【♀】あきいろポップ
放課後の教室と云うのは、何だかんだで長いこと喧しい。
すぐに帰宅する生徒や部活動へ向かう生徒もいるが、決して誰もいなくなることはない。ファーストフードに寄っていける財布のゆとりがない学生にとって、ほどよく暖かい教室は格好の場所だからだ。
遊戯をはじめとするいつものメンバーは、教室に居残ることが多い。主に城之内の財布を危惧して寄り道を避けているのだけれど、机があるので決闘しやすい、という理由もある。
此度も遊戯のデッキにこてんぱんにのされた城之内を本田が冷やかし、杏子がたしなめ、了が後ろでにこにこと笑ってその様子を眺めている、というお決まりの様子が夕暮れの教室で繰り返されていた。
友人たちの輪の中で、楽しい時間は急速に過ぎていく。
斜めに差し込む夕日は秋の訪れを足早に告げて、机の影を長く伸ばし始める頃。影の足が長くなり身長が伸びるているように感じられることを遊戯がひそかに喜んでいるのを、察知したもう一人の遊戯がこっそりと笑っている。城之内はまだ本田と、喧嘩に満たない言い合いをして、杏子はもう仲裁を諦める。
了はその様子を相変わらずの笑みで眺めていたけれど――ふと。
開け放したままの窓の向こうから聞きなれた騒音を感じ取って、視線をちらと、窓辺に向けた。
「……あ!」
唐突にあげたその声は、友人全員の顔を了に向けさせるには十分すぎる大きさだった。
彼らの視線の真ん中で、了は慌てて、散らかしたままの己の机をあわただしく片づけ始める。どうしたの、の、ど、の形に開いた遊戯の言葉を遮って、
「ゴメン、ボク先に帰るね!」
満面の笑顔でもってそんな風に云われては、誰も何も云えはしない。
おっとりとしている了にしては珍しい急ぎ足で翻るスカートの端を、友人たちはぽかんとした顔で見送るしかなかった。
彼らが居座る教室の窓から、丁度真下。
グラウンドを小走りにかけてゆく了の後ろ姿も、夕日の長い影を引きずっている。目指す先は大きく開いた校門――の脇から少しばかり頭を覗かせている、古びたスクーターの主だ。
ぱたぱたと足音を鳴らして駆け下りてきた了に、スクーターに跨ったままのバクラが軽く手を上げる。くたびれた赤いパーカーにこれも年季の入ったジャージ、踵を潰したスニーカーから覗く足は素足。何度言っても靴下を履かないので、了も注意をするのを諦めたほどだ。
そんな全体的に気の抜けた格好をしているバクラが乗っているのだから、スクーター自体も中古ならではのくたびれ具合をいい感じに放っていた。バックミラーに皹が入ったまま、直されなくてそろそろ一年になる。
「迎えに来てくれるなら、そう云ってよ。そしたらちゃんと校門で待ってたのに」
「音で気が付くだろうと思ってよ。実際、すぐコッチ見たじゃねえか」
「本当うるさいんだよその音…… 修理しようよ、ばるばる響くよ」
「そのうちな」
そのうち、がいつになるか――恐らく一生そのうちとやらは来ないだろうと了は思う。中古屋で買った頃から響いていた不穏な音は、これからも騒音被害を撒き散らすことだろう。
いつかご近所さんから苦情が来ないだろうか。と、了は割と真剣に頭を悩ませている。その頭に、ぼすん。バクラのかぶっていたゴーグル付きのヘルメットがやや乱暴にかぶせられた。
「被っとけ」
そう云って、自分は白髪を晒した状態でアクセルを握る。
後ろに乗るのは初めての話ではない。もう何度も、この古びたスクーターに二人で乗ってはあちこちに出かけている了である。荷台になっている金属の最後尾に尻を預けると大層つめたいので、バクラが座るシートの後半分にちょこんと相席するのが定石だ。その分身体は密着するけれど、二晩とおかずにベッドで密着している関係で今更何を気にすることがあろうか。
女子にあるまじき、横座りではなく跨る形で乗り込む了を後ろ目に確認してから、バクラは前を向く。
アクセルを捻り、二人分の体重を辛うじて受け止めたスクーターが、のろのろと発進。肩で風を切るほどスピードが出ないのも含めて、絶対に修理に出した方がいい。もう云わないけれど。
街の景色が大分秋色づいていることを確認しながら、ゆったり進む中でふと了が口を開いた。
「あ、スーパー寄ってくよね? 今日お野菜安いよ」
朝方見た新聞の折り込み広告の内容を思い出し、目の前の背中をペちぺちと叩く。さすがに運転中は振り向かないバクラが、声だけで「肉は?」と問うてくるのが、らしくて可愛い。けれど残念。
「お肉は木曜日」
「……来週じゃねえか」
「なら来週の木曜日はすき焼きにしてあげよう」
「じゃあ今日どうすんだ」
「今日? 今日はね、野菜鍋。水炊き」
「……」
俄然がっかりとして、バクラの首がかくんと落ちる。
こんなに大きななりをしている癖に、日が落ちるのが早くなったという時期に合わせて迎えにきてくれる癖に、たまにえらく子供っぽいところを見せるこの男が、了は好きだ。
拗ねたり不貞腐れたり、表情が豊かなバクラ。けれど、喜んだ顔がいっとう好ましい。
笑っていてほしいと、心から思う。
その為にも、今夜の食卓の水炊きにから揚げくらいは追加してあげてもよいかもしれない。と、財布の中身を頭の中で確認しつつ、了はひとり思案するのであった。