【同人再録】HOLE-3【R18】
2.
――二日前。
そして、計画は見事に上手くいった。
散々まぐわった後、お互いに意識の灯りを落として眠りについた昨夜――明け方にもなろうか。目覚めた時、獏良の身体は当然バスタブの中にあった。
濡れて張り付いた服は中途半端に生乾いて、確実に体温を奪い氷のように冷えていた。体温を測るまでもなく、熱を出している頬は青ざめて、しかし内側から赤く色を透かす。ぶるりと震えた肩からして、寒気も覚えているようだ。
重たい瞼を開いた獏良は、だるそうにバクラを見上げた。
バクラもまた浮遊する形でその様子を眺めて。明らかに不調を訴えている顔色の悪さのまま笑う獏良に、呆れた表情を返してやった。
「成功した」
と、熱っぽい吐息を吐き出して、獏良は云う。
何とかバスタブから這い出し、濡れた服を脱ぎ寝間着に――風邪をひくことを前提に、着替えもきちんと前日のうちに用意していたのである――着替え、身体はばたんと自室のベッドへ倒れる。
時計の針が示す時刻は午前七時半。この時間にベッドに向かうということは、すなわちそのまま学校は休み。連絡しておかなきゃ、と呟く唇は、熱の所為か乾いていた。
「上手くいって良かったじゃねえか」
口ぶりはものすごく適当に、バクラは云う。当たり前だ、別に興味などないのだから。
獏良がうまく風邪をひこうが、はたまた失敗しようが、バクラにはさほど関係がない。ただ嬉しげなのは好都合だと思う。不機嫌な獏良はバクラに八つ当たりをする。もし失敗していれば、無関係のバクラにも当然被害があっただろう。ならばこれは、お互いに喜ばしいことだ。
柔らかい枕に頬を擦りつけ、しかし獏良は唸り声を漏らした。
「ぐるぐるして、ぐらぐらして、気持ち悪い」
「典型的な風邪の症状だな。そうなりたかったんだろ」
望んで手に入れた結果だというのに、声は不満げだった。全くどこまで自分勝手なのか。
ベッドで丸くなる獏良の斜め上、無重力が故の配置でバクラは己の宿主を見下ろす。
鼻先まで羽毛布団を引き上げ、とろんとした青い目と白い髪だけしか外気に触れていない。それでも寒いのか、偶に髪の向こうの耳や肩が震える。こふん、と小さな咳が零れ、音は元気なくシーツに沈んだ。
まどろんだ瞳は、まぐわっている時のそれと似ている。昨日、見飽きるほど目にした瞳の色。
大きな目玉がそのままとろけて零れてしまうのでは、というほど潤んだ、熱に浮かされた目。そういう色は嫌いではない。
もし少しでもバクラが空腹を覚えていたなら、有無を言わさず心の部屋に連れ込んでたっぷりと甘い汁を吸わせて頂いていただろう。それくらい、旨そうな色をしていた。
生憎、腹は八分目どころか満腹のその上だ。当分、摂取も接触も必要ない。
しかしバクラはふうわりと空間を泳いで、触れられない手のひらをするりと獏良の頬へ滑らせた。
「まともに療養しちまっていいのかねえ」
「へ?」
「おいおい。本当に休みたいのは明日じゃねえのかよ」
撫でられている意味が分からず、獏良は不思議そうな表情でバクラを見上げる。
指先に乗せるのは昨夜の残滓。腹は減っていないけれど、熟成の計画は存命だ。
「そんなぬくぬくしてっと、明日の朝には治っちまうかもしれねえぜ」
「そんなわけないだろ。だってすごい具合悪いんだよ」
「どうだか」
「また嫌なことばっかり言う」
「そうやってまともに喋れてんだ、今からぐっすりお休みしちまったら、一晩でけろっと完治したっておかしくねえ。まだまだ油断できねえと思うけどなァ?」
ま、オレ様には関係ねえな。
わざと冷たい口調をなぞる。さらりとそう云って、バクラは触れるふりの手を離した。去り際の余韻を残した指先が空中を踊る。
その軌跡を、獏良はぼんやりとした目でじっと追った。バクラの云っていることを理解するのに時間がかかる、その程度には、頭はいい感じにぼやけているようだ。
