Lima & Stockholm.txt

青白い光が明りを落とした部屋をぼんやり照らす。時計の針が勤勉に働くこちこちという小さな音が規則的に響く、現時刻は午前二時。
  モニタからの光を受けて、もともと白い顔をもっと白く、否、死人のような色に変えた獏良の顔はじっと一点を見つめていた。長い指がぱたぱたとキーボードを叩き、暫く思考し、また指が踊る。その繰り返しがかれこれ八時間ほど続いている。
  後ろ姿を眺めつつ、バクラは丸めた背中に声をかけた。
「宿主サマ、そろそろ寝んぞ」
「無理。シナリオ打ち込んでるから」
「昨日も聞いたぞソレ」
  ぱん。エンターキーを押す音がバクラの声に重なる。
  集中しだすと他の一切をしなくなるのは悪い癖だ、食事も風呂も掃除も全てが後回しになる。酷い時は水分まで摂取せずに黙々と作業に打ち込んでいるのだ。そして精神よりも先に身体が音を上げて漸く、机に突っ伏して泥のように眠る。意識を引き剥がして交替してしまえとも思うが、そうすると機嫌が悪くなるというか後々面倒な仕返しをされるので、もうやめた。
  代わりに仕方なしに、声をかけて邪魔をしてやる。集中力が自然と途切れるのを待っては朝になってしまう。
  身体は大事にしてもらわなければ困る。大事な大事な宿主サマ、これからたっぷり働いてもらわねばならないのだから―――決して、バクラがひそかに気に入っている長く白い髪が寝不足と栄養不足でバサバサに痛むのがもったいないと思っているからではない。断じて。
  ひたひたと歩み寄り、背後からモニタを覗き込む。豆粒のようなテキストがびっしりとエディタに連なっていた。
「ったく、今度はどんな愉快なシナリオ書いてやがんだ」
「よくある話だよ」
  無視されるかと思っていたら、意外にあっさりと返答が帰ってきた。椅子の背もたれを軋ませて、目の下に紫色の隈を作った獏良が言う。
「悪いゴーストに取り付かれた旅人が悪行を働くんだ。それを四人のプレイヤーがパーティとなって倒す」
「…へえ」
  それはそれは。
  口の端を吊り上げて、バクラは皮肉を込めて笑った。
「どっかで聞いたような話だな」
「うん、モデルはボクとお前と皆」
  手元のノートに視線を走らせてから、ぱたぱたぱたたた、と、リズミカルに指先が動く。鍵盤を奏でるようなその間に答えた単純回答は、笑んだバクラの顔を呆れ顔に変えさせた。
  こういう時ははぐらかしてすっとぼけるのが定石なんじゃねえの、そう呟くと、あははと獏良が声を上げた。
「ボクはお前と違って正直者だから、そういうの苦手なんだよね」
「よく言うぜ。…それで?」
「ん?」
「そのシナリオ、最後はどうなるんだ?」
  自分達と彼ら、準備段階に入った古代のジオラマ。着々とゆっくりと進んでいる現実のシナリオ。その境遇を重ねた悪趣味極まる物語の結末は一体何なのか。思惑をおぼろげに知りながらのらりくらりと共犯関係を続けている獏良に、バクラが思い描く最終的な目標は見えていないはずだ。ならば、どんな終末を予測し求めているのか――興味が沸いて、肩越しにさらにモニタを覗き込む。
  首を伸ばして文字を読もうとすると、くるり。椅子が半回転して、こちらを向いた獏良の身体で画面は隠されてしまった。書き途中を読まれるのはお気に召さないらしい。
  タイピングと同時に、ノートへ暗号のようなのたくり文字で走り書きをメモしていたペンを指の間で回しながら、獏良は腕を組んで立つバクラをふいと見上げた。
「トゥルーエンドとバッドエンド、どっちが聞きたい?」
「そりゃあ勿論、バッドエンドだろ」
  もう片手にあるノートを捲り、質問は簡潔。答えもまた、簡潔だ。
  ページを捲る手を止めて、獏良はその暗号文字を読んでいるようだ。文字を通り越して、どう見ても象形文字にしか見えないのに。ひょっとしてこいつヒエログリフ解読できるんじゃないだろうか、そんな疑惑さえ浮かんでくる。
「バッドエンドはね、ゴーストは旅人もろともプレイヤーに殺されて、もう復活できないように身体を四十八等分に分解されて地中深く封印されました。世界には平和が戻ってめでたしでめでたし」
「逆じゃねえか」
  呆れてバクラは額を押さえた。こいつはこんなシナリオばかり書いている。いや、書くようになった。初めて会話できるようになったあの頃、それ以前はスタンダードな内容に小技を効かせた、バランスのいいものを作っては友人とプレイをしていたのに。そして――その友人を餌食にしていたのだけれど。
