埋まらない、生まれた日 後日談【2018獏良生誕SS】

こちらのハピエン版。もうちょっと時間経過してます。

 

 

 

『 夢を見たので、花を買いに行った。 』

 

 

今回はきちんと花瓶に入れた。
このマンションの一室にも少しずつものが増えて、その中に花瓶が追加された。といってもたいそうなものではなくて、100円ショップのレジ付近に並んでいた、球根を長くしたような形をした薄い硝子製の一輪挿しだ。
飾るのは桔梗の花が一輪。薄い紫色の五枚の花弁がうすく反り返ってちょうど満開に咲いている。一輪だけ購入するのは何だか気まずい気がしたのだけれど、店先で目を惹いたのがこれだったのだから仕方がない。
透明なフィルムをはがし、ぬるい水に差して、配置はダイニングテーブルの真ん中。
思い出すのは花瓶ではなくタンブラーで、揺れていたのは赤と黄の菊、竜胆の花だ。クーラーの風に心もとなく花弁を揺らせていた。
その日を鮮明に思い出すように、獏良は夢を見たのだ。
寸分違わない、弔いの誕生日の夢を。
俯瞰で眺める景色は色褪せていて、花の色だけがやけに鮮烈だった。焼きついた赤黄紫、それ以外はモノクロームに染まった世界で、獏良は冷めた表情を浮かべて座っていた。
終わりを待っていたのだと知っている。
自分自身の事なのだから、それこそ手に取るように分かっている。あの日の獏良は夏が終わるように、この不安定な状態が終わることを望んでいた。花が散るように、終わってしまえと思っていた。
夢はそこで醒めたが、その後のこともまた、獏良はしっかりと記憶している。菊の花はすぐに散ってしまった。花の世話の仕方など詳しくなくて半ば放置していたら、いつの間にか花弁をいくつも散らした無残な姿に成り果てていた。
その時に、はじめて自分は泣いたのだった。
枯れた花に何を思ったか。干乾びて茶色く変わった枝に誰を思ったか。終わってしまった切り花のいのちに重ねたのは紛れもなくただ一人の男のことで、その時、虚孔から零れた闇色の涙のように、獏良は透き通った雫を柿色の瞳からぼろぼろとこぼした。
悲しかったのだと、その時になってやっと理解した。
一緒に居たかったのだと、今更になって理解した。
恋していたのだと、終わってから気が付いた。
麻痺していた感情が蘇り、ああ、ついにこの時が来たと、獏良は泣きながら喉を押さえた。このままきっと自分は枯れてゆくのだろうと本気で思った。喪った男のことを想いながら、苦しみに耐えかねて、茎からぶつんと花を毟るように死ぬのだと。
そうならなかったから――今、ここにいるのだけれど。
「ならなかった、んだよなあ」
今朝から今までのことを、獏良はぼんやりとふりかえる。
目が覚めた後に痛む頭を押さえて、静かに起き上がった。まだ時刻は早い。なるべく音を立てないように、朝早くから花屋に向かった。何か花を買いたい気分だった。夢と過去と同じ花を買うつもりだったのだけれど、目に留まった桔梗があまりにも鮮やかで、目を奪われて買ってしまった。それからコンビニのシュークリームと、アイスコーヒーを買って、帰ってきて、今に至る。
「死ぬと思ってたんだ、堪えきれなくて」
「元気に生きてンじゃねえか」
と、向かいに座った寝間着のバクラが、言った。
寝起きのために非情に機嫌の悪い表情で、獏良が買ってきたアイスコーヒーのストローを齧っている。ヘビーなローテーションに耐えきれず首元が大分ゆるい七分袖のシャツと、グレーのスウェット姿。だらしない寝癖だらけの髪。半分下がった瞳と眉間の眉。という、日常に溶け込んだ姿でバクラは獏良を見ている。座っている椅子はかつて黒いコートの専用席だったのだけれど、使うものがコートだろうかコートの中身だろうが誰の席なのかは変わらない。テレビを背中に向けるので食事時に不便だと何回も言う。
その椅子がからっぽになることはもうないのだと思うと、鼻の奥がつんとした。
「実際さ、生きててよかったと思うよ。寂しくて死にそうだったけど、頑張ったから、今、お前がいるしね」
