エキドネ通りの時計屋にて/バクラ単品・読み手視点(パラレル)
診断メーカー 空想横丁より頂いたファンタジーパラレルネタです。好き放題に判断して書いております。
※視点が読み手になっているので夢小説っぽい作りになっています。
救われねえ系のお話です。
エキドネ通りは黄昏通りとも呼ばれる。
それだけ光より闇に近しいという意味で、つまりは胡散臭い店が多いという意味でもある。どの通りもひとつ裏の道を覗き込めば灰色じみた違法な店――店と呼んでいいのかすら不明瞭な屋台や売り子のみの場合もあるが――がひっそりと、求めるものにしか見つけられない看板を出しているものだけれど、エキドネ通りは他と比べて、表通りすら胡乱な店舗が多いことで有名だ。
子供は行ってはいけません。たとえ近道だったとしても、夜に通ってはいけません。
暗黙の了解をびろうどの外套のようにまとって、エキドネ通りは侵入者を怪しく招き、また拒む。
そんな危険な店にこそ求めるものがある。多少の恐怖や物怖じを圧してでも手に入れなければならない「何か」のために、人々はつま先を闇に踏み込ませた。
そう、あなたも。
リュンクス通りの気のいい物売りが書いてくれた地図を握りしめ、あなたはその店を目指していた。
ケローネ通りとエキドネ通りをつなぐいびつな門から左、二つ向こうの角を右、で、道なりに進んで突き当りをもうひとつ右。蜘蛛の巣のような道を迷わず進むことができれば、その店にたどり着けるという。
果たしてたどり着いたのは、古ぼけた小さな塔。
『4階建てに見えるけれど、実は裏に地下への階段があって。あんたの望むものならきっとそこで売ってるよ』
そんな風に教えてくれた男の怪訝そうな、心配そうな顔を思い出しながら、あなたは地下への階段を下りた。不法侵入ととがめられてもおかしくない、小さな石門の向こうの階段は店の目印など何もない。古い水路を再利用して作ったらしい階段は空気がひんやりと湿っていて、転ばないよう這わせる壁には緑の苔があちこちに生えている。このままどこまでも奈落につながっているんじゃないか。そんな風に思い、三段下りるたびに背後を振り向く。ぽっかりと口をあけている現世への入り口、向こうの空も灰色で気分が滅入る。
奈落の底はすぐに訪れ、やがて目の前に、黒く塗られた木製の扉が現れた。
真鍮製らしい握りには小さな札がかかっている。CLOSE。殴り書きのそれはあなたを厳しく拒んでいた。
どうしようか、出直そうか。でもそんな時間はない。
唇を噛んで迷った時間は数秒で、あなたは覚悟を決めた。閉まっていたってかまうものか。店主を脅してでも。不在なら盗んででも。どうしても、ここでないと手に入らないものがある。今すぐ必要なんだ。罪になったって構わない――
意を決して、あなたは札のかかった握りをつかんだ。
軋むかと思いきや、滑らかに開く扉――その向こう側には、闇が広がっていた。
瞬間、冷たい刃のような眩暈が爪先から頭のてっぺんまでを突き抜けた。
飲む息すらなく喉を詰まらせ、立ち尽くしたのは一瞬だったか。
闇だと確かに認識した世界は、微かな色を灯して眼前に広がっていた。小さな塔の地下室にしては広すぎる室内には、足の踏み場もないほどの物、物、物。よろけた拍子に踵がぶつかり、蹴とばしたそれは時計だった。
数えきれないほどの大小取り混ぜた時計。転がり、積み上げられ、すり鉢状になった広い部屋の中に、あなたはいた。
背中にあったはずの扉もない。まるで闇に浮いた鳥籠だ。耳を澄ませるとさらさらさら、何かが流れる音が聞こえる。こんなにたくさん時計があるのに、針の音は聞こえなかった。置時計、壁時計、腕時計に水時計、中にはみたこともない、時計なのかわからないへんてこなからくりまでがそろっていても、すべてが静止している。
