【同人再録】シチュエイション・アクト-2b【R18】

 頭は混乱して、まともな活動が出来なくなっていた。
 誰だか分からない人間――バクラっぽい、というだけで確証の持てない相手の命令に従ってしまったのがいい証拠だ。獏良は震える瞼を下ろし、閉じる前と何も変わらない黒い世界を睨む。
 バクラだったらいいと、何度も思った。
 いきなりの再会と生活。平然としていられる方がおかしいではないか。嬉しくない訳が無かった、同時にあり得ないとも知っていた。
 相手はバクラと全く同じ口調でもって違う声で喋り、獏良を宿主と呼ぶ。混乱は必至だ。訳が分からず流されていた半月間、よく保ったと自分で自分を褒めてやったって罰は当たらない――獏良は思う。
 どうして従っているのだろう。
 大人しく目を閉じて、震える唇を噛み締めて、両腕で顔を覆って。
 耐える暗闇の中、圧し掛かった何か大きなものがごそごそと動いている。
(怖い)
 何をされるのか分かっているから怖い。或いは予想もしていないようなことをされるかもしれなくて恐い。いきなり腹を刺されても、盲人にそれを察する力はない。
「そう硬くなるなよ。前は週五程度の関係だったじゃねえか」
 がちがちに緊張した首筋に何かが触れた。多分指だ。手のひらだと思う。
 その体温と大きさを、獏良は知らない。
 期待していた低い温度と骨ばった手はどこにもない。熱い温度と太い指。なのに触れ方は同じだ。心の部屋で何度も繰り返された行為を、身体は覚えていた。中指から肌に降りて、首の筋をつうと撫でる。鎖骨に辿り着く頃には指が三本に増えて、最後に喉仏のあたりを軽く、親指で探る。
「ば、」
(くら)
 名前を呼べない。どうしても喉が拒否する。
 目が見えなくなって一年、別に嫌だとは感じなかった。どうせ抜け殻みたいな人生だから、これから先バクラを見ることもないのだからどうなってもいいと思っていた。友人や介護者は優しくしてくれたし、見えなくたって生きていける。そんな獏良が初めて、盲人であることを後悔した。
(見られたら、きっと)
 信じられた。或いは、絶望できた。
 目の前の人間がバクラの振りをする誰かなのか、それとも――ああ期待している。嘘をつけない、騙せない。彼がバクラであることを、獏良了は望んでいた。
 攣りそうな首に生暖かい感触。掛かる息で、唇だと理解。
「食い殺しやしねえよ」
 シャツがたくし上げられる。激しい嫌悪感に口は勝手に嫌だと漏らした。拒否を嘲笑われて、懐かしさに息苦しささえ覚える。
「どうしても嫌だってんなら、本気で抵抗しろよ。見えなくたって殴るくらいはできんだろ」
「逃がすつもりなんてないくせに……っ」
「よく分かってんじゃねえか。いつまでも疑ってねえで、宿主は宿主らしくしてりゃあいいんだよ」
「ボクらしいって、何」
「気持ち良くて女みてえにヨガってるとことか、な」
 軽口に腹が立つ。凪の海のような穏やかな日常で忘れていた、久々の苛立ちだった。ああそうだ、昔はいつもこんなだった――思い出して、苦しい。悲しい。
 首を捕えた唇は柔く食みながら下っていく。暗闇でいっそう過敏になった肌に、這う舌先は重たく響いた。ちゅる、と音を立てて吸い上げられ、鮮やかな赤い痕がついた己の首を獏良は拭いたい気分になった。
「う、うぅ」
 不快で、嫌で、振り上げた腕はどこにもぶつからない。
 相手はきっと余裕の表情で避けているのだろう。滑稽に腕を振り回す様子を、にやついて眺めて。
「宿主」
 呼ぶ声が、近い。遠い。
 次は胸辺りに悪戯をされる、と思ったら、事実そうなった。
 お決まりのパターンだった。耳朶への揶揄と首筋への甘噛みと、それからいくつかの鬱血を経て、開発されてしまった乳首への悪戯。爪の先で引っ掻かれて、思わず腰が浮く。
「んん、ッ」
 甘い悲鳴を上げたくなくて、獏良は強く息を飲んだ。近くで笑う気配が響く。
 滑らかで熱い粘膜が肌の上を遊んでいる。反応してしまっているであろう乳首が甘く噛まれ、尖らせた舌の先で転がされる。
 あれもこれも全て、肌が知り切った流れだった。
「お、まえ、っ、ソレ」
 口をついて出た言葉に、バクラがどんな反応を返したのかは分からなかった。ただくつりと喉笑いの音が聞こえたので、笑ったのは確かだ。表情は分からない――愉しげなのか、苦笑なのか。
「察しが遅いぜ」
 揶揄の声だった。
 彼は獏良にも分かるように、意図的に行為をなぞっている。それを知っているのはバクラと自分しかいない。偽物だったら決して出来ない行為を、彼は繰り返す。
(そんなの)
 そんなまどろっこしくて優しい真似を、どうしてする?
