【♀】ヒキガネ 06-12 / LadyPanther and WhiteKitten.
(さあて、どうしたもんか)
我ながら相当に可哀想な濡れ鼠で、盗賊王はぶらぶらと裏路地を歩いていた。
夜も更け、メインストリートの店は分厚いシャッターを下ろしている。明るい世界に生きる人々にとって、夜とは眠る為だけにある時間だ。このような時間に看板を掲げているのは、所謂『こちら側』の息がかかった怪しい店ばかり。
下品なピンク色のネオンに、そこへ張り付く大きな蛾。雑草も生えないゴミ屑だらけの道。ホームレスが道端に蹲り、建物の影では何やら危うい取引。
剣呑な闇が満ちる。この夜こそが盗賊王の時間である。昼間よりも余程落ち着く。
とはいえ着替えてこなかったのは失敗だった。水をたっぷり吸ったブーツは歩く度にぐじゅぐじゅと嫌な音を立てるし、くしゃみも二連発した。モッズコートは雑巾宜しくきっちり絞ったけれど、夜気に冷え切ってとても着る気にならない。
風邪をひく前にどこかで身体を暖めたい。具体的にはきついアルコールで。
そうして頭の中でバーの場所を検索していると、目の前を、非常に見覚えのあるパンク頭が横切った。
「――お?」
相手もこちらを見る。褐色に紫の目、丸めた猫背、眠たげな半目。
つい先ほどまで楽しく殴り合いを繰り広げていた相手――マリクが、ポケットに手を突っ込んで歩いていた。
「おや、さっきの」
と、相変わらずの緩い足取りでマリクは近づいてきた。
奇遇だねぇとへらへら笑う顔に、あれだけ滾っていた殺気はどこにも無い。腑抜け、と表現して差支えないだらしない雰囲気だ。
盗賊王は警戒しようとして、やめた。
イシュタールの狂犬。こいつは良くも悪くも本当に犬なのだと、中断させたれた闘争の中で既に知った。鉄パイプを振り回し、殴り殴られ反吐を吐き、盗賊王の顔面にいい拳を叩き込んではげらげら笑っていた癖に、彼は突然その動きを止めた。耳に手を当て、インカムか携帯かは不明だが誰かと喋って――そうして鉄パイプを捨てたのだ。
『残念だが、これでお開きだ。もう全部片付いたらしいぜえ』
お前の女はもう解放したってよ。
つまり、バクラが役目を終えて了を無事取り戻したということである。
状況終了の宣言と共に殺気を萎ませたマリクは、隙だらけの背中を向けてさっさと去ってしまった。
今襲えば勝てる。
だがそんなつまらない真似などしたくない。やる気をなくして、盗賊王も倉庫街を後にした。
そして再会――闘争の雰囲気は皆無。こんな駄犬状態のマリクと殴る蹴るを繰り広げても何も楽しくないと、盗賊王もよお、と軽く手を上げて挨拶した。
「そんな恰好で何やってるんだい。てっきりあの女としっぽりヤってるんだと思ってたよ」
マリクが拳を握り、人差し指と中指の間から親指の先を出した卑猥なサインを向けてくる。盗賊王は軽く笑い、肩を竦めた。
「そういう空気じゃなくてよ。おいしいトコはボスに譲って差し上げたんだ」
「へえ、お互い上司に苦労するね」
「てめえはこそいいのかよ? ナムの護衛なんじゃねえの」
「どうしても一人が良いって、おいてかれちまったよ」
まるで往年の親しい友人同士のように、盗賊王とマリクは並んで歩き始めた。
何故だとかどうしてだとか、そういうまどろっこしい理由は特にない。盗賊王は朝までの時間潰しが必要で、マリクもどうやらそうらしい。ならば同行してもおかしくはない、その程度だ。昨日の敵は今日の友ではないが、少なくとも、牙を剥いていないマリクは拳で語らう相手にならない。
それに、殴り合いをしている間に彼に妙な親近感を持ったのも事実だ。純粋に闘争を楽しむ嗜好や先程云われたとおりの宮仕えの身。暇つぶしには恰好の相手である。
察したのか、マリクは唇を歪め、ちょいと酒を煽る仕草をして見せた。
「丁度いい。コレで第二ラウンドといこうじゃないか」
「云っとくがオレ様ァ生まれてこの方、酒で負けたこたねえぜ」
「奇遇だね、オレも酒が水にしか感じない可哀想な奴なのさ。潰すつもりで付き合ってくれりゃあ、少しは酔えるだろうよ」
と、豪語する口でもって、マリクはべろりと舌なめずりをした。
どうやら退屈はしなさそうだ。ついでに乏しい財布の中身を心配する必要も無くなった。マリクからは同郷の匂いがする。それならばお国柄で酒に強いのも本当だろう。
了は甘いミルクみたいな酒しか飲まないし、バクラも意識が吹っ飛ぶまでアルコールに溺れたりはしない。二人とも、そんなに酒が好きではないのだ。ゾーク・ファミリーに不満があるとすれば唯一その点である。酒は楽しい。美味い不味いはともかくとして、がぶがぶ飲んでほどよく酩酊するのは最高だ。なのに双子は全く興味を示さない。
マリクは自信たっぷりににやにやしている。これなら相手に不足はない。
先に潰れた方が驕り。というルールを暗黙のうちに取り決め、盗賊王は目的地を決めた。
長酒が許される店ならば心当たりがある。決戦の地は盗賊王やバクラが良く世話になる情報屋が経営するバーだ。古いビルの地下二階にあり、飴色の扉に掛かった看板にはピーコックが彫られている。
挨拶もなしに扉を開くと、カウンターに肘をついていた女主人が顔を上げた。
「あらまあ、珍しい二人組だこと」
それこそ孔雀のように華やかな女主人が云う。自分自身も全く同意見だと笑う盗賊王だった。