【同人再録】Coupies-4 召しませポイズンバイオレット

 部屋を暖めるために全力稼働しているエアコンの音に混じって、調子外れた鼻歌が聞こえてきた。
 曇る窓の向こうを何となく眺めていたバクラがその歌の発生源に視線をやると、部屋から出てきた獏良が分厚いハードカバーの本を片手に、冷蔵庫へ頭を突っ込んでいるところだった。上機嫌に揺れている尻の様子からして、恐らく冷やしておいた甘いものでも取り出しているのだろう。
 と思ったら案の定、である。左手に白い箱、右手に本。それらを掲げるようにして獏良はバクラの傍まで寄ってきた。
「えへへー」
 にたあ、と表現するに差し支えない、気持ちの悪い笑顔が向けられる。毎度のことなので特に驚きはしない。再び窓向こうへ視線を戻そうとすると、目の前にずい、と、家の形をした白い箱が突き出されてきた。
「…何だよ」
「シュークリーム買ってきたんだ」
 でもお前にはあげないよー?
 機嫌が良すぎていらっとくる口調で獏良が言う。いらねえよ、と吐き捨てた言葉にも文句の代わりに何故か笑顔だ。何がそんなに嬉しいのかと突き出された箱を見れば、表面には近所でも有名なパティスリーのロゴが印刷されていた。
 なるほど、いつものコンビニスイーツではなく今回は奮発したということか。バクラには節約節約と耳にタコができるほどぶつくさ言ってくる癖に、自分に対しては相変わらず激甘である。
 気に食わない顔で黙るバクラの前で、ソファにぼふんと勢いよく座った獏良がやかましい音を立てて箱の屋根を開いていく。
 開かれた箱の中には、ほどよい色に焼けた生地に挟まれたクリームがたっぷりとはみ出ているシュークリームが二つ。コンビニで売られているもののように内部にクリームが詰まっているのではなく、サンドされているタイプのものだ。そして更にいつもと違うのは、そのクリームの色。
「…毒みてえな色だな」
 思わずそう呟かずにはいられないほど、クリームは見事な紫色をしていた。
 柔らかくホイップされた表面には、ところどころ、同じく紫色をした小さな塊が混ざっている。ブルーベリークリームって聞いたよ、と獏良が説明するのを聞かなければ、海外で見かける食紅でカラーリングされた悪趣味な菓子としか見えなかっただろう。
 箱の中身のうちのひとつをそっと取り出し、形が崩れないよう目線の高さまで持ち上げて矯めつ眇めつ。青い瞳には、食欲以外の輝きは見られない。
「食いモンの色じゃねえだろ」
「いい匂いだよ。限定品だって書いてあったし」
 でも安かったんだ。クリームを挟む笠の部分のシューを持ち上げて、獏良が得意げに胸を張った。
「あそこのお店、異物混入で問題になったじゃない? なんか閉店するみたいで、安くなってた」
「待ててめえ」
 さらりと吐かれた聞き捨てならない言葉に、バクラは逸らしていた視線をぎゅんと獏良に向けた。
「異物混入って、そんな店のモン食うのかてめえは」
「あれ、知らなかった? ニュースにもなってたよ、ローカルだけど」
「そういう話をしてんじゃねえ」
「売ってたんだから大丈夫じゃない? 問題になる前ならまだしも、その後の商品なんだからきっとちゃんと作られてるよ」
「安売りしてたって時点で怪しいんだよ。あからさまに危なっかしいじゃねえか、やめとけ」
「そんなこと言わないでよ。せっかくこうしてボクに食べられるために冷蔵庫でおいしく冷やされたシュークリームがかわいそうじゃないか」
「そんなもんてめえが勝手に…」
 と、詰め寄ったところではっとして、バクラは開いた口をぐっと噤んだ。捲し立てられた獏良がきょとんとして、どうしてそんなにしつこく食べるなと言い募るのかと不思議そうな表情を浮かべていたからだ。
 シュークリームを真ん中に、ソファの上でお互いに顔を突き合わせている滑稽なシーン。
 暫くの沈黙、の後にバクラが干潮の海のようにゆっくりと顎を引くと、獏良が首を傾げて言った。
「ひょっとして、心配してくれてるの?」
 何に対してなのかは分からないが、若干の期待を込めて口にされた言葉に、バクラはふんと鼻を鳴らして笑った。