「……じゃあどうしろっていうの」
やがて、尖った唇が不満そうに呟いた。
「寝ないで起きてろっていうの? 無理だよ、ほんとに気持ち悪いんだ」
それでなくとも、夜通し精神で交わり合った分の疲労が溜まっているのだろう。暗にそのことを訴えて、睨むような目が瞬きをひとつ。
「それにまた寒いとこで丸まってるのはやだよ。これ以上ぐらぐらしたら死んじゃうかもしれない」
「アホか。その程度じゃ死なねえよ」
「なら他に方法がある? 昨日みたいに心の部屋に行ったって、ボクが具合悪いのは変わらないじゃないか」
「だったら気持ち悪いまま気持ち良くなりゃあいい」
ココで。
――と、バクラの指が、ベッドを指さした。
「……?」
理解できない、獏良が布団の中で首を傾げる。
「別に部屋に行かなくなっていいんだぜ? それに、宿主サマは指一本動かさなくて結構。優しい優しいオレ様が、ゆっくり眠れないようにしてやるよ」
「何それ。楽しいお話でもしてくれるの?」
「お話よりもっと楽しいこと、だな」
どうだ乗るか、という意味を込めて、バクラが唇の端を持ち上げる。
獏良の目が疑わしげに、布団の隙間から彼を見た。
そして沈黙。
答えが無いのは了承の証だった。単純な奴だと内心思いながら、またバクラの高度が下がる。
実際に肉体があれば口と口が触れてしまう、そんな距離で、バクラはまるで吸い込まれるように現実の世界から消えた。
「……?」
布団の下、寝間着のその下の千年リングが怪しくきらりと光ったことに、潜っている獏良は気が付かない。
「バクラ?」
呼び掛けても、声はしんと沈む室内に空しく響く。
急に姿を消したバクラを探して、瞳が左右上下を彷徨った。
「どこ行っ……」
どこ行ったの、の語尾が、急に窄まる。
獏良の身体に不思議なことが起こったからだ。
「――な、え?」
動かしたつもりなどないのに、指がびくん、と、布団の中で跳ねた。唐突な現象に、熱でぼやけた声が不安を映す。
獏良の見ている先で、手はゆらり、泳ぐように動いた。じわりじわり、羽布団の上までずり上がってくる。自分の手なのに、そこへ動かす意思は乗っていない。けれどおどける仕草で踊るそれの筋肉の動きや感触はきちんと伝わる。
当たり前だ。動かしているのはバクラなのだから。
『どうだ、自分の身体がてめえ以外に動かされてるのを見るのは』
ご気分いかが、と、バクラが云う。その声は獏良の頭に直接響いた。
獏良の動揺もまた、バクラに伝わる。肉体を一つとして精神を二重にかさねるのは、互いの違和感と気分の悪さを増長させた。仕掛けた本人のバクラはそうでもないけれど、いきなりコントロールを奪われた獏良の方は倍掛けの不快感を得る。う、と唸った唇が気分悪げに小さく歪んだ。
「何考えてるんだよ。余計気持ち悪いよこんなの」
『そいつは結構。せいぜい気分も具合も悪くなりな』
「話が違うじゃないか、気持ちよくっていう部分はどこにいったの」
『安心しな、これから良くなる』
宿主サマはそのまま寝てな。
くふ、と嫌な感じに笑って、云ってやる。
不安そうな獏良の表情を見られないのが少し残念だが、こればかりは仕方が無い。都合のいい場所に鏡はないのだ。
ゆらり。また揺らせたバクラの意思が手を動かす。
手始めに、軽く柔らかい羽毛布団を剥いだ。滑り込む冷たい室温は二人の体感気温を一気に冷やして、一緒にぞくりと首筋を震わせる。
温まっていては意味がない。それにどうせ、これからたっぷり汗をかくことになる。
寒いよと文句を云う口は無視をして、バクラは更に手を移動させた。きちんと一番上まで止められた寝間着の釦を、ぷつん。軽い音を立てて外していく。
「な、」
驚いた獏良が声を上げても、これも無視だ。
ぷつぷつと音を立てて外して、熱の所為で火照った肌を外気にさらしていく。
ひたりと肌に触れたところで、獏良は漸く思惑を理解したようだ。何もかもが遅い。中指の先からつう、と、首筋から鎖骨へ、指を滑らせる。
