【同人再録】TRIPOD365!-2【R18】

 リビングの時計が二十三時を示しても、邪魔な大男が帰宅する気配は無かった。
 さもあらん、とバクラは思う。
 こちらは学生の身分、すねかじりだ何だと云われようと学生の勤労は学業であり、金を稼ぐことではない。海外に飛んで帰ってこない父親から毎月の支援がある以上、バクラはアルバイトという無駄な労働などしない。
 だが居候はそうはいかない。転がり込んできた盗賊王は大飯食らいにして節約節制というものとはとんと無縁だった。決められた金額の上でやりくりする了は彼に、居候を始めた翌月『食費は入れて欲しいなあ』と底が知れぬ笑顔で云った。目減りした数字を刻む通帳を片手に持って、である。
 中卒で顔に傷のある、見るからに柄の悪い盗賊王は固定の職に就くのが難しい。かくて彼は力仕事専門の派遣業で生活費を稼ぎ、せっせと了の口座へ入金せねばならないのである。
 割はいいが帰りが遅くなることもしばしば。彼の仕事は規則正しくなく、酷い時は泊まりがけですらある。故に、こうして了とバクラが二人きりになることは少なくない。たとえ自分のターンが回ってこようと、仕事如何によって盗賊王は了の傍にすらいられないのだ。
 つまり、このゲームは非常にバクラにとって有利なのであった。
(よく考えもせずに賭けに乗りやがって、バカが)
 これだから単細胞は。と、バクラはせせら笑う。
 食事も済ませた。風呂も済ませた。やることなど一つしかない。盗賊王が帰ってくるのは早くとも始発が動いてからだ。今日はバクラのターンであるし、たっぷりじっくり可愛がってやろうではないか。なに、学校なんざ休んでしまえばいい――優等生の了は嫌がるかもしれないが、昼まで起こさないと云う企ての上、寝坊の延長線上なら諦めるということを、バクラはよく知っている。
 いつもは憎い男が専有しているソファにだらしなく寝そべりながら、バクラはちらりと了を伺った。
 洗い物も終わったというのに、了はまだキッチンにいる。寝間着のTシャツとハーフパンツに着替えていながら、まだ家事をやっているのは珍しいことだった。
 おい宿主サマ、と声を掛けると、ん、という返事。振り向きさえしない。
「何やってんだ、もういい時間だぜ」
「うん、ちょっと明日のね。仕込み」
「仕込み?」
「バクラ帰ってくるでしょう? 疲れてるだろうから、おいしいもの食べさせてあげようと思ってさ」
 了は二人のことを区別なく『バクラ』と呼ぶ。同じ名前なのだから仕方が無いことである。ニュアンスが微妙に違うので聞き間違うことはあまりなく――それどころか、長年の同居の気安さから、バクラの方が『バクラ』と呼ばれず、ねえだとかお前だとか、そういった固有名詞外の言葉で呼ばれる方が多い始末だ。
 名前についての談義は既にすませている。今いらつくべきはそこではなく、了の行動に、だ。
 あんな男の為に、折角の貴重な二人だけの時間を使っているとは。
 ち、と舌打ちしたバクラは勢いをつけて起き上がると、音もなく移動し、キッチンに立つ了の腰へするりと手を掛けた。
「止めとけよ。あのバカに手の込んだもん食わせたって無駄だぜ」
「そんなことないよ、ボクの作ったご飯、美味しいって食べてくれるもん」
「何食わせたって同じこと云うだけだろ」
「お前ほんとバクラのこと嫌いだよね……」
 仲良くしてよ、と、漸く振り向いた了が頬を膨らませる。
 その瞬間に、風呂上りの良い匂いがふわりとうなじ辺りから香った。同じシャンプーにボディソープを使っているのに、了の身体から発せられる匂いは自分よりも――無論盗賊王など論外である――良い匂いだと思えた。まだ湿り気の残る髪を適当に捩じって後ろ頭で括っているだけなのに、白い項はやけに扇情的だ。
