【♀】ヒキガネ 02 / Lunch or Die.

本日は晴天なり――という言葉が良く似合う、月曜日の昼下がり。
 街のメインストリートは、昼食をどこで食べるかと楽しげに話し合う若者や午前の仕事の疲れを払う場所を探す勤め人でごった返している。賑やかな声を上げる露店の店員が己の店の味と安さを叫び、売り子の少女は心地よく冷えた飲み物をカートに乗せて売り歩き、その賑わいは大通りをはずれた路地裏までも届くほど。
 遠く聞こえる人々の声。明るい音を微かに鼓膜に感じながら、二人は煉瓦色の建物の裏手に居た。
「平和だな、オイ」
 盗賊王がのんびりと、椅子代わりにしている木箱の上で足を伸ばす。
「うまい昼飯食うにはもってこいだな、こりゃあ」
 背中合わせの位置で座るバクラは無言のまま、対照的にしかめ面を浮かべている。完璧な夜型の彼に、この太陽光は少々きつすぎるようだ。括った髪を背に払い、暑苦しく首元を締めるタイを緩めて鼻で溜息を付く。
 そして見上げる。
 なるほど確かに、一般的には気持ちの良い天気だと云える。手にした弁当の色彩が非常に良く似合う。
 バスケットを片手に、バクラは気怠そうに盗賊王へと向き直った。
 紫瞳がにやりと笑う。開かれたバスケットの中身――綺麗に並んだサンドイッチを見て。
 天には青い空。浮かび流れる白い雲。
 ――そして、
「これで辺りが生臭くなきゃあ、ほんっと完璧だぜ」
 周辺には、濃い鉄錆の匂いが漂っていた。
 

 普段は強い光の差し込まないその場所も、ここまで天気が良いと中天からの太陽光の恩恵を受ける。とはいえ裏腹に薄汚れた細い道端のこと、ゴミ屑と元気のない雑草で汚れたそこは、照らされてしまうと一層のうらぶれた感をも引き立てしまう。昨夜あたりに酔っ払いがやらかした吐瀉物の残滓までが陽光の中に晒され、不潔を通り越して滑稽だ。
 街の表と裏を表現しきったこの場所で、二人は昼食をとっている。
 いわゆるマフィアと呼ばれる稼業についていることを、了は知らない。昼夜問わず二人が、或いは片方が出かけていく理由は、時間が不規則な仕事についているからだと説明してある。それを信じる了も了だが、とにかく二人の稼業は了には絶対秘密の掟であった。十戒にもう一戒を追加し、『了に真実を教えてはならない』としているほどの、厳重な機密事項である。
 故に、無知なる少女は甲斐甲斐しく、『仕事』が忙しい二人の為に弁当を作る。
 夜を明かす可能性がある時には夜食まで用意し、それぞれに持たせるように心がけているらしい彼女は、本日も二人分の昼食を出がけに手渡してきた。
 昨夜うっかり口を滑らせた盗賊王が、了の寝ている隣でバクラに向かって明日は何時に出るんだと問うたのだ。てっきり完全に眠りこけていると思っていたのだけれど、うつらうつらと起きていたらしい。
 聞いていた了は翌日早朝、自分が愛し、また愛される男達の為に弁当を作った。
 大きなバスケットに、サンドイッチと、肉の揚げたのや卵を巻いたのをそれはもうぎっちりとぎゅうぎゅう詰めにして。
『今日は一緒のお仕事なんでしょ? 二人分、まとめて一つにしといたからね』
 云って、手渡してきたその重量にバクラはぐっと言葉を詰まらせ、盗賊王は嬉しげに口笛を吹いた。恐らくは大食漢な彼の胃袋が歓喜したのであろう。
 斯くして二人は、取引の場所へバスケットを下げたまま向かうことになった。
 片手にアタッシュケース、片手にバスケットといういでたちが取引相手らの不信感を煽ったのか、はたまたバクラの軽い挑発にも耐えきれない程に血の気が多い連中だったのか、交渉は決裂。それどころかそのバスケットに不穏な物でも隠しているのだろうとあらぬ疑いを掛けられ、集中攻撃を受ける二人の昼食。さっさと餌食にしてしまうか、交渉の時点で中身を改めて見せるか、交渉場所に着くまでに捨ててしまえばこんなことにはならなかった。
