【同人再録】Coupies-5 ロッテンブラック・ボーンホワイト

 なんだってこんなにここはくらいのだろう
 あかりをつけなくちゃ、じゃないとなんにもみえない、おまえがみえない
 おまえがみえなかったらいないのとおなじだ
 ひとりはいやだ、いやだよ
 なにかおそろしいものがぼくのことをたべようとするんだ
 たすけてよ、ねえ
 どこにいるの、おまえのこえがきこえない――

 

 

 

 

 

「何寝ぼけてんだ」
 同時に、こつん。頭を小突かれて獏良は目を覚ました。
 眼を開いた先には闇。終わりのない黒がどこまでも続いている。壁や天井の概念がないあやふやな場所、心の部屋で、どうやら自分は寝そべっているらしい。
 散らばった髪の向こうにはバクラの爪先。同じ姿で違うのは、相手はきちんと服を着ていること。肌をさらしたこちらとは大違いだ。それもそのはず、バクラは今まで肉体の支配権を持って何か行動していた――その内容は獏良の知り得るところではないが――のであり、獏良はというと、身体を譲渡する前に宿賃代わりということでそれはそれは濃厚なセックスをして、そのまま眠ってしまっていたのである。
 バクラがここにいるということは、現実でするべきことはもう終わったのだろう。
 寝そべっていた身を起こし、闇の上にぺたりと座って、獏良はバクラを仰ぎ見る。
 まだ頭がぼうっとする。小突かれて言われた言葉を思い出し、獏良は頭を振り振り問いかけた。
「ボク、寝ぼけてた?」
「何かぶつぶつ言ってたぜ」
「寝言かな…」
「呑気なモンだな」
「そんなことないよ、すごく、怖い夢を見そうになった」
 こわかったよ。
 漠然と思い出す、誰もいない暗闇に獏良はぶるりと肩を震わせた。
 夢。それは本当に夢だっただろうか。こうして目を開けてみている世界と何ら変わらない真っ黒な場所で、獏良は一人で呆然としていたのに。声を上げても誰もいない、手を伸ばしても何も触れない、そんな場所。周りの闇がじりじりと迫ってくる。獏良を侵食しようとする。
 違うことは一つだけ、バクラがそこにいる。
 それだけで、この塗りつぶされた黒がとたんに安心できるものに変わる。
 バクラが帰ってきたから、夢はどこかへ逃げたのかもしれない。悪夢喰らいの真っ黒な獏が大口を開けて帰ってきたから、それ逃げろと退散した。きっとそうだ、そうなんだ。
 ため息と共に俯いた獏良をどう思ったのか、バクラは軽く顎をしゃくって言った。
「そんで、そんなモン握って寝てやがったのか」
 それ? 言われた意味が分からず、顔を上げて首を傾げる。指の先で示されたのは、獏良の膝あたり。丸まった鴉色のコートがそこにあった。
「そいつ抱えて寝てたぜ」
 そう言われても分からない。こんなものが心の部屋の中にあるなんて知らなかった。獏良の内側を映して何もない、色彩すらないここに、自分とバクラ以外のものが存在していることに獏良は驚いた。
 掴んで広げてみる。これはバクラが現実の世界で勝手に購入したロングコートだ。目の前のバクラもまた同じものを着用している。どこから湧いて出たのだろう。
 傾げた首を反対方向にも捻っていると、不意にバクラがにたり、と、意地の悪い顔をした。
「縋りたかったんじゃねえの、寂しくてよ」
 オレ様がいなくてそんなに心細かったかい。
 長い脚を縮めてしゃがみ込み、鼻先が近づくほどの近距離で嫌味な笑い。ククク、と、蛇が鳴き声を上げるならこんな感じだろうと思わせる音が喉から響いた。
 嫌味――少なくとも、バクラはそのつもりで言ったのだろうけれど。
 生憎的外れだ。嫌味にはならない。
「――違うよ」

