【同人再録】601号室の亡霊-5

「え……?」
 遊戯は両手で目をこすり、黄昏に煙る視界の先に立つ姿を見直した。
 黒いコートに白い髪。それは正しい。だが今遊戯が目にした、営利な刃物に似た眼光は存在しない。特徴的な髪の先も、重力に沿って流れている。
 よく見れば、学生服の上から黒いコートを着た、獏良だった。
 やけに嬉しそうな笑みを浮かべた、獏良了だった。
「遊戯くんなら追いかけてきてくれると思った」
「な、に、してるんだ、獏良くん……」
「なにって? ああ、この格好のこと?」
 ぱ、と大きく両手を開いて、獏良は首を傾げた。
「どうかな、結構似合ってると思うんだけど。似てるコート探すの大変だったんだよ」
 そのままくるり、とその場で回転してみせる。軽い生地なのだろう、まるで長いスカートのように、黒いコートは円形につむじ風を描いた。
 遊戯が聞きたいのはそんなことではない。問い詰めたいが言葉が出ない。ただ目を見開き、異常なほどに楽しげな獏良をただ見つめることしか、遊戯にできることはなかった。
「やっぱりいつものボーダーシャツの方が雰囲気でるよね。制服の上からじゃなんか違うな。着替える時間なくてさ」
 沈黙を気にせず、獏良は楽しげに言葉を連ねるのをやめない。軽い足取りで近づいてくる。
「そうそう、自分で着てみると、長いコートって結構歩きづらいんだよ。あいつもなんか動きづらそうじゃなかった?」
「歩き方とかの真似は難しいよね。あ、でも速足で歩いてるのは知ってたからさ。それは頑張ってるんだけど」
「もっと猫背にしたほうがそれっぽい? ねえ、どう思う?」
「何してるのかって、聞いてるんだ!」
 呆然にも限界があった。声を荒げた遊戯に、獏良は心底驚いた顔をして立ち止まった。
 戸口一つ分まで迫った距離で、二人は目見交わす。
 真ん丸い瞳をしていた獏良は――ふ、と、笑った。
 バクラに全く似ていない、しかし底冷えするような、それでいて穏やかな笑みだった。
「わからない?」
 平素の声まで、平坦過ぎて恐ろしい。
 急に獏良が、よく知る獏良ではなくなってしまったように見えて――遊戯は一歩、後ずさった。
「わからないよ、キミは……キミは、どうしちゃったんだ? 何でこんなことするんだ、バクラくんの恰好をして、何をやってるんだ」
「遊戯くんも言ってたじゃないか。噂、ちゃんと広まってるみたいで、安心したよ」
 その為に一週間も、学校休んだんだもの。
 緩く首を傾げて言う、獏良は底知れない笑みを絶やさない。
「皆にも手伝ってもらおうと思ってさ」
「手伝う……?」
 何の、手伝いをさせようと言うのか。
 身構える遊戯に、獏良の笑みが少し意味を変えた。悲しいような切ないような、悔しいような――わずか寂寥を含んだ笑みだった。
「もう一度、バクラに会うための」
 かつん。
 廊下を歩む足音が、黄昏に響く。
「ボクはあいつを忘れようと頑張ったんだ。今までやったことないくらい、本当にほんとうに、頑張った。褒めてあげたいくらい」
「獏良、くん……」
「お墓まで作ったんだ。あいつを埋めてやろうって、そうしたら区切りがつくだろうって。でも駄目だった、あいつは何にも残してくれなかったから、ボクの身体に残った傷跡以外、何もなかったから、できなくて」
 滔々と、獏良は語った。今までのことを、薄い唇を小さく動かして。
 それは、失敗した埋葬の物語だった。
 忘れることができないと理解したこと。恋心を受け入れた、あの夜のすべてのこと――
「余計苦しくなっちゃった。忘れられなくて苦しいんじゃない、あいつが好きで、会いたくて、会えないから苦しかった。悲しかった。いなくなった後にこんな気持ちにさせるなんてひどい奴だよ。
 ……きっとバクラは全部わかってた。ボクだけ何もわかってなかった。
 ボクはあいつのことも、ボク自身のことも、何も理解してなかったんだ」
