パンドラ・コール Case four call

ひとつ気が付いたことがある。
  その憶測を確かなものにすべくまたしても獏良を注視していると、どうやら予想通りのようだった。
「なに、ボクの顔に何かついてる?」
  視線に気づいた獏良が、空中に浮遊するバクラを見て首を傾げる。
  浮かべる表情は軽い。やけに機嫌がいい。
(やっぱりそうか)
  腕を組みかえ、バクラは思う。
  あの電話。受話器を取り剥き出しの本音に耳を傾けた翌日、獏良の精神状態は非常に安定しているようだ。
  覚えがなくとも、本音を聞かれたことで無意識という脳の中の一部分が満足をしているのかもしれない。感じる心の波は穏やかで、まるで凪の海のようだった。
  それでも数日すれば、あるいは何か不安を感じれば、あの電話はすぐに鳴る。感情の片づけ方が下手な獏良は、何かと思いを貯め込みやすいのだ。
  逆に、故意に受話器を取らなかった翌日の獏良は鬱々としている。些細なことで怒り、または落ち込み、八つ当たりをする。その癖バクラが邪険に扱うと泣きそうな顔をするのだった。
「何でもねえよ、宿主サマ」
  ふいと手を振り、バクラは視線を外す。
  仕組みが分かれば利用しやすい。獏良の不安を煽りたい時は、あの電話を放置すればいいということだ。これで少なくとも、掴みづらいと思っていた不機嫌や突飛な行動に対応できる。それだけでも大収穫だ。
「変な奴」
「うるせえ。それよりジオラマ、どうなんだ」
  進捗を求めると、獏良は一瞬だけ表情を歪めた。今まではその意味を理解できなかった――する気もなかったバクラだが、もう察せられる。獏良の中で、ジオラマとは終幕を意味するもの。本当は話題にしたくないのだろう。先程までの上機嫌が一気に沈む。
  表情はすぐに元に戻った。されど、それがうわべだけだということもばればれだった。
「うん、まあまあかな。後で見てよ。街並みとか細かいところチェックして欲しいんだ」
「後回しにしなくていい。今見る」
「まだご飯作ってる最中なんだけど」
「オレ様が食うわけじゃねえからな」
「うわ、最低だ」
  減らず口を叩き、それでも獏良は濡れた手をエプロンで拭う。決して逆らわない、逆らったら捨てられるという彼の本音はこんなところにも作用していた。
  キッチンを出、リビングを横切り、今ではジオラマ置き場と化したTRPG部屋へと移る。灯りをつけると完成間近の懐かしい風景が広がっていた。
  忌々しいほど肌に馴染んだ、砂の匂いの錯覚。人々の雑踏、太陽の熱、食べた干し肉の味までが思い出され、バクラはすうと目を細める。
「上出来じゃねえか」
  こればかりは嘘のない、掛け値なしの賞賛だった。
「思った以上だ。流石はオレ様の宿主サマだぜ」
  滅多に口に出さない褒め言葉を吐くと、獏良はきょとんとした表情でしばし硬直し――そして少しだけ顔を顰め――やがて、くしゃりと笑った。
「お前にそういう風に褒められるのって、初めてだな」
「普段はロクなことしねえからな」
「失礼な。普段からもっと褒めてくれたら、もっといい仕事してあげるんだけどな」
「云ってろ」
  鼻で笑って、さらり。
  実体のない身では触れられない手で、バクラは獏良の髪をいたずらに撫でた。無論すり抜けるだけの行為だが、そんな些細なことでも獏良は驚き、矢張り顔を顰め、そして笑う。
  切なそうに、それを隠して、満面で。
  その真意はすぐに察せられるだろう。あの電話の向こうで、あの平坦な声で、それでいて切々と――
『褒めてくれたんだ。嬉しかった』
『でも、ボクはそんなことで褒めてほしくなかった』
『悪い出来だって、こんなもの役に立たないって云って欲しかった』
『そうしたら作らなくて済むのに』
  ――そら見たことか。
  受話器を耳に、バクラは髪を掻き上げる。
  今宵もつらつらと、真っ白な色をした本音は誰も居ない誰かに向かって語った。
  ついさっきまで、この場所、心の部屋に獏良がいた。上出来のジオラマのご褒美を、飢えた身体にたっぷり注いでやったところだ。
  眠りにつくと獏良の意識は肉体へと帰る。特にそうさせているわけではないけれど、自然と現実へ浮上していくので其の儘だ。
  獏良が消えると、あの電話が現れる。
  これは憶測だが、黒電話と獏良は同じ次元に存在できないのではなかろうか。無意識は意識よりもずっと頭がよく、矛盾を埋めることに秀でている。同時に存在してはいけない、そうしたら意識が混乱する、という事象を起こさないように作用するのだ。
  事後の恰好、半裸のままでバクラは受話器を耳にする。思った通り、今宵の暴露はジオラマについてだ。
  いつからだろうか、この本音が、痛ましい真実を聴くのが楽しくなってきたのは。
  現実で獏良を褒め、可愛がると、その喜びと共にとても辛いと電話は云う。その感情の軋みを把握し、負荷を与え過ぎないよう適度に心を痛めつけるのはバクラのひそかな楽しみとなっていた。
  決して解けないバクラへの執着。それを耳で確認出来る。仕上がった人形に異常がないことを確認する容易な機能だ。はじめは鬱陶しかったが、慣れてしまえばどうということもない。あのベルの音が心地よく聞こえるくらいだ。
  今日は何を吐き出す。何を悩み、苦しみ、求めて、そうして縋りたがっている?
  どんな苦痛を口にしても、最後には結局バクラに行き付くことを知ってからは、笑いを抑えるのに苦労した。随分と依存しきって、もうオレ様なしじゃ生きていけねえなと実感する度に、己の手腕に気分が良くなった。
  同時に、先程まで手緩く苛んだ細い身体を思う。折れそうな腰と骨の浮いた胸、へこんだ腹、疼きを訴える性器まで。それら全てでバクラを受け入れ、あの青い目が何を求めていたか。率直な肉欲以外に、欲しがっているのはたった一つの言葉だ。
「好きだ」でも「愛している」でもなく、「お前が必要だ」と。
  愛情というかりそめの自愛、それを向ける相手は代用が効く。獏良が欲しいのは、空気や水やそういった生存に不可欠な「必要性」。
  自分がそうなりたい。自分がそうだから、相手にもそうでいて欲しい。
  綺麗で醜い、貪欲な目。
  剥き出した感情は好ましかった。醜ければ醜いほど、バクラの好みである。
  だから絶対に云わないつもりだ。
  そんな陳腐な殺し文句は、この二枚舌が裂けても、絶対に口にするまい。