青い目をした葦の指先

【注意!】
・同人誌「たぶん人生は上々だ。」 の後日談です。
・別に読んでなくてもなんとなく読めると思います。
・簡単に説明しますと、最終回後バクラが盗賊王の姿で帰ってきてにゃんにゃんしてる生活を送っています。
・バクラの右目について捏造・言及しています。

 がしゃんばたんがさがさごとり。
  という、擬音にしてみるとよりいっそう喧しい音を立てて、獏良の手はせわしなく動いていた。その顔は不機嫌な眉間の皺と、面倒くさそうなへの字の口でもって描かれた表情が浮かんでいて、如実に彼の気分を表している。
  その原因を作ったバクラもまた同じような顔つきで、獏良の反対方向、リビングのチェストの上を荒っぽい手つきで探っていた。
「もう、なんで出掛けに財布なくしたりするんだよ!」
「うるせえな、どっかにあるだろ。昨日使ったのは間違いねえんだからよ」
「財布なくすとかありえない、自分のならまだしも、家計用のだよ!今月の食費下ろしたばっかりなのに!」
  そんな口論を繰り返すのももう三度目だ。時計の長針が半円を辿るほどの時間、こうして二人は行方不明の財布を捜している。
  昨日食材の買い物に出たのはバクラだった。使いすぎないでねと手渡したのは獏良だった。
  帰宅した時に財布を返したかどうか、それすら彼は定かではない。あやしいのは買い物袋をそのまま持ち込んだキッチン周辺だったが、そこは一番初めに捜索済みだった。無論、見つからなかったからこうして家じゅうをひっくりかえしているのである。ちなみに中身は福沢諭吉が五枚ほど入っている――まだ月初、今月を生き抜く為の命綱が、さっきから全く見つからない。ものぐさの獏良も本気で探すというものだ。
「もし見つからなかったら、お前を稼ぎに出させるしか…日雇いなら…」
  ぶつぶつと口の中で最悪の状況を考えつつ、獏良は慌しい動きで廊下を歩き回る。リビングから移動し、トイレを捜索していたバクラが同じタイミングで足を踏み出して、二人して何故か睨み合った。お互いに苛々している。
  その半開きのドアをばん!と音立てて閉じて、バクラはもう一度リビングへと取って返す。本来ならありえないような場所――テレビの裏とか――まで覗き込むが、無論そんな場所にはない。
  ちらりと伺い見た獏良の表情は、見たこともないほどご立腹の様子だった。このままでは、そう、あと十分も探して見つからなかったら、ガテン系のバイト情報誌を顔面に叩きつけられること必至である。そんな面倒くさいことなど一切したくないバクラが、後ろ頭をばりばりと掻きながらソファの下を覗き込んでいると、不意に、あった!と歓喜の声が家中に高く響き渡った。同時にだだだだだ、と、駆け寄ってくる足音が響く。
「バクラ!あった!洗面所!洗濯機の隙間!」
  そう言われてバクラは思い出した。昨晩風呂に入る時に、脱いだジーンズのポケットに財布が入っていたので洗濯機の脇においたのだ。それが多分、落ちただか何だかで挟まったのだろう。
  振り向いた時、獏良がちょうどリビングの入口まで来ていた。そして、
「ほら!もうなくさないでよね!」
  と、喜びだか安堵だかの勢いか、その財布をバクラに向かって投げてよこして――
  四角いそれのちょうど角、金具の部分が、バクラの顔面にいい音を立てて叩きつけられた。

 

 

