
 今日も何一つバクラに伝えられないまま、獏良は意識を手放した。
 七日目の朝は、もうすぐそこにまで迫っていた。