凍える師走に走らぬJEUDI

極寒の吹雪の中、指の先に氷が張りついて、そこから身体中の体温を奪われ続けている――ような、錯覚。
 実際のところ、ここはあり得ない冷え込みを記録し続けている十二月の寒空の下ではないし、暖房をつけてもなお冷え込む獏良家のリビングでもない。恐らく獏良が認識している上でいっとう寒い場所である心の部屋だ。
 心の部屋は獏良の一部。暖かくなれと願えばそうなってくれてもおかしくないのだけれど、そうそう己の心をコントロールできるはずもない。望んだものがぽんとでてくるような夢の場所ならよかったのにと思う。 物語に出てくるような、赤々と燃える暖炉――あれはペチカというのだったか――を想像し、よりいっそう寒い気分になる。
 現実の世界、つまり獏良が身体を置き去りにしてきたリビングにはペチカはなくとも家庭用ヒーターがある。こんな場所で膝を抱えて座り込んでいないで、ささやかな熱風で手をあぶるほうがよほど、この冷たい手と鼻先に優しいに違いない。
 そう分かっていても移動しない理由は、背中にいるもう一人。
「寒いよ」
「なら帰れよ」
 そんな風にぞんざいに返事を投げてくるバクラがいるからだ。
「ここにいても寒くなるだけだぜ。つうか邪魔だ、戻れ」
「何、ボクがいると都合の悪いことでもあるのかな」
 また悪巧み? 預けた背中に体重をかけると、舌打ちをひとつ頂いた。ち、と、暗闇によく響くその音以外に、言葉はない。
 会話のない空間は嫌いだ。獏良は痺れる指先を動かしながらつまんないと口を尖らせた。
 へっぷし。語尾に続いてくしゃみがひとつ。凍る手で凍る鼻を擦ってみたけれど、そもそも指が痺れているのできちんと拭えているのか分らなかった。
「心も風邪ってひくのかなあ」
 続いてもうひとつ、へぷし。今回は尾骨から背筋へと上向きに伝わる寒気つきで。
 背中を合わせたバクラにもその震えは伝わっただろう。しばらくの沈黙のあと、二回目の舌打ち。ふと体温が遠のき、振り向くとバクラも身体をこちらに向けていた。思わずこんにちは、と、久方ぶりに見る顔にご挨拶。バクラは大層面倒くさそうな顔で獏良を見返し、やおら、手首を掴んで引き寄せた。おぶ。相手の肩辺り、白い髪の滝に顔をつっこんで変な声が出る。
 あれれこれは一体どういうことだろう。何でボクは唐突にバクラに手首を捕まえられて抱え込まれているんだろう?
「バクラ?」
「受動態もほどほどにしな」
 してえなら偶にはてめえから上手に誘ってみろよ――と、バクラは耳の近くで云った。
 えっとこれはどういうことになっているのかな。寒さでぼんやりしてきた頭で獏良は考える。こうやって身体と身体と引っ付け合うのはいわゆるアアイウコトをする流れなのであって誘って云々ということから考えても間違いない。けれど上手く誘えって、そもそもそういうことをしたくてここにいるのではないのだけれど。ただ、リビングで一人過ごすよりも誰か他人がいる場所の方が気持ち暖かいと感じるから何の用もなくここに来ただけ、なのだけれど。
 何をどう受け取ってバクラはそういう流れだと判断したのだろう。ぐるぐるぐる。わからないまま黙っていると、ぬるり。凍りついた指先に暖かい粘膜が触れた。
「ひゃ!」
 思わず肩をびっくりさせると、色気のねえ声だと指を口の中に突っ込んだままバクラが云った。それ単体で生命を持っているかのように滑らかに動く舌先が、中指を丁寧に舐っていく。温い筈の舌は冷たい指には焼けるように熱く感じられて、けれど舌先もすぐに指に温度を吸い取られてぬるく変わる。人肌の温度がつるりとした爪の上を這い、深爪が過ぎるが故に痛む爪と皮膚の間まで可愛がってくれる念の入れようだった。そんな風に甘やかされては、なかったその気がむくむくと起き上がってしまうから困りものだ。
(いや、困りはしない……かも)
 バクラの吐いた息が唇の端から漏れて掌までも温める。現実ならきっと白く大気を濁らせる二酸化炭素は、この場所では色づかない。
 少し身じろいで顔を上げると、丁度、中指の付け根から先端まで舌先で辿り上げ終わったバクラと目が合った。少し上目になる青く鋭い視線に、ぞくり。寒気とは違う熱が背中を這う。それなのにバクラの鼻の頭も自分と同じようにかじかんで赤くて、それが妙に可愛らしかった。
「……ンだよ」
 不機嫌そうに鼻を鳴らされても、その鼻が赤いのではさまにならない。ぷす、と噴き出すとバクラはますます嫌な顔つきになって指の先を噛んできた。お返しに獏良も、バクラの鼻先をかぷり。驚く表情を見て思わず笑う。たったそれだけのことで、身体の表面ではなく内側がぽつんと暖かくなるのから不思議だ。
うっとり目を閉じて獏良は思う。
(やっぱり、二人ならあったかいや)