「何でよけないかな…キャッチするとか…」
  うわあと呻いた後に呆れてそう言った獏良の数メートル前。振り向いたポーズのまま固まっていたバクラは本日何度目かの「うるせえ」という言葉を吐いた。
  ぼとりと落ちた青い財布は、なかなかに重量があった。それは小銭がぎっちり詰まっているせいで、昨日買い物をしたバクラが、小銭を出すのが面倒くさいからと会計を万札のみですませたからでもある。めぐりめぐって自分に原因があるのを無駄に回転のいい頭が察してしまって、怒ることも忘れてしまった。ひりひり痛む鼻頭を押さえつつ、バクラは立ち上がる。
  ぱたぱたと獏良が傍らまで歩み寄った。
「大丈夫?財布壊れてない?」
「そっちの心配か、てめえは」
「お前なら象が踏んでも壊れないと思うからしない。…っていうか、何でよけなかったの?」
  動体視力いいのかと思ってたよ。獏良はそう言って、財布を拾い上げて中身を確認した。ひいふうみいと諭吉を数え、問題なしと小さく頷く。それからようやく、不機嫌な顔をしているバクラを仰ぎ見た。
「ひょっとして、意外と鈍かったりするとか」
「違え。右だから見えなかっただけだ」
「右?」
「こっちだ、こっち」
  不思議そうな顔をする獏良に、バクラは己の顔の右半分を指差した。瞼から頬の半ばまで、紫色の目玉を縦断する形で、古い傷跡が残っている。差し込んでくる光の加減もあいまって、その右の瞳が左と比べてほんのわずか、様子が違うことに獏良は気がついた。きず、と、形のいい唇が動く。
「…見えてないの?」
「全部じゃねえよ。大体見える」
  指差した手でそのまま右目を軽く擦り、バクラは言った。それから瞬きを何度か繰り返し、その左側だけ目を瞑り、おもむろに手を伸ばす。何もない空間をどこか慎重な動きで探っているのを見て、獏良はああ、遠近がつかめないんだ。そう思った。
「なんで教えてくれなかったのさ」
  漏れた声はわずかな不服がこもっている。不機嫌の理由がわからないのか、バクラはああ?と、いぶかしげな声を漏らして青い目を見返した。
「そんなの、身体共有してる時も知らなかったよ」
「あんときはてめえの身体だったからな、普通に見えてたぜ」
「じゃあ戻ってきてからはあんまりものが見えてなかったってことじゃないの」
「人間には利き目ってのがあんだよ。オレ様は幸い左が利き目だからな、あんま問題ねえし」
  第一てめえには関係ねえだろ――という言葉は流石に飲み込んで、バクラは手を下ろした。
  実際に不自由はしていない。昔のように命を狙われるような生活ならまだしも、平和そのものの安穏とした日々を送る今、鋭い視力など必要ないのである。それに、三千年前に限って言えば少しばかり障害があった方が第六感が研ぎ澄まされていい動きが取れる。ディアバウンドも居たし、盗賊稼業にも問題はなかった。
  ということを長々説明する気にはならない。だが獏良は知りたそうな顔でじいっと、バクラの目を見上げていた。ので、
「…気が向いたらそのうち話してやる」
  うやむやに誤魔化すことにした。鬱陶しい視線を手で払って、バクラはついと背中を向ける。
  獏良はふうんそう、わかった。と言って、バクラの横をすり抜け来た時と同じぱたぱたとした足音でもって玄関へと向かっていった。少しばかり拍子抜けする。何かしつこく問いかけてくるとしかけてくるかと思ったのだ。
  再び頭を掻きながら、バクラも後を追う。財布が見つかったのだからとっとと出掛けるに越したことはない、さっさと靴を履いて外廊下へ出てしまった己が宿主に追いついて、いつもどおり、エレベーターを使って一階へ。街路樹の脇を歩き始める。
  ふと、バクラは違和を感じた。
  宿主、と呼びかけようといつものように視線を横に向けた時、獏良はそこにいなかったのだ。
「どっち見てるの」
  言われて、反対側を向く。ちょうど右腕のすぐ脇に、やけにすまし顔をした獏良が居た。
  ああそうか、いつも左側にいるのに逆に立たれたから違和感があったのか。バクラはそう思い、そして――急に右側に付きだした獏良の思考もまた、なんとなく、解ってしまった。
「ほら行くよ。早くしないとタイムセール終わっちゃうじゃないか」
  そんな風に言いながら、白い指が赤いパーカーの右袖をくいと掴んで歩んでいく。
  何も言われない。何も追求されないまま、細い背中に先導されてバクラは口の中で小さく唸った。
  ――これは、とっとと説明して差し上げた方がよさそうだ。
  こんな面映さ、気持ち悪くてとてもじゃないが普通の顔をしていられない。引かれる右腕はそのまま、左手で顔を覆って、バクラはなんとも形容しがたい溜息を吐いた。