月のこども 01

何故そうなのかだとかどういう意味があるのかだとか、そういったことは一切合切分からない。
 ただ大昔からの決まり事で、そうなると大人が云うのだからそうなのだと納得するしかない。そうして言い聞かせている時点で、実際はちっとも納得していないのだと了は思った。
 白い額に掛かる重たい前髪を押しのけて、天を指しているこの一本の角。
 これがあるから、自分は神に召されなければならないのだ。

 その年初めて生まれた有角人種のこどもを二人、神様に差し出すのがこの地の掟。
 片方は血肉を捧げる生け贄として。片方は人々の罪を背負い荒野へ追放される生き贄として。
 麦の刈り入れの季節近くに生まれた了とバクラがその役割を担うのは、本来ならばおかしな話だった。彼ら以外にも有角人は多く、春に生まれた子供だっていたはずだ。それなのにごく当たり前の流れで、了が贄となることは決定していた。正確に云うなら、生まれた瞬間に決まっていた。何故なら、了の額には異形の角が生えていたからだ。
 山羊角を持つ有角人種でありながら、額に一本しか角の生えなかった少年。山羊角の一族は右角が太陽を、左角が月を指すと云われ、豊穣の月日を象徴する。片角しか生えなかった了はそれだけでも異端だが、生まれた時間が悪かった。細く痩せた三日月を指さすように伸びた額の角は、民の枯渇を呼ぶと神官が告げた。その瞬間、了は災いの仔となった。
 やがて、今年のお役目のうちの一人はこの子供だと誰もが云った。
 静かな波紋が広がるように人々の心に沁みわたっていたその意志が、了の運命を決定づけた。
 加えて不幸なことに、了は双子であった。片割れのバクラは山羊角を持っていたが、了が贄の運命を背負わされたのなら同様に彼も背負わねばならぬ。幼子の二人は種蒔きが始まる前に、神に召されるさだめであった。
 有角人種の成長は早く、人間に換算すると一年で成人する。遅く生まれた了は春になる前に贄になるのだから、十歳ほどの年齢のまま、掟を受け入れなければならない。短い秋と冬の間、二人は国費で養われ、教会の地下で繋がれて過ごした。
 その日々を了は思い出す。あの日と違い、たった一人で。

 石壁に覆われた狭い部屋で育てられていた頃は、とにかくバクラの角ばかり触っていた。
 同じ顔、同じ髪色、同じ瞳の色。それなのにバクラのこめかみからは小さいながらもきちんとした牡山羊の角が生えており、了の額からは何の生き物の血を影響づけられたのかもわからない白い角が生えていた。
「バクラはいいな、ちゃんとしたのが生えてて」
 味のないスープを啜るバクラの傍らに座り込み、髪から突き出た曲がり角をさすってみる。大人になるとより目立つという螺旋状のおうとつは、こどもの今ではささやかなでこぼこ程度にしてか感じられない。食事を差し入れる同種族の男性が大きな螺旋模様の角を持っていたので、バクラも大人になったらそんな風になるのだろう。
 惜しむらくは、そうなる前に神へ召されてしまうこと。
 重たそうだけれどとても立派なその姿を、了は見ることができない。どちらがどちらの役を――生け贄か生き贄かのどちらを担うことになるかは分からないけれど、いずれにせよ二人はそう遠くない未来、別たれて永遠に離別する定めなのだから。
 だから今の内にたくさん触っておこうと、了はバクラの角をさする。
 バクラはその手を鬱陶しそうに払いのけ、幼くも鋭い目つきで睨み付けてきた。
「ベタベタ触んじゃねえよ。こんなん重てえだけでちっともイイもんじゃねえ」
「そう? ボクはかっこいいと思うなあ」
「宿主の白いヤツの方がましだろ」
 バクラは了のことを宿主と呼ぶ。その理由はどうやら、バクラが生まれた時に二人がくっついた姿――癒着児として生まれ、了に寄生するように生を受けたことから来ているらしい。贄のさだめが決定される前のごく短い期間、ただのこどもとして生活していた頃に大人から聞いたことだ。
 莫迦にしているのか皮肉なのか。けれど宿主サマ、といじわるな声で呼ばれるのは、嫌いではない。特別な呼び名な気がして気に入っている。
「一本なら軽くていいじゃねえか」
「よくないよ。これがあるから、ボクら神さまって人のところへ行かなきゃならないんだよ」
 だから嫌い、と、了は自分の角を両手で押さえた。