 理解できないのはそこなのに。優しくする理由を、帰ってくる理由を、世話をする理由を、教えて欲しい。
 そう乞うと、彼は笑った。鈍いと低い声で囁かれた。
「てめえで考えろよ。時間はたっぷり与えてやる」
 その間、オレ様は勝手に愉しませて頂くからよ。
 云って、無駄口が急に減った。ゆるゆるとした愛撫に熱がこもり、触れる指先から伝わる温度が一層高くなる。ぐいと膝を割られて捻じ込まれた硬いものは膝だろうか。長いこと他人が触れていないそこを押し上げられ、獏良の唇は小さく震えた。
 確かめたい、と、強く思う。
 呼べたらきっと、何もかも楽になるのに。
「ゃだ、ぁ、あっ…も、ッ……!」
 云いたいことは沢山あった。どれもが形にならずに吐息にしかならないのが悔しくてならない。
 硬くて太い膝に押し上げられ、擦れる下肢がもどかしい。暗闇でそんなことをされれば心の部屋を思い出すのは明白で、そうさせるのが相手の目的だと分かっていても流されてしまう。
 不意に、瞼の裏側に妄想が浮かんだ。
 白くて長い髪。皮肉に笑む唇。冷たい手。汗ばんだ肌がくっつくのが不快の一歩手前で酷く気持ちよかった。
 ああ、バクラだ。
 手を伸ばそうとしたら、見えない腕に阻まれた。
「どこ見てんだよ」
 恫喝の声だった。瞼の裏の憧憬が掻き消え、何も見えなくなる。暗闇の向こうの男が、姿もないのにこちらを睨んでいるのが分かる。
「こっち見ろ。おら」
「い、やだ、やだ、ボクは――んッ」
 訴えを遮って、今度は口を塞がれた。多分唇で。
 すぐにぬるりとした舌が滑り込んできて、頑なな獏良の歯列をこじ開けようと撫でてくる。されど軽く膝を使われれば息が漏れてしまう。そのタイミングで舌先を捻じ込まれては逃げられない。
「ふぅ、ぅ、んー……ッ!」
 これもやはり、知らない感触だった。厚くて短い舌は全く他人としか思えない感触で、しかし記憶と同じ動きでもって獏良を翻弄する。上顎を擽り、舌先と舌先をこね合せて交わらせ、歯列のおうとつまでたっぷりと支配される。
「っ! く、ぁう」
 獏良の喉がひくひくと、泣く寸前のように震えた。
 もう泣いてしまいたい。子供みたいに泣き叫んで暴れて逃げたい。相手が逃がしてくれないことなんて分かっているけれど、それでも逃げたい。逃げられないならせめて、
「っ、あ」
 振り上げた手が、相手のどこかに当たった。
 戦慄きながら、腕は絡みつく。抑えられない。
 縋りついた背中は広く、筋肉質で分厚かった。薄い布越しに爪を立てる。口内を蹂躙する動きが僅かに鈍るのを獏良は感じた。
 じわり、と、染みる、正体不明の安堵感。
 同時にぞくぞくと、初めて――一年と半月ぶりに、背中を駆けあがる強い電流を、感じた。
「ばくら」
 息継ぎで空いた唇の隙間で、勝手につぶやきが漏れた。
 自分で云って、自分で驚く。今の感触のどこにバクラらしさがあっただろう。何もかも違うのに、どうして。
 けれど一度感じた奔流は止められない。頭が付いていけないまま、涙腺がまず、壊れた。
「ばくら、バクラ」
「……ンだよ」
 低い返事。
 違う声。
 そんな風に、ぬるい温度で応じたことなど一度も無かったのに。
 ああ、バクラだ、と、思った。
 縋りついた瞬間に――意図せずの行為だったけれど、獏良が自分から彼に触れたその時、一体どんな力が働いたのだろう。
 暗闇の世界は相変わらず何も見えない。瞼の裏側のバクラが消えて、輪郭の無い誰かと重なって消えた。それは呪縛が掻き消された瞬間でもあった。おとぎ話のキスじゃあるまいし、魔法を解く方法は些細な行為ひとつだったとでも云うのか。
 相手の言葉を、こんなことをする理由を求め、それを信ずるのではなく。
 獏良が自ら触れること、耳と思い出に頼らず触れることが、そんな簡単なたった一つが、光のない世界で信じるに足るものを生むまじないだった――そういう、ことなのだろうか。
「バクラ、ぁ、ッ」
