三千と一の生誕祭【2014獏良生誕SS】

 朝食はシリアル。甘くない牛乳。
 昼食はゼリー飲料とサンドウィッチ。
 学校帰りにファーストフードでブラックコーヒーを。
 夕飯はさて何にしようか。

「舌の病気にでもなったのかよ」
 冷蔵庫の前、食材と睨めっこをしている獏良へ、バクラがぼそりと声をかけた。
 獏良が振り向くと、六〇一の室内を薄く透かして浮遊するヒトならぬバクラの姿がある。空中で腕と脚を組む器用さで、まるで心地よいソファに腰かけているかのようだ。バクラに身体の支配権を奪われた時、そんな器用な真似ができない獏良は少しうらやましいと思う。せっかく人外の体験ができるのだからボクもそんな風にいろいろ遊んでみたい――
「無視かコラ」
 すかん。実態のない爪先でこめかみを蹴られた獏良は顔を顰めた。痛みはないが不快感はある。ばっちいからやめてよと睨むと、もとはてめえの足だとよく分からない理屈を還されて有耶無耶に。
「ええとそれで、なんだったっけ」
 思考を乱された獏良が美少年然とした姿で首を傾げること数秒。
 開けっ放しのままの冷蔵庫が、冷気が逃げると文句のアラートを鳴らしたところで、ようやく本来の目的と質問の意味を察する獏良である。
「夕飯の用意をしようと思ってるんだけどね」
「見れば分かる。それ以前の話をしてんだ」
 と、眉間にしわを寄せてバクラは言った。
「朝昼と、随分似合わねえモンをお召しになっていらっしゃったじゃねえか」
 指差す先にはテーブルに置かれたシリアルの箱。獏良が好きな、ドライフルーツがたっぷり入ったそれではなく、フレークのみの味気ないそれ。中身が開いた薄い牛乳のパックも放置されている。
 昼間は菓子パンも弁当も避けて、愛想のないゼリー飲料と申し訳程度のサンドウィッチを屋上で一人で食べた。帰路は誰とも同行せず、ぶらぶらと近所を冷やかした後にガムシロとミルクを断ったアイスコーヒーを飲みながら帰宅した。
 明らかに異常である、と、バクラは言いたいらしい。
「心配してくれてるわけじゃなさそうな顔だなあ」
「心配してますよォ? 大事な宿主サマのお身体だからな」
「はいはい、大事なのはボクの身体だけだもんね――よいしょ、っと」
 皮肉と冷淡さには慣れている。とくに何のショックも痛みも感じずに、獏良は冷蔵庫の扉をぱとんと占めた。
「別に秘密にしてるわけじゃないから、教えてあげよう」
 閉じた扉に寄りかかり、バクラと対峙し、薄く獏良は笑んで見せる。
「今日ね、ボクの誕生日なんだよ」
「へえ、そいつはどうもオメデトウゴザイマス」
「心のこもっていないお祝いをどうも。でね、この前授業でやったんだけど、海外には誕生日を迎えた人が、他人をおもてなしするっていう文化があるんだって」
 インドだったかなあ、と、獏良はくるくる指を回して言った。
「日本では誕生日を迎えた人が祝われる方じゃない? なんだか新鮮だったからさ。それでやってみたくなって、朝からそうしてるわけだよ」
「あァ? ……あー、そういうことか」
 はじめは理解不能の四文字を頭上に浮かべていたバクラだったが、言わんとしていることを理解したらしい。苦虫をかみつぶした表情で、がりがりと後ろ頭を掻いている。
「察しがいいね、珍しく」
 あはは、と、獏良が笑った。
 つまり朝から今までの食のメニューは、バクラに合わせていたわけで。
 普段からやれ甘党だの糖尿病予備軍だの舌が壊れているだの、兎角獏良の好きな食物に文句をつけていたバクラである。身体を共にするバクラにとって味覚の不一致は地味ながらも厄介な事柄だ。身体はひとつ、味覚をも共有している。バクラは特別甘いものが嫌いではなかったが――というか食物の味などどうでもよかったのだが――獏良の味覚を強制的に感じさせられているうちに、すっかり甘いものが嫌いになってしまった。そうなると必然的に逆の味覚を求めるもので、バクラが身体を使う時、食べるものは苦かったり辛かったり、そういったものに代わっていったのだった。
 そういった経緯を知ってか知らずか、獏良の本日の行動である。