 ごくりと喉を鳴らすような、野蛮な真似はしない。だがぞくぞくと背中からそそられて、バクラは己が唇を舐める。
 腰に回した手をさらに伸ばして、腹側へ。
 野暮ったいTシャツ越しの痩せた腹、それでも女らしく柔らかさを保つ肌に、直に触れて楽しみたい。
 裾をさらって潜り込もうと掌を這わせたところで、ぴしゃんと手の甲を叩かれた。
「邪魔しないでよ。先に寝ていいからさ」
 それ即ち、今日はする気が全くない、ということである。
 振り向いた表情に情欲の欠片すら見当たらないのを見て取って、バクラは本日二度目の、内心の舌打ちをした。
 折角邪魔者がいないというのに、本日の宿主サマはセックスのセの字もないらしい。頭で数えて今日は水曜日、何かあったかと――と、体育の授業があったことをバクラは思い出した。しかも了が大嫌いな持久走。
 なるほどお疲れらしい。そういえば食後、しきりに足を痛がっていたのを目にした。
 そういうことなら、それなりのやり方というものがある。
 まずは裏付けを取ってから。さらりと手を離し、バクラは平静な様子でああそうかよと云って見せた。
「つれねえなァ、宿主サマ」
「お前みたいに四六時中いやらしいこと考えてるんじゃないんだよ。それにすごく疲れてるから、仕込みしてなくったってやだ」
「へえ、お疲れで?」
 わざとらしさを塗り消して、さも今気が付いたという風を装う。了は豚ばら肉を付け込んだボウルにサランラップを掛け、冷蔵庫にしまいながら、そうだよと頷いた。
「今日、体育でいっぱい走ったから足痛いんだ。お前のクラス、持久走じゃなかったの?」
「知らねえな、オレ様は腹が痛くて保健室に居たからよ」
「またサボってたんだ……」
 とはいえ、保健室の窓から了のクラスがグラウンドを走らされていたのはきちんと視認していたのだけれど、それは云わないことにしておく。何せ彼女のクラスには目立つ頭の持ち主がいるので、どこで何をしているのか非常に見つけやすいのである。
「とにかく、ボクはとても疲れているので、これ以上しんどいことはしたくないんです」
「そうですか」
「そうです」
 軽口の応酬を経て、ぷい。つれない素振りで了はそっぽを向き、ぬるい水で手を洗い始めた。生肉を扱ったからか、念入りに洗う様をバクラは横目で眺め――そして、にやり。
「だったらオレ様がマッサージしてやろうか?」
「へ?」
 思ってもいない申し出だったのだろう。水を切りながら了が素っ頓狂な声を上げる。
 丸く深い綺麗な青が、ぱちくり。可愛らしく瞬き。それから訝しむ様子で、すっと眇められる。バクラが何かよからぬことを企てているのではないかと疑う顔だ。
「何か企んでない?」
「企む? 心外だぜ、宿主が足痛ぇっつうから、ちっと揉んでやろうかってだけだ」
「別のとこ揉んだりとかするつもりじゃないの」
「ヤる気がねえ女に手ぇ出したってつまんねえだけだろ。疑うなよ、こう見えてもオレ様、結構上手いぜ?」
 あくまで気まぐれ、あくまで親切。ま、気乗りしねえなら無理にとは云わねえや――と、追加でそっけない素振りを見せるのも効果的だと、バクラはしっかり理解している。
 どう穿ってもやはり純粋である少女の目に、嘘が服を着て歩いているとまで云われるバクラの演技を見破ることは出来ないようで。
「……変なことしないなら、お願いしたい、けど」
 背中を向けたバクラに、そんな、もごもごとした声が投げかけられた。
 振り向く前に、深い笑み。
 簡単に騙されてくれやがった。と、誰にも見えない場所でバクラは笑う。