 もういっそそれで構わない。溢れてくるのは依存と云う名前の恋情。自分がバクラを好いていた、その一つだけ。
「ばく、ばくら、バクラっ、」
 泣き声は、意図せず甘い強請りとなった。
 整わない息を飲みこんで、再び口を塞がれる。意識している分、快感は強かった。声も、仰け反る背中も止められない。閉じようと抗っていた膝から力が抜ける。
「ひぅっ、ひッ、ひぅぅ……」
 みっともなく泣きだした獏良の顔のすぐ脇で、溜息を感じた。萎えるっての。相手は――バクラは、呆れた風に云う。
「やぁっとご理解頂けたと思ったらソレかよ。そういう泣き方はオレ様の趣味じゃねえんだよ、どうせ泣くならアンアン喘ぎながら泣け」
「無理、だっておま、え、わけわかんないしッ」
 視力を失っても涙は零れる。そんなことも知らなかった獏良は、バクラを失って以来一度も泣かなかったことに今更気が付いた。悲しくないと思っていたけれど、違かった。塞き止められていただけだ。泣いたら認めてしまうから、それが嫌だった。居なくなったことを認めたくなかった。
 本当はずっと望んでいた。帰って来ると、居なくなるわけがないと。
 願いは叶った。
 嬉しくて心肺が痛い。身体中が気持ち良くなりたがって、別の意味でも苦しい。
「か、勝手に帰ってきて、優しいしっ、なんかひどいし、からだつきとか、ボクじゃないし」
「ハイハイ最初に説明しなくて申し訳ありませんでしたァ。てめえの身体借りる前の見た目になってんだよこっちは」
「しらないよ、そんなのっ」
「だったら触って知っとけ」
 手を掴んでべたりと当てられた場所がどこなのか分からない。しゃくり上げながら獏良は両手で、恐る恐る肌の在り処を探った。髪の感触。眉と鼻。これがバクラの今の顔らしい。睫が長い。彫りも深い。唇は少し厚く、太めの首あたりまでの短い髪は硬く痛んでいるようだ。それと右頬にでこぼことした何かがある。なに、と問うたら、傷、と端的に教えてもらった。
 そうだ。こんな単純なことでよかったのだ。
 触れていれば、手を伸ばしさえすれば、きっと教えてくれた。以前のような受動態では、光無い世界ではただ生きることしかできない。
 求めるならば、動かねば。
 止まっていた秒針が動き出すような、そんな幻聴を、獏良は確かに聞いた。ぐいと拭った涙は暖かく、夢じゃないんだ、そんな深い実感を得た。
「ご納得頂いた所で、続きは如何致します? 宿主サマ」
 慇懃な口調と共に、膝をぐっと押される。熱く感じないのは自分自身の体温が上がっているからだ。相手がバクラだと理解した途端、顕著になる性欲は我ながらどうしようもない。
 だって仕方がないじゃないか。
 と、開き直るところもまた、バクラ曰く宿主らしい、のだろうか。
 拒まず下肢を擦りつけたら、そのまま応の答えになった。
「現金な奴」
 笑い、しかし意地悪はせずにバクラの手が腰から下を撫でていく。ジーンズの釦を片手で外し、ジッパーが下りる音が響き――久々の期待にあちこちが疼く。ずり下ろされた下着をくぐって、指先は性器ではなく最奥を探った。
「うう」
「さんざまどろっこしい真似して待たせたんだからよ、前払いが当然だろうが」
 つまりは先に中を味あわせろ、ということらしい。
 開いていた膝を胸につくまで押し上げられ、晒される箇所に痛みが走る。心の部屋ではともかく、現実ではまだ清い身の獏良である。自然硬くなる入口をバクラも見たはずだ。聡い耳が舌打ちを拾い、獏良もまたむっとする。
「仕方ない、でしょ…… 心の部屋じゃないんだから」
「だったらてめえも協力しろよ、ほら」
 ほら、と云われても、何を示されているのか分からない。少々の間の後にバクラはああそうかと面倒くさそうに呟き、獏良の手を取り足を掴ませた。両足の膝裏を自分の手で押さえるはしたない恰好。だがこれも既に慣れの内に入っていた。多少の羞恥心はあれど大人しく従った獏良に、バクラはふふんと笑う。
