【同人再録】HOLE-6【R18】
お前があんなことするから――と云いたいのだろう。それに関しては身体で謝っているのだから、いつまでもねちねちと云われる筋合いはない。大体てめえだって口で何だかんだいいながらきっちり感じてたじゃねえか。
という言い返しも、矢張り口淫で返すことにした。
先端に唇を当て、食みながら吸う。早いテンポで手を動かし、精をたっぷり汲み上げるのも忘れない。この肉の竿を伝って、欲望が吐き出されると思うと、手指の動きも丹念になるというものだ。尖らせた舌で放出の穴をぐりぐり広げて、出やすいように促して差し上げる。
「あ、んン、ァ、ひぅ、ッ!」
お決まりの、でる、という悲痛な悲鳴も無かった。二度目の射精は本人の意思の外で堰を切って、バクラの口の中へと勢い良く放出される。びゅくびゅくと連続して、幾度かに分けて吐き出されるそれを、バクラは今度こそ一滴も逃さぬように啜り上げた。
一回目に負けない、咽るくらい濃い精。だがそれがいい。
「は、ひぁ、ひ、っ……」
引きつけを起こした病人さながら、獏良が切れ切れの吐息を零した。
美味い。美味い。たまらない。
快感につながる食の満足感は、直接的な性行為よりも原初の意味で気持ちがいい。性感では得られない満足感に、バクラも思わず、生臭くも甘い溜息を吐く。
ねっとりと絡む体液は一度で飲み込みきれなかった。小分けにしながら、うっとりと甘美な欲を飲み干していく。
「ン、くぁ、」
吐いた息と一緒に、変な声も出た。
口の中の分を嚥下したら、糸引く口内から性器を逃す。竿を横から舐め上げ、辿り着いた先端でもう一度、ちゅるりと音を立てて吸ってやった。
「や、もう出な、っ」
それが嘘だと、バクラはよく知っている。
精を貯める膨らみを痛いほど揉むと、勢いのない精がまたひとつ、とろりと溢れて舌を濡らした。
「出るじゃねえか」
粘つく口内を楽しみながら、囁く。
「二日も頑張ったんだ。まだまだ、こんなもんで満足なんてするわけがねえよなあ」
「う……」
理性の崩落した目で、獏良がバクラを見た。
ああその目玉も刳り貫いて舐めてしまおうか。飴玉のように口の中で転がすことを想像して、ぞくぞくと背中から興奮する。
せめて舐めるくらいいいだろう。折っていた腰を伸ばし、しどけなく開いた足の間に圧し掛かって、バクラは青い眼のふちへと舌を伸ばした。
ぐぬり。白目の部分を、精の絡む舌先で舐める。
「やぁ……っ」
剥き出しの神経に粘膜で触れられ、痛みを感じたらしい獏良は濡れた瞬きで抗った。それ以上続けたら本当に飴玉にしてしまいそうだったので、バクラの方から引く。
ふと思いついて、唇を塞いでやった。
「んむ、ふ、」
そのまま、足同様に開きっぱなしの口内へご挨拶。ねばねばと糸を引く舌で舌を見つけ、擦りつけて味を教えて差し上げた。おすそ分け、だ。
「美味ぇだろ。ああ――宿主サマにゃ、わかんねえか」
この味が分からないとは、人間とはつくづく損をしている。そんな風にくっついた唇の間で教えてみたが、獏良は理解できなかったらしく、白痴めいた表情で首を傾げるだけだった。これではもしかしたら、明日には今日のことを忘れきっているかもしれない。まあそれでも一向に構わないのだけれど。
ともすれば横道にそれがちな思考を、軌道修正。
もう出ないと云った性器は、今度こそ、射精を終えて力を無くしていた。無理に扱けばまだ出そうだが、それには時間がかかりそうだ。