あなたは何か言おうとした。異常な空間。悲鳴だったかもしれない、うめき声だったかもしれない。だが何もかもがこの闇の中に吸い込まれて、息をするのがやっとのことだ。否、息すら恐ろしくて細くなる。吸い込むのは酸素ではなく闇そのものな気がして、恐ろしい。心音は爆発しそうに高速で脈動しているが、息は糸のように細かった。
怖気づいている暇はない。手に入れないといけないものがある。
震える指先を、あなたは時計の山に伸ばした。探さないと。盗んででも――そう決心したのは、自分だ。闇雲に、目の前にあるぜんまい時計に手を伸ばす。
「残念、そいつはアンタの役に立たねえ」
声は頭の中に直接聞こえた。ように感じた。
驚愕のあまり飛び退き、数多の時計を巻き込み尻餅をついたあなたの目の前に、一人の男がいた。
はじめは白く長い髪をした生首が浮いているのかと思った。男が着込んだ襟の長い外套のせいでそう見えただけだと気が付くのに時間がかかった。青い瞳はまるで幽鬼のようで、皮肉に持ち上げた唇は酷薄じみて薄い。こつん。一歩歩み寄る、靴先まで黒かった。
「閉店の看板は掛けておいた筈だけどなァ。勝手に入ってきやがったか?」
見上げる姿勢のまま、あなたは何か言おうとする。言い訳、違う、理由をだ。
けれど男は土気色の手をひらひらと振り、言葉を制した。
「解ってるさ、アンタがここに来た理由も、閉まってんのに這入ってきた理由も、何が欲しいのかも、全部な」
だから札を下げてる、と、男は言った。
「閉店中、じゃあそうですかと出直すような奴に売るモンはねえ。盗んででも何でも、なりふり構わず強欲で焦ったどうしようもねえ奴しか相手しねえ、そういう店なんでな。その為のあの札さ。アンタはどうやらそのどうしようもねえ奴の一人らしい。だからこそ、店主のオレ様がじきじきに出迎えてやった」
滑らかにしゃべった男はあなたから遠ざかり、どこから湧き出てきたのか、黒い革張りの椅子にするりと腰かけた。足を組む。
「――で、そんな強欲者が欲しがる代物なんざたったひとつしかない」
こん。
男が爪先で時計の山を蹴とばす。崩れ、壊れ、雪崩を起こすばねとぜんまいの山河。やかましい音を立てる奔流はあなたの爪先まで及んだ。
狙い澄ましたかのように転がってきたのは、小さな砂時計だった。
「持って行けよ。アンタが喉から手が出る程欲しがってるモンだ」
はっとして見上げた男は笑っていた。嘲笑するような笑みだった。
「時間を戻したいんだろ? 戻して、やりなおしてえことがあるんだろ? ソイツをひっくり返せば願いが叶う。戻りたいその瞬間を願いながら時計を返せば、アンタは過去に戻ることが出来る。砂が落ちている間、その時間に留まる事が出来る。砂が尽きたら元通り。簡単な仕組みだろ?」
ただし一度だけしか使えない。
男は付け加え、代わりに財布の中身を好きなだけおいていけと言った。
「はした金でかまわねえぜ。ケチったって構やしねえ。アンタの誠意の分だけ、その時計は長く働く。払った対価の分だけ、砂は遅く落ちる。そういう風に出来てんだ。信じるも信じないも、お客サマ次第さ。
あァ――そういや前に全財産っつってオレ様に何もかも寄越してきた奴がいたが、そいつはまだ帰ってきてないらしい」
その言葉に頷く余裕もなく、あなたは砂時計をひったくるように手に取った。鞄を探り、財布の中身をすべてひっくり返す。金貨、銀貨、銅貨に紙幣、換金できる宝石の類まで全てだ。
躊躇いなど欠片もない。欲しいものはこれだった。時間を巻き戻せる時計。この店で手に入るという噂を頼りに長い旅をしてきた。何もかも捨てるつもりでここへたどり着いた。
「過去に戻った先の使い道も何もかもオレ様は関与しねえ、好きにしな。それで人が不幸になろうが幸せになろうが、何かが手に入ろうが。死のうが生きようが、生き返ろうが? 知ったことじゃねえ」
言葉の図星にあなたは震える。悟られないように首を振ったが、男の目は何もかも見透かしているようだった。
