眠れぬ寝言と臆病者
ねえバクラ、最近おかしなことが起きるんだ。
眠るボクの耳を塞いで、ボクに語りかけるお前の夢を見るんだよ。
薄い瞼が、その向こうにある青色を透かしそうな程白い。
いっそ本当に透けて見えたら、表情を伺い見られるのに、と、獏良は思う。
目を閉じても、眼球は活動している。閉じて得る暗闇は本当の暗闇などではなく、単に瞼の裏側を見ているだけだ。本当は閉じていない。五識のうちの一つだけを塞いだ程度で感じる闇など闇ではない。
本当の闇は、全てを覆うものだ。
目も耳も鼻も舌も、触覚までも。
そんな闇を、獏良はよく知っている。バクラの手で心の内側に閉じ込められる時、包まれる暗黒こそが真の闇だ。
だから、この黒い視界を払う方法を知っている。
目を開ければいい。瞼を開いて、青い目の玉であるがままを見ればいい。
分かっていてそうしない理由は、眠っているふりをしなければならないからだ。
それでも、閉じたままで分かることがある。耳を塞いでいる冷たいものはバクラの掌で、舌先に絡む味はバクラのそれで、鼻腔をくすぐる夜の匂いはバクラのそれで。
まるで俯瞰風景。
獏良は瞼の裏側に、耳と唇を塞がれ、それでも目を閉じされるがままになる自分の姿を見る。
「――、――」
絡まる舌にバクラが言葉を乗せた。
その意味を拾えないまま、獏良は舞台を降りたマリオネットのように脱力している。
眠っているのだから、仕方が無い。
こうして全てを眺めている自分と、バクラの腕に抱かれた自分、どちらが本物なのかもわからないけれど――否、そもそも本物というものの定義すらあやふやだけれど。
とにかく、眠っているのだ。
バクラはそう思っているのだから、自分は眠っていなければならない。そうでないと、絶対にこんなことをしないだろうから。
冷たい抱擁。
ぎこちない掌。
苦い唇。
どれをとっても、いつもの彼ではない。
嘘をたっぷりと塗した砂糖菓子のようなキスや、官能で絡まる熱い身体や、手慣れたいやらしさで撫で上げる掌を、獏良はよく知っていた。普段はそうやって甘やかされたり虐げられたりしているのだ。
こんな接し方は、されたことがない。
(ああ)
(何を喋っているんだろう)
抱かれながら、俯瞰しながら、どちらの獏良もそう思った。
俯瞰していても、背中を向けたバクラの表情は伺えず、言葉も遠すぎて耳に届かない。唇を重ねたまま何かを喋っていることは、口腔に伝わる温い二酸化炭素の気配で感じる。けれどそれが何と喋っているのかは、獏良には決して聞こえないのだ。
(耳を塞がれているから、ボクには聞こえない)
眠っていなければならない瞳は、瞼の裏側に閉ざしたまま。
(目を閉じているから、ボクには見えない)
どんな顔で、なんて言葉を。
また嫌味な笑顔で甘い嘘を吐いているのだろうか。悪意たっぷりの見下した顔で、汚い言葉を吐いているのだろうか。もしかしたら泣いているのか、怒っているのか、喜んでいるのか。
「――、――」
どんな顔で、なんて言葉を。
獏良に向かって、伝えているのだろう。
知りたいか知りたくないかと問われたら、知りたくない、と答える。
だってこれは知ってはいけないことなのだ。お互いにとって、よくないものが沢山詰まった言葉。聞こえないけれど、きっとそうだ。
例えるならば、呪詛。
聞いてしまったら、見てしまったら、獏良はもう二度と、現し世には戻れなくなる。
その覚悟がないから、知りたくても、知りたくないと答えなければならない。
バクラと自分は緩い共犯関係だけれど、全てを捨ててバクラを選ぶ覚悟は、獏良にはない。友達、クラスメイト、未練と云う名前のそれらを投げ打ってまで闇の褥に自らを横たえることを、まだ躊躇っている。
(ああそうか、だから聞こえないんだ)
(ボクにその覚悟がないから、)
(お前のほんとうの共犯者に、なれていないから)
ぎゅっと瞼を閉じたくなった。唇を噛みたくなった。寝たふりがばれてしまうから、ただ耐えるしかなかった。
何も知らないバクラは、冷たい指先で耳朶を撫ぜる。
「――。……――、――……」
少し長い、無音の言葉と共に、強張った唇はゆっくりと離れていった。
獏良のだらしなく開いたままの唇の端を舌先で拭って、それでも手は離れない。塞がれたままだ。
この手が離れたら、きっと夢から覚めるのだろう。
獏良はそう思うことにした。
夢だから、覚えていない。朝になったらすべて忘れる。
そうして手が離れていく。海底に沈んでいた身体が引き上げられるように、水面へ向かって獏良の身体は急上昇していった。
その時、その刹那、少しだけ視界が開けた。故意にではなく、そう、目覚めた時に瞼が自然に開くように、現実での目覚めが夢に指先だけ絡まって、つられてしまったかのような感覚だった。
そのあやふやな視界で、獏良はバクラを見る。
暗闇の中で自分を抱いていた男の右頬に、白茶けた傷跡を見た――ような、気がした。