先に新しく、種付けでもしてやるか。
吐き出せばからっぽになってしまう獏良の腹の苗床を撫ぜて、バクラはふ、と笑った。
「なあ、宿主サマ」
「な、ぁに……?」
「さっきので、オレ様がてめえにしたコト、手打ちってことでよろしいかい?」
オレ様結構頑張ったんですけど? と、飯事の仕草で甘く云ってみる。
これも意味が分からないようで、獏良は黙ったままだ。
「許してくれるかって聞いてんだよ」
「ゆ、るす、」
「イジワルしたろ? もうしねえから、オレ様も気持ち良くなっていいってお許しが欲しいわけよ」
コッチで。と、獏良の腿に股間を押し付けて、笑み。
「たまんねえんだよ、なァ…… 宿主サマの中、味あわせて頂けねえ?」
呆けた獏良には、分かりやすい誇示がいっとう効く。ネガティブの波はまだ青い瞳の中で不穏に波打っていた。獏良が抱え込んだ、卑屈なまでの見捨てられ不安や欲されることへの貪欲な欲求に、こういうお願いは非常に効果的だ。
ん、と、獏良は小さく唸って、云う。
「バクラ、は、ボクのこと、ほしい?」
「ああ、欲しくてたまんねえ」
口では何とでも言える。それに全部が全部嘘でもない。食欲は大方満たされたが、一昨日放置したままだった中途半端な性の火はまだ熾火のままで燃えている。
食欲が満たされたら、次は性欲。
その為に、獏良が一番喜びそうな言葉を舌の上で練ってから吐く。
「くれよ、宿主サマ」
思った通り、獏良は濁った青い眼を喜ばしそうに細めて、いいよ、と、いろいろ足りない声で答えた。
「あげる、バクラに」
顔の筋肉の全てが弛緩して形成される、とろけるようなだらしない笑み。
そういう顔こそ好ましい。どうも、と中身のない謝辞をキスで与えてから、バクラは獏良の身体を、仰向けからうつ伏せに転がした。
「腰上げな」
そう促しても、両腕を拘束されたままの獏良は上手く身体を持ち上げられない。仕方なく手を添えて尻をひっぱりあげてやると、闇の床に頬をつけて腰だけを高く上げた、恐ろしくみっともない体勢が出来上がった。
「イイ眺めだぜ」
薄い尻を撫ぜて、囁き。
その薄い肉を左右に割り、目的の場所を晒す。裏側からだと間抜けに見える精の膨らみとその向こうの性器も、そして勿論、しょっちゅうお邪魔している直腸への入口も、隠すものは何もない。
獏良に理性や羞恥心が残っていれば、見るなと叫んでいたかもしれない。だが今彼の脳の中は、他人に欲しがられているという充実感でいっぱいで、排泄孔を晒されることにまで気が回っていない。
内側から赤く色を覗かせるその入口へ、バクラは舌を伸ばしていく。指で開いて慣らすよりもこうした方が早い。
「んっう……!」
窄まった縁を辿る粘膜の感触に、獏良がぶるっと反応する。思わず尻が揺れるのは単純な慣れのせいだ。
まだ振るなよと云ってやると、是とも非とも取れない鼻声が返ってきた。
両手の親指で入口を押し開き、狭いそこへとバクラの舌先がねじ込まれる。たっぷり唾液を流し込んで、それはもう溢れるくらい中身を濡らして差し上げる。折角、こんなにも心地よく爛れたセックスをしているのだ。痛いだのという無粋な文句を聞きたくない。
「ぁ、あ、うぁ、っ」
心の部屋は、現実の世界とは違う理で出来ている。肉体のしがらみは自覚しなければ知覚しない。不快だ、気持ち悪い、などと思わなければいいのだ――そして、慣れきった獏良の精神は、貫かれることで眩い快楽を得ることができるようになっている。特にこうしてとろけてしまった時は、欠片の違和も感じない。