「んっ……」
触れ方は心の部屋でしっかりと慣れさせたそれ。バクラの感覚としては、自分で自分の肌を辿ったことになる。
獏良の方は、自分の手であるにも関わらず他人に触れられた時と同じ感覚を覚えるはず。思った通りふるりと震えた肩は、寒気の意味を含んでいない。
「何考えて……」
『気持ち良くしてやろうって云ってんだよ』
「こんなのちっとも気持ち良くなんか……!」
『本当に?』
ウソツキ。
と、自他共に認める嘘吐きの自分がそう云ってやった。嘘吐きは嘘を見抜くのだって得意だ。まあそんな勘繰りをしなくとも、身体の反応だけで十分、唇が裏腹を吐いていることは分かるけれども。
『頭がついていかねえなら、何も考えなきゃいい』
「でも」
『好きだろ、気持ちいいの』
「気持ち良くなりきれない気持ちいのなんて、たのしくな、あ、」
云い切りたい唇を唇で塞げないのは不便だ。代わりに鎖骨から胸まで大きく手のひらを這わせて黙らせる。
ふつりと触れた胸の色づきに、指の腹が引っかかる。そこを弄られるのが嫌いではないと知っているから、あえて見逃し肋骨を撫でるだけ。
「ん、ぅう……」
ざわざわと這う手のひらに、快と不快の両方を刺激され、獏良は苦しげな声を上げる。
抗う為に手指に力を込めていることは操り手のバクラにも伝わった。痙攣するように震える指先が、這う動きに微細な振動を与えて――それでは逆効果だ。いっそうじれったい動きにさせていることに、獏良は気が付かない。
「や、だ、やめて、ほんとに気持ち悪く、なるっ」
ひくひく、と続けて喉を震わせて、獏良が云う。
そんなほら吹きの唇は、甘い悲鳴だけを上げていればよい。
一度肋骨まで下げた手に加えて、左手を腹の上に置く。腰辺りから胸まで、居もしない誰かに見せつけるように身体を撫ぜる。這い上がる指がまた、乳首を掠めた。
「あ」
明確に、もどかしい声が上がる。
見逃すバクラではない。今回は通り過ぎず、軽く引っ掻いてやった。
「ぅあ……!」
そのまま、抵抗を抑え続けて詰っていく。親指と中指で摘み、まだ柔らかいその芽を人さし指で捏ねまわす。そうされるのが好きなように仕込んだ身体は、陥落もまた早かった。
自由を奪っているのは手指のみで、喉や足は獏良の意思で震えたり跳ねたり忙しい。中途半端に剥いだ羽布団の中で爪先が彷徨い、しゃらしゃらと衣擦れる音が朝のベッドに不釣り合いないやらしさを演出する。
『ココ好きだもんなあ、宿主サマは』
「うるさ……」
『女みてえにビクビクすんの、我慢できねえんだろ』
しなくていいぜ、と云ってやった。どうせ誰も見ていない。ここには二人、いや、一人しかいない。
両の手指を使って、二つある色づきを同時に責め立てる。たまらなさを表すように、支配を逃れた腰が揺れた。
「や、あ、それ、あ」
『あァ、舌でされるのがお好みで?』
「んぅっ……」
首を振るのが肯定なのか否定なのか、二重の身体ならばすぐにわかる。この動きに意味など何もない。
獏良自身にもどうにもならない熱が首を振らせる。舌も指も、どちらにでも弄られるのが好きなのだから。
『片方ずつ違う弄られ方がイイってなら、リクエストにはお答えできねえな』
「べ、つにそんなこと、云って、ない」
『物足りねえ?』
「ちがう、っ」
『そりゃあ結構』
苦しげな声と愉しげな声での問答は続く。その間にも指は忙しない。
柔らかさがなくなり、硬い芯を持った乳首は捏ねられすぎてひりひりと痛みだした。バクラもそれが分かる分、丁度いい苛め方ができる。
触れているバクラだって同じ疼痛を感じているのだ。雌のようにそこへ自分で触れたことなど、少なくともこの数百年の間は覚えがない。
忘れかけていた自慰の感触に、バクラも奇妙な気分になってくる。この身体は自分のものではないと知っていても、同じ疼きを二人で分け合った。
「んん、ぅ、う……」