 だが決して了に見せてはいけない。何でもない素振りで、返って面倒くさそうな空気さえ纏わせて振り返るのが正解だ。
 そうして、疑ったことでばつが悪いのだろう、まだ濡れた手を所在なさそうにしている了を見て、
「ならその手ェ拭いてとっとと来いよ。オレ様も眠ィんだ、あんま長くやってやんねえぞ」
 とでも云ってしまえばもう勝利宣言、である、
 あとはさっさと了の部屋へ行き、ベッドの傍らで待てばいい。思った通り数分も経たぬうちに、リビングの灯りを落とした了が薄闇を纏って現れた。まだ決まり悪いのか視線は合わせないが、はたまた猜疑の種が消えないのか、バクラの近く、ベッドの上にやや距離を取って腰を下ろす。
 それを見届けてから、バクラはフローリングに膝をついた。
 驚く了の片足を捕え、立てた片膝の上へ足裏を乗せる。
「寝っころがってやるんじゃ、ないんだ?」
「てめえの痛ぇのは凝ってるんじゃなくて筋肉痛だろ。だったらコッチのが遣り易い。筋肉痛は力任せに揉んでも悪化するんだよ」
「へえ……」
 感心した口振りで、了は自分の足とバクラを交互に見やる。
 膝に乗せた足裏は小さく、こぢんまりとして綺麗だった。親指から小指まで少しも歪んでいない桜色の爪が並び、日に当たらない箇所のせいかやけに白い。皮膚は柔らかで薄く、くるぶしなど骨に直接触れているのではと思うくらいに脆そうだ。
 細い足に隠れた情欲を感じつつ、バクラは足首から脹脛にかけて、掌で緩くさすりあげる。くすぐったいのか、了は少しだけ身じろいだが、逃げることはしなかった。
「痛かったら云えよ」
「うん」
 ぽつぽつ、と会話を灯しながら、バクラは見せかけた親切で了の足をマッサージしてやった。
 足首を軽く回して、張った脹脛を癒すように軽く揉んで、摩って。血行が悪くなりがちな膝裏までゆるい刺激を与えてやるサービス付きだ。
 そんな念入りな施行に、了の表情から疑いは完全に晴れて行った。やがてくすくす、と、小さな笑いまで漏れてくる。何だと問うたら、何か不思議で、と、綺麗な唇は笑みを作った。
「お前が優しいのって、珍しいからさ」
「失礼なこと云うんじゃねえよ。オレ様はいつだって優しいだろ?」
「たまにね。何か久しぶりだな、こういうの」
 疑ってごめんね。ありがと。
 と、了は小さな声でそう云った。
 張り詰めると云うほどではなくとも、学生の生活はそれなりに忙しい。了は家事をやらねばならないこともあり、何かと疲労がたまっていたのかもしれないとバクラは思った。加えてあの居候の登場で、ますますばたばたと慌ただしい日々だったに違いない。
 そう思うと、途端に優しい振りをしているのが心苦しく――なれば、バクラもまっとうな人間だったろう。
 疲れている了を労わってやろうという気持ちは全く起きない。それどころか、いつ仕掛けようか、どこで手つきを変えてやろうかと思案しているばかりである。
 変なことはしない? ただの気まぐれ? 親切?
 そんなわけがない。ちょっと優しくしただけであっさり疑いを無くす方がどうかしている。キッチンで誘いを断られた程度で、バクラが欲望を大人しく沈下させるなどあるわけがないというのに。
 素直な了は見せかけの嘘にすっかり騙され、心地よさそうな表情を浮かべてバクラを見下ろしている。バカな奴、と皮膚一枚向こうで嘲りながら、その愚かさもまた好ましい要因の一つなのだとバクラは思った。共に生きてきた十数年間、数えきれないくらいの嘘で騙されているというのに了は懲りない。根本から、人を疑うという基本をそもそも持ち合わせていないのかもしれない。
 全く、危なっかしい女だ。とても一人で外を歩かせられない。