 こんなものがあるから、了は知りもしない神とやらの為に死なねばならない。バクラを巻き込んで、二人で別々に死ななければならない。例え死んでしまうとしても、二人だったらきっと耐えられた。この石の部屋に閉じ込められても心を壊さずにいられたのは、孤独ではなかったから。
 部屋は死と地繋がりだ。それならば最期まで一緒だったらよかった。一人で逝くのは耐えられない。
「一緒だったらよかったのにね」
 手を繋いで、鎖も繋いで。そうして死ぬなら怖くない。生まれてから今まで、了の世界には自分とバクラしかいない。だから死ぬなら、一緒がよかった。一緒に始まって一緒に終わりたかった。
 終わる日のことを考えるとどうしても憂鬱になる。運命に逆らうような無駄なことはしない了だからこそ暴れも泣きもしないけれど、バクラと離別することだけは、彼の青い瞳を悲しげに潤ませる原因になった。
 そうして唇を噛む度に、バクラはふんと鼻を鳴らして、了の頭を小突くのだ。
「ウジウジしてんじゃねえよ。大体オレ様は死ぬつもりなんかないぜ」
「え?」
「オレ様は死なねえっつってんだ。誰か大人しく殺されるかってんだよ」
 そう云って唇の端を持ち上げて笑う、外見に不釣り合いなあくどい笑いは彼の得意の癖だった。
 きょとんとした了は疑問を口にする。そんなことは出来る筈がないのにと。
「だってもう決まってることなんだよ」
「誰が決めたんだよ。くだらねえ大人の決め事だろ」
 そんなものに従ってやる義理はない。と、バクラは云う。
 逆らうだとか抗うだとか、考えたことのなかった了にとって、その発言は想像することすらないことだった。だってもう決まっているのだから、仕方が無いのだから。
 けれどバクラは大丈夫だと云う。死ぬつもりはないと云う。
 ――それならば、
「じゃあさ、ボクも一緒に、死なないでいられる?」
 一緒に生きられるのだろうか。この先もずっと。
 できることなら、こんな暗く冷たい場所ではなく明るい日の下で。短い時間、太陽の下で暮らしていた時のように、あんな風に眩しい場所に、二人で立つことができるだろうか。
 そう問うと、バクラはひねくれた風に顔を顰めて、明るい所は嫌だと云った。
「こんなとこに閉じ込められてんだ。明るい所に出てみろ、オレ様もてめえも一瞬で溶けちまうに決まってんだろ」
「溶けちゃうの!?」
「だから適度に暗いとこでもいいなら、てめえもついでに連れて行ってやってもいいぜ」
 何せてめえはオレ様がいねえとすぐにぐずぐず泣きやがるからな。
 バクラは面倒くさそうに云って、そうして不意に、了の一角をこつんと突いた。
「オレ様は、絶対に殺されたりなんかしねえ」

「――やっぱり、できなかったんだ」
 隣にあった体温はもうない。
 つい今しがた、バクラは連れて行かれてしまった。どうして別々なのと礼拝服を着た大人に云ったけれど、贄のこどもとは口をきいてはいけない決まりを守る彼らは何も云わなかった。
 そうして了の視線の先にあるのは、ぽつんと口を開けた暗い回廊の終わり。そこはもう夕闇の裾を引きずった黄昏の空――荒野だ。
 促されるように背中を押され、了は数歩、たたらを踏んで前を見る。
 この道を示されたということは、どうやら自分は生き贄の方に選ばれたようだ。罪を背負ったものとして追放される。無論、こどもが荒野に放り出されて生きていけるわけがない。緩やかな死を約束された未来がすぐ足元まで迫っている。
 バクラは逆方向へと連れて行かれた。何故か暴れもせず、大人しく、了にも何も云わずに。まるで諦めたように、彼は彼らしくないしおらしさで生け贄の道を歩いて行った。
 その先にあるのは、血肉を捧げられる単純な死。心臓を抜き取られ供物にされる山羊の宿命。
 絶対に殺されたりしないと云ったのに、バクラは死に向かってしまった。
(つれていってくれるなんて、うそだ)
 できるわけがなかったのだ。あんまりバクラが自信たっぷりに云うから、もしかしたら本当にどうにかなるのかと思ってしまったけれど、できるわけがない。だってここには味方は一人もいなくて、相手は長い槍を持った礼拝服の男たちで、自分たちを贄としか扱わないのだから。逃げられるわけもないし、逃がしてくれる理由もない。
 頭でわかっていても、怖くて仕方が無かった。吹き抜ける冷たい風に頬を打たれ、その温度に怖気づく。
 あんな冷たい場所に行かねばならないの? たった一人で?
