07 白の侵食
苛立ちのまま、乱暴に犯した身体が、力尽きて傍らに丸まっている。
擦れてまともな悲鳴を上げられなくなった、白い喉に赤い噛み跡。喉だけじゃない、鬱血を残すなんて甘ったるいものじゃない明らかな傷をあちこちに散らした細い裸身は、まるで手折られた百合のようだ。
蹂躙。
いっとう似合うその行為を体言した自らの手を、バクラは見下ろした。
初めて身体を交えたその時よりももっと手荒に扱った。抵抗がなくなってからは一度も狼藉を働かなかった両手は、解放された喜びに震えているようにも見える。そうだ、演技などという面倒臭いことをずっと繰り返すのに飽き飽きしていた。相手を察して慮るなど性に合わない、それを堪えて甘言ばかり吐いていたのは、傀儡人形を手に入れる為。真実なんてどこにもなかった。
そして、別段犯す必要もなかったのだ――最初から。
ただ、甘やかせばよかったはずだ。
(どこから、狂った)
ごくごく小さな歯車の狂いに気づいた。何故手を出した。よりどころのない不安定さをひきつけるには言葉と軽い接触だけで十分だろう、相手が女ならまだしも、男で、正常な嗜好を持ったごくごくありふれたどこにでもいる少年相手に快楽の門を開発してやる必要などあったか。
過去の自分の思惑が解らない。バクラは見下ろしていたその手でもって、苛々と髪を掻き毟った。
視線の先の麗躯は目覚める気配を見せない。疲れ切っている所為か、無防備な寝顔を晒している。眉が切なげに顰められたまま、緩い呼吸を吸って吐く。汚れた下肢には互いが吐き出した精液。どちらのものと区別できない白い濁りはもう乾き始めていた。
美しいものほど、穢すのは愉しい。真っ白い身体に汚濁を浴びせて肉体を、どろどろの執着と欲で内側を真っ黒に染める。弱者を虐げる喜びは、支配者の特権だ。
だから、手を出したのだろうか。その白さに、魅せられた――余計な手出しをした、のか。
『…在り得ねえ』
歯を噛み締めて吐き出した言葉は、苛立ちに満ちていた。
失敗などしていない。現に間違っていない。獏良の意識は完全にこちら側に向いている。左手の呪縛も解かれつつある。このまま心と身体を蝕んで堕としてゆけば思惑に違うことなどない。
経過はどうでもいいのだ、必要なのは結果だ。経過で得たものなど何の役にも立たない。
いっとうはじめに犯した時の恐怖に引きつった顔も、慣れ始め、簡単に折れそうな細い両足を絡めて注挿を強請った動きも、左腕を抑えながら右腕で背中に爪を立てる矛盾も、形の良い唇が物欲しげに歪むのも――全て、どうでもいい。その時に感じた己の愉悦など、要らない。
だのに数時間前の名残が消えない。
触れられそうになって弾いた手、放せと云われて思考が灼けた。
押さえつけて好き放題に詰った時、震えるほど得た快楽。相手に何一つ合わせることなく己の思うがままに貪れた爽快感。吐き出しても吐き出しても萎えない性感。その証拠に、ぐったりと横たわる獏良の下肢から飲み込みきれなかった白濁が白い肌に垂れて闇に溜まりを作っている。
傍らで眠る横顔を見た。白い髪がうねって散らばり、晒された首筋の赤い痕が目立つ。
喉の奥が勝手に鳴った。ごくりと。
(ああ、もっと)
自意識で制御できない思念が動く。不意に手が伸びた。その頭、白い長い髪の上へ。
――もっと?
『ッ!?』
ぱん、と音を立てて、バクラは伸びた左手を押さえつけた。
(今、何をしようとしていた?)
自然と伸びた手を、信じられないものを見る目で睨みつける。白い掌は獏良と同じ形をしている。だから同じ傷跡もまた、残っている。貫通した傷跡――抵抗し続けるあの左腕。バクラの手はその反抗とは関係ない。甘く嘘を奏でることもできれば、乱暴に髪を掴むことだって出来る。自由に動かせる、筈。
その手で何をしようとした?
『何をしてんだ、オレ様は…!』
すぐさまその手を叩き折りたい気分になった。従順な人形を作り上げるための甘やかした慰撫は、今は必要ない。獏良が目を覚まし、明日また背負う重責に耐えられなくなったその時にこそするものだ。逃げ道を細く長く作り上げ奈落へと導いて、一層こちらに縛り付けるための。
今頭を撫でたって、意識のない獏良には何の効果もない。
解っているのに、何故動いた。何故、何を思って。
まるで、手ひどく扱ったことの穴埋めのように――
『…違う』
そうだ、違う。錯覚だ。バクラは左手を握り締めて呟いた。
近くに置きすぎた、交わりすぎてあちらの感情がこちらに感染しているのだそうに違いない。そんな舌打ちは獏良の上を通り過ぎて闇に消える。忌々しく睨みつけても、苦しげな寝顔が目覚めることもない。
こちら都合など知らず、眠り続ける獏良。その右手の指先がバクラの服の裾を掴んでいることに初めて気がついた。
眠り落ちても握り締めて放さない。執着は思ったよりもずっとずっと強いようだ。喜ばしいのに、手痛い誤算だった。
掴まれた裾を無理やりに引き剥がし、バクラは立ち上がった。
近くに置いておくとまた影響を受けそうだ。気持ちの悪い感情が渦巻いて吐き気がする。いつもは目覚めるまで隣に居てやり、安心を与えて執着を増すようにしているがそれももう無理だ。闇に溶け込みながら、一人取り残されるちっぽけな身体を見下ろす。
同じ思考を、もう一度。
(違う)
繰り返して云う。
囚われているのは宿主。オレが全ての手綱を握っている。
(オレは、囚われてなんか居ない)
言い聞かせた言葉はまるで言い訳のように、うつろに響いてひどく不愉快だった。