 などと思うのは惚れた弱みか双子としての心配か。恐らく両方だろう。緩急をつけて足を揉みながら、そんなことを思うバクラである。
「ん、」
 ぴくん、と、爪先が丸まった。視線を上げると了は唇をきゅっと締めて何かに耐えている。
「痛えなら云えっつったろ」
「んん、いたくなはない」
 くすぐったい――と、締めた唇の隙間から了は呻いた。
 思考しながら揉んでいた所為で、手は下がり切って足首にまで降りていた。くるぶしの辺りを摩られるのがくすぐったいらしく、試しに爪の先で軽く引っ掻いてみたらうひゃあと色気のない声が上がった。
 くすぐったがる場所は性感帯、と云う公式は最早常識である。さりげなくその場所を、バクラはあたかも偶然であるかのように刺激してみる。
「やっ、ちょ、くすぐったいってば」
「そんくらい我慢しやがれ。こっちは親切でやってんだぜ?」
「だって足っ、あし、駄目!」
 駄目、と云いながら、了の声は笑っていた。人はくすぐったいとけたたましく笑うが、この声はどちらかというとこう、じゃれあっているのを楽しむようなそんな甘ったるさがあった。
 ぬるい戯れを気持ち悪いと思いながらも、バクラは更に指先を細かく動かしてやる。けたたましい笑い声を上げて了はベッドをばしばしと叩いた。やめてようと叫ぶ声はあまり制止の意を含んでいない。
 もうちょっと攻められそうだと判断。這い上がるように膝から上へ――腿の内側まで。
「ひゃ!」
 案の定、高い声が漏れた。了の青い目に浮かんでいた戯れが色を増して、背中からベッドに倒れ込む音と笑声が響く。もうだめと空いた片足をばたばたさせるので、バクラはひょいとそれを小脇に挟んで固定してやった。
 倒れてじたばたする了に、暴れンじゃねえと軽口を返しながら足の適当な場所を刺激していく。詳しいことは忘れたがここに確か何かのツボがあったはずだ。まだマッサージを演じていられる。
 ぐ、と押すと、痛、と、笑い声の間で悲鳴。
「もっと優しくしてよ」
「緩くやったらくすぐってえとか云うだろ」
「ちょうどいいくらい優しくして」
 宿主サマはわがままだ。だが、そこは合えてお望み通りにして差し上げるバクラである。ただしきちんと、企てに乗せた方法で。
 ちらりと伺った了の顔は倒れているせいでよく見えなかった。代わりに、シャツを押し上げるなだらかな胸のラインと乱れた裾から覗く腹が目に飛び込んでくる。痛いほど白くてひどく美味そうな肌だ。
 直接そこへ手の伸ばしたいのをぐっと抑え、しかしバクラは軽く唇を舐める。美味そうな箇所は手の中にもあった。痩せていても柔らかな内腿。ハーフパンツの裾の内側へと掌を滑らせる。
「っ!?」
 びくん、と、酷く分かりやすく足がひきつった。
 勢いよく起き上がってくるのを見越して、さっと表情を作る。了が目を丸くして己の腿とバクラの顔を見た時には、素知らぬ素振りを浮かべる準備が出来ていた。
「何だ、また痛ぇとか文句云うつもりか?」
 他意はこれっぽっちもありません。という口ぶりでバクラは云って見せた。完璧な仮面に騙されて、了は口ごもり、なんでもないと小さな声で応える。
 いやらしい意味などないただのマッサージなのに、一瞬でも官能の色を感じ取ってしまった――そう思い込んで、自分に羞恥を感じたのだろう。了はきゅっと唇を噛むと、再び倒れ込んだりはせずにシーツを強く掴んだ。
 上々の反応にバクラは舌先で笑う。こうなってしまえばあとは非常にやりやすい。あくまで親切を演じ、マッサージの延長線上で柔らかな腿を揉んで撫でて辿って。しかし決してきわどい箇所に触れてはいけない。くすぐったい、くらいの刺激を与える五指で、徐々に位置をずらしていく。