 衝撃の告白だった。遊戯は知らなかった――誰も知らなかったのだ。
 獏良の、バクラへの恋心を。その想いの強さを。
 たとえバクラが悪の権化だったとしても、向けられた恋情に罪はない。その感情を否定したくない遊戯は、切なげな目をした獏良へ向けて、先ほど後ずさった一歩を戻した。
「だからってこんな、こんなことをして、何になるっていうんだ。バクラくんも、アテムも……もう居ないんだ。そのことを忘れちゃいけないとボクは思う。でも、引きずるために覚えているわけじゃない」
「わかってるよ、そんなこと。遊戯くんたちは前にもそうやって、ボクのことを慰めてくれたんだもの。
 でも、ダメなんだ。ボクは皆みたいにはなれない」
 拒絶は頑なだ。一歩詰められても引かない獏良の、長いコートが風に揺れる。
 呼吸一つ分の沈黙。
 気持ちを切り替えるように、獏良はあはは、と笑った。
「でもね、もう大丈夫なんだ。解決方法を見つけたから」
「解決って…… 何をするつもり? まさか、バクラくんと同じようなことをしようって思っているんじゃないよね」
「悪いことなんかしないよ。ボクはそんなことに興味ないもの。
 したいことはね、やり直しなんだ」
 やりなおし。
 繰り返して二度、獏良は言った。
 黄昏が夜の裾を引きずって、あたりの闇が濃くなり始める。灯るオレンジの光がやけに目立って、世界はくっきり、光と暗に別れている。
 獏良の立っている位置に、光は届いていなかった。
「そのやり方を、ボクは知ってた。お墓を作ったそのすぐ後、思い出したんだ。前にバクラが教えてくれていたこと。ずっと昔、あいつと仲良くなり始めた時に、心の部屋で」
 不穏な空気に、遊戯はごくり、唾を飲む。
「強い思いが、いないものをいるものに変える。その時のたとえ話は、口裂け女とか、そういう都市伝説だったんだけれどね――そういうお化けみたいなのがいるとかいないとか、そんなのは自分の視点次第なんだって。目にした人にとって存在したら、それが本当。
 バクラは言ってたよ。
『結局最後の決め手になるのは、てめえ自身が見たと感じたかどうかってだけだ』」
「バクラく…!?」
 最後の言葉は、まるでバクラのそれだった。ぞくりとした遊戯が見開いた目の先に一瞬、バクラの影が映って消える。
 獏良はもう一歩、前に進んだ。
「『境界線を越えて形のないものを自分の側に引っ張り込んでんのは、何て事はねえ、てめえ自身の所為なんだよ』」
「キ、キミは、獏良くん……? でも……」
「似てるでしょ、ボク」
 けろり、と変えた表情は、声は、獏良のものだった。
 遊戯は混乱する。今目の前にいるのが誰なのかわからない。たしかに獏良であるはずなのに、喋り方が、雰囲気が、まるっきりバクラだった。
 バクラが獏良のふりをしていたことがあるのは、もう知っている。その時もしっかりと騙されていたものだが、逆のパターンが起こることを考えたことはなかった。
 異様――否、異常だ。
 獏良了は、何か違うものに、成ろうとしている。
「そう言っていたバクラの言葉を、ボクは信じてる。でもね、ボクだけじゃ足りないみたいなんだ。ボクがバクラを信じても信じても信じても、心の底から祈っても、あいつは現れなかった。
 どうしてだろうって、思ってね。
 それで、わかったんだ。足りないんだって」
「何が、足りないって……」
「情報と、思い、かな」
 獏良は言う。穏やかに、そして、絶対的に。
「ボクはバクラのことを何も知らなかった。知りたいって思っていたけれど、結局知れないままだった。そんなボクがあいつのことをいくら思ったって無駄。存在するには情報量が足りないんだ。
 だから皆に手伝ってほしい。ボクが知らないバクラを知っている人たちに、バクラのことを思い出して欲しい」
「誰も忘れてなんて!」
 遊戯は叫んだ。階下にも響きそうな声で。
「ボクらだって、城之内くんたちだって忘れていないよ! 敵だったけれど、絶対忘れるはずがない!」
