04 綻ぶ指【!】
苦しいと思うことは罰だった。けれど、苦しいのは嫌だった。
そんな自己矛盾がぐるぐると、獏良の頭の中で回る。投げ放しにした行き先で交わしたバクラとの性交は、思っていたよりもずっと楽なものに変わっていた。その分、日常――現実の世界での生活は重く、左手から伝わった痛みがきりきりと、獏良の心臓を締め上げる。友人と共に過ごす時間にも痛みは容赦なく獏良を苛み、息をするだけで疲労が溜まった。
ごかませているかどうか、不安だった。眩暈も吐き気も笑って有耶無耶にしているけれど、優しい友人は気を使って、具合が悪いなら休め、保健室へ行った方がいい、と獏良を労わった。
ありがとう、と、言う度に痛かった。
友情を嬉しいと素直に感じられる自分がいる。もういっそ突き放してくれと叫ぶ自分もいる。
闇に甘やかされている時は、もうどうでもいいと思えた。友人と会えば、左腕が疼く。
友情に報いたい。裏切りたくない。裏切れない。楽になりたい。
友人を無くしたくない、バクラを切り捨てられない、どちらも欲しい――これはただの我侭だ。
バクラの存在を両手で受け入れたら、この痛みも消えるだろうか。そんなことを考えながら、今夜も心の部屋に逃げ込む自分がいる。
嘘の抱擁が獏良を迎えた。それはとてもとても、気持ちの良いことだった。
経験したことのないセックスは、最初はひどく痛かったと記憶している。だが抵抗を止めたその日からはそれが同じ行為だったのかと疑わしいくらいの快楽となって、獏良を夢中にさせた。
他人の温度と感触と、触れられる喜び。精神の満足と肉体的な快感。大嫌いだと言いながらされるがままに乱れて、幾度果てたか覚えていない。こういう態度をマグロというのだ、と思っても、自分から何かをする勇気は無い。
受動態の快感に、眩暈。胸の傷を舐め上げられて、悲鳴があがる。
だから、喘ぎ開いた口は思ったままを吐き出したのだ。
「気持ち、いい」
肺いっぱいに吸い込んだ闇はバクラの匂いがした。中が満たされて傷ついた部分が塞がれる。欠けた部分の充足感。
余りの快感に、まともな言葉に成っていたかどうかすら解らなかった。蚊の鳴くような擦れた声で、獏良は震えるほどの快楽を口にする。一度吐き出したら止まらない、何度も、何度も。
「きもちいい、ねえ、気持ちいい、よ、」
繰り返して叫ぶと、ぴたり。
バクラの動きが止まった。
「…な、に？」
急に止まった律動に、焦れた獏良は瞳を開く。影を落とすバクラは目を丸くして、上気した獏良の顔を見下ろしていた。
「ねえ、何、何だよ」
どうしてやめるんだ。止めないで。もっと続けて。
そう思ったのが伝わったのか、一瞬だけ呆けた表情を見せたバクラははっとして、すぐに唇を曲げて見せた。
『何でもねえよ、宿主サマ』
くつくつくつ。三回喉を鳴らして、いつものようにバクラが笑う。
汗で滑る足を抱えなおして、前後動は再開された。ひ、と高い悲鳴を上げて、獏良の腰が跳ね上がる。
冷たい闇の上に背中を預け、被さってくる温度はもっと冷たかった。その冷たさが心地よくて右腕が持ち上がる。肩の辺り、服を掴むとバクラの上半身が屈められる。強請れないが物欲しげな唇に、口付け。
腰を打ち付けているせいで、歯がかちかちとぶつかって痛い。痛いけれど、止めたくない獏良は首にしがみついて唇を開いた。すぐに舌先が口腔に滑り込む。
「ん、っう、」
舌先がすぐに獏良を見つけた。奥に縮こまるそれを強引に引き出して、音を立てて絡み合う。唇の端からお互いに、荒い呼吸が洩れた。抜き刺される入口からぬちゃぬちゃと粘ついた音が絶え間ない。内側から濡れる器官ではないそこがしとど濡れているのは、既に一度中で吐き出された精液が潤滑剤となっているからだ。そして、触れても居ない獏良の性器が、びくびくと震えながら硬く育って先走りを垂らしているからでもある。
あちこち濡れて、塞がって、熱を放出する場所はもう限界が近い。
きっとそこを擦り上げたらものすごく気持ちが良いんだろう、そう思った。触れて欲しいと心で望めば、察知したバクラが手を伸ばす。そのはず――と思っていたが、何故か手は伸びなかった。
薄目を開けると、もう口付けているのか噛み付いているのか解らないバクラの顔が間近にあった。
両手は膝裏を押さえている。その眼が熱を持って獏良を見つめていた。
（何で、）
そんな顔、するんだろう――目に浮かんだ色は、熱い。
理由がわからない。バクラが獏良にこんなことをする理由は、腹積もりがあってのことだ。計画の為の嘘の筈だ。なのに何故、そんな顔を。
『…っ、おい、何見てんだ』
見つめているのがばれたのか、噛み付くのを止めてバクラが言った。何か言い返す前に、ぐ、と腰が押し付けられる。腹の裏側、弱い部分突かれて、獏良の思考が一気に飛んだ。
「ひ、ぁっ待っ、て、」
『出せよ、我慢すんなって前も言っただろうが』
そのまま小刻みに裏側を擦られる。背中から尾骨にまで、びりびりと電流が走る。違う、その顔をもっと見たいんだ。もっと見せてよ。そう訴えることもままならない。
（だって、見たことも無い顔）
いつも余裕たっぷりで好き放題するくせに。ねえ、ちょっと面白い顔だったよ。
言えない言葉は悲鳴と荒い呼吸に飲まれて消える。いっそ凶悪と表現すべき動きを繰り返す腰に、獏良は両足を絡めた。何故そうしたのかはもう解らない。身体が勝手にそうしたのだから。
ぐ、と力を込めて引き寄せると、中を蹂躙する性器が跳ねた。
畜生、と、忙しない呼吸の間で舌打ちが聞こえる。それから、すぐに重なり合って、射精。
噛み締めた歯の間から洩れたその言葉を聞きながら、獏良もまた腹に勢い良く精を吐き出した。失墜感で頭がふらふらとする。バクラが軽く腰を揺らしながら中に全て注ぎこむ、腰の動きが足から伝わった。
（何であんな顔したんだろう…）
まともな思考もできない状態で、ぼんやりとそんなことを思った。
どこかで見たことがあるような気がする。とても身近で目にした記憶。事後の胡乱な頭では思い出せず、波になって押し寄せてくる強烈な眠気に抗えない。
面白い顔。また見たいな。
漠然と思って、獏良は眼を閉じた。明日の現実のことは考えない。今だけは。
硬く握り締めていた拳が、開く形に僅か、緩みかけていた。