ぐちゅぐちゅと滴る唾液が、入口から溢れて膨らみまで垂れ、闇の床に散る。まるで粗相をしたような様子がたまらなく卑猥だった。
「バクラ、っ、あ、ナカ、ぬるぬる、する、っ」
「そりゃそうだ、舐めてやってんだからよ――てめえの穴、たっぷり濡らして開いてやってんだ。分かるか」
「うん、っわかる、バクラの舌、入って、あ、」
すごいぞくぞくする――
上ずった声で獏良は云った。闇に頬を擦りつけ、白い髪を散らばせて。
「きもちいぃ……」
うっとりと、恍惚とした声だった。思わずこちらがぞくりとしてしまうほど、欲望まみれの蕩けた声。
そんな声を上げられるくらい、こいつの闇は育っているのか。永遠の宿主サマ、というのは揶揄でもなんでもなかった。こんなに相性がいいとは。
(ああ、惜しい)
咄嗟にそう思ってしまった。
獏良了はただの手駒に過ぎない。いずれ役目を終えたら切り捨てる、それだけの存在。
こんなに良い闇の苗床を持っているのに、いつか手放さねばならない時が来る。それをぼんやりと、勿体ないと思ってしまった。
たとえばこいつをこちら側に引きずり込んで、全ての計画に連れて行くことはできないだろうか。そんなくだらないことを、一瞬だけ考えてしまった。
(馬鹿馬鹿しい)
あり得ない、と、口の中で吐き出して、丸めて嚥下。言葉の代わりに、準備の済んだ性器を入口に押し付ける。
これは遊びなのだ、ただの戯れ、それだけ。
己に言い聞かせる。その勢いを、打ち込む動きに思い切り乗せてやった。
「はひゃっ!?」
何の予告もなしにぶち込まれた強直な熱に驚いて、獏良の口から裏返った声が出た。魚のように背中が反り、拘束された腕が軋む。
「ッ……!」
温む内部は相変わらずきつい。いくら慣らしても、ここが心の部屋でも、身体のつくりだけは変えられない――男の身体。
そんなことはどうでもいい。太い箇所を過ぎて、くびれを痙攣で締め付けられて、バクラは呻く――ああ、本当にこの身体は最高だ。
「っ入って、くる、ッ、あつい、ア、中にっ」
「宿主サマが、ッ、熱くさせてんだよ」
背中を反らせ、獏良はまるで奥へ誘い込むように腰を振った。こんなはしたない所作など仕込んでいないのに、勝手に覚えて、勝手に悶える。
とことん快楽に弱い獏良のその内部へ、バクラは更に押し進んだ。
「相変わらず、すげえ締め付けだなァ?」
ぐっ、ぐっ、と、一つの動きに勢いをつけて肉の道を割っていく。食い締める中の細かなおうとつがバクラ自身を熱く絡んで逃がさない。力任せの摩擦で、敏感な先端が潤み出す。獏良だけではなく、バクラもだ。
腰を捕え、進みながら顔を上げると、目の前には綺麗なアーチを描いた背中があった。中ほどの位置でひとまとめに括られた腕が生白く目に焼き付く。拘束するぬかるんだ闇があまりにも暗いせいで、余計に白く見えた。
その腕が、突き上げる度に痛ましく跳ねる。きつく結んだ拳の内側で、爪の先が手のひらに激しく食い込んでいる様まで見える。
あそこから裂けて溢れる血潮も甘いのか。後で試してやろう――そんなことを考えながら、一突き。
「あぅぁっ!」
また、びくん。大きく背中が躍る。
「てめえ、縛られてんの、すげえ似合うじゃねえか」
「ひゃ、ぅ、あ、な、に……?」
「拘束がさまになってるって話だ」
ひょっとして、こういうのもお好きで?