 晒された腿の裏側に痛みが走る。恐らく噛まれた。赤い痕をつけながら下ってゆく先には、男の身で唯一受け入れられる場所――
「っ、ん……!」
 くぷん、と、どの指かが内側に埋まった。
 心の部屋で交わっていた頃は、抗いさえしなければそこはまるで雌の入口であるかのように柔らかく順じた。現実はそうもいかず、激しい違和感と排泄感がせり上がってくる。気持ち悪い、にならないのは相手がバクラだからなのか、それとも心への調教は肉体にも響くものなのか。視界が暗闇である分、思い出しやすいのかもしれない。
 唾液でも使ったのか、妙に滑りの良い長い指が小刻み振動を与えながら、ゆっくり奥へと侵入していく。
「っ、は、ぁう、」
 じれったい快感の尻尾を掴もうと、獏良は必死に集中した。バクラがどのような表情でもって慣らしているのか、分からないのは残念だ。もしかしたらものすごく切羽詰った顔をしているのかもしれないのに。
 とはいえ今どんな顔してるのと聞いて素直に答えてくれるような男ではない。もどかしく息を乱しながら、獏良は耐えた。
 暫くの我慢の後、何度目かも分からない舌打ちを耳が拾う。
「どうしたの……?」
 問うと、うるせえとだけ返された。
 寸分おかずにぐいと押し付けられた熱にぎょっとする。指が引き抜かれ、こじ開ける動きになった時にはもう遅く――記憶していた頃のバクラよりも性急に、指より太いものがぐっと入口に潜り込んできた。
「いッ…… ちょ、え、まさか」
「ちっと慣らしてやっただけでもありがたく思え。コッチは限界なんだよ」
「何それ、勝手に……ひッ!」
 表情が分からなければ、感情の推移にも気づけない。そんな些細なことを今更知った獏良は、最奥を弄られている間にバクラの性欲が思ったよりも嵩を増していたことに気付いた。言葉少なになったのはそういう理由だったのか。ぐいぐいと濡れた先端――明らかに性器であるそれが入口を擦って、痛い反面もどかしい。だが、
「ちょ、っと待って、なんか大きく、ない?」
「宿主サマのなよっちいお身体を借りてる身じゃないんでな」
 馬鹿にされた。怒る間もなく、びりっとした痛み。明らかに今、切れた。
「――っ!!」
 悶絶する獏良に労わりは投げられなかった。腰を掴まれ、お構いなしに雄が進んでくる。一番太い場所が過ぎたあたりで痛みは鈍く、血流と同じ速さでどくんどくんと痛んだ。きっと血も出ている。バクラにも見えているはずだ。
 予想外のサイズオーバーに、しかし獏良はやめろとは云わなかった。
 繋がりたいだなんて願望が自分の中にあることに驚いた。だけれどもう、目で相手を知ることはできない。耳と、肌で知るしかない。体全部を瞳にするくらいの気持ちで、過敏に貪欲に、求めるほかに何ができよう。
 帰ってきたバクラを、もう二度と手放したくない。
 初めての能動的な衝動。それは存外に重たく甘美だった。
「い、たい、バクラ、はやく、ッ」
 喉を反らせ、獏良は重く甘いそれを吐息で吐き出す。少し上ずった声のバクラが、は、と笑ったのが聞こえた。
「早く、何だよ、抜けってか」
「違う、動いて、ほし」
「あァ?」
「きもちよくして、いたいの、とばして、」
 ひゅ、と息を飲む音は、多分幻聴ではない。
 そうかよなんてそっけない言葉を返した癖に、腰を掴み直す手のひらの何と熱いことか。
 斜め下から抉るように、ずんと突き上げられる腰――深く埋まる内側に、全身が喜ぶ。
「ッァ、ぁ……!」
 すっかり忘れていた。貫かれることがこんなにも気持ちが良いなんて。
 誰でもいいわけじゃない、バクラでないと駄目だ。試さなくても分かる。欲しいのはバクラで与えられるのもバクラ一人しかいない。共犯者から与えられる熱以外に、何で満足できるというのか。足を支えるのも忘れ、背に爪を立てて仰け反る身体を受け止める、その腕が胸が身体が記憶と違っていても、もう大丈夫だった。
「ぁっ、ひ、っァ、あぅ、ぅ……ッ」