 だがそうしようとするとどうにも了の笑顔がちらついて、あの寝坊助が朝早く起きて作ったのだとかそれぞれの好みの料理をたくさん入れたと自慢げに薄い胸を張っていた様子やらを思ってしまい、情けなくも実行できなかった。二人はバスケットを守る形で小競り合いを行い、結果、出来上がったのは多数の負傷者の血や吐瀉物が彩る生臭い裏路地、である。
 その真ん中で、二人はバスケットを囲んでいた。
「しっかし、どうすんだ。今回のこと。グールズ・ファミリーはイシュタールの傘下だろ」
「どうせ今日来た連中は三下だ。先に手を打てばどうとでもなる」
「あの女の方はともかく、護衛でいつもくっついてる男、ありゃあ曲者だぜ。鼻が利く」
「マリクの野郎か。厄介だな」
 もっもっ、と、サンドイッチを咀嚼しながら盗賊王は唸る。
 イシュタール・ファミリーはこの辺りで1、二を争う大規模なファミリーである。代々、正真正銘の血族のみでトップを形成し、その結束は固い。グールズ・ファミリーを筆頭に、いくつもの子飼いの組織を持っている。統率しているのはナムと名乗る褐色の肌の女だった。護衛にマリクという男が常に付き添い、腕のいいスナイパーと参謀も居る。規模も資産も、バクラ率いるゾーク・ファミリーとはけた違いだ。
 尤もゾーク一派は存在さえ末端の木端マフィアの間では存在さえあやふやなものとして半ば闇に紛れており、構成人数や戦力も秘中の秘――よもや二人しかいない極小ファミリーとは誰も思うまい。バクラ得意の操心術で、適宜その場しのぎの頭数を集めたり、噂や口振りで大規模であることをほのめかしたりすることで、その存在を巨大なものに見せているに過ぎない。
 表向き、イシュタール・ファミリーとゾーク・ファミリーは手を組んでいる。その傘下であるグールズ・ファミリーと小競り合いがあったことが知られれば後々面倒なことになるはずだ。その前に手を打っておく必要がある。
 揚げた肉にたっぷりのガーリックが利いた辣いソースの絡まるそれを口の中に放り込み、バクラは思案した。あのこまっしゃくれた女――ナムに話を通しに行かねばなるまい。それも早急に。
「気が進まねえみてえだな、兄弟」
 にやにやと笑いながら盗賊王が云う。
「お前、あの女嫌いだろ」
「あんな癇癪持ちの女、誰の好みでもねえだろ」
「オレ様はそうでもねえぜ。気の強い女は嫌いじゃねえ」
「だったら宿主から鞍替えするか? ついでにスパイにでもなってくれりゃあ、こっちとしては万々歳だ」
「了は別格だっての。メシはうめえ、顔も極上、性格も適度に馬鹿で可愛いときたもんだ。手放す気はねえよ」
 云って、賛辞した料理をばくり。それなりに大きなサイズのサンドイッチは、二口で彼の口の中へと納まった。ひとつを咀嚼している間にもう一つに手を伸ばしているあたり、その食事の美味さが伺えよう。
 フォークなどという面倒なものは使わない。すっかり空白が目立つようになったバスケットの中、最後の一つの肉揚げに、褐色と白と、双方の指が同時に伸ばされた。
 ぎろり、と、バクラが睨む。
「てめえさっきたらふく食っただろ。そいつはオレ様のモンだ」
 じろり、と、盗賊王が睨み返す。
「何云ってんだ。てめえサンドイッチ一つ多く食ったじゃねえか。肉はよこせよ」
 肉を挟んで二人のマフィアが、お互い譲れないといった形相で視線を交わす。その目は先程、集団で二人を取り囲んで飛びかかってきたグールズ・ファミリーの構成員を叩きのめす時よりも余程剣呑なそれだった。