 そのうちに、きゅっと噛み締めた了の唇が物言いたげに震えだした。
 もじもじと足を擦りあわせたくとも、片足をバクラに抱えられていてはままならない。体温を上げ始めている敏感な箇所はバクラの目の前だということも含めて、落ち着かない様子だ。
 いやらしいことはしないと云ったのは一体誰だったか。
 そうからかったら耳を真っ赤にするだろうか、それとも逆切れを起こして蹴っ飛ばされるだろうか。いずれにせよいい結果を導けないのなら、今それを口に出す必要はない。どうせ、あと数分無言で攻め続ければ向こうから砦を崩す。了の身体の変化など、バクラは己のこと以上によく理解している。
「ぅ、ぅ……」
 視線が落ち着かなくなるのが合図だった。一文字の唇から小さなうめき声が漏れたのを聞いて、バクラは漸く顔を上げる。
「宿主」
「っうえ!?」
「なンか体温上がってるご様子で」
 色気のない悲鳴にもめげない。問いかけると、了はそんなことないよと蚊の鳴くような声で云った。血行がよくなったからじゃないかななどと辛い言い訳が弱々しく、薄明りの部屋に響く。
 上目に見つめると、オレンジの灯りを受けた青い瞳は熱を持って潤んでいた。長いこと結んでいた所為で唇が赤く充血して、果実のような色に染まっている。
 間違いなく、今が攻め時。
 親切の仮面はそのままに、バクラはへえ、と、語尾を上げて笑った。
「オレ様には、とてもそれだけには見えねえけどなァ?」
「っ……」
「宿主サマが望むなら、足はここいらで止めて他のマッサージしてやってもいいぜ」
「ほ、他?」
「疼いてるトコ、あるんじゃねえの?」
 例えば此処――と、バクラは滑り込ませたハーフパンツの内側から、汗ばんだ生肌を摩った。足の付け根の下着のラインを、中指の先でつう、と辿る。
 声にならない悲鳴を上げて、了はとっさに逃げようと腰を捩る。だがもう片足は依然バクラの腕の中だった。ぐっと引っ張れば逃げられない。それどころか距離が縮まって、鼻の先、掌一つ分の距離に了の股間が迫る。
「やらしいことはしないって云った……!」
 迫るバクラの頭を押し、了は尚も首を振った。だがその声の、なんと陥落寸前なことか。
 理由を作ってやればそこへ逃げ込む。了の習性を心得たバクラは頭を押されながらもマッサージ――否、愛撫を止めない。
「おいおい、ソノ気になっちまったのは宿主サマの方だろ? オレ様はただ足揉んでやってただけじゃねえか」
「だ、って、」
「別に責めてんじゃねえよ。したくなっちまったってんならソッチに切り換えてやるっつってんだ。ホラ、オレ様はいつだって優しいからよ」
「う……」
「宿主サマがイヤだっつったら、すぐに止めてやってもいいぜ」
 最後の一押し、これが効いた。
 嫌になったら云えば良い。バクラにあるまじき生ぬるさと優しさが、了の拒絶を完全に振り払ったのが目にも見えた。
 勿論、嫌だなどと云わせるつもりはない。たっぷりこってり気持ち良く甘やかして、最終的にはバクラの方が気持ち良くなるのが目的である。誘導尋問のように道筋を立てて、中まで侵入したらこちらのものだ。雌の入口を一度埋めたなら、了はもう嫌だとは云わない。悲鳴にかまけてやめてと叫んでも、実際に止めれば泣いて嫌がるのはあちらの方だ。いつだってそうだった。だから今夜もそうに決まっている。
 そうしてここでたっぷり甘やかして、あの男がいない内に了の官能をこちら側にきっちり向けておくのだ。
「……ほんとに、やだって云ったらやめてよね?」
「ああ」
「じゃあ、……ちょっとだけ」