 剛直な抜き差しに手加減はない。獏良は全力でしがみ付く。
 薄らと感じるのは、遠い遠い砂の匂い。心の部屋で嗅いだ覚えのあるバクラの髪の匂いだ。何もかも違っているのかと思ったらそうでもない、仕草以外に、ちゃんと残っている部分もある。
 そう思ったら嬉しくて泣けた。バクラの目からしたら曰くみっともない、ぼろぼろとした涙を獏良は散らす。からかわれるかと思いきや、何も云われなかった。
 敏感な耳が荒い息遣いを拾い、前髪を揺らす短い吐息の距離で、顔が近いことを知る。その距離で何も云わないということは、きっと目を閉じているだろう。あのバクラが瞑目し、熱中して腰を打ち付けていると思うと堪らない。いつも余裕の笑みを浮かべて弄うように犯した男が酩酊して瞳を伏せているなんて。
「きもち、い、」
 ああ、本当に気持ちいい。
 心も身体も満たされた切れ切れの訴えに、バクラは曖昧な返事をした。ああだとかううだとか、そういう母音を一つ寄越したきり、また黙る。穿つ。汗が散り、痛みを超越した疼きが響く。
 今のバクラの顔を、獏良は知らない。
 だが、なんとなく浮かんだ輪郭は、紫の瞳をしていた。根拠も何もないのに間違いないと思う――後で聞いてみよう。
 そう決めたところで、ぞくん、と感じた。
「ひぁああッ!」
 あられもない悲鳴を上げ、腰を捩る。暴力的な快感が、腹の内側を突かれた瞬間に弾けて響いたのだ。
「ンだよ、やっぱ同じじゃ、ねえか」
 掠れた声でバクラが云う。わざと強く突かれたようだ。心の部屋ン時と同じ、と囁く声に濃い愉悦。
「ココがお好きで」
 ぐり、と抉り、
「こうやって、小刻みに」
 抜ききらず、素早い注挿で。
 駄目だ狂う、と大声で叫んでいた。それきりまともな嬌声も上げられない。足の指が丸まり、攣りそうだ。触れてもいない性器が硬く漲り、バクラが動く度にどこか――恐らく腹か服――に擦れて焦れる。中の刺激だけでこんなになるくらい、気持ちが良いのだ。堪らない。
 遮二無二悦がれば、バクラの動きも激しくなる。お互いに言葉を無くして獣のように交わった。どちらのものか分からない汗が塩辛い。穿たれ傷ついた最奥の仕返しに、爪を立てた肌には深い傷が残るだろう。二人とも血を流しながら、ちっとも止める気にならない。
(何をされるか分からないから)
 暗闇で行う行為は恐ろしいと思っていた。
 されど杞憂であったと知る。知らない身体でもバクラはバクラで、その手順は何も変わらなかった。故意にだろうけれど無意識も交じっているはず。獏良が肌で覚えていたように、バクラとて、求め方を、貪り方を、深く心に刻んでいるのだ。
 やがてバクラの動きが止まり、奥の奥に熱が弾けた。
 じわりと広がるそれは懐かしく、獏良の官能を最大限まで引き出していく。
「ぅあ、あ、ゃ」
 まともな声がもう出ない。それくらい泣いて、啼いた。
 あちこちからいろいろなものが溢れて滴って、止まらない。切れ切れの無様な母音しか叫べなくなった喉の代わりに、獏良は頭の中で繰り返した。
(バクラ)
 今まで呼べなかった分を何度も何度も。それだけでもう一度射精してしまいそうな欲を絡めて、獏良は呼んだ。
 するとバクラが小さく、
「……うるせえよ」
 そう応じた声は、嬉しそうに聞こえた。
 きっとそれは喧しい悲鳴に対する文句ではなく、馬鹿みたいに繰り返し呼び掛けた声への照れ隠しだったのだろう。
 耳に聞こえなくとも。目に見えなくとも。
 ――肌と肌は繋がっているのだから。

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「だからちゃんと説明してよ」
「うっせえな、てめえで考えろよ」
「それじゃわかんないから云ってるの。教えてよ、今ボクどうなってるわけ、ここどこ?」
 事後の色気の無さは相変わらずであった。
 と、バクラはソファで膝を抱えている獏良を横目に溜息を吐く。