 紛れもない本音だった。ただ囚われるべきではないことを、再三伝えた主張を、遊戯は繰り返して訴える。
 されど獏良の心を動かすことはかなわなかった。全く動じていない様子で、青い瞳は遊戯を見据える。どんな言葉も、獏良を揺さぶることは出来ないだろう。それこそバクラが語り掛けない限り。
「皆、バクラがいない世界に向かって歩いてる。過去のことにしてしまう。忘れようって思ってなくても、きっと忘れてしまう。
 それじゃ駄目だ。もっとバクラのこと思い出して、バクラのことを考えてよ」
 ゆっくりと、獏良は左右に首を振る。それは拒絶であり、彼岸の笑みだ。
「キミたちの思念をボクにちょうだい。そのために、ボクはこんな恰好をして、バクラのふりをしてるんだから」
「……ボクらに思い出させる為に、キミはこんなことをしてるのか」
 遊戯くんたちだけじゃないよ、と獏良は答えた。
「学校休んで、この格好でね、家の近くをうろうろしたりしてるんだ。噂になってくれればいいって。
 町の人がもしかしたら、前にボクの身体を使ってた時のバクラを見ていたかもしれない。それで思い出すんだ、ああこの人前に見たぞ、とか、コンビニで買い物してた、とか、そういう些細なので構わない。
 誰かがバクラのことを思ってくれたら、またひとつ、バクラの欠片が集まるから」
 ぞっとするような、饒舌な語りだった。
 矛盾がないように感じられるからたちが悪い。この喋り方はどこかで聞いたことがあった。遊戯は瞳を斜め下に向け、記憶を遡って――すぐに気が付いた。バクラの甘言に、良く似た口ぶりだった。
 彼は人を騙すことが上手かった。基本的に人を疑わない遊戯や城之内が相手だったからということもあるだろうけれども、それを差し引いても二枚舌はよく動く。不確定な物事を断定的に語ることで、相手を上手に信じさせてしまう。
「これは儀式みたいなものなんだ」
 飲まれまいとする遊戯に、獏良は更に語った。
「皆がもう居ないって言うバクラをボクが演じることで、皆の意識にそれが生まれて、そしていつか、影がアスファルトから剥がれるみたいにして一人歩きを始める。ボクはその為の土台作りをしているだけなんだよ」
 おかしなことなんて何もない。
 そう物語る眼に偽りはない。悲しいほど一途に、故の狂気でもって、獏良はバクラを望んでいた。
「それに、いつかバクラが現れてくれるなら、それはきっとボクの中だ。ボクはあいつの器だもの。だからバクラが入りやすいように、ボクはこれからもずっとこんな風に、真似っこをするよ」
「もし、もしも、獏良くんが言うように、バクラくんが帰ってきたら…… キミはどうするつもり?」
 バクラという存在。ゾーク・ネクロファデス。
 再びあの戦いが再発する危惧をしないわけがない。もちろん、獏良が語る夢物語が実現するかなど心から信じられないけれど、遊戯は今までに数えきれない奇跡を目にしてきた。そしてそれは、強い思いや願い、友とのつながり、そういった目に見えないものの力によって叶えられてきた。
 向かうベクトルは違っていても、獏良の純粋な狂気は、性質と同じとするものだ。ならば――
「怖い顔しないでよ、さっきも言ったじゃないか、悪いことなんかしないってば」
 警戒する遊戯に、獏良はぱたぱたと手を振って否定した。ただ会いたいだけ、やり直しがしたいから、と続けて。
「ボクはあいつのことを何にも理解できなかったから――もう一回最初からやり直したら、きっと全部うまくできると思うんだ。ボクのことを一番よく知ってるバクラを、ボクが一番知ってる、そんな風になりたい」
 この言葉にもやはり嘘は見当たらなくて、遊戯は余計に困惑した。
 悪事を為そうとしているなら、正義でもって止める為に力を尽くす。アテムがいなくても戦えることを、自分自身で信じているからだ。
 だが、こんな、哀れを誘うほどの恋情と狂気には、何を以て立ち向かえばいい?
