ラバーズプレイルーム【2010獏良生誕SS】

「リア充ごっこしようよ」

 脈絡のなさに今更驚く義理もない。もはやお約束となった唐突な振りに、バクラは眼球の動きだけで獏良を見やると、何も答えずに元の方向へと視線を戻した。大して面白くもないチャンネルが薄型テレビを賑やかに点滅させている――毎週木曜日十九時から放送しているこのバラエティ番組を見て居たいわけでもないが、少なくとも、獏良の無茶振りに応じるよりかはマシだと判断してのことである。
 ねーえ、と、意図して作ったぬるい声がバクラの背中に投げかけられる。気配が近づき、温度も何もない手のひらに肩を掴まれた。肉体の支配権は、現在はバクラのもの。理由はなんてことはない、つかっていいよという獏良の気まぐれからだ。
 故に触れることのできないその手のひらは、バクラの身体をすり抜けて背中から胸へと突き出された。バクラの視界の端でぐーぱーと手を握る動きが鬱陶しくちらつく。
「返事くらいしてよ。独り言じゃないんだよ」
 ぬるい声はそのまま、音の中にすねた響きが混じったのを聞き取って、バクラは小さく嘆息した。ああこのパターンはいつものあれだ、かまってやっても厄介なことになるし、かまわないとあとからもっと厄介なことになるというどちらに転んでも愉快ではないパターンだ。そう気が付いて、しかし本気で遊んでやる気にもならずに、視線はテレビから外さない。ただ、無視だけはやめてさしあげる譲歩をした。
「返事したらつけあげるじゃねえか、宿主サマはよ」
「いましてるじゃないか。反応したら、返事だよ」
 言葉を返されたのが嬉しかったらしい。獏良は手を引っこ抜き、空中で縦回転をしつつバクラの目の前に降り立った。半透明に透ける身体の向こうに見えるチャンネルは、獏良の着るボーダーシャツの柄をしたモザイクがかかって不愉快だ。
「見えねえよ、どけよ」
 触れられたら肩を掴んで退けたのだけれど。苛々とするバクラの前で、獏良はにいっと笑った。綺麗な形をした唇が開く。
「『テレビなんか見てないで、ボクのこと見てよ』」
「はァ!?」
「だから、リア充ごっこ。リア充分かる? 説明したげなきゃだめ?」
「バカにしてんのかてめえ」
「だってお前そういうの疎そう。まあいいや、分かるんだったら話は早いや。リア充ごっこして遊ぼうよ」
 獏良の声に重なって、テレビからどっと笑い声が響いた。人気アイドルグループの誰かが面白いことを云ったようだが、モザイク越しでは何が起こったのかバクラには分からない。
 目の前の獏良はやたらとにこにこして、ソファに座るバクラの膝と膝の間に身体を割り込ませる形で下から上目に見上げてくる。角度的には大変申し分ない、どうせならそのまま顔を下に向けて、そのよく喋る口でもってご奉仕でもして頂いた方が余程充実する。主に性的な部分が。
「…なんでそんなしち面倒臭ェ話になってんだ」
「だって、リア充って楽しそうじゃないか。仕事とか恋愛とか、忙しそうでさ」
 ボクもそういうのやってみたい。
 と、大して深い考えもなさそうな風でもって獏良は云った。
 獏良了は嘘をつくのが下手だ。下手というか、虚偽を吐き出す前に本音が出るタイプと云ってもいい。言葉に裏表はなく、口に出された言葉はその瞬間において彼の紛れもない真実である。もう長いこと――会話ができない期間も含めて――生活を共にしているバクラが理解しているその性格から照らし合わせると、彼がくだらないごっこ遊びをしたがる理由はただ一つ、楽しそうだから、なのだろう。
 ここで頑なに断れば断るほど、獏良の粘着性は強くなる。頭の中に響くのだ、ねえあそぼうよいいでしょうちょっとくらいつまんないんだよたのしいことしようよねえねえねえ。そして恐らく途中から、嫌な顔をして拒否するバクラをからかうほうが楽しくなって、よりしつこくなっていくはずだ。絶対そうだ。
 今の不快と先の不快を天秤に乗せて、その結果にうんざりとする。
「ハイハイ分かりましたァ。付き合って差し上げりゃあいいんだろ?」
「今日は物分りがいいなあ。よしじゃあ早速やろう。いちゃいちゃしよう」
 満足げに頷いた獏良は、云うなりそのまま、べたりとバクラの腹にひっついてきた。
 身体がないのだから触れられるわけもない。ただ重なっているだけで触れ合っているわけではないその姿勢はお互いにパントマイムをしているように不自然だった。それでも獏良はきゃらきゃらと笑いながら、ほおずりの仕草をした。
「『バクラ、ボクのこと好き?』」
 なんて頭の悪い台詞だ! 内心ドン引きしながら、バクラは遊びと演技に尽力すべきことを三度ほど頭の中で繰り返した。演技は得意だ。ただのごっこ遊び、十分も付き合ってやればすぐに飽きるはずと算段を取り、半透明の頭をポンポンと叩く仕草をする。
「『ああ、好きだぜ。いっとう大事な宿主サマだ』」
「『どのくらい大事?』」
「『比べるモンがそもそもねえな。一番っつったら、一番だ』」
 くだらないと思いながらも、口は勝手に動く。獏良は顔を上げて、唇を薄く持ち上げるようにして笑った。うれしい、と、まるで滲むように云う。
 人間のふりをしている化け物が二匹、じゃれて遊んでいるようなものだ。一匹はヒトから変容した自愛と受動態の塊、もう一匹はそれこそ邪心そのもの。黒くうずうずととぐろを巻きあう二匹の人ならざるものが、ヒトを、恋人を演じている。
 まるで茶番だ。
「『宿主サマはどうなんだ?』」
 オレ様のことは、いかが? バクラは犬歯を見せるようにして笑った。その牙で幾夜、心の部屋の闇の中で白い肌を食いちぎったかことか、数えきれない。
 獏良は伸びあがり、両手でバクラの頬を包み込んだ。温度のない精神体と重なった箇所だけ、ぬるい水を浴びたように曖昧な温度になる。
 唇が開いた。
「『大好きだよ』」
「『そりゃあ光栄だな。オレ様は幸せ者だぜ』」
 茶化すように云うと、不意に、獏良の顔が近づいてきた。
 接吻けのための接近かと思いきや、手はすり抜けて背中へ、顔は肩のあたりへ。
 抱擁と呼ばれるそれに、全身で包まれ――春のぬくい水の中へ沈んだような錯覚が、バクラに一瞬の眩暈すら与えて、