 できない。繋ぐ手のひらもないのに進めるはずがない。
 思わず背後を仰ぎ見ると、張り付けたような無表情を浮かべた礼拝服の男が二人、冷ややかに了を見降ろしてきた。言葉を交わしてはいけない決まり。だけれど雄弁に語る瞳が云う。さっさと行け、それがお前の役目だ――と。
 吹きすさぶ外部の風より、男たちの視線の方が余程冷たかった。このまま立ち尽くしていたら、彼らが持つ槍の穂に突き刺されて放り出されるような気がした。死なない程度に痛めつけられて投げられる可能性だってある。生きている間に荒野に追い出せばいいのだ。生き贄としての役目は、生きたまま追放されること。生きさえしていれば、あとはどうだっていい。
 ぎらりと凶悪に光った刃が恐ろしく、了はべたりとへたり込んだ。男たちは了を――否、了の角を無表情に、それでいて忌々しそうに見つめている。
 男たちが何事か、彼らの間だけで言葉を交わし、そうして頷く。不意に穂先が、ひゅんと弧を描いた。
 切っ先が了へと向けられる。
(どうしよう)
 刺される。ころされる?いや、殺されるのではない、傷をつけられて、ごみのように放り出されるのだ。
 痛いことは大嫌いだった。だったらまだ自分の足で野へと身を躍らせた方がましだ。それなのに、霜でも降りそうな凍える刃のせいで指先ひとつ動かせない。
(たすけて)
 歯の根がかちかちと音を立てる。背中から宵闇の風が、死と夜の匂いを引きずって了に絡みついてくる。怖い、こわい、こわい――喉の奥で呼ぶのは、たったひとりの名前。
 その名前が恐怖に押し出されて、ひきつる喉から迸ろうとした、その、刹那。

 どちゃり。

 ――そんな、ひどく生々しい音を聞いた。
 ぎゅっと閉じた目を開くと、目前に迫っていた穂先がぐらりと揺れて、続いて男の身体も傾いだ。呆然とする了の視線の先の無表情が、瞳の色だけを無くして失墜、墜落。石床で既に倒れているもう一人の男の上に重なって、そうしてぴくりとも動かなくなった。
 耳にしたどちゃりという肉々しい音は、どうやら先に倒れた男のものだったらしい。
 でもどうして? 何が起こったのかも分からず座り込んだままの了の足元に、黒い粘着質の水たまりが迫る。驚いて後ずさると、ひゃはははと聞きなれた笑い声が回廊の奥から聞こえた。
「おもしろいツラしてんじゃねえよ、みっともねえ」
 笑い声と共に、黒い影がぬっと了の前に進み出る。倒れて動かない男を踏みつけて近づいてくるその姿は、先程叫ぼうとした名前の主その人だった。まぎれもなく、バクラその人であった。
 ただ、記憶している彼とは明らかに姿が違う。白い髪に白い肌、ぼろくずのような貫頭衣、だけれどそれらがまだらな赤色で染まっている。手にしているのは見たこともないほど豪奢な黄金のナイフ。それを握る手にも、刃にも、真っ赤な滴りが認められた。
 そして何より違っていたのは、その、角。
 将来はさぞかし立派な牡山羊の曲がり角に育つであろうあの角が、右側だけ欠けている。半ばほどに大きな皹が入り、そこから先は鈍い隆起を描いて砕け、存在していなかった。
 回廊に灯る頼りない灯で浮かび上がる彼の輪郭は、左右不対称の歪なかたち。
「ば、ばくら?」
 一瞬、彼が本当にバクラなのか分からなくなった。了は確かめるように名前を呼ぶ。
 するとバクラは、彼の癖――幼い顔に不釣り合いのにやりとした笑いを浮かべて見せた。
「ばくら――バクラ、バクラだ!」
 脱力していた足が腰が、勝手に動いた。発条仕掛けの人形のように飛び起きた了は、足元の血だまりの存在すら忘れて彼に駆け寄る。バクラもまた早い足取りで了へと歩みより――そしてそのままするりと脇を通り過ぎた。
「え、え? バクラ?」
「ぼさっとすんな。置いてくぞ」
 そう言い放つ彼は既に背中を向けている。了はぽかんとして、それから慌てて彼の後を追ってゆく。
「何でそんなに急いでるの?」
「宿主サマ、呑気はほどほどにしろよ。連中殺して来たんだ、見つかったらやべえだろ」
「ころした?」
「オレ様の心臓をブチ抜こうとした奴ら、全員首かっ捌いてやったんだよ」
 云って、歩きながら手の中の黄金のナイフを翳して見せるバクラ。
 察しの悪い了でも分かる。彼はきっと儀式のさなか、大立ち回りを演じてきたに違いない。手にしたナイフは儀式用のそれだ。自分を殺そうとした刃を奪って立ち向かってくるなど、きっと神官たちも思い及ばなかったに違いない。