突き上げの合間の軽い冗談。の、つもりで質問すると、獏良は猫のような高い声を上げながら、わかんないと高く叫んだ。
「っかんな、けど、でも、あ」
「あん?」
「ちょっとだけ、ッ、いい、かも」
そう云って、獏良は無理に首をねじり、片目だけでバクラを振り返った。
青い瞳は濡れている。涙の所為で、興奮の所為で。
そして、その潤みの中でぎらぎらとどろどろと、うねって輝く光をバクラは見た。後ろから犯されている者が浮かべるものではない、ましてや被虐趣味のそれでもない。
ひどく深い安心の色、と、満足の色。
「にげらんないって、思う、から」
「何だ、逃げられるなら逃げてえのか」
「ちがう、っ、だって、バクラは、ボクを逃がしたくなくって、こうやって、縛るんでしょ?」
――そのくらい、ボクのこと欲しいって。
思ってるんでしょう、と、胡乱な舌先は嬉しそうに云った。
快楽が深すぎて酔っているのでもない、思いつきで適当に吐き出したのでもない、とろけながらもしっかりとした口調だった。
不覚にも、バクラは見入った。
なんと深く、なんと熱い、ぞっとするような熱。
今まで飲み込んできたどの欲望よりも濃い。
視線の先で笑みの形に歪む獏良の瞳の中に、バクラは、心の闇より底知れない穴を見た。
こうしてまぐわっているこの場所は、獏良の心の底の底、一番深い最深部。その獏良自身の目の中にまだ奥があった。
穴の中で交わって、交わる相手の瞳にまた穴を見る。その穴の中でも自分達が身体を重ねているような、奇妙なメタ構造を思う。それなら今こうして思考している自分自身もまた、瞳の中の存在なのかもしれない。
一瞬、飲み込まれた――ような、錯覚を覚えた。
闇そのもののバクラを飲み込む、無垢にして純粋、そして恐ろしいほど熱い願望。
獏良はただ寂しいだけだ。
たった一七年生きただけの、ただの人間。その間にどれ程の寂寥感を味わえば、こんな風に飢えることが出来る?
(否、そうじゃない)
獏良は飢えてすら、居ない。
飢えを自覚してすらいない。寂しい、その四文字で片付くだけの感情だと彼は思っている。その中身を覗いたことが無いのだ。
ヒトは自分の心の箱を開けられない。
バクラのような人外の存在だけが、その内部を垣間見ることが出来る。
箱は瞳の中にあった。
中身は穴だ。獏良の穴。
全てを吸い込む、ブラックホール。
「バクラ」
まるで恋人に囁くような、甘えた声で獏良はバクラを呼んだ。
動きが緩くなっていたことに気が付いて、バクラは短く息を吐き出す。捕らわれてはいけない。つとめていつもの意地悪な表情で、何だ、と云ってやった。
「ほんと、はね」
一定のテンポで揺れる腰に、言葉を切られながら獏良は云う。
「きっとね、バクラのこと、待ってたんだ」
「きてくれるって、」
「ボクが、さみしいから」
皆とうまくいかなくて、その原因はお前だけど、でもお前に来てほしいって思ってた。
「ああ――そう、だな」
そんなことは知っていた。分かっていた。
強い依存の波長がびりびりと頬を打つ。
来て欲しいから穴が開いていたのだ。会いたくないと云っても、それでも、探して欲しいから待っていた。
それはまるで、食虫植物のような、完全なる受動態。
「お前を、まってたんだよ」
獏良がそう囁いた途端。
しゅるん、と――ここへ来てから聞きなれた音が、バクラの背後で翻った。