 しおらしく元気なく大人しい、らしくない獏良がようやっと『宿主』に戻った。それを望んでいたのはバクラだが、ここまで手間がかかるものとは。
 事後――二回だったか三回だったか、とにかく猿のように交わった――ようやくまともに戻った獏良は尻が痛いと喚き、バクラによってくるくるに洗われた後、ソファに転がされた。好きで後始末をしたわけでない、これも介護の内だ。
 そしてバクラはせっせとフローリングを掃除している。散らかした食事と汗と精液と血の始末だ。
「どこ? ベッド?」
「ソファだっつの。尻が痛えっつうから床は勘弁してやったんだよ。感謝しな」
「そりゃどうも。で、お前は何してるの? なんかごそごそ音がするけど」
「てめえの粗相の片づけだ!」
 思わずマイペット(洗剤)を壁に投げた。音にビクリと震え、獏良は自分の身体を抱きしめる。
 うっかりしていた、そうだ、見えないのだった。
 獏良の様子が一年前に戻っているので、つい忘れがちになる。何もかもが戻ったわけではない。失った視力は二度と元には戻らないし、バクラも白く細い肉体を得ることは叶わない。
 停滞の一歩先へ進んだのだから。
 馴染まぬことも不慣れなこともままならぬことも増えるだろう。それでも離れる気が起きないのだから――厄介なことに、末期症状極まりない。これだから色恋は面倒くさい。
「な、何、なにしたの」
「……マイペット投げた」
「やめてよもう、驚かさないでよ」
 きょろきょろする獏良はやはり無様だった。
 子供でも分かるようなことが分からなくなった盲人。ひとつひとつ教えてやらねば分からず、感情を言葉にするのを嫌うバクラにとってはかなり痛手だ。
 云いたくないからと黙っていれば、また獏良は心を閉ざす。これから先を共にする覚悟とセットで、プライドの高さを少し低めに設定しなければならない。
(……めんどくせえ)
 乾拭きを終えた雑巾をバケツに放り、バクラは唸った。
 横目で眺めれば、獏良は適当に着せたロングパーカー一枚で体育座りに向こうを見ていた。バクラがそちらにいると思っているのだろう。おい、と呼んだら、すぐに反応。相変わらず目線は合わないが、中空を見て話すことはなくなった。
「なに、バクラ」
 ふにゃ、と、獏良の口が緩む。
 無意識だろう、それは安堵の笑みだ。
 守ってやろうとは思わない。そういう感情は覚えていない。けれど、やはり、なんというか。
「……うるせ」
 白い足と痩せた膝と、鬱血だらけの首と事後の妙な色気。それらにムラっと来てしまうのはどうしようもなかろう。
「痔になったらこっちが困る。あとで薬買ってきてやるから、尻の穴の手当はてめえでしろよ」
「ひどい! 乱暴したのお前じゃないか! 別にケアして欲しいわけじゃないけどさ!」
 獏良はきいと叫んで、手探りで掴んだクッションを投げつけてきた。無論見当違いな方向に飛んで行く。
「もう知らない。バカ。意地悪。どっか行っちゃえ」
「行っていいのか?」
「やだ」
 と、獏良は膝の間に額を押し付けて黙った。
 夕暮れが近づき、穏やかになった太陽光線が白い身体を淡く照らす。
 バクラは目を細め、不具者となった元・宿主を眺めた。
 過去と現在。その中で失ったものは数知れない。
 この先の自分のことなどどうでもいいと云わんばかりの無気力だった獏良が、今は未来を見ているように見える。闇しかない世界で、獏良の手を引いてやることが出来るのはバクラだけだ。他の誰にも勤まらない、強い依存の糸は未だ存命。
(どうせオレ様だって、やることなんざ何もない)
 この先の未来をお前にくれてやる。
 そこまではっきりと云えないかわりに、バクラはポケットに突っこんだままだったものを取りだしがてら、いじける獏良に歩み寄った。
 すべきことは山ほどある。
 とりあえず、獏良のその無駄に長くなった髪を梳いてやることから始めよう――鏡を失った宿主の頭を櫛で突いて、バクラは少しだけ、笑った。