【♀】ヒキガネ 04-01 / Undertaker.
スラムから大分離れた高級住宅街の一角に、瀟洒な邸が在った。
赤い煉瓦に上品なアイアンワークスの門扉。嫌味でない程度に、しかし確実に金を掛けているのが分かる、腹が立つほど上品な邸宅だ。
表向きは企業経営者が住まう大邸宅だが、裏を返せばそこはマフィアの根城。
イシュタール・ファミリーの本拠地とも呼ぶべき場所、その門扉の前に、バクラはポケットに手を突っ込んで立っていた。
(気が進まねえな)
気に喰わない癇癪持ちの女と、話をつけなければならない。それがボスの仕事だからだ。
誰でもいいなら、あのナムが悪くないなどと趣味の悪い品評をした盗賊王に行かせればよい。だがそれでは意味が無い。ついでに、敵意が無いことを示す為にも一人で訪問する必要がある。
分かっていても、嫌なものは嫌である。
ナムはファミリーの党首としては珍しく、バクラと年齢が近い、歳若い頭だ。
まだまだ未熟なのが部外者のバクラでも見て分かるほどで、物事の詰めが甘い。周りをがっちりと有能な身内で固めているからこそ、彼女はボスとしてなんとか成立しているに過ぎない。つまりは一人では立って居られない半端者。或いは周りが有能過ぎてそう見えてしまうのか、とにかく名前負けは否めない。
それを自身で理解していて、なおどうにもならない事実が、ナムをたびたびヒステリックにさせる。部下に向けて、綺麗な顔を歪めて罵声を吐く姿を何度も見たことがある――他の組織のボスであるバクラの目の前でそんな真似をすること自体が、未熟者の証拠だ。
がりがり、と後ろ頭を掻く。管を巻いても仕方あるまい。
監視カメラが抜け目なく四方からバクラを見下ろしているのだから、こちらの訪問は既に知れているだろう。なればこうしていることすら時間の無駄だ。
訪問の意を告げる為、ノッカーに手を伸ばす。
真鍮がぶつかり合う音が響き、そして誰何される――はずが、あっさり扉が開いた。
「久しぶりだねえ、バクラ」
顔を出したのはマリクだった。
ナムにもっとも近しい者、常に背後に付き従う護衛としての役割を担う男。基本的にスーツ姿で統一されたイシュタール・ファミリーの中で一人息苦しい恰好を嫌がり、まるでラフな格好で過ごしている。本日もまた、襟元がだらしなく肩まで延びたTシャツと腰下まで下ろした緩いジーンズにスニーカーといういでたちで弛緩した表情を浮かべていた。
ファミリー一の危険人物にはとても見えない男と向かい合い、バクラは軽く手を上げた。
「よお、ご無沙汰。いつから門番に成り下がった?」
「モニターにお前の顔が見えたからなぁ、ちょっと挨拶してやろうと思ってね」
軽微な皮肉を意にも介さず、マリクは笑う。首や耳に下げた黄金のアクセサリーがしゃらんと音を立てた。
「用件は何だい。主人格サマに御用でも?」
「まさにそれだ。ボスはご在宅で?」
「ちょうどさっき帰ってきたところだよ。あんまり機嫌は良くないけど、会うかい」
「そりゃあ悪いタイミングでお邪魔しちまったな。ならまたの機会に――ってわけにはいかねえんだわ。なるべくご機嫌にお話できるように、てめえから口を利いて頂けねえ?」
肩を竦めて云うバクラに、マリクはくくくと、蛇のような笑い声を返す。
「そいつは無理難題だね。まあとにかく入りなよ。二階の突き当たりの右だ」
重厚な両開きの扉を背中で抑え、マリクは慇懃に、手のひらで館の内部を示して見せた。広いホールは上品な金色の装飾が施され、何度目にしていても一瞬目がくらむ。今日のように天気のいい午後だと、壁いっぱいに設えられた背の高い窓から火が差し込んでひどく眩しいのだ。これに日常的に慣れている者たちは問題ないらしいが、訪問者は必ず、目を眇めることになる。
マリクの隣をすり抜けざま、バクラもまた、金色の光線に青い瞳を細めた。
瞬間、背中に緩い風が吹いた。
ジャケットに隠れた両腰のホルスターから消失する、二丁分の馴染んだ重さ――マリクの手の中に、バクラが可愛がっている双子のオートマチックが収まっていた。
「こいつは預かっとくぜぇ。大事な大事な主人格サマに、何かあっちゃあ大変だからな」
引鉄に指を突っ込まれ、ぶらぶらと危なっかしく揺らされる。その様をバクラは横目で見やり、大仰な溜息を付いて見せた。
「やれやれ。汚ねぇ手で触られんのは心が痛ぇな。そいつらはオレ様の可愛い玩具だってのに」
「胸のリヴォルバーは大目に見てやったんだから、文句はないだろう?」
あと髪の中のデリンジャーと内手首のナイフもな。
マリクの指先が、バクラの胸をつん、とつつく。
だらしない外見の割にこの男は抜け目ないのだと、バクラは改めて認識した。締まりのないニヤケ顔に油断すると痛い目を見る。自身、幾度か命のやり取りをしかけたことがあるのでよく知っていた。
「いいのかよ、お目こぼしなんざしてもらって」
「おやおや、話し合いに来たんじゃないのかい?」
「その通りさ。――安心しろよ、何もしねえ。ちょいと話をするだけだ」
「ふうん」
信じているのかいないのか。真意が見えない返事を返すマリクに背中を取られたまま、バクラは黄金の邸内へと足を踏み入れた。