 けれどそんな真似、どうしてバクラは出来たのだろう。子供の身体で大勢の大人を殺すなんてことが出来るのだろうか。世俗を知らぬ了でさえ疑問に思う。
 どうやったの、と問おうとして、了はぐっと言葉に詰まった。返り血に染まったバクラの姿――神や服だけではない。瞳が、同じ青だった瞳の色が、血の色に染まっていたのだ。
「バクラ、目……」
「あん?」
 恐る恐る問いかけても、バクラは首を傾げるだけ。本人は気づいていないらしい。それはそうだ、鏡でもない限り分かるまい。
 お揃いだった色が変わってしまったのは悲しいけれど、なんだかその疑問を口にしてはいけないような気がした。それだけではなく、殺した方法も。何故だか知ってはいけないような、そんな風に思った。それは直感か第六感か、はたまた白い一角がそうさせたのか。
 何かに押しとどめられて言いよどんだ了へ、バクラは怪訝な視線をよこす。了は喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、かわりにもう一つの疑問を口に出した。
「角、つの、どうしたの? 右側の」
「ああ、折ってきた」
「折った?」
「オレ様を押さえつけて、贄の山羊角がうんたらかんたらって唱えてやがったからよ。山羊角じゃなくしてやった。あァ、そういやこれでてめえと同じ一角だな」
 こんこんと折れた角を指先で叩いて、バクラは何の気もなくそう云う。
 その言葉がどれだけ了に響いたのか、彼は知らない。
 同じ一角。同じもの。異形のもの。バクラはそれになったのだと、今、そう云ったのだ。
 双子として生まれ、贄として育てられ、何もかも同じだったけれど角だけが違かった。そのことを了が気にしていたと、バクラは知らない。この角のせいで贄になったこともあるけれど、バクラと違うということが、了は嫌だった。
 この角が嫌いだった。それが途端に好ましく感じられる。
 こどものこととはいえ随分と単純だ。急に良いものになった一角を思わず両手でさすって、了は笑う。
「そうだね、おんなじだ。バクラとボク、おんなじ角だ」
「なにニヤニヤ笑ってんだよ、気持ち悪ィな」
「気持ち悪いっていうならバクラの方がひどいよ。まっかだし、変なにおいするもん」
「うっせえ。血ってのは結構生臭ェもんなんだよ」
「どこかできれいにしなきゃね……あ」
 喋りながら、ふと足を止める。そこは回廊の終わり、石畳の途切れる場所だ。
 既に壁へ灯る火も無く、一歩先は完全な暗闇。足裏の感触がこの先は外だと告げている。
 吹く風は冷たく、暖かさも光も何もない。たった一人で了が投げ出される予定だった場所に、二人は並んで立って居た。
「外だよ、バクラ」
「見りゃあ分かる。外だな」
「バクラの云ったとおりだったね。暗いとこに行きたいって云ってた」
 暗闇で育てられた自分たちだから、光へ踏み入れたら溶けてしまう。バクラがかつて云ったことだ。それならばなんて都合がいいのだろう。闇に紛れて足を踏み出したら、溶けもしないし誰にも見つからない
 見上げる空には滴るような満月が浮かんでいる。まるで夜空が大口を開けて笑っているよう。
 月の影を引きずった一角のこどもと、太陽の右角を失ったこども。贄の定めを蹴散らした二人が踏み出すには似合いの月夜を前にして、二人は目を合わせた。
「一緒だね。ほんとにいっしょにいられるんだ」
「てめえがぴいぴい泣いたり喚いたりしたら、さっさと捨てていくからな」
 そんな風に憎まれ口を叩いたバクラが、ふいと正面を向く。
 了は前を見なかった。バクラを見て、バクラの進む方向についていくと決めていたから。
 背後から微かに聞こえてくる慌ただしい足音。靴が石畳を蹴る音が聞こえないほど、了はバクラだけを見つめていた。
 ナイフを握る手と逆側の、右手。無くした角を補うように握った手のひらが熱い。
 バクラはちらりとだけ了を見たが、手を振りほどかなかった。
 繋がった手を引いて、そうして足を踏み出す。
「行くぜ、宿主」
 踏みしめた荒野の土が、夜のようにしっとりと、二人の来訪を迎え入れた。
 背中には追手。目の前は闇。
 月のこどもは二匹の影となって、夜の世界へと滑り込む。その後彼らがどうなったのかは――正しく今宵の月にしか、与り知らぬことである。