白い髪の錬金術師 02 / 白い髪の錬金術師、その後

青年が語る、少年の話。

「宿主サマよお」
「うん?」
「なんだっててめえは錬金術なんぞに手ぇ出した?」
 埃をかぶって灰色になった黒檀の机をひと吹き。もうもう散った靄の向こうには壁に張られた大きな鏡。
 その鏡の中の虚像が実像を宿主と呼んで、同様に映り込んだ机にだらしなく肘を突いて彼を見ていた。
「話してなかったっけ?」
「覚えはねえな」
「うんとね、はじめのはじめは父さんの影響」
 たぶん、と、付け加えて、錬金術師が手に取ったのは古臭く痛んだ愛用の羽ペンだ。水鳥の意匠が彫りこまれたインク壺にペン先を差し込んで、吸わせてから荒い目の紙に筆を走らせる。
 研究のためではない、誰かにあてた手紙のようだ。そのあて先が誰なのか、虚像は熟知していたので覗き込みはしない。綺麗だか汚いのだかわからない筆致をただの羅列として見送るだけだ。
「知ってるでしょ、父さんの趣味」
「蒐集家だろ、いわくもの専門の」
「そう。で、ボクも昔からそういうのに親しかったっていうか」
「ガキのころからの慣れってやつか。よろしくねえ呪いがかった代物も多かっただろうによ」
「んー、ボクは悪いものだなんて思ってなかったんだよね」
 ただすごく綺麗だって思ってたよ。
 回想するのは、父の部屋。壁という壁に整然と並べられた古今東西あらゆる姿かたちをした怪しげなそれらは、まだ錬金術師としての片鱗すら浮かばせていない幼子の興味を誘った。とりわけ目を引いたのは黄金で出来た金属の輪。装飾品だということだったが、手を触れられぬよう厳重に隔離されていても、禍々しい気配は抑えきれるものではなかった。
 幼い彼は青い瞳を煌かせて、それを見上げていた。
 数日後、その黄金の宝物は何者かによって盗まれ、行方知れずになってしまったのだけれど。
「まさかてめえが盗んだじゃねえだろうな」
「あはははは」
「…盗んだのか?」
「あははははははは」
 つまり、そういうことらしい。
 鏡の中の錬金術師はひでえ話だ、と、しかし責める風でもなく笑った。
「で、そいつはその後どうなった?まだ持ってんのか?」
「さあ。なくしちゃったから」
「へえ?」
「父さんの影響っていうのは、あくまで興味まで。ほんとの理由はね、もうちょっと育ってから」
 錬金術師が幼子から少年へ育ち、青年に足を踏み込むその微妙なる期間のできごとだ。
「父さんと離れて、別の場所で暮らしてたんだ。本とかいっぱい持ち込んでね、そりゃあもう快適な生活」
「結構なこったな」
「その時ね、ボクは一度死んでるんだ」
 かり、と、走らせていたペンの先が紙の目に引っかかった。吸い上げたインクが切れ、再び壺へと沈める。
「何でかは忘れちゃった。覚えてるのは赤い色。血かなあ?分からないけどとにかくボクは一度死んで、何故か生きてるんだよね。目が覚めたら、あの金の輪はもうなくなってて」
「とても大事なものをなくしちゃったって思って、探して探して」
「希少価値の高いものだって知ってたから、似たようなものがどこかの伝承にないか探して」
「似たものがあればとにかく調べて調べて。気がついたらいろいろ勉強してた」
 そのあたりからもう知ってるでしょう?と、錬金術師は言った。
 そう、虚像は知っている。彼が錬金の徒となってまだかけだしの頃、彼は彼の身体にその精神を置くことになったのだから。
 当時は錬金術師と呼ぶにもおこがましい、魔術や呪術、数秘や占星や果ては邪教の教えまで幅広くかじっているがどれも深度は低い、という、専門家からするとまさしく邪道極まりない青年だった。それはどの出典かもわからないその金属輪を探すために、あらゆる分野へ枝葉を伸ばしていたからなのだが、そんな怪しげな術の執り行いをしている最中に、探し物を見つけられるという鏡の秘術で失敗し、生まれたのが虚像たる彼だった。
 それから二人は常に一緒にいる。そこから先のことは、聞かなくても分かる。
「錬金術をかじりだしたのは、ウロボロスの概念を知ったからだったなあ。形がちょっと似てたし」
「で、目的は未だ達せられずってことか」
「うん。ボクにとって錬金術は真理を探究する行為でなくて、目的のものを見つける為の行為だったんだ」
「同業者が聞いたら血祭りだな」
「だからここでこっそりひっそり誰の手も煩わせず地味に生活してるんじゃないか」
 それにねえ、と、錬金術師はペン先から視線を上げて、鏡を見つめた。
「実は結構前から、どうでもいいんだ。その輪のこと」
「何だ、諦めてんのか」
「っていうか、いつかそのうち向こうからひょっこり姿を現すんじゃないかって。もしくは、実はなくしてなんか居なくて、この屋敷のどこかに埋まってるのかも」
「それが現実主義者の言う言葉かよ。親父から盗んだ時の勢いはどこ行っちまったんだ?」
 言って、鏡の住人は意地悪く口元を吊り上げた。人を食って骨までしゃぶりつくしたかのような、性根の悪い視線を真っ向から受けて、しかし錬金術師は涼しい顔だ。
「たぶんボクは昔一度死んでいて、いま生きているのはかつてボクだったものの残りかすに何かほかのものが混じったよくわからないものなんだ」
「…はあ?」
「その、本来のボクである残りかすが、探したがってるんだろうなって思う」
「つまり?」
「つまり、本来のボクはもう消えかけていて、残ってるボクには何の目的もないってこと。本当に全部消えちゃったら、探求も何にもしなくなるってこと」
 飽きたらこの肩書きだって捨てちゃうよ、と、学術の徒を自称するものとは思えない口ぶりで、彼は言った。
「宿主サマは飽き性だからなァ、明日にでも秘密結社あたり設立してんじゃねえの」
「あは、そうかもね。それも面白いかも」
「で、オレ様はそれに付き合わされるってわけか」
 うんざりだぜ、と、虚像は言う。その顔が自分と同じであるにも関わらず、錬金術師はけたけたとおかしそうに笑った。
「疑問はとけた?」
「正直死んだだの生きてるだの、飛躍しすぎて意味わかんねえ」
「おそろいだね、ボクにもよく分かってない」
 だったらわからなくてもいいことなんだよ。
 鏡から視線を下ろし、錬金術師はううんとひとつ伸びをした。
 それからぱたんとペンを置いて、内容を軽く流し読み、ひとつ頷き。封筒へ入れて蝋を垂らし、封をしてから引き出しに入れる。
「もういいのか?」
「うん、もういいよ」
「そんじゃあ行くか」
「はーい」
 がたがたん、と、すわりの悪い椅子が床を蹴る音。しゃらんと音がしたのは、角灯の脇に置いておいた首飾りを、錬金術師がその細い首にかけたからだ。
 一ツ目に三角形をあしらったそれは、一見すると懐中時計に見える。実際は中に鏡が張られており、外出する時はこれを使ってひっそりと、彼は彼の虚像と話をするのだ。
「何かおもしろいことが起きるといいね」
 黒い外套を羽織り、目立つ白い髪を隠して、錬金術師は歌うように言う。
 どこへ出かけるかは決まっていない。太陽の導きがなくなった月夜のあてどない散策に、二人にして一人である彼らは今日もつま先を躍らせるのだった。