白い髪の錬金術師 01 / 死者の上に咲く花

小さな花を育てましょう。
 決して引き抜いてはならない、真っ赤な真っ赤なAlraune。

 朽ちた死刑台ちかくの一軒家に、少年はひとりで住んでいた。
白い髪、白い頬、大きな瞳は青空の色。手足は細く、綺麗な顔立ちをした、一見少女と見まごう姿。
簡素な服に身を包み、何をするでもなくただ淡々と、過ぎていく毎日を過ごしている。不満はない、ついでに言えば希望もない。都で働く父の仕送りで、その日その日をただ生きる。夜は本の間に鼻先を突っ込んで朝日を見てから眠り、腹が減ったらその場にあるものを適当に食べる。自堕落、な、それでいてどこか快適でひねくれてもいない、かといって世捨て人のように達観してもいない、中途半端な少年だった。
一緒に暮らさないかという父親に、彼は首を振り続けた。
お前の好きな書物だってこちらにはたくさんあるし、美味いものだって食べれるし、豪奢な部屋を用意してある。父はそう言って、息子を幾度も都へ招いた。
けれど少年は首を横に振った。貧乏ではない、むしろ富んでいるといっていい。送られる金銭は彼が必要とする量以上のものであったし、生きるための食物と彼自身の興味を引いた本や道具を買いこんでもなお余るそれらは、ただいたずらに部屋の片隅の箱の中へ積み上げられるだけだった。
食事にも不自由していない。自分で作るシチューの味は、毎日食べても飽きはしない。
豪奢な部屋も必要ない。身体になじんだ質素なベッドの寝心地はまあまあだ。
誰に干渉されることもない、これ以上贅沢な暮らしがあるものかと、少年は笑顔で父親を見送るばかり。それに、彼にはここを離れられない理由があったのだ。
家の向こうの森の中、輪になった荒縄が揺れる死刑台を、放っておくわけにはいかない。
もう使われることとなくなった絞首台に、彼は毎日、水を持って挨拶しなければならないのだから。

「こんにちは」
水を張った小さな水差しを片手に、少年はそれへと言葉をかけた。
相手は返事をしない。赤い莟をつけた一輪の花が、風にちいさく揺れるだけだ。
「今日は天気がいいね。これならお昼には、お前も咲くかもしれないね」
荒縄を支える支柱、あまり体重をかけると崩れそうで危ういそれにそっと背中をもたれさせて、莟に向けて彼は言う。
「いつになったら咲くのかなあ」
手の中の水差しを傾けて、根元ちかくに栄養をやりながら、彼。
「もう何年も経つのに、ずっと花は開かない」
莟は数年前からずっと莟のままだった。少年がここを住居に選ぶその前からずっと、花は絞首台の元で葉を広げてかたくななままだった。
昔は処刑場だったという場所の、隠匿めいた雰囲気が気に入って、少年はここに住んだ。出会いは偶然、住み慣れない場所を知るために散歩をしていた時に、この莟に出会った。朽ちて風化しそうなのにかろうじて体裁は保っている縄の輪は、もう役目を忘れて森の一部になりつつある。その傍らに赤い莟が揺れているのだから、なかなか趣き深い光景だと少年は思った。
こんな気持ち悪くて素敵な場所に咲くなんて、いったいどんな花なんだろう?
それから毎日、彼は水を携えて花の世話をしている。
父の反対をやんわりとそれでいて絶対的に拒絶してこの場所を主張したのは、ひとえにそんな興味からだった。
「今日はねえ、本を持ってきたんだ」
危なっかしい支柱から離れて、花の隣の草の上に腰掛けて、少年は言う。
小脇に抱えていたのは、昨晩遅くまで読み耽っていた分厚い異国の書物だった。そうとう古いものなのか、装丁はあちこち剥げ、頁はどれもが黄色く変色している。インクもにじんでところどころ読めなく、虫食いまであった。一歩間違えれば廃棄物であるそれを、彼は丁重に両手でもって開いた。栞を挟んでいた頁がすぐに開く。
「これ、お前なんじゃないかなって思って」
指をさした箇所には、禍々しい筆致で書かれたAlrauneの文字。
「外国の言葉だからよく分からないんだけど、絞首台の下に咲いてるの。そのまんまじゃない?
挿絵をみると、なんか根っこが人みたい。お前、ひょっとして土の下の部分は人間だったりして」
もしそうなら、咲いたらボクとおしゃべりしてくれる?
淡い期待を胸に、少年は言う。
「最初はね、お前が咲いたら小さな鉢を買ってきて、それに移しかえてボクの部屋の窓辺にご招待しようと思ってたんだ。ここみたいに素敵に殺風景で不気味な眺めじゃないけど、悪くない話だと思うんだ」
「でももしお前が根っこのところで人間なら、一緒に暮らすのも楽しいかなって」
「きっと土まみれだろうから、ボクが綺麗に洗ってあげるよ。着るものは父さんが持ってきてくれた絹のいいのがあるから、それをあげる。ベッドは狭いけどそれは折半しよう」
「それで、それで、ボクと一緒にだらだら毎日おしゃべりするんだ」
どう?と首をかしげて、少年は莟を見た。
それは答える口を持たない。沈黙を勝手に肯定と受け取って、白い頬は笑みのかたちを作った。
書物に書かれた文字を知っても、少年は同じ笑みを浮かべられただろうか。古の言語、その表題すら読み解けない、悪しき呪物を綴ったその頁を。
引き抜いたものを死に追いやる植物。処刑されし盗賊から生まれる真紅の呪草、Alraune。
そうと知らずに少年は水を与え、言葉を与える。それはまるで、恋人への逢瀬を重ねるように。
花開くその瞬間を期待して、白い指先で真っ赤な莟を撫でる。
無知が故の惨劇を未だ知らない、少年は楽しげに笑った。傍らを吹く風も、春の嵐にはまだ遠い。

「だから早く咲いてね。そしたらボクが、お前を引っこ抜いてあげるからさ」