全ての悲劇は、ハッピーエンドの為に有る。【2011獏良生誕SSおまけ】

 ※【トラジック・バースの仮面役者】の後にお読みください。

 きゅっ きゅっ、きゅう。
 背中をぞわぞわとさせる不愉快な音が響く。ぞぞぞぞ、といやな気分になって、バクラはソファから身体を浮かせた。
「宿主、何だ今の黒板に爪立てたような音は」
「んー?」
 振り向いて確認する。獏良は壁に向かって何かしていた。電話機の脇、そこにはカレンダーがあったはずだ。
 細い背中。白い頭。カレンダーを捲る手と、赤いマーカー。覚えのある不快音。
 既視感。
 バクラはあァ、と、小さな声を上げた。
「てめえはまた同じことしてんのか」
「あ、気が付いた? っていうか覚えてたんだ」
 ぱきんとマーカーの蓋を閉め、獏良は小走りでバクラの元に寄ってくる。
「忘れろってご命令だったからな、覚えててやった」
「うわー嫌な奴。知ってるけど」
 その表情はやはり平素だった。良く分からないロジックを秘めた瞳に、薄く持ち上がる唇。見慣れてしまった獏良了の顔――けれど、仮面はもう外れていた。
 今や二人の関係に名前はない。家族でも恋人でもない。共犯者ですら、無い。
 それでも二人で暮らしている。一緒に生活し、偶に出掛け、夜も割と頻繁に交わる。字面だけならば心を間借りしていた時と変わらない。身体があるというだけで、そんな退屈な日常もそこそこ悪くないものになるとバクラが知ったのは、つい最近のことだ。
「リベンジの機会を作ろうと思ってさ」
 獏良はバクラの隣に腰掛け、マーカーを軽く振って見せた。
「あの時はお前が空気読まずにからかったりしたからね。しかも泣いてるボクを放ってさっさとどっかにいっちゃうし」
「宿主サマが一人にしてくれっつって情けねえお願いしたんだろうが」
「そこが空気読めてないんだよ。そんなんじゃモテないよ」
「てめえ一人で手一杯だ」
 はああ。
 大きなため息を付き、バクラは若干狭くなったソファに無理やり寝転がる。足裏で獏良の背中を押すと、やめろばかと辛辣な叱咤を投げつけられた。
 リベンジ、と、獏良は云った。
 あの日、不愉快な気分で終えたバースデイ。翌日になってバクラが獏良と顔を合わせた時、彼は昨夜何も起こらなかったといわんばかりに元通りの表情を浮かべていた。剥がれそうだった仮面は再び獏良の顔に張り付いて――バクラは内心、確かにほっとしたのだった。
 壊れるのが怖かったのはどちらだろう。
 生ぬるい感情に引きずられて、計画を台無しにすることだけは避けたくて。愛しくも恋しくもなかったけれど、それに近い依存は確かにあった。
 そんな厄介な依存と感情。それらをまとめて引きちぎり、けれど壊すことは出来ないまま、結局バクラは獏良を置いて最期の戦いへ赴いた。敗れ、何の因果か現世に回帰することを許され、今はこうして獏良と再び暮らしている。
 すべてはやり直しなのだ――と、獏良は云う。
「今なら出来ると思うんだ。お前に何かを望むこと」
 あの頃は恐ろしくて出来なかった。崩壊するのが怖かった。
 平行台の上で震えながら立っていた、かつての自分。今ならば懐かしくさえ思えると穏やかに滲ませて、かつての「宿主サマ」は微笑んだ。
 その顔に逆らえないことは、バクラ自身も自覚していた。みっともないだらしないあり得ないと首を振ってもごまかせない。ぐっと喉が詰まって、反論の言葉が舌にうまく乗らなくなる。
 最近では獏良もそのことに気が付いたらしく、故意ににこにことしているようだ。狙ってやられても同様の効果が発動する辺り、どうやら自分はすっかり牙も骨も抜かれているらしい。
 せめてああそうかよ、と呟いて、バクラはごろんと向こうを向いた。
「ちゃんと聞きなよ。真面目に話してるんだからさ」
「これがオレ様の真面目ですう」
「ですう、じゃないよ気持ち悪い。今年はちゃんとしようよ」
 追加攻撃が来た。獏良の背中にずしりとのしかかる重み。獏良が頭を押しつけてきたらしい。 じわりと広がる低めの体温を、肌はもう覚えてしまった。
「……何だよ、今年って」
「だーかーらぁ」
 図らずとも、問いかけの声が微妙に上ずる。伸びてくる獏良の手がバクラの頬に触れた。

「今年の誕生日は、おめでとうって云ってよね?」

 求める喜びに満ちたその声は、聞いている方が恥ずかしいほどに弾んでいた。