 だって、真実なのだ。

「宿主、」
 呼ぶ声を近くで聞いた。首にしがみ付いて吸い込む空気は街や他人の移り香とバクラ自身から感じる微かな血の匂い。決して良い匂いではないのに、どこか安心した。
 寂しかった。怖かった。そうだ、何一つ間違っていない。お前の言ってることは全部正解なんだよ。そんな言葉を吐けたかどうか分からない唇を、相手の肌、首筋のあたりに押し付ける。
「夢を見たんだ」
「とても怖い夢」
「お前がいなくて周りは真っ黒で」
「真っ白なボクはそいつに塗りつぶされてしまいそうだったんだ」
「お前が来なかったらボクは真っ黒になっていたかもしれない」
「ボクはいやだよ、こんな白い身体」
「染まりやすいこんな色は、いやだ」
 ああ、何を口走っているのだろう。意味が分からない。開いてしまった唇を閉じる方法が分からない。
 とめどなく言葉を吐く獏良を、バクラは抱き返したりはしなかった。
 ただされるがままに、両腕を垂らしたまま、声を聴いている。
 それでいいのだ、それがいい。
 抱きしめ返されるなんて気持ち悪いことを期待していない。
 ただ拒絶せずにそこにいてくれたらいい。縋りたい時にここにいて、泣きつきたい時に突き飛ばされなければいい。
 ここでないと安心できない。
 鴉色のコートでは役不足だ。本物でないと、震えは収まらない。
「白いのは、いやだよ――」
 繰り返した言葉に、バクラは一言、そうかよ、と言った。
 ぶら下がっているだけだった腕が持ち上がり、ぐい、と髪を引かれる。頭皮が吊られて顎を上げる形になる獏良のすぐ目前に、バクラの顔があった。
 意地悪な顔はそのまま。目の奥には偽物の、愛情を模した色。
「オレ様は、その白いのが気に入ってンだけどな」
「え…」
「見つけやすいんだよ」
 心の中は真っ暗で広い。扉を開いた時に獏良が天地左右のどこにいるのか、奥行きすらもわからない世界だ。そんな中で、白い塊はぽつんと映える。探す手間が省ける。
 例えばヒトが死んで真っ黒に腐っても、骨は綺麗に残るだろう。
 そんな気持ちの悪い説明をして、犬歯を見せてにやりと笑う。なぜか納得してしまった。
「じゃあボクは骨?」
「まあ、そうなるんじゃねえの」
「骸骨はいやだな、風邪ひいちゃうよ」
「ならとっとと上に上がりな」
 そろそろ飯時だぜ。バクラが親指で上の方、現実へ繋がる境を指して言った。
 そっと腹をさすってみるが、空腹ではない。それなら食べなくてもいいやと思う、自分は健康に対して全く興味がないなあと獏良は思った。
 そんなことより、そう、寒いのだ。骸骨は風邪をひいてしまう。
 ひいてしまうから、目の前の黒い人影――膝の上のコートではなくバクラそのものを、引き寄せた。
「っ、おい、」
 背中から闇に倒れ込む。バクラから見たら、白い髪が植物の根のように、大きく広がっているだろう。
「寒いから、あっためて」
 それこそ、骨が肉を着るみたいに。
 ついでに、この腹の奥でぐずぐずに煮詰まった悪夢の残り滓も全部食べちゃって。
 我ながら頭の悪いおねだりを口にする。わがまま? そんなことはない、一人にしないという約束の元に成り立つ共犯関係なのだ。バクラはこの願いをかなえる義務がある。
 そういったことをあちらも理解しているのか、バクラは顔をしかめて、疲れてんだよこっちはよ、と悪態をつきながらも、冷えた手のひらで薄い胸を撫でた。
 肋骨を撫でる肉の感触に、自然、ため息が零れる。
 じんわりと、微温湯の安堵が全身を巡る。
 凝り固まっていた全身の血液が溶ける感覚。肌の境界が無くなってしまいそうだ。
(ああ、)
 やっぱり、こうでなくちゃ。
 重なる唇と這う手のひらから悪夢が吸い出される。空っぽになるそこへ流し込まれるバクラそのもののような暗闇の気配が心地よい。
 次に目を開いたら、夢のことはきっともう忘れている。
 そうであって欲しい。役不足のコートを蹴り捨てて、獏良は骨のように白い足を、黒衣をまとうバクラの腰にからめて引き寄せた。