白い髪の錬金術師 02 / 白い髪の錬金術師

時は流れて、少年は青年となる。

「手っ取り早く精液を集めたい」
 と、白い髪の錬金術師は鏡に向かってそう言った。
「…何考えてんだ、てめえは」
 と、鏡の中の錬金術師は呆れた声でそう言った。
 昼間でもなお薄暗い、鬱蒼とした森の中の洋館の、更に奥の奥の奥。積み上がった大小さまざまな書物を不安定な椅子として、彼は小さな手鏡を手に、ゆううつな表情を浮かべていた。
「個人じゃ限界があるのかなあ」
 こつん、と、煤けた靴のつま先で机を蹴って、彼はうな垂れる。その手には大ぶりのフラスコがひとつ。
「でも不純物は混ぜたくないんだ」
「順を追って話しやがれ」
「お前の身体を作ってあげようかなって話だよ」
 お、ま、え、の。
 区切って言って、若き錬金術師は短い爪の先で手鏡の表面をこつこつ叩いた。
 虚像は術師の浮かべた切なげな表情とは別の、呆れたような嫌がっているような顔つきでなんだそりゃあと吐き捨てた。本来ならば虚像は実像と同じよう動くものだが、彼らは少々特殊な関係なので、「本来」の外にある姿でもって会話をする。
 彼らの身体はひとつで、意識はふたつ。肉体が痛むと二人が痛み、ただし心の悲しみはお互いだけのもの。あやふやでやりにくいと、実像の方は頭を悩ませていた。白い長い髪の先をいじくって、はあと深い溜息だ。
「ボクの身体をもうひとつ用意できたら、そっちにお前を移せるじゃないか」
「宿主サマは厄介払いをしてえと、そうおっしゃってるわけか」
「違うよ、だってこれじゃあキスもできやしない」
 ボクが触りたいのは冷たい鏡の表面じゃなくってお前のその嫌味しか言わないお口なんですけれど。と、ぶんむくれた顔で術師は言った。
 虚像は眉を寄せて、何かよく分からない顔をしている。あやふやな関係で曖昧な感情、恋なのか執着なのか分からない感情をぶつけてくる身体の持ち主に、彼はいつも悩まされていた。
「それでホムンクルスかよ。難易度高えぞ」
「お前が協力してくれたら出来なくはないと思うよ」
「また実験だけオレ様にやらせててめえは高見の見物か」
「手先はボクの方が器用だもん。採集がお前の役目」
「採集って、さっき言ってた精液か」
「ご名答」
 フラスコと手鏡を持ったまま、術師はぱちぱちと手を叩いた。
「指南書では馬の精液を混ぜてるんだけど、純度100%が望ましい」
 だから協力してよ。そう言うと、虚像はますます眉を寄せる。
「てめえの身体で手当たり次第に女ひっかけて、射精の直前でフラスコ取り出すとかそういう方法か? 間違いなく気狂い扱いされんぞ」
「うわ、何その原始的な方法。もうちょっと頭使おうよ」
「じゃあどうすんだ」
 問う虚像に、紗幕の隙間から差し込んだにぶい陽光がきらり、反射する。別に彼が涙したわけでもないのに、まるで水滴が光ったように見えた。
 差し込む光をよけるために、錬金術師は身体を倒す。当然、不安定な本の椅子は根元からぐらりと崩れ、あとは派手な音を立てて、術書の海に細い手足が飲み込まれる、とそういうわけだった。
「おい、何やってんだ」
 もうもうと立ち込める煙の中、突き出した手に握られた鏡の中もまた、虚像の書物に傾れかかられてげほげほとむせている。その様子を見て、実像がおかしそうに笑った。
「まぶしいと思ってさ」
「だったら紗幕ちゃんと引け。原始的なのはどっちだ」
「じゃあきわめて合理的な方法を伝授しよう」
 頭にのった青い表紙の本を除けて、錬金術師は起き上がった。
 本と道具の山河のてっぺんで、膝を崩してぺたりと座る。羊皮紙の束と革張りの指南書を二冊ほど用意して、その上に鏡を立て掛ける。角度をつけて、顔がきちんと映るように調整。傍らにはフラスコ。鏡の向こうの住人は意味不明を体言した表情で、事の成り行きを見守るしかない。
 視線をまっすぐ浴びながら、錬金術師は詰まった襟の留め金をぱちんとはずした。
「さあ、いやらしいこと言って」
「…はあ?」
 続けてぱちぱちとはずされる金属の釦の隙間から、病的なまでに真っ白な肌が現れる。
「青少年の想像力を掻き立てるようないやらしいあれこれを言って、ボクの精液をなるたけ搾り出すお手伝いをして下さいと言ってるんだけど」
 これいっぱいになるくらいすごいのをお願い、と、フラスコを指差して、彼。
 虚像は目と口をあんぐりとあけて、呆けた、としか言いようのない顔で同じ顔を見、そして、左手で顔を覆った。
「原始的なのはどっちだって、さっきも言たんだがな…」
「じゃあ他に方法がある? やだからね、お前がボクの身体で他の人と性交して精液集めるなんて」
「自涜だったらいいのかよ」
「別に涜してるつもりはないよ。これも学術の為、ボクは喜んでこの身を犠牲にしようじゃないか」
「ああそうかよ…」
 もはや、何を言っても通じるまい。
 諦めた彼は、覆った手をずるずると口元まで下げて、もう一度嘆息した。
 本気でホムンクルスを作るつもりがあるとは思えない。いや、もしかしたらこいつなら本気でこのばかばかしい方法でもって製造を行うつもりなのかもしれない。二つの思念が交互に点滅するが、どちらが正解だとしても、止める手立てはないのだ。
 ならばせいぜい、昼間からの気だるい情事と割り切って、言葉と視線で羞恥を煽って差し上げよう。そういう遊戯だと割り切ってしまえば、それはそれで悪くない。
「宿主サマよお」
「ん?」
 慇懃無礼な口調で呼びかけると、白い肌をへその下まで晒した実像が、とてもこれから淫事をしようとは思えないほどあっけらかんとした表情を浮かべている。
 さて、このお綺麗な顔をどうやっていやらしく染めて差し上げようか。
 続く言葉は飲み込んで、虚像の錬金術師は主と同じように口元を三日月のかたちに吊り上げた。