ソーダブルーの緩やかな拒絶

身体と身体の間にはもう隙間がない。ぴたり重ね合わせた肌の間に同じ体温の汗が溜まっている。動くたびにつるりと雫になって垂れるその感覚すらもどかしく、獏良は軽く喉を反らせた。
  その喉を舐めて、バクラの顔が這い上がってくる。喉、おとがいを経て、頬にまで。
「…飴玉みてえ」
  辿り着いた先にある潤んだ青い瞳を見て、バクラがふとそんなことを呟いた。
  吐息が軽く目にかかる。乾いて痛むせいで二つ瞬きをしている間も、視線はふたそろいの青いそれに注がれている。何のことを言われているのか分からず黙っていると、沈黙を察して、目、と低い声で囁かれた。
「部屋にあったろ、テーブルの上」
「…ああ、ソーダ味の、あれ」
「それ」
  繋がりながら唐突にそんなことを言われても、何と返すべきか分からない。ただでさえ二回目の絶頂を終えて疲労困憊、正直まばたきさえもおっくうなのだ。バクラの声も擦れていて、お互いにぼんやりとしているのが分かる。いつもより棘の無い喋り方になんだかおかしくなり、少し笑うとなんだよ、とこれもまたぬるい声で返された。
「ボクの目、あめっぽい?」
「たまにばかみてえに丸くなるからな」
  そんな失礼なことを言いながら、手が持ち上がる。首の後ろから耳のあたりにざわざわとした感触が這った。髪と一緒に少しばかり頭を支えられ、顔と顔が近づく。よく目を見るためだと気がついて、獏良もまた閉じそうな瞼を引き上げてやる。距離が近すぎて、鼻の先にあるバクラの表情は分からなかった。同じ色の瞳しか見えない。
  外見上はほとんど同じ形をしているのだから、今バクラの見ているものはそのまま獏良が見ているものだ。思ってみてみると、青く潤んだそれは本当に飴玉のようだった。うろんな意識のせいで余計にそう見える。
  寝る前に食べたソーダ味のキャンディの味はもう舌の上には残っていなかった。もう慣れてしまったお互いの精液ばかりが残っていて、菓子とは全く無縁の状態だ。
  口直しがしたいなあ、とぼんやり思っていたら、そのままの思考が口からこぼれた。
「食べたい?」
「あ?」
「甘いかもよ、舐めてみたら。持ってってもいいよ」
  半ば冗談のつもりでそう言った。
  するとバクラはくつくつと笑って、そいつは困ると応えてくる。
「宿主サマの目がなくなっちゃあ、再三お願い申し上げてるジオラマが作れなくなっちまうじゃねえか」
「片方だけだよ」
「片目でできんのか?」
「お前の片方もらったらできるよ」
  そうしたらお前が片目になっちゃうけどね。そう言って、何となく上げた手で右目の瞼を撫でてみる。
  途端、バクラはなぜか少し複雑そうな顔をして黙った。
「…どしたの」
「…べつに」
  何でもねえよ。言いながら、その手を掴んで指の先を齧る。
  奇妙な気まずさが闇の中に、音も気配もなく漂った。触れてはいけない部分に触れてしまった気がして、齧られた手を軽く引くとすぐに逃がしてはくれたけれど、今度はその手の置き場がない。さまよった挙句、結局背中に回して落ち着けた。
  まだ顔はお互い目の前にある。表情を伺えないほどの近距離で、瞳をかちあわせているのに、先ほどの気まずさを引き金に、急に互いの距離が隔てられた気がした。
  何を思って、あんなあやふやな表情をしたのだろう。なぜた右頬から瞼までの感触は掌にまだ残っている。いきなり触れたのに眼を眇めることもしなかった。普通、反射でとっさに眼を閉じたりするはずなのに、まるで驚きもせずに開いたままだった青い瞳。
  それがいま、獏良を見ている。その前は、何を見ていたのだろう――その瞳で。
  不意に、ぎゅ、と、心臓の辺りが苦しくなった。
「…どうしたよ」
  先ほどの問いかけとは逆に話しかけられて、べつに、とは答えられなかった。
  自分にだってわからない。このだるくて熱くてうろんでけだるい頭では、通常まともに考えられそうなことさえ思いつかないだろう。ましてや正体のわからない胸の痛みの原因など、わかるはずもない。
  思考を手放した感情は勝手に口から零れてくる。そのままに開いた唇で、獏良は呟いた。
「あげる」
「あ?」
「ボクの右目、あげる」
  はいどうぞ。
  まどろんだ声でそう言って、軽く顎を持ち上げる。
  何故か差し出したくなったのだ。不穏な空気を漂わせた右目の代わりに、この目を渡してもいい。そうして交換して、代わりにその右目が欲しい。そうしたらバクラが見たものを、気まずさの正体を知ることができるような気がした。
  そんな意図を、彼は汲めただろうか。それともあえて気づかないふりをしたのだろうか。バクラは何も言わない。
  言わないまま、すぐ間近に差し出された獏良の右目、眼球の白い部分をれろりと舌の先で舐めて、
「…しょっぺえ」
  甘くねえなら、いらねえよ。
  低く呟いた言葉と共に、乱暴に、獏良の頭を引き寄せて黙らせた。
  甘いものが好きではないくせに。ああ、やっぱり――意図を汲んだからこそ、断ったのかもしれない。そう思った。きっと彼は知られたくないのだ。かつて見ていたことも、何かを隠している右目のことも。
(くるしい)
  呆然と思う。胸が?それとも他のどこかが?わからない。
  わからないことだらけで窒息しそうな中で、それでも獏良は背中へまわした手に力を込めて引き寄せた。 苦しいほどきつい抱擁の中にある、色も形もないけれど確かな拒絶。そんなものでも、いまだけは手放したくないと強く思ったのだ。