「ん……? ッ!?」
振り向く時間すらなかった。泥濘に膝をついたバクラの膝に、瞬きをするより早い動作で、闇の舌が絡みつく。
膝だけではない、足首にも伸びたそれは蔦の動きで身体を駆け上がり、結合する下半身までをがっちりと縛り付ける。掴む手と肌が離れないよう、抜くほど腰を引けないよう、ぎちりぎちりと蔦が締め上げる。
捕縛された。
下半身をがっちりと固定された状態で、バクラは乾いた笑い声を上げた。
「……どこで覚えた、てめえの闇の扱い方なんざ」
腰を振るだけの余裕が保たれていることが、徹底しすぎて笑えない。
振り向いたままの獏良は、涎の痕が残る唇をゆっくりと曲げて、
「わかんない」
と笑った。
「気持ちいって、もっとしたいって、おもっただけ」
自分の意思でやったことではない、らしい。
それならば本気で、心から、そうしたいと思ったのだろう。嘘をつけない心の部屋の最深部で、拘束し拘束されながらバクラはふっと息を吐いた。
ああ、本当に。
なんて相性のいい、最高の宿主サマ。
「……安心しな」
闇の触手に捕らわれた手の内側、バクラは汗ばむ腰を掴み直す。
底なしの欲望に、粘着質な独占欲。
満腹になったはずの胃袋がまた疼く。吐き戻しそうなくらい濃い精を飲み込んだのに、これ以上口にしたら胃が弾けてしまいそうなのに、舌舐めずりが止まらない。
きっともっとこってりと重たい、とんでもなく美味い塊を、獏良は吐き出すはず。このまま犯してひっくり返して、上下左右身体中くまなく舐めて、そいつを味わいたい。もういっそまるごと頭から喰ってやったっていいとさえ思う。存在自体を胃袋に収め、臓腑の中でも永遠に空腹を満たし続けるのだ。
その胃の中にいる獏良の中、その穴の中でこうしてまぐわう。やがて喰らう。どこまでも連なるメタ構造の穴を落ち続ける、終わりのない暴食と色欲の宴。
いま自分はどの穴の中にいるのだろう。穴の中の穴のその中の……
考えるのも億劫だ。それよりももっと大事なことがある。
「バクラぁ」
甘ったれた声で腰を押し付けてくる、今目の前にあるこの穴を犯して、美味なる精を搾り取ることが全て。
強請る動きに応えて揺すると、あ、と、高い声。
先程まで喋っていたことなど一切忘れた様子で、獏良は嬉しげに背中を弓の形に添らせた。
もっとと強請る、頭の足りない強欲なおねだりにバクラは笑む。
――お応えしましょう、骨の髄まで。
「お望みどおり、もっとしてやるよ」
苦しいほどの拘束の中。
は、と、吐き出したその息は、獏良に負けず劣らず甘かった。
?
4.
――翌日。
ずきずきと痛む頭を抱えて、瞼を開く。
寝そべっている身体。背中を受け止めているのは体温を吸って生ぬるいシーツ。割れ鐘を鳴らす頭を支えているのは柔らかい枕。鼻先まで、羽根布団が覆って息が苦しい。
ああ、ここはあの穴の中ではないのか。
現実の世界の重力にぐったりと押しつぶされながら、バクラは気怠いうめき声を上げた。
「……あ?」
ちょっと待て――何でオレ様が。
思わずがばりと起き上がる。途端にがつんとこめかみに衝撃が走り、そのまま横向きに沈没。
「どうなってんだ、こりゃあ……」
この身体は獏良了のものだ。特に何の干渉もしなければ、獏良の意識が入るはず。なのにどうして、寄生体と表現して差支えない自分が肉体を支配している?
