06 無自覚は瞳にこそ浮かぶ【!】

友人と過ごしている自分がいる。バクラに会いに行く自分がいる。そのどちらでもない時間、考え込むことが増えた。
  空白の時間であっても、苦しいことに変わりはない。黙秘する辛さがあり、それを一時的にでも忘れる為に身体を重ね、朝になれば交わってしまったことに対する罪悪感は増えている。一人静かに部屋で蹲っている時でも、終わらないループから抜け出せない。
  考えているのは、バクラのことと自分のこと。
  闇の中に浮かぶ、右皿が傾いた天秤を思い浮かべた。左の皿には友の信頼、右皿には甘い嘘。
  最近は、学校へいくことさえ億劫になった。仮病を使って一日中嘘の中に浸っていたなら、右皿は地へ着くだろうか。このループは終わるだろうか――思考は偏り始めている。
  ただ気持ちいいから、罪悪の逃避ができるから、それだけではない気がする。凶悪な瞳と笑う唇、同じ顔なのに別人である心の同居人。彼そのもののことを考えている。あの表情を目にしてから、奇妙な興味が芽を出した。
  あの時からずっと考えていた。見覚えのあった表情、瞳の色。正体は多分あれだ――そう、目星はついている。
  だが、そんなことがあるだろうか。都合のいい人形を手に入れる為に身体を重ねている関係で、そんな感情をバクラが持つだろうか。確信の持てない疑問がまた、獏良に溜息を吐き出させた。
  その憂いを敏感に感じ取って、バクラの気配が背中に覆い被さってくる。
『溜息なんかついて、どうしたよ』
  目を閉じても開いても変わらない真っ暗な世界で、背後から抱き込まれる。甘さを装っているけれど、これは抱擁ではなく捕食の動きだ。
  回された掌が胸をするりと撫でる。そのまま這って、胃の上まで。しかし溜息の原因は晴れない。
  余計な事は考えるな、と耳元で声がした。
  この疑問には、気づかれていない。
『腹ン中にまたごちゃごちゃしたモンがあるなら、オレ様が全部もってってやるからよォ』
  髪を翻して振り向いて、獏良は正面から、捕食者の顔をじっと見つめた。
  向き合って瞳を合わせることさえ嫌がっていた頃が嘘のようだ。もういつだか覚えていない昔のことだった気さえする。
  見るだけじゃない、触れたら、何か解るのかもしれない――獏良は右手を持ち上げて、頬に触れようとした。
  その手が触れる前に、ぱしん。
  強い音を立てて、手首を掴まれた。
「痛っ…!」
  今までされたことがない強さで捻り上げられ、痛みに呻く。左手で突き飛ばせればそれですんだのかもしれないが、相変わらず腕は動かない。突然の乱暴に、獏良は低い声で訴えた。
「…やめてよ、放して」
  言った途端、ものすごい目で睨まれた。腕を思い切り引き寄せられ、口を塞がれる。
「っ、う…!?」
  唇に血の味がした。噛まれたのだと気づいた時にはもう引き倒されている。実際の身体だったなら頭を打ち付けていたであろう衝撃は、闇の上では感じない。覆い被さったバクラはまだ右手を捻り上げていて、鉄錆の味がする唇を乱暴に食んでいる。
  何故?頬に触れるのが逆鱗に触れたのだろうか。変貌に戸惑いを隠せない。
  たっぷりと数分間、体感時間ではもっと長く。呼吸も奪われて息も切れ切れになるほど舌を吸われ、暴れだした獏良からバクラは身を引いた。
  赤く染まった唾液がつう、と、唇を繋いで伝う。
「な、んなんだよ、いきなり…」
  咽せながら訴えると、バクラは細く目を眇めた。
『…何が「放して」だ。したくてここに来てんだろうが』
「何だよそれ、ボクはただ――」
『いいから黙ってろ!』
  飛んできたのは怒声だった。明らかに苛立った声で叱り付けられ、獏良が一瞬首を竦める。困惑した表情を浮かべる自らの宿主を見下ろす、バクラの顔にも狼狽があった。
  気まずい沈黙が二人の間に立ち込める。今までこんなことはなかった。何時だって緩く甘く溺れさせたはずの手が、手首を捉えて離さない。チ、と舌打ちをして、バクラは再び顔を伏せた。
  唇ではなく首筋に歯が立てられる。いつもの柔さを装いきれていない強さで肌を詰られ、身体中がざわつく。最近ずっと抵抗というものを忘れていたせいで、どうやって身体を起こせばいいのか獏良は解らなかった。その間に、膝が脚の間に割り込んでくる。押し付けられて、勝手に口が開く。
  あ、と、高く上がった悲鳴に、漸くバクラは口元を歪めて笑った。
『そうだ、それでいい。何もかも忘れちまいたいんだろ?』
  だったら余計なことはするな――耳孔に、言葉と一緒に舌先が潜り込む。
  くちくちと音を立てて抜き挿す動きが思考力を奪う。手首を押さえつける力が緩み、それでももう、獏良は再び頬に触れようとは思わなかった。
  首に手を回してしがみこうとして、やめる。確かめたい――縋ったら、顔が見えなくなってしまう。
  胸に腹に、噛み痕を残しながら服が剥がれ、いつもと同じように膝が持ちあげられる。獏良の口に指を這わせ、たっぷり唾液を絡め取った中指と人差し指が入口をこじ開ける。性急に打ち込まれた熱に、喉が反った。痛い――太い箇所が引っかかる。
「ぃ、ッ、あ…!」
  痛みを訴えながらも、慣れた身体は徐々に開いた。歯を噛み締めて痛みを堪えながら、目を開く。
  苛立った瞳のまま、バクラは尚も腰を進めてくる。その目の奥にあるものを、揺れる視界で見つめた。悔しいような腹の立つような、どろどろとした塊。
  ふと、思う。

 ――やめてよ、放して。

 そんな言葉を口にしたのは、一体どれくらいぶりのことだったろう。
(ねえ、)
  揺さぶられながら、獏良は口に出さずに問いかけた。
  見覚えがあると思った瞳の色。見たことがあると思ったのは、鏡に映った自分の姿に同じものを見つけていたからだ。よく知っている。それは他でもないバクラから教えられたものだ。
  自分はもう、甘い嘘から抜け出せなくなっている。蜘蛛の巣に絡まった虫のように。食い殺されるのが解っていても逃れることはできない。
  そう、さっきみたいに放せなんて言われたら、おかしくなってしまうほど。
  ――じゃあ、お前は?
(お前も、ボクと同じなんじゃないの?)
  抱えている魂胆や計画も関係なく、ただただ純粋な感情で。
  ああでも、問いかけたとしても、きっとお前は答えられない。