 始めの方で繰り返したじゃれあいが効いたようで、了はその甘さを引きずったまま、小さく小さく首肯した。
 ちょろいモンだ。くつりと笑い、バクラは抱え込んでいた足を解放する。ついでにハーフパンツの上から腰を撫で上げると、鈍い動きながらも了は自ら腰を浮かした。
 ずるり、と、下着ごと衣類をはぎ取ってしまえば、風呂上りの良い匂いがする柔肌を隠すものは何もない。流石に羞恥を感じるのか、シャツの裾を引っ張って下肢を隠す仕草がどれだけ男を誘うか、無意識な分性質が悪かった。
 その肌を再び指で辿り、バクラは明確に、唇を舐める。
「宿主サマ」
「……なに」
「指と舌、どっちをお望みで?」
 リクエストを募ったところ、恐らく反射だろう。了の視線は手指ではなくバクラの口元に向いた。
 委細了解、と、バクラは長い舌をべろりと伸ばして見せる。
 邪魔な手をやんわり退かせ、まずは内腿にご挨拶。辿り上げてゆけば、終点は既に甘く潤み始めた雌の入口だ。
「あ、」
 吐息が掛かったのか、ぴくんと了の肩が跳ねた。この程度で反応していては後が保たないというのに、了の身体は何年たっても敏感なままだ。
 その過敏な身体の内でいっとう脆い箇所を、舌の先で突いてやる。入口ではなく、小さく主張する肉芽の方を掬い上げるように舐め上げる、と、
「ひゃぁぅっ!」
 ひっくり返った悲鳴が、頭上から鋭く降ってきた。
 視認するまでもなく了の表情が察せられる。きつく閉じた瞳と寄せられた眉と、戦慄く唇。
 陰核を苛められるのが、了は好きだ。内部で得る快感と比べても、もしかしたらこちらの方が好きなのかもしれない。全く痛みを感じることなく快感を得られるのだから、気持ちいいことが大好きな了には好都合だろう。
 咄嗟に、痛いくらいに弄り倒してやろうと思うバクラだったが、今宵はそれは得策ではないとすぐに思い直した。今日はとにかく可愛がって可愛がって可愛がり尽くしてやるのが目的だ。あの男に抱かれる気になどならないように、骨抜きにしてやる必要がある。
 その為に、こんな面倒くさい真似をしている。熱を持ってふくりと腫れた芽を蕩かすつもりで、バクラはねちこい愛撫を繰り返した。唾液をたっぷりと絡めた舌先で掬い上げ、突っつき、転がして――その度に、頭の上から震えるような声が降る。
「んぅ、ふ、あ、ぅ、や、っ……!」
 くしゃくしゃと髪を掻き交ぜる、指の感触は悪くない。
 了の繊手はおもしろいほどに震えて、細く絡むバクラの髪の間を小魚のように縫う。
 長く薄い舌での愛撫は、了のお気に入りだ。あの男では決して出来ない、微細で的確な動きで了を絡め取る。何年もかけて可愛がり苛め抜いた身体である、何をすれば喜ぶか、自制心が熱崩落するか、手に取るように分かる――たとえば、
「ひゃうっ!」
 こうして軽く唇で陰核を吸い上げてやると、たまらない悲鳴を上げること。
 それに、深く感じた時、のけぞるのではなく身体を丸める癖があること。
 全部知っている。親の胎に居る頃から繋がっていたのだ。途中参加のならず者になど、誰が渡してやるものか。これはオレ様のもんだ誰にもやりはしない――
 そんな苛立ちは、今は表に出してはいけない。痛くするのはもう少し先でないと了は嫌がる。たっぷり溶かして骨を抜いた後に乱暴にされるのならば嫌いではないと知っている。
 熱の籠った口淫を演じながら、頭の中は冷静だった。尤も、顔に出していたとしても目を瞑った了にはばれないだろうけれども。
「ばくら、ァ、そこ、そこばっかり、」
 骨の目立つ膝をかくかくと揺らし、了は掠れた声で云う。
「他ンとこがいいってか? ココが一番触って欲しそうに見えたけどなァ」
 何かご不満で?