  どのあたりから悪影響だったのかと考えれば、無論、バクラ自身との邂逅以外に考えられない。それを喜ぶべきなのか複雑な心境だ。天然故のつかみ所の無さは成長しすぎて、手に余る。
  その手に余る宿主は、平然と暴君の言葉を口にして笑った。
「ゲームマスターの言うことは絶対なんだから、いいの」
「…因みにトゥルーエンドは?」
「聞きたい?」
「まァ、一応な」
  何となく先は見えているが、視線を適当な箇所に持ち上げつつバクラは相槌を打った。
  バッドエンドがヒールの死なら、トゥルーエンドはその逆だろう。大方プレイヤーを惨殺、世界中の人間を殺戮して回って支配者になるとか、そういう。
  もしそうなら、現実もシナリオも代わりは無い。それが獏良の望みだとしたら、もう自分達は分かたれる事のできない同じ目的を共有した者になる。それならそれで、いい――憎き王の首を掲げる傍らに立つのが永遠の宿主ただ一人というのも、悪くない。
  それはきっと、初めて手に入れる幸せだ。予想通りの答えが、綺麗な形の唇から発せられることを期待した。
  開いた唇は、結末をうたう。
「ゴーストと旅人はプレイヤー達から逃げおおせて、ゴーストがいた場所に帰るための方法を探す旅に出るんだ」
「…は?」
  思いがけない結末に、バクラの口から間抜けな声が洩れた。
  くるん。再びペンを一回転させる獏良はバクラを見上げている。屈託の無い、まっすぐな目で。
「プレイヤーをブッ殺すんじゃねえのかよ」
「しないよ。ゴーストはもといた場所に帰りたかったんだ、ゆっくり眠りたかったから」
「眠る?」
「この世界は、彼には煩くて明るすぎたんだよ。だから世界からきらきらしたもの、うるさいもの、人間と朝と昼を奪って、もといた地獄と同じようにしたかった。殺戮も破壊も、眠るため。ただ静かに、ぐっすり」
  眠いと辛いでしょう?と、獏良は言った。
「お腹がすくと悲しいし、眠いのに寝れないと苛々する。些細な事かもしれないけど、それがずっとずっと続いたら、誰だってどうにかしたいと思うよ」
  そう言って、あくびをひとつ。うん辛いや、と自らの身体で体言した獏良は、ペンをことりと机に置いた。どうやらもう作業は終わりにするらしい。
  机の上に散らばった紙や屑を集めはじめる背中を、バクラは呆然と眺めていた。
(眠いから、だって?)
  どんな解釈だそれは。モデルは自分たちと言ったその口で、作り上げようとしている結末は敵の殺戮もなくみっともない逃亡者になることだなんて。
  そうなりたいのか。この期に及んでまだ、友人を殺したくないと望むのか。ここまで協力しておいて――ジオラマ作成の準備までし始めているのに。全てが終わろうとしているこの状況で。
  苛立ちが腹の中で熱を持った。
  吐き出した笑いは、底意地の悪い揶揄。
「その旅人は操られてたのかい?ピイピイ鳴いて、抵抗したんじゃねえのかよ?」
「そんなことないよ。長く一緒に居るうちに、ゴーストと旅人は仲良しになるからね。
  旅人は言ったんだ、『いつか君のふるさとを見てみたい』って。だから、一緒に終わりのない旅に出るんだよ」
  声色に演技は見当たらない。それが彼の本心なのか、それともシナリオとしての言葉なのか、バクラにはわからなかった。
  不意に、聞いてみたくなった。それがお前の本心なのかと。
  あの廃墟へ。呪われたクル・エルナへ向かうことが。戦いも争いも復讐もなく、逃亡者となって、ただ二人で朽ちるまで共に存在することが望みなのか――
(否、)
  問うたとしても、きっと獏良は答えないだろう。
  隠しごとのできない心の部屋だったとしても、恐らく見えない。
  きっと獏良自身にもわかっていないことなのだ――望んでいる未来も、結末も。
  腹の中の苛立ちが、一気に、萎えた。
「…は、前衛的なシナリオだこと」
  付き合っていられないと吐き捨てて、バクラは闇の中に姿を消した。
  同じ場所に居るのが急に息苦しくなったからだ。悪意など、邪気など何も無い顔で、繰り出される戯言は飛んだ皮肉ではないか。
  バッドエンドはありえない。トゥルーエンドもまた、どこにもない。
  目指す終末は漆黒。何者も居ない、自分ひとりの名前が残るエンドクレジットだけだ。
  だから、その意味を考えたりもしない。
  ぱたりと閉ざされたノートパソコンの片隅に見た、シナリオのファイル名。そんなものに思いをめぐらせたりなど、決してしたくなかった。