 絶対に間違っていると思うのに、何が間違っているのか、言葉にできない。
 ただ、好きな人にもう一度会いたい。それだけのこと――
(どうしたらいいんだ)
 頭を抱えて座り込んでしまいたい。どうしたらいいのか、遊戯にはわからなかった。あのエジプトの旅、最後の試練を乗り越えた強さを、確かに自分は持っているはずなのに。
「獏良くんは……何で、ボクにそれを話してくれたの?」
「遊戯くんなら、わかってくれる気がして」
 迷いなく、獏良は言った。
 まっすぐに、遊戯を見つめて。
 心の底まで見透かすような、深い――青色をした闇で。
「もう一人のキミを取り戻せるって知ったら、遊戯くんも、そうするでしょ?」
「ボクはっ……」
 また一歩、獏良は踏み込んでくる。
 遊戯は即答できなかった。
 底冷えた青色に呑み込まれえた遊戯の、赤い瞳が揺れる。アテムが光の向こうに去っていく時、あの時の風景が強制的に思い出される。泣いて、堪えて、そして見送ったのだ、一度だけ振り返って、二度目はなかった彼の、尊敬すべき背中を。
 迷った、わけがない。
 すべて納得し、すべて受け入れ、そうであれと願った。アテムの未来と自分の未来は永遠に重ならないのだから、互いに一人の存在として、進んでゆくことが正しいのだと。
 揺らぐなんて、今まで一度もなかった。
 なのに遊戯の心の底、誰も訪れることのない心の部屋に沈められた寂寥が、獏良の言葉で、微か、揺らされて。

 ――ああ、もう限界だ。耐えられない。

「ごめん、獏良くんっ……!」
 腕を伸ばせば届く距離まで近づいていた獏良に背を向け、遊戯は逃げ出していた。
 螺旋状の非常階段を、一目散に駆け下りてゆく。昇ってきた時よりももっと必死に、一刻も早くこの場所を離れる為に。
(だめだ、駄目なんだ、お願いだから揺らさないで)
 薄い胸を押さえ、遊戯は逃げる。
 沈めた想いを、もう誰にも触れられないように。
 助けるべき友人を、助ける術を見つけられないまま――遊戯は駆けた。
 黄昏を過ぎて夜になった童実野町に響く、声無き思いは痛々しい。だが誰一人、彼の痛苦を知りえない。
 恋を知った夜に流した獏良の涙も、かつてのバクラの独白も、遊戯の戸惑いも――おしなべて同様に。
 密やかな慟哭は、誰の耳にも届かなかった。

「遊戯くん、行っちゃった」
 ぽつんと一人取り残された獏良は、残念そうに呟いた。
「おかしいなあ、絶対わかってくれると思ったのに」
 彼は自分と同じだと、理解してくれると、実は期待していたのだけれど。
 どうやらそれは間違っていたらしい。肩を竦める獏良だが、しかしさほど落ち込んだ様子ではなかった。
「やっぱり、バクラ以外にいるわけないか。ボクの気持ちをまるっとわかってくれる人なんて」
 ねぇ?