 ――だから、ずっと一緒にいてほしいな。

 鼓膜を水滴で叩かれた、そんな感覚の音階が、聞こえた。
 今のはどちらだ――とっさに分からなくなる。
 ばればれの演技で台詞を読む、そんな声でしゃべりあっていたのに、今鼓膜を叩いた音はあやふやすぎて真意が見えなかった。
 台詞か? 言葉か?
 嘘か本気か。獏良了は嘘をつくのが下手だ、すぐにわかる。
 分かるはずなのに、分からなくなった。
 今この肩口に埋まっている顔は、眼窩にはまっている青い二つの目玉は、どんな表情を浮かべているのか。
 泣いているのも違う、笑っているのももってのほかだ。
 恐らく、そう、
 気持ちの悪いほどまっさらな、無表情――
「…気持ち悪いな」
 思考の海に沈んでいたバクラを引き上げたのは、獏良が発したいつも通りの素の声だった。
 甘えた仕草が吹き飛び、室内に漂っていた偽物の糖度が一気に平素へと戻る。もぎ放すようにしてバクラから離れた獏良は、あからさまに不快な顔をして空中へと一回転した。
「なんか違うな、やっぱお前じゃダメっぽいや」
「…てめえが付き合わせたんだろうが」
 ともすれば掠れた声になってしまいそうだった喉をごまかして、バクラはそう吐き捨てた。
 閉じていた耳にバラエティ番組の雑音が飛び込んで、意識が漸く日常へと帰ってくる。今のは一体何だったのか。正体不明の願い事。
「ずっと一緒にいてほしいな」
 脳にがらがらと響く。どういう意味の「一緒」なのか。甘ったれた恋人の振りで云ったのか、それとも平素の獏良了として、共犯者として、一生を共にしろとでも?
 後者は共犯の条件でもある。そうだ、孤独に耐えきれない脆弱な彼の魂をぽつり一つにしないこと、それが、この肉体を自由に行使していい条件である。
 そんなことは分かっている。その条件にはイエスと答えたはずだ。
 何故今更そんなことを云いだす?
 わからない、わからない――気持ちが、悪い。
「うーん、クラスの人に頼んだ方がよかったかな、リア充ごっこ」
 不快感を与えてきた本人は、そんなことを口にしてもうけろりとしている。
 あの言葉を吐いたことすら、もう忘れているかもしれない。そうだこいつはそういう奴だった、まじめに考える方がおかしいのだ――そう思うことに、した。
 ならば後に続けるのは真実の追求ではなく、いつも通りの益体もない会話、だ。
「本田くんか御伽くんならどうにか聞いてくれる気がするんだ」
「おうそうしろ、オレ様を巻き込むな。…まア相手にしてくれるかは知らねえけどな」
「誕生日だから遊んでよーって云ったら、やってくれるかも」
 全く何でもないことのようにそう云われ、バクラは首を逆さまにするようにして獏良を見た。
「何だ、てめえ今日誕生日だったのか?」
「そうだよ。あ、そうだ」
 獏良が振り向く。天井近くでふわふわと浮いている獏良の髪は白すぎて、ほとんど形がなく見える。その軌跡はひゅるんと翻り、何故か再び、バクラの膝の間に落ち着いた、
「あン?」
「『ねえダーリン、ボク、誕生日のお祝いにシュークリームが食べたいな』」
 にっこり。
 誰だ、やるだけやって気持ち悪いと一方的にやめた奴は。てめえだぞ。
 と、云いたくなるのをぐっとこらえて、バクラは代わりの溜息を吐いた。ここで文句を言ったって相手はどこ吹く風なのだ、怒る方がつかれる。賢いやり方は適当に言うことを聞いて飽きるのを待つ。不快さも疑問も何もかもすべてを飲み込んで、なかったことにして。
 ――つまりここでの答えの正解は、
「…『今からコンビニ行って買ってこいってことかよ、ハニー』」