快感と不満を多分に含んだ声が甘い。
じわりと奥から濡れるような疑似感覚がいっそうもどかしくさせる。弄り続けるにつれ掻痒感に似た痛みがぴりぴりと増してきたので、バクラは尖った先端を、労わるように指の腹で撫ぜてやった。
「は、あ……」
どこかほっとしたような吐息。同時に物足りなさも滲む。
息をつく暇など与える気は無い。バクラは左手をそのままに、右手を再び腹に沿わせた。肉の薄い、皮膚一枚むこうの骨の並びや内臓が分かりそうな肌を撫でて、するりと滑り込むのは寝間着のズボンのあたり。
長年使い続けてウエストの緩いそこを潜って、指先が侵入する。下着も押しのけて直接触れる敏感な下肢、ゆるい反応もしていない性器の周りを、悪戯にさすった。
「んっ、や、」
『や、はねえだろ。気持ち良くしてやるって約束、これしきじゃ果たせてねえしよ』
いくら嘘吐きでもそれくらいは守ってやろう。という意地悪は手指にのせる。爪の先に触れる柔らかい茂みを通り過ぎ、まだ湿り気も僅かなそこを軽くひと撫ぜ。ひくん、と喉が震える。
「こんなの、変、へんだ」
『何が変だ。心の部屋でヤってる方が、常識としちゃあよっぽどおかしいんだぜ』
「へ、屁理屈っ、云うなっ」
『何だかんだ理由つけたがってんのはてめえの方だろ。ただのオナニーだ。しかも自分で動かなくていい、一番楽な方法だぜ』
ひとつひとつ、言い訳を潰すバクラの声には笑いが含まれていた。バクラにとっても久しい自慰に、快楽主義の部分が喜んでいるのが分かる。
直接触れずに、足の付け根、腿の内側を辿る。他人にされているように自分でする倒錯感が堪らない。戸惑う獏良の地続きの感情も美味だ。
半萎えの性器を掴み、まるで虫が這うように辿り上げる。反射で、腰が甘やかに竦み上がる。
「あ、く、」
動きは蜘蛛に似ていた。ぞわりと悪寒、そして快感が昇る。バクラもまた湿り気を混ぜた息を吐いて、その吐息は獏良の耳元で吐き出されたかのように深く響くはずだ。
まるで心の部屋で、いつもそうしているように。
そう思えば楽になると思ったのか、ぎゅっと獏良は目を閉じた。暗闇を作ってしまえば場所など関係ないし、これは他人の手だと思えばいいと。
だがそうさせない。介入させた意思で、瞼を無理やきこじ開ける。
『目ェ瞑んなよ』
ぼそりと云い聞かせ、つまらない抵抗をしたお仕置きにぐりりと先端を軋る。
「ひゃう、ッ」
『いつもと同じにしちゃあつまんねえだろ。楽しめよ』
ぶんぶんと首を振る動きが、いつになく困惑を含んでいて楽しい。こんな風に素直なのは、やはり具合の悪さが影響しているのだろうと思う。日常では常に斜め上を行く思考、行動が抑制され、まるで普通の人間のよう。新鮮でこれもまた良い。
『ちゃんと認識しな、てめえが今、どんな格好になってんのか』
耳孔に囁くつもりで、声は低く。
想像させたいのだ。早朝の自室で、ベッドを乱して自慰をする姿を。釦を全て外した寝間着の間に手を差し入れ、つまんだ乳首をこねくり回しながら、もう片手をズボンに突っこんでいる。もそもそと不穏に動かし腰を震わせている様子を自覚させたい。
なんてみっともない姿だろう。天井に鏡でも張っていれば目に見せて、弱っている今だけ有効になる羞恥心を煽ってやれるのに。
それが出来ないのなら、教えるのは言葉でしかない。
想像しろ、思い浮かべて、眼球に映せ。
そう命令した瞬間、獏良は頼りない悲鳴を上げて大きく腰を捻った。
「あぁ、っん、ぅう……!」
いい具合に性感が育ってきているようで、己の想像に煽られたのだとすぐに分かる。
『いやらしい奴』
滴るほどの揶揄も効く。や、と唸った唇は、風邪の所為で渇いていたはずなのにしっとりと濡れていた。
裏側の筋を丁寧になぞって、辿り着く先端を指の腹でゆるゆると弄る。小さな窪みに短い爪を引っ掻けて、痛まない程度に刻むと我慢できない声が漏れた。
獏良も、バクラも――だ。