砂時計を抱きしめ、あなたは立ち上がる、男は満足そうに笑い、お買い上げアリガトウゴザイマス、と、慇懃無礼な口ぶりで言った。ぱちんと指を鳴らすと背後の闇――だと思っていた紗幕が左右に割れ、あなたが這入ってきた扉が姿を現す。何のことはないトリックだった。立ち上がった男が扉を開き、恭しく店外へと促す。
「何かあったらまた来な。アフターサービスも承っております、ってか?」
ひゃは、と笑った声が耳障りだった。唐突に現世の光を見たあなたは、逃げるように店を去った。
「今後ともごひいきに」
間際に囁かれた声の不快さの意味に、あなたはまだ気が付かなかった。
後日。
あなたは怒りと悲しみと共に時計屋の扉に立っていた。
鏡のように磨かれた黒い扉に、うっすらと映り込んでいる自分の顔はひどいものだった。やつれた頬に落ち窪んだ瞳、濃い隈。壁を殴りすぎて痛む拳には包帯が巻かれ、血がにじんでいる。
やわらかく開かれ、取り戻した大切なものを抱きしめていた手であったのに。
その大切なものを、思い出すだけで悔しくて悲しくて、店主が憎くて仕方がなくなり、感情の置場をなくしてしまった。
砂時計を返して得た時間は、1日限りだった――全財産を投げ打って手に入れられたのは、たったそれだけの時間だった。
舞い戻った過去の世界で、取り戻したいものは確かにこの手に戻った。幸せだった。だが幸せの絶頂のその時不意に訪れた眩暈と共に、景色は砂に溶け始めた。確かに抱きしめたあなたの大切な、かけがえのないそれは、腕の中で崩れて消えて行った。
舞い戻った世界で絶望し、使い物にならなくなった砂時計を手にあなたは喉を枯らして吠えた。
泣き、憤り、叫び、また泣いた。
そして、今。不法な手段で手に入れた金を手に、再びこの店に訪れた。
全てが終わってからあなたは思い知ったのだ。そういう仕組みの店なのだと。
金と引き換えにひとときだけ、過去へ戻れる方法を手に入れる。永遠にそこへいられないように、長く続かないように、できている。
けれど忘れられるわけがない。この手で一度、取り戻した喜びを。だからこそ二度目の喪失は計り知れず、そして同時に理解する。金を払えばもう一度過去に戻れることを。金さえあれば、また戻れる。たとえ一日でも、一時間でも、一瞬でも。
そうしてまた戻り、失って、金をかき集め、店を訪ねる。時計を手に入れ――ああ、なんて不毛なんだ。延々と振出しに戻るための遊戯盤の上で滑稽に踊るしかない。もうやめだと盤上から逃げることがが出来るなら、そもそもこんな店を訪ねてなどいない。
まるで蟻地獄、否、蜘蛛の巣だ。ここは一度迷い込んだら抜け出せない地獄の底だ。
己の無知を嘆いてももう遅い。
あの日、去り際に囁かれた店主の不快さの正体はこれだった。
なんて悪趣味、なんて悪意。取り戻させてまた奪うなんて!
あなたは叩き壊すつもりで扉を蹴りあけた。店主はあの日と同じように、黒革の椅子の上で足を組んで座っていた。
何もかもを見透かした笑みを浮かべて。
「なァ、アフターサービスは必要だろ?」
と、差し出される手には、あの砂時計があった。
金の装飾。白い砂。そうだ、目の前で消えて行った過去と同じ、きらきら光るきれいな砂。喪失を思い出させる為の色。
瞳が、脳が、身体中の神経と筋肉が、店主への殺したいほどの憎しみを訴えていた。
だが、それだけはできない。勢い任せに殺したら、いや、彼の機嫌を損ねるだけでも、あなたは過去に戻る方法を見失う。きっとこの店を訪れる誰もがそう思い、憎み、血が出る程唇を噛み、耐えてきたのだろう。
他にできることがなく、あなたは金の入った袋を床に叩きつけた。血の付いた金貨がざらざさと零れ落ちた。男はそれを見ても片眉をあげるだけだ。
「ただ売るだけじゃ退屈だ。次は何日保つか、賭けてみるか?」
ごくごく他人事の、楽しむ節さえある台詞。
ああ、彼はヒトではない。こんな残酷な真似ができる人間などいるものか。
囚われたあなたの声亡き慟哭は、エキドネ通りの裏路地に人知れず染みて――そして、誰の耳にも、届かなかった。