「褒めてほしいなら最初から言えよ。ハイハイ偉かったなァ、よく我慢しましたァ」
「心がこもってない。ガムシロ入れて持ってこなかったボクの気配りを見習ってよ」
「お前こそ朝っぱらから出かけてオレ様を起こした無神経さを自覚しやがれ」
ああいえばこういわれた。
こんな会話が出来るだなんて、あの日の自分が知ったらどう思うだろう――それこそ夢だと言うのかもしれない。あるわけないと、あの諦めきった笑みを浮かべて首を振るのか。それともモノクロームの無機質な表情を浮かべるのだろうか。
分からない。自分が通らなかった道の先にあるものがどんな未来なのか、獏良には想像もつかない。
ただ、いま、この瞬間に生きている獏良了が手にしているのは、まぎれもなく目の前の男で。
取り戻した願いのかたまりを手放そうとは思わない。運命の宿主だなどと言うのなら、簡単に別たれたりはしない。してやらない。
一度永遠に失ったと思ったのだ。だからもう、二度とごめんだった。
「昔語りはお終いか? 満足かよ」
氷だけになったアイスコーヒーをテーブルの端に追いやって、バクラが言う。
「オレ様もうちょっと寝てえんだけど」
「シーツ洗いたいから寝るならソファにして。あとで掃除機もかけるからうるさいけど」
「起きてろって言ってるようなモンじゃねえかよ、ふざけんな」
うんざりした顔で、バクラはテーブルに肘をつく。獏良の回想など、彼にとってはわりとどうでもいいことらしい。
三千年かけた目的を見失った彼はどうにも自堕落だと獏良は思う。つまりこれが、本来のバクラという男の性質なのだろう。その癖わりと凝り性で、こだわりが強いので共同生活をしているとたまにイメージと食い違う。食べ物の好き嫌いもなく残すこともないが、味付けにはうるさい。その生活臭漂う生々しさに嬉しみを感じる程度には、獏良はまだ、この二人暮らしの生活に慣れきっているというわけではなかった。
二人で眠る狭いシングルベッドにも、まだ慣れない。
それから――他人の肌が触れるのも、内側を探られる感触も、その時の噎せるような熱も、唇の感触も、まだ。
いずれ慣れるだろう。あたりまえになるのだろう。
獏良は立ち上がり、寝室へ向かう。シーツを洗うのだ。二人分の汗を吸った布地をさらさらに洗い上げて、夜には気持ちよく就寝したい。昔の夢など見ないくらいに、深くふかく、眠りたい。
ふと、胸の奥が引っ張られるような気持ちになり、獏良は心臓を押さえた。
未だに着続けている、最早トレードマークと言われてもおかしくはない青と白のボーダーシャツ。その上からそっとなぞる胸には中身があり、あの虚孔はもうない。
ぴったりはまる形が、ここにある限りは、永遠に。
もう不安はなかった。自然と唇が持ち上がり、鼻からすこし、息が抜ける。何か言ったかよ。バクラが言うので振り返ると、表情に驚いたのか、同じ色の瞳が丸くなった。
鏡映る獏良は、笑っていた。
幸せそうに、そして、目の前の男を、ようやくきちんと、いとおしい気持ちで。
ああ好きだったんだ、今もずっと好きだ。絶対に伝えるつもりはないけれど、強い自覚が胸から喉、舌先にまで乗る。思わず言ってしまいそうになって、獏良は首を振った。飲み込んだ言葉の代わりに、生まれるままに思ったことを、口にする。
「生まれてきてよかったなって」
「はア?」
訝しげなバクラの答えが嬉しい。お前にも分からないことがあるんだねと言うと、目を眇めて睨まれた。ちっとも怖いとは思わなかった。
とても幸せな気分なのだ。恐れるものは何一つない。
散った菊の花も、諦めた顔の自分も、涙を零す黒い孔も、もう無い。
あの日を過去にできたこと。奇跡がたしかに起きたこと。終わらなかった、つづきの先端にある今。
全てを噛み締めて、獏良は笑った。
「ボクが生まれたから、お前に会えたんだって、思ってさ」
だから、今は胸をはって笑える。
ハッピーバースデイと、自分自身に。今までの自分とこれからの自分に。