 と、獏良は自分の胸を見下ろして言った。
 幻の千年輪は見えていない。語り掛けているのはもっと内側、もっと奥にある、心に空いた虚穴だ。いずれバクラが戻ってきた時の為に空けてある、大きく深い闇へ向けて、獏良はいとしげな視線を向ける。
「バクラだったら、こういう風になることも予想できてた? お前がいたら、遊戯くんに話しても駄目だって、先に教えてくれたかな」

 ――教えてやったさ、当たり前だろ。

 ふ、と、聞こえた声はバクラのものだった。
「バクラ!?」
 遊戯との会話では一度も声を荒げなかった獏良が、叫ぶような声を上げた。
 今確かに聞こえたのだ、バクラの声だった。
 獏良はまず胸を見下ろし、制服のボタンを毟り取って傷跡を見た。何も変化はない。まさかとあたりを見回すが、階段にも、エレベーターの脇の影にも、バクラの声の発信源はなかった。
 外からではない。肌の上でもない。
 それなら――内側からだ。
「バクラ、ねえバクラ、いるの!?」
 必死になって呼びかける。しかし二度目の声は聞こえなかった。
 幻聴、とがっかりしかけて、それは違うとすぐに気が付く。
「……『プラシーボ、幻覚、妄想、名前はどうだっていい』」
 肝心なことは、自分自身でそうと感じたかどうか。
 バクラが教えてくれたことだ。そうして、信じて行っている計画の、もっとも基本的なこと。
 今聞こえたバクラの声を、獏良が疑えば、それは幻になる。
 信じるものは救われる――の、だから。
「……っ!」
 こみあげてくる喜びに、獏良は唇を真っ直ぐにしたままぷるぷると震えあがった。
 白い頬がばら色に紅潮し、全身の毛穴がそっくりかえってしまいそうな歓喜が噴き出てくる。もうこの場で踊りだしてしまいたい。自分のやってきたことは間違いではなかったと、成果を感じた瞬間の快感は絶頂すら超えていた。
「やっぱりだ、そうなんだ、続けていたらいつかバクラは帰ってくるんだ!」
 確かに聞こえた懐かしい声を抱きしめ、獏良は飛び跳ねながら自宅に向かって歩き出した。
 外で大声を上げていたら迷惑になってしまうし、この姿のまま獏良でいるところを人に見られてはならない。そうだ、こういう時、バクラはどう笑うか、そうやって考えることも大切だ。何せしばらく、獏良はバクラにならなければならないのだから。
「ええっと、あいつ結構変な笑い方してたよね……あはは、じゃないな、ひゃはは?」
 まねて笑ってみると、思ったより似せることが出来た。調子に乗って高らかに、獏良は――バクラは、笑ってみる。
 気持ちがよかった。幸せだった。
『良く出来ました、宿主サマ?』
「おほめに預かり光栄だよ、バクラ」
 一人会話はまだまだ空しい。されど実現が決まっているのなら、それもまた笑い話だ。
「もっと頑張らないといけないよね。もっとバクラっぽくなって、いろんな人に思い出してもらわなきゃ。
 バクラらしいことっていうと……やっぱり悪いことかなあ」
 首を傾げ、まるで夕飯のお惣菜でも選ぶかのような気軽さで獏良は悩んだ。
「遊戯くんにはああ言ったけど、そういうのも視野にいれないといけないなあ。恐怖の伝播はすごいんだってバクラ言ってたし」
 何より、バクラが戻ってきた時に、そうした方が胸を張れそうに思えた。お前の為にこれだけのことが出来るんだよ。そう伝えたい。言葉よりも事実で、揺るぎ無いこととして伝えたい。
「ま、いっか。洗濯してから考えようっと」
 一人暮らしは家事に忙しい。すでに夜の帳が下りた空を見上げ、獏良は自宅のドアノブを掴んだ。
 いつか、一人ではなく二人暮らしに戻れる。
 近い将来に訪れる素晴らしい未来を夢見、獏良は密かにはにかんだ。
 心からの幸福を表す笑顔は、バクラが浮かべる皮肉な笑みとはまったく違っていたけれど――
 瞳に宿った狂気の色は、同じ。
 獏良了の青い瞳は、蝉の絶唱を高らかに歌い上げて消えた男の瞳にあった狂気と、全く同じ色をしていた。