(まさかあの野郎)
あれだけまぐわって慰めてやったにも関わらず、まだ穴ぐらの中でうじうじじくじくと鬱陶しく蹲っているのではあるまいか。
或いは、あの泥濘の中でするどろどろに爛れたセックスに味をしめたのだとか。快楽に身を任せ切って、現実での身体を捨てる気か? いや、それならそれで好都合でもあるが――いやしかし――ぐるぐると考えながら、がんがんと痛むこめかみを抑える。
頭痛に加えて、満腹に満腹を重ねすぎた胃まで痛い。ごってりと重たく、口を開けると気持ちの悪い嘔吐感までこみ上げる始末だ。身体は空腹なのに、精神の胃袋ははちきれんばかりに膨らんでいる。
とにかく状況をつかまねば。
悪化した風邪をまだ引きずる身体を起こそうとベッドに手をつく。
と、その手の脇に、ぺたん。半透明の手が重なる。
顔を上げると、獏良がにっこりと笑っていた。
「おはよ」
「……何でカラダの外にいんだ、てめえ」
咳が混じる嗄れた声で、バクラが問う。明らかな高熱、三十八度近くまで上がっているのではなかろうか。最近流行しているインフルエンザに感染している可能性も捨てきれない。
しかし獏良は笑顔で、大分よくなったよね、と云った。
「ボクが先に起きたんだ。あの穴ね、もうなくなっちゃったみたい。気がついたらこうなってた」
「嘘つけ。てめえの身体なんだ、てめえが寝てるのが自然だろうが」
「そんな怖い顔しないでよ。ボクにもわかんないんだ」
きゅっと眉を寄せる獏良の表情は、演技には見えない。本人の云う通り、嘘が下手なのだ。どうやら本当に原因不明らしい。
もしくは無意識の行動か。深層心理での願いがこうして身体に現れたのか――いずれにせよ、すぐに交代すればすむことだ。
「とにかく戻れよ。何でオレ様が風邪にうなされなきゃなんねえんだ」
「ばちがあたったんじゃない?」
ボクにいっぱい意地悪したから。
と、獏良は逃げるように空中を泳ぐ。
「お詫びはきちんとさせて頂いたはずだぜ」
「そうだっけ?」
「てめえ……」
「冗談だよ。確かにお前は意地悪したけど、でもすっごく楽になったから、もう怒ってない」
「……そりゃあ宜しいことで」
軽い口調で喋るバクラとは裏腹に、獏良の表情は軽い。いつもどおり――そう、つかみどころのない、普段どおりの獏良了だった。快楽に咽ぶ表情も、ぞっとするようなブラックホールの瞳も、強烈な見捨てられ不安におびえる様もそこにはない。
鬱の波は収まった。オトモダチとの一方的な軋轢も、溝を埋め立て終えたらしい。
「感謝してるんだ、バクラ」
空中でさかさまに踊り、云う獏良。
「なんかもう、もやもやしたの全部なくなっちゃった。
お前がどうにかしてくれたんでしょ?」
その推測は大正解である。重たい腹をバクラは布団の下でさすり、無意識にか、獏良もまた凹んだ腹を撫ぜた。
獏良が抱えた負の感情は、心の部屋でバクラが全部食べてしまった。すっきりした顔をしているのはそのせいだ。風邪をひいている体感はお互いに同じなのに、獏良の表情は晴れ晴れとしている。
教えたらどんな顔をするのだろう、と、思った。
獏良が苦しむ原因は、元をただせば全てバクラにある。そして、交わる度に身体の奥へ流し込む精には闇の種が含まれていて、獏良が負の感情を増長させやすいように作用している。
成熟したら刈り取られて、交わって吸い尽くして、また繰り返して。
何も知らない獏良は、それで楽になったと笑う。
なんて滑稽だろう。
教えてやろうか。
教えたら――きっと。
「……感謝してくれるなら、ついでに身体代わって頂けませんかねえ、宿主サマ」
やめた。
喉元まで出かかった言葉と、その言葉によって導き出される未来。バクラはそれらを、いっしょくたに丸めて飲み込んだ。
代わりに体調不良を絵に描いたような表情でもって、ぐったりとベッドに沈んで見せる。
「こいつは宿主サマのお身体だ。居候させて頂いてるオレ様がいつまでも占有するだなんて、とてもとても」