「大事な身体だからな。宿主サマにぶっ倒れられちゃあ、こっちが困るんだよ」
 そう、心配など殊勝な真似をするわけがない。するとしたら身体のことだけだ。大切なのは獏良了の身体であって彼自身ではないのである。おかしなものを食べて内臓でも痛めて入院でもされたら困るのはこっちの方なのだ。
 と、そんなようなことを一通り説明してやると、素直じゃないなあと獏良は嫌な感じに目を細めて笑った。
「そんな言い訳しなくても、ボクのこと心配なんだって一言いえば良いんだよ」
「頭湧いてんのか。オレ様にそういう態度を求めるてめえがおかしい」
「かわいくない奴」
「結構なことじゃねえか」
 吐き捨てた言葉に、今度は獏良がふんと鼻を鳴らした。腹いせなのか、もってきた本をぽいとラグの上に投げ捨てる。
 ソファの背もたれにゆっくりと背中を預け、細い手がまるで宝物を扱うように丁重に、膝の上の箱をローテーブルの上へと置いた。片手にはまだ手放さない紫色のシュークリーム。聞く耳持たずに即かぶりつくのかと思いきや、獏良の青い目はじっとその、ブルーベリークリームに向けられている。
「うーん、確かに色的にはこう、毒っぽいかもしれないね」
 そう言いながら、ちら、とバクラを伺ってくる。
 心配とやらをさせようとしているのか、はたまた珍しくこちらの忠告を真摯に受け入れようとしているのか、その真意は定かではない。
 だが食べるのを躊躇うというのならば好都合である。もう二、三言、いかにも食欲がなくなるようなことを言ってやれば食べるか否かは保留となり、手の中のそいつは箱に戻され再び冷蔵庫の中で眠りにつくだろう、とバクラは思う。そうしたら、夜にでもこっそり生ごみ扱いにでもしてやればいいのだ。
「どっかで見たことある色だ。あ、毒林檎とか」
「だろ。ならとっとと捨て」
 ぱくり。
 ――言葉を遮って、予備動作なしに獏良がシュークリームにかぶりついた。
「宿主てめえええええ!?」
 思わず絶叫してしまった。あまりにも自然に、そう、まるで吸い込まれるように、シュークリームの上半分が小さな口の中めいいっぱいに頬張られる。もぐもぐと咀嚼する横顔は見事なすまし顔。毒林檎のようだと表現したその口で、バクラがあれだけ注意したあやしげな菓子はあっさりとかみ砕かれて嚥下された。
 指についたクリームを舐めとって、獏良が小さく笑う。
 呆気にとられたバクラを伺うようなその笑みは、甘菓子そのままに軽くふわふわだ――だが、
「味は普通だなあ…けっこうおいしい、あまずっぱくて」
 悪くないよと言おうとした獏良の手から、ぽろり。シュークリームは転げ落ちた。
 ガラステーブルの上へとそれが落下する様子が、スローモーション目に映る。背景で、獏良が大きく身体を揺らす。
 ばさりと音を立てて、柔らかい仕立てのソファの上へ白い髪が散らばった。
 倒れた?
「…宿主?」
 一部始終をただ眺めるしかなかったバクラが、訝しげな声で、己のあるじを呼ぶ。
 三人掛けのソファの座面へ頬を押し付け、横向けに倒れた身体はぴくりとも動かない。影を落とすほど長い睫は伏せられ、半開きになった唇には舐め取りきれなかった紫のクリームが付着している。
 響くのは、空調が働く低い音だけ。
「冗談じゃねえぞ。くだらねえ芝居打ってんじゃねえ」
 苛立った声でバクラは言った。触れられる身の上なら肩でも蹴り飛ばして叩き起こしてやりたい気分だ。しかし、それほど刺々しい口調で呼んだというのに指先はぴくりとも動かない。
「おい、…おい?」
 ようやく異変を察知して、バクラは身を乗り出した。
 ばっと視線を向けたガラステーブルの上では、潰れたシュークリームから紫のクリームが、床に向けて重たく垂れるところだった。練り込まれたブルーベリーの実が、滴るそれと一緒にこぼれていく。
 塊は床のラグに投げ出された、ハードカバーの表紙にぼたりと墜落した。
 表題は「Kinder- und Hausmarchen」。
 今日び子供でも読まないような、グリム童話の、名作集だった。

