【同人再録】TRIPOD365!-6

3.

 

 

 だるい。
 どれくらいだるいかというともうなんと表現したらいいのかわからないくらいだるい。
 喉の渇きが限界だ。少し手を伸ばせばテーブルの上に昨夜から放置されているミネラルウォーターのボトルに届くのに、起き上がれなくて物欲しく眺めるしかない。ああ誰かアレこっちに放り投げてくれねえかなあと、バクラと盗賊王はそれぞれ同じことを考えていた。
 フローリングの上に大の字になった盗賊王。
 ソファから引きずりおろしたクッションに顔を埋めてうつ伏せているのがバクラ。双方とも半裸。
 そして了は、ソファの上で靴下一枚という非常にみっともない恰好で横向きに丸まり、すやすやと眠りこけていた。
「……おい」
 最初に声を出したのはバクラだった。顔が埋まっているので随分とくぐもっている。
 盗賊王は返事もしない。せいぜい視線が動いた程度だ。
「起きてんだろ、猿」
「うっせえクソガキ」
 いわゆるご挨拶、おはようございます、の意味合いである。
「てめえ先にイっただろ」
「冗談云うなよ、てめえのが先じゃねえか」
「いや、てめえだ。気持ち悪ぃイキ面見た覚えがあんだよ」
「必死に了の腰にしがみ付いてた奴の台詞じゃねえな」
 脱力していても、悪態の応酬だけは可能らしい。互いに微動だにせず、力なく、しかし譲らず、の姿勢だった。
 正直なところ、どちらが先かという非常に需要な結論を、二人して記憶していなかった。
 遮二無二了を可愛がり、蹂躙し、犯し尽くしてはいたけれど、相手が果てたことを確認していなかった。そんなことに気をやっている余裕など、最終的にはどこにもなかった。とにかく負けるわけにはいかないと射精を必死で耐え、耐えれば耐えるほど過敏になる快感に飲まれぬように。
 それなのに了はついぞ聞いたことのない甘い声で鼓膜からこちらを犯してくるからたまらない。
 もっと、はやく、だして、しんじゃう、きもちいい。
 細い腰を振りたくり、湿った長い髪を翻して悶える了は、男達の眼には毒過ぎた。視覚と聴覚だけで絶頂しそうになる程度には、了の姿態は扇情的だった。
 誰が最初に限界を迎え、そして意識を失ったのか全く思い出せない。途中からは、了の顔を挟んで憎い恋敵と至近距離に顔を近づけた不快感も、いつしか感じなくなっていたくらいに。
 そうして、点けっぱなしのテレビが砂嵐になり、夜が明けて早朝のニュース番組を始めた頃に目が覚めた。まずバクラが、次に盗賊王が。
「……了に聞けば分かるんじゃねえか?」
 喋っている間に、やっと身体の動かし方を思い出した。汗でべたつく額に張り付いた髪を掻き上げ、盗賊王は溜息を付く。
 それを受け、口を縛ったコンドームをゴミ箱に放りながら「なら起こせばいい」と吐き捨てるバクラだ。
「随分気持ち良くお休みになってるみてえだからな、声かけた程度じゃ起きねえぜ、そいつ」
「いや、それには及ばねえ。見てな」
 云って、盗賊王はチチチ、と舌を鳴らして見せた。
 途端、ばたんとソファから音がした。振り向いたバクラの視線の先で、了がソファに掛けていたブランケットに絡まった状態でフローリングに墜落している。
 了は半開きの眼できょろきょろ、と何かを探し、盗賊王を見つけてふにゃんと笑った。何故かその場で口を尖らせ、そして――再び床で丸くなる。
「………見てたが?」
「まあ、努力はしてくれたみてえだな……」
 舌鳴らしで起こして見せようとした盗賊王だったが、残念ながら失敗だったようだ。それでも、爆睡の中から反射で起き上がり、盗賊王を視認した上でキスの形に唇を尖らせたのだから大したものである。大分距離は遠かったが。
「そういやてめえ、いつの間にそんなモン仕込みやがった」
「さあなァ、いつだったか。了が嫌がってねえのは確かだぜ」
「余計なことすんじゃねえよ、人のモンに」
「了はオレ様の女だ。てめえ負けただろ」
「負けたのは――ああクソ、もういい」
 いつでも、詮無い言い合いを終わらせるのはバクラの方だ。なまじ理知的なだけに、終止のつかない会話の無駄を察してしまう。
 ソファから落ちたまま転がった了に四つ這いで近づき、安らかな寝顔をまじまじと見降ろす。
 顔は良い。生まれた時から目にしているのに、未だにこいつの見た目は最高だとひそかにバクラは思っている。
 起こさないようになどという気遣いは無用。ぞんざいに髪の房を拾って弄くりながら、此度はバクラが溜息だ。
「覚えてると思うか、こいつ」
「どうだろうなァ……」
 寝返り二つで接近してきた盗賊王は、バクラの逆側から了の髪を捕える。指でにじると、しゃりりと髪が擦れる微かな音がした。
「もし覚えてなかったら、どうする」
 了が記憶していなければ、勝敗は誰も分からなくなる。
 あれだけ根性を据えて頑張ったゲームが無効試合というのは腑に落ちない。どうにか言いくるめて自分の勝利にしてしまえないか――そう考えている。恐らく、お互いに。
 ならそうすればいい、すぐに口論を始めるなりなんなり。
 始めない理由は二つ。一つはついぞ体験したことのない極度の疲労。
 もう一つは、ああ認めたくない、認めたくないが――
(悪くなかった、クソが)
 そう、悪くなかったのだ。三人で交わることが。
 自分から動かない了を相手にしていると、セックスの筋道は攻め手である自分自身の思うがまま。そこには理想通りの快感が存在するが、逆の云い方をすれば意外性は皆無。
 無意識でマンネリを感じていたのはバクラも盗賊王も同じだった。第三者の介入で、思いがけない快感や反応が得られる。律動ひとつとっても思い通りにままならず、それは悪くない感覚だった。
 そして、執着してやまない愛しい女が他の男に犯されているところを目にするというのは――苛立ちと共に、例えようのない快感を得ると云うことも知ってしまった。
 あえて名前をつけるなら、それは倒錯、というものだろうか。他者に犯される了を、同時に自分自身で犯している。錯綜的で、混沌としていて、非現実的だ。
 強烈な体験だった。
 半ば覚えていないだけに、快感だけが色濃く脳に残っている。またやってもいいかもしれないと、つい思ってしまう。
 癪だけれど、思ってしまったものは仕方ないのだった。
「……勝負は持越しってことで、いいんじゃねえ?」
 そう云ったのは盗賊王だ。バクラと比べてからりとした性格の所為か、自分の感情を認めるのが早い。
 バクラはまだ納得いかないらしく、黙ったまま了の髪を弄繰り回していた。イエスと云えば済む話で、しかしそれではゲームを始めた時と何ら変わらない。ブッキングだってするだろうし、不愉快なことも起こるだろう。
 それらすべてと、あの眩い不愉快な快楽。天秤にかけた時、釣り合うだろうか。
「――ばくら……?」
 悩んでいた時、ひどく掠れた、しかし甘い声が二人を呼んだ。
 どちらをも区別しないひとくくりの呼び名に、バクラと盗賊王は了に目をやる。
 潤んだ青い瞳が、半分ほど開いていた。口に入ってしまいそうな髪の房を盗賊王が除けてやると、唇が笑う。
「おは、よ?」
「……おう」
「おはようさん」
 それぞれの返事に了はうん、と頷く。
 彼女もまた、身体に力が入らないのだろう。どうやら手を伸ばそうとしたらしいのだけれど、指先がぴくんと震えただけだ。
 あは、と、小さく声を上げる。つかれちゃった、と続けて。
「ねえ、」
「あン?」
「昨日のこと、なんだけど……」
 可憐なる唇を小さく動かして、喋り出した了を二人は注視した。
 てっきり了も何も覚えていないかと思っていた。だがその口振りはまるで勝者を知っているかのようにもったいぶっている。
 誰だった。誰が勝った?
 知りたい答えを待つ間、だるさも一時だけ忘れた。
 そうして了は、湿った髪をしゃらん、と首の後ろに零すと、