 異常に食い意地が張っているのかと問われれば、別にそこまでではないのだ。単に相手が自分のいうことを聞かないのが気に食わないだけで、更に追求するのならば二で割れる数の料理を用意しなかった了にも責任があった。肉揚げは七つ。割り切れない数であることがささやかなランチバトルを生み出したとも云える。
 二人はしばし睨み合い、互いに指に掴んだままの肉揚げを離そうとしない。ここまでくるとただの自棄だ。
 肉に絡めた辣いソースが、バスケットの上にぽたりと落ちる。
 その小さな滴に、ごくごく小さなそれに――逆さまになって映りこんでいたのは、石畳に伏せていたグールズ・ファミリーの構成員の一人の、憎々しげな眼光だった。
 おかしな方向に捻じれた腕をじりじりと動かし、彼はバクラと盗賊王に銃口を向ける。どちらを狙うか震えた銃口は、バクラを狙った。彼の腕を捻じ曲げたのがバクラだったからだろう。
 現地の言葉でクソッタレ、と吐いた男が、かたかたと痙攣する指を引鉄にかける。
 憎しみと共に銃声が響こうとした時――青と紫の瞳が、瞬きする間もなく意を交わした。
「!!」
 察せられたことに驚愕した男が、その勢いで引鉄を引く。
 肉揚げが宙に高く舞った。
 銃声が渡るより早く、まるで予備動作なく動いた盗賊王の手が懐に差し入れられ、光のような速さでナイフが飛んだ。薄く、万年筆程度大きさのそれは銃弾が放たれる前に相手の銃口へと刺さり、男の拳銃が暴発。情けない悲鳴を上げた男が仰け反った瞬間、そのこめかみをバクラの二丁ある拳銃のうちの一つが打ち抜く。相手を見ずとも正確に打ち貫ける腕、ゾーク・ファミリーのボスの名は伊達ではない。
 宙を舞っていた肉が回転しながら落下してゆく。放物線の行く先は――盗賊王の、上向いた口の中だった。
「あ、てめえ!」
 あと一寸のところで肉揚げを奪われ、バクラは声を上げる。にたあと嫌な感じに笑った盗賊王は、ことさら嫌味に咀嚼してからゆっくりと嚥下し、ごちそうさん、と嘯いた。
「ナムに会いに行くんだろ? ニンニク臭ェ息してっと、あの女がぎゃあぎゃあ云うぜ」
「とってつけたような理由つけんな。ったく、てめえの食い意地はどうにもなんねえな。誰が拾ってやったと思ってんだ」
 ぶつぶつと文句を云いながら、バクラは汚れた手をバスケットの包みの端で拭って立ち上がる。云われたとおりナムに会いに行かねばならないのは本当なのだから、いつまでもここで詮無い罵り合いをしている場合ではない。と、悟れる自身の理性が恨めしい。
 包みをそのままに木箱から降りたバクラを見下ろし、盗賊王はひゅうと口笛を吹いた。振り返るバクラに彼は云う。
「ま、せいぜい頑張ってこいや。残りの仕事はオレ様が片づけといてやるよ」
「そのバスケット、宿主にちゃんと返しとけよ。捨ててくと後でうるせえからな」
「あいよ」
 ひらひら、とバクラは手を振り、血と吐瀉物で汚れた石畳――場所によってはヒトそのもの――を踏み越え、更に奥、さしもの太陽光も届かない裏路地へと入っていく。
 予定が狂った。今日は早く帰ると了に云った手前、なんとなく気が重い。そんな口約束などどうでもいい筈なのにどうにも気に掛かってしまうのが腹立たしい。しかしこれも秘密を守るが故の一環なのだ。最近、そんな『秘密』を言い訳にしている自分にも気づいていたけれど、気づいたからといってどうにもならないのが現状である。
 帰ってきて、あのバカが宿主に手ェ出してたらそのまま三人で遊ぶか。
 割と楽天的なことを考えつつ、バクラは指にまだ残っていたソースをぺろりと舐めた。