 

 チクタクチクタク、時計が動く。
 どれほどの時間が経過したのかは定かではない。そもそもことが起こる前の時刻をバクラは知らなかったし、針の音を聞くだけでも妙にいらつくので確認したくなかったのだ。
 体感時間ではもう数時間も経っているように感じる。差し込んでくる日の光も角度を変えたような気がする。
 その間ずっと、獏良は微動だにせず昏々と眠り続けていた。
 傍らで思案顔のまま、バクラはどうしたものかと考える。頬を数発、本気で打ってやれば目覚めるのかもしれないが、あいにくその肉体をバクラは持っていなかった。ならば心の部屋から侵入して状況を探るのはどうだろうか、しかし原因が分からないいま、人格交代を行って、こちらが昏睡するような目に合っては元も子もない。獏良了という存在は代えの効かない大事な宿主、つまりは貴重な肉の器ではあるが、その器を操る自分自身に害があっては意味がないのである。
 苛々と思考するその隣で目を閉じる、獏良はまるでよくできた人形のようだった。
 長い睫が頬に影を落として、空調から吹き込む暖かい風に髪が揺れている。
 ―――もしもこのまま、閉じた瞼が開かず永遠に目覚めなかったら。
 至極くだらないことをバクラは考えた。
 そんなことになれば今後の計画はどうなる、こんな馬鹿馬鹿しいことで全てが御破算になるなど、冗談ではない。
 このように益体もなく思考しているというのに、獏良の寝顔は至って安らかだ。まったく憎らしい、これほど拳を振るいたくなる機会というのもそうないだろう。
「…クソが」
 呑気な顔しやがって。
 覗き込んだ先の白い美貌に、思わずそんな罵声を吐きかける。
 苦しそうな様子は全くない。規則正しく上下する胸からして、呼吸も正常だ。体調が変化しているようには見えない。
 大体原因は何なのだ。バクラは無意識に爪を噛んだ。
 下らない、まさか本当に毒が入っていたとでも言うのか。自然と視線は高度を下げ、開いたまま紙面を伏せる形で捨てられている分厚い本の上をなぞった。「Kinder- und Hausmarchen」。邦題は「子供たちと家庭の童話」、つまりはグリム童話集。黒塗りに濃い紫のコントラストで描かれた中世の姫君が、先程垂れたクリームで更にグロテスクにデコレーションされている。その姫君を追い詰める魔女が浮かべた禍々しい笑みは、まるでバクラを嘲笑っているかのよう。
 ここに記された物語ならば知っている。一昨日くらいから獏良が妙に熱中して読み出したもので、何だかんだで一緒にその文字を追うことになったバクラもまた内容を把握しているのだ。
 ――毒の色をした菓子を口にして、昏睡した姫。
 ――またある時は、毒によって百年の眠りについた姫。
 そんなような物語があった。
 そして、テーブルの上には毒物を想起させる紫色の甘い菓子がある。
 不意に馬鹿馬鹿しいことを考えた。たとえば今獏良は御伽話の姫君よろしく眠りについていて、そうして誰かの接吻とやらで目覚めてみせる、だとか。
「…くっだらねえ」
 あり得るわけがない、そんなことは。
 シュークリームは閉店セールの店先で買われたもので、そもそも口にしたとたん人一人の体調を乱さず安らかに眠らせるだけ、という安易で便利な毒が存在するわけもない。
 どうやら自分は思いのほか混乱しているらしい。冷静に自己分析して、バクラはがりがりと後ろ頭を掻いた。
 ソファの傍らに胡坐の姿勢で浮いていたところを移動して、目を閉じた獏良の上へと移動してみる。まったく、つくりだけは腹が立つほど上等だ。スノーホワイトも顔負けである。名前だけならこいつの方がよほど似合う、それくらいにどこもかしこも白い。着ている服がいつものボーダーではなく白いシャツの為、余計にそう見える。
 スノーホワイト。
 雪の色。
 白い髪。
 白い頬。
 口元を飾る紫のクリーム。
 何となく、そう、全く何の意図もなしに、バクラは指を伸ばした。
 触れられはしないと知っているのに、その小ぶりな唇の端に残った、忌々しいクリームを拭おうと――

 

 ぱちん。
 目が、開いた。

 