「遠慮しなくていいんだよ。バクラも疲れてるだろうし、ゆっくり寝て?」
にっこり。
再びの笑顔は、今度は底が知れない。
やっぱり仕返しじゃねえかと云おうとして、ぐらり。まるで世界がまるごと傾いだかのような激しい眩暈を感じて、バクラは仰向けに倒れ込んだ。
受け止めるシーツが汗を吸って気持ちが悪い。肌に張り付く湿った寝間着も不愉快だ。力づくで交代してやろうと思うけれど、本気で調子が出ない。もしかしなくても、風邪ではなく胃もたれのせいである。
「ほら、急に動くから」
「うるせえ……」
「その様子じゃ今日も学校は無理だね。いっぱい休んじゃうけど、しょうがないか」
天気も悪いしね、と、休めることを喜ぶ口調は語尾が躍る。朝からどんより曇った雲は、霧のような静かな雨を振りまいているようだ。
音もなく、しかし窓の向こうの景色は冷え冷えとした色彩をまとっている。
なんとなく、あの泥濘を思った。
穴の底で足に身体に絡みついてきた、幾重もの闇色の蔦。縋るように捕えて離さない漆黒の蔓の感触は、うぞうぞとして悪くなかった。
目の前で笑う獏良が、その闇の持ち主である。
とてもそんなものを抱えているように見えない、ゆるい微笑みの裏柄に滴るのはどろどろの欲望。
いっしょにいてよ。はなれないで。ボクのこと大事にして。皆みたいにいなくならないで。バクラ。ねえ、きもちよくして。もっと、もっと、もっと――
全て、獏良がうわごとのように訴えたこと。
闇の種はたっぷりと植え付けた。またしばらくしたら、獏良は腹の中で負の感情を育てて鬱々と苦しむことになる。
(……当分食わなくていいっつうの)
考えただけで吐き気がこみあげるくらい、バクラはすっかり食傷気味だ。
それでも、美味だったということは覚えている。性的な刺激よりも飽食の刺激で射精したのではと思う程の、極上の味。そんなことを思いだしていたら、自然、手が獏良の腹へと延びていた。
「どうしたの?」
触れられない身体。半透明の腹部をすり抜ける手。
凹んだ腹を撫でる仕草をすると、触覚もない筈なのに獏良はくすぐったいよと身体を捻った。
「なに、ひょっとしてしたいの? あんなにしたのにほんとに飽きないね」
何も知らない獏良は苦笑を浮かべてご機嫌だ。
ああもう考えるのも億劫になってきた。バクラはやたら重たく感じる羽毛布団を引っ張り、ごろんと獏良に背を向けた。
もう寝てしまえ。もしかしたらまたオトモダチが訪ねてくるかもしれないが、知ったことではない。こんなにだるい上に獏良のふりをするなど御免である。
「バクラ、寝るの?」
「うるせえ、響く。喋んな」
「そっかあ。……可哀想だなあ、もしもう一つ身体があったら、ボクが看病してあげるのに」
それも御免だ。面白半分にあれこれ世話を焼かれる様子を想像して身震いが起こる。絶対に遊ばれるに違いない。
あの穴は自分でも作れるだろうか、と、苦痛のあまり訳の分からないことを考えた。そうしたら昨日の獏良のように閉じこもって接触拒否をしてやるのに。勿論、ご丁寧な入口など設けずにぴったりと穴を閉じて。
そうしたらきっと獏良は――そう、最初は素知らぬ顔をして、そしてしばらくしてから心配顔になり、それがやがて不安顔になり、怖くなり、いてもたってもいられなくなり、泣きながらバクラを探すのだろう。
(ああ)
上空からあれこれと喋る獏良の声が遠くなる。どうやら身体が休息を求めているらしい。
眠気の隙間で珍しく胡乱になったバクラは、まるで昨日の獏良のようにふやけた瞳をくったりと閉じた。
(そうなったら、宿主サマの泣き顔が拝めねえな)
それは惜しい。
やっぱり穴は開けておこう。
そうして兎が穴に落ちるように、一目散に飛び込んでくる獏良の泣き顔。
たまらなくそそるその表情を想像した途端、バクラの胃に、それこそ穴が開きそうなくらいの満腹の痛みが走った。