「楽しかった、ね」
 すごく。

 そんな風に笑って、ふわり。
 蕩け落ちるように、それはそれは幸せな表情を浮かべた。
「…………」
「…………で?」
 しばしの沈黙の後。
 どうする、と、盗賊王は大笑いしたいのを堪えつつバクラに問いかけた。
 愛しい愛しい可愛い双子が、幸せそうに呟いたのは勝敗ではなく、心からの満足を告げるそれ。
 こんなのは卑怯だ。あれだけ堪らない表情を見せつけられて、なおもごねられるなら身体の関係など持っていないしそもそも可愛がろうとも取り合おうとも思わない。
 結局は、なにもかもが宿主サマの思い通り――
 忌々しく閉じた瞼の裏で、バクラは天秤が綺麗に釣り合う幻覚を見た。
「決まりだな」
 持越しで決定。
と、隣で盗賊王がしたり顔で笑っているのが不愉快だった。くすくすと了は、嗄れた喉でも軽やかな笑い声を上げる。
つまりゲームは無効試合。何にも変わらず、心の底から満足できたのは了ただ一人、である。これが溜息をつかずにいられるものか。
 同時に、またあの強烈な快楽を手に入れる機会を得たなどと――思いたくないのに、楽しみしている自分自身がいることを、バクラは忌々しくも自覚している。
 最早何を口にしたとて負け惜しみだ。バクラは口をつぐんで、まるきり不貞腐れた仕草で再びクッションにうつ伏せる。
 拗ねてる、と了がつんつん指で突っついてくるのが腹立たしい。

 

 

 ――テーブルには冷めた夕食。
 テレビには海開きを告知する夏色のニュースが流れ、左手にはバクラの背中。右手には盗賊王のにやけた顔。
 それらを目で追った了は、きゃらきゃらと声を立てて笑った。

 

「やっぱり、三人がいちばんいいよ」

 

 了の言葉を肯定するように、開け放したカーテンの向こうの太陽が、爽やかさとは程遠い爛れた六〇二号室を眩しく照らす。
 そういえば、今日から夏休みだ。
 熱烈な初夏の日差しが、これからの三人の楽しい波乱と熱量を示しているかのようだった。