「!?」
 意識してでは出せないスピードで、バクラの手が引っ込められる。開いた青い瞳はその残像くらいは拾えただろうか。ぱちぱちと二度瞬きをした後、視線はバクラの顔を見て、辿って肩、腕、そして。不自然に背中に回された手まで至った。
 ゆっくりと、それはもう緩慢な動きで、獏良の身体が動く。
 軽く身じろいだ後、半開きだった唇がもう少しだけ開いて、舌の先が端のクリームを舐めとった。
「なんだ、指だったのか」
 キスしたのかと思ったよ。
 からかいの声音で言われ、バクラは今までの一連の事件が全て、獏良の演技であったことを理解した。
「てめえ、何考えてやがる…」
 ぐらぐらと煮え立つような不快感がバクラの胃を焼いた。こんな天然電波の悪ふざけにしてやられたなどと、プライドが粉々に粉砕されたも同じだ。器を守らなければならないという思考に重きを置きすぎた失態に、握った拳のやりどころがない。奥歯を噛み締めて苛立ちをやり過ごしていると、バクラは寝そべったままくすくすと音を立てて笑った。
「あはは、ごめんね。だって毒みたいって言うからさ」
 その一言で更に察してしまう。読んでいた本のこと、そして毒、昏睡、キス。三つのキーワードで、互いに同じものを連想していたことを。
 気持ちの悪い相似に、バクラの拳はますます激しくわなないた。殴りたい。本気で。ものすごく。
 しかしここで殴っても、この精神体たる身体では獏良に傷ひとつ与えられない。こんな餓鬼にいいように扱われて、と、相手にではなく自分自身に向けての怒りはそうそう収まるようなものではなかった。煮えくり返る腸を抑え、恐らくこめかみにびきびきとした筋を立てているであろう顔を見て、獏良は再び鳥の囀りに似た笑い声を上げた。
 一頻り笑った後、何故かぱちり、目を閉じる。
「さて、引き続きボクは覚めない眠りにつくことにします」
「何のつもりだてめえ、」
 まだ続ける気か――怒鳴ろうとしたバクラの目の前に、ぴ、と指が突き付けられる。まあ聞いてよお詫びなんだからさ。そんな意味不明なことを言われた。
「あいにくボクはお姫様って柄じゃないので、キスじゃ目覚めないかもしれません」
「…はあ?」
「誰かがボクの眠る部屋にノックもせずに押しかけてきて、有無を言わさず乗っかってきたりしたら、さすがにびっくりして起きちゃうかもね」
 じゃ、おやすみなさい。
 言うが早いか、ばたん。音を立てて、獏良の手がソファの背もたれにぶつかって落ちた。
「…何だって?」
 目覚めない? キスじゃなく?
 稚拙な誘い文句を残して伏せられた瞼を見下ろす。口元は笑ったまま、今回は隠し通す必要もないからか、偶に睫の先が揺れたりする。
 バクラはしばし沈黙し――それから、それはそれは深い溜息をついた。
 ノックもせずに部屋に押しかけて? 有無を言わさず?
 つまりはからかってごめんなさい、やらしいことしていいよ、という回りくどい宿主の謝罪であろう。
 だが甘い。そんな詫びでは、この煮える腸の苛立ちが収まる訳がない。下らない冗談で振り回された怒りは、「お好きにどうぞ」と差し出されたセックス程度で帳消しになるほど安くないのである。
「――覚悟しやがれ、このクソ宿主が」
 目は閉じても鼓膜は閉じられない。目の前のにっくき宿主にもきちんと聞こえるほどの声で吐き捨ててやると、噴き出しそうになったのか、獏良の唇がひくんと震えた。
 笑っていられるのもここまでだ。空間に溶け込むように、バクラは現実の世界から身を引いた。
 水面を潜る錯覚と共に、闇色の深海へ沈んでいく。こころの奥まで潜り込み、探らずとも辿り着く扉はもう目の前だ。
 手始めはそう、姫君にするかのように。
 恭しく扉を叩いて入り込み、意趣返しをしてやろう――散々からかってくれた代償に、獏良曰く「柄ではない」扱いをしてやろうではないか。
 いつもならば指先が触れた途端に押し倒すところを、そっと頬に触れ辿った頤を持ち上げ驚く顔に顔を近づけ。
 近づけた耳朶を甘く噛んで舌先で弄い。
 振り上げられる手に手を絡めて闇の褥に縫い付け、そうして唇を奪うのだ。
 それも、思わず赤面して飛び起きざるを得ないような、甘く強烈な接吻で。

 

 さあてそれでは、お目覚め頂きましょうか。

 

 企みを持って持ち上げた手の甲。
 殴るために握ったはずの拳でもって、バクラは扉をノックした。