 問いかけに了は曖昧な様子で首を振った。肯定か否定か、或いはどちらでもないのか。蕩け落ちそうな青い瞳は頼りなくバクラを見下ろしている。
 咎めるように、きゅっと髪を掴まれる。甘えた仕草がこれ以上もなく似合う女だと思った。
 普段の天然電波な振る舞いより余程似合う。滴るほど甘えて、猫のように擦り寄る仕草がぴったりと嵌る綺麗な顔。だが、本当にそんな雌猫になってしまったらつまらないと思うあたりが重症だとも思う。
 ただの女。退屈な存在だったら、独占したいだなんて思わない。
 つかみどころがないから捕まえたい。男だったら誰だってそう思う筈だ。だからこそ、あの男にだけは渡したくない。折半だって御免だというのに。
 などと舌先を躍らせながら考えていると、
「……ねえ、バクラ」
 少し思考に沈み過ぎたか、了は濡れた唇を緩く開いて問いかけてきた。愛撫が緩んだかとバクラは気を取り直し、べ、と長い舌を見せてやる。
「ハイハイ、休むなって云いてえんだろ」
「ん…… そうじゃ、なくて」
 きゅう、と、また指が髪を掴む。軽く引っ張られて顔を上げる。
 了の瞳はいつの間にか、バクラではなくその向こうに向けられていた。灯りが落ちたリビングルーム、その部屋には誰も居ない。
「……玄関のね」
「あァ?」
「チェーン、かけたりしてないよね?」
 バクラ、うちに入れなくなっちゃう。
 その「バクラ」はバクラを指しているのではないと、すぐに分かった。
 瞬間、冷静だった頭にいらりと陽炎の揺らめきが浮かぶ。こういうことをしている時でさえ、了はあの男のことを頭から締め出したりはしないのか――こんなにも念入りに可愛がってやっているのに。
 ふつふつと小さな沸騰が、胃の腑の中で沸き出していく。
「――余所事なんて、余裕じゃねえか」
「そんなんじゃないよ、でも」
「うるせえ、もう止めだ」
 と、吐き出した途端、了は泣きそうな顔をした。
 いきなり不機嫌になったことに不安を覚えたか。或いは、こんな中途半端な状態で放りだされたら堪らないということか。
 しかしそれは勘違いだ。誰も行為を止めるとは云っていない。
 口を拭いながら立ち上がるバクラを、了の青い瞳が追いかける。その頼りない肩を、ぐっと掴んで。
「っ!」
 もの言いたげな唇に、がぶりと噛み付いてやった。
「んぅう、ん!?」
 想定外の攻撃に細い肩が揺れる。
 予定変更。了の心には思っていたよりも深く、あの忌まわしい男が棲みついているらしい。
 ならば糖度を少し下げて、代わりに執着をあからさまに見せて絡め取る作戦に出るとしよう。愛されるのが嬉しく、求められるのが快感である了には効くだろう。本当はこのやり方に手を出したくなかった。要らぬ本心を吐露しなければならないからだ。
 それも止む無しならば仕方ない。欲しいものは必ず手に入れねば気が済まないのがバクラの性分だ。
「他の男のことなんざ、オレ様の前で口に出すんじゃねえ」
 唇と唇の僅かな隙間で、云いたくもない本音を吐く。了は大きく目を開いて、一つ瞬きをした。
「……なに、それ、やきもち?」
「さあな」
「家族だよ?」
「てめえにとっては、だろ。オレ様はアイツが嫌いなんだよ」
 だから黙れ。
 と、唸るような声で云ってやった。
 抱きしめるなどという優しいやり方ではなく、了の身体を力任せに抱え込んでベッドへと倒れ込む。目の前の唇がイヤだ離せと云いだす前にもう一度塞いでしまわねば。でないと「イヤだと云ったら止めてやる」という口約束を了はぴいぴいと喚いて暴れるだろう。もう優しくしてやるつもりはないのだから、余計に。
 細い手首を掴んで縫い付け、バクラは準備だけはしっかり整っている了の下肢へ向けて手を伸ばす。
 全く、とんだ計画変更だ。甘く見ていた。
 脳裏に一瞬、にやけたあの男の顔が浮かび上がって舌打ち。振り払って、目の前の白い肌を瞳に焼き付けることにする。
「っあ」
 ぬめる入口を乱暴に探ると、了は高い声を上げて腰を震わせた。
 結局身体でかたがつく。けれど、ゲームとしての駆け引きは違う。
 楽に勝利を得られると思っていた分、苛立ちは深かった。
 そのせいだろうか、掻き抱いた了の表情を伺うのを、バクラはすっかり忘れていた。一目見ていたら、そんな苛立ちなど霧散する程度に――了の顔は嬉しそうに笑っていたのに。

 

「かわいい奴」と。
 剥き出しの嫉妬を喜ぶ了の満ち足りた表情を知らないまま、バクラは己のターンを終えた。