「大袈裟にやってもお前は逃げるからね。解らないようそっとやる。これぞ日本人のおもてなし」
「海外の誕生日やりたかったんじゃねえのかてめえは」
「それはそれ、これはこれだよ」
「どうせやるならオトモダチにやって差し上げたらよかったんじゃねえのか? オレ様より余程喜ぶだろうよ」
「それは無理だね。皆、ボクの誕生日知らないもの」
 そっけなく、何でもないことのように獏良は言う。
「聞かれてないから、誰も知らないよ。自分から言うのって何か変じゃないか、祝ってくれーって言ってるみたいでさ。ボクそういうの苦手」
 相変わらず、獏良は友達付き合いが下手糞だった。そんな小難しいことを考えず、言いたいようにしたいようにしたらいい。本当は祝って欲しくて仕方がないくせに――獏良の心の一番柔らかくもろい場所を知り尽くしたバクラは、口の端だけでこっそりと、意地悪く皮肉な笑みを漏らす。
「オレ様はいいのかよ。さっき自分で、誕生日なんですって言ったじゃねえか」
「いいんだよ。絶対祝ったりしないからね。さっきのだって口だけでしょ?」
 祝ったり、何かあげたり、そういうのじゃないんだから。
 心の部屋で何もかも繋がりあう相手同士であるにも関わらず、二人の関係に確たる名前はない。それが良いのか悪いのか、バクラもまた攻めあぐねている最中だ。もっと甘やかして依存させた方が後々利用し易くなる。だが過度な接触はこちらの自由を奪う。そうして今はこんな関係。それなりに、やりやすくはある。
 ――の、だが。
「ボクが勝手にやってるだけなんだから、お前は好きなようにしてなよ」
 決まり損ねた夕飯をまた悩み始めた獏良は、ふいっとバクラに背中を向けた。
 その背中を、とん。
 肉体に触れず心に触れて、そうしていとも簡単に、肉体の支配権は交代した。
「え、ちょ、」
 すかん、と物体を透かして前のめりになる獏良は既にヒトならざる存在となっていた。二本の足で立っているのはバクラ。久々の重力、肉と骨の重みに、こきりと首など鳴らしてみる。
「ちょっと、返してよ。夕飯作るんだから」
「何が食いてぇんだ」
「へ?」
 間の抜けた声を出す獏良の前で、バクラはフライパンを取り出しつつ言う。
「おもてなし、なんだろ。今この身体はオレ様のモンだぜ。じゃあオレ様もその外国式のお祝いとやらをしてもいいわけだ」
「そ、れはそうだけど、でも生まれたのはボクだもん。ボクの誕生日だもん」
「なら日本式だ。作ってやるからとっとと言いな。言わねえと適当なモンにすんぞ」
 獏良の顔を見ず、バクラはいつもの仏頂面でつらつらと答えた。どちらにしろ論破できなく、かつ急な展開についていけない獏良は目を白黒させている。
 別に大した意味があるわけではなかった。
 今の関係よりもうすこし、ほんの少しだけ甘さに天秤を傾けておこうと思っただけだ。快楽だけで操れないのがヒト、ならば心をも懐柔していく必要がある。過度に依存させない程度に――その手管に今宵のイベントはちょうどいい、それだけのこと。別に、顔を背けていることに理由はない。
「……ちょっと、ねえ、こっち見てよ」
 ずい、と、顔を覗き込んでくる獏良に、バクラは自然な動きで向こうを向いた。
 すかさず反対側から攻めてくるので上を見て避ける。別にそこに意味はない。ないといったらない。
「……」
「……」
「……照れてんの?」
「バカじゃねえの。とっとと食いたいモン言えよ」
 すると、何がおかしかったのか――獏良は急に、けらけらと笑い出した。
 ついに頭がおかしくなったかと思われてもおかしくない、それくらいけたたましい笑い声で、見れば涙まで浮かべている。
「ご、ごめ、だっておかしくて」
 半透明の身体で器用にくるくる回りながら、獏良は笑い続ける。
「お前がっ、そんなことしてくれるなんて思わなくってさ、びっくりしたし、嬉しいし」
「……ああそうかよ、喜んで頂けて何よりだ」
「お前に話して良かった。祝わないとか言って、ごめんね」
 くそ、やらなきゃ良かった。
 手管といえども不慣れな行為に、バクラは不愉快になり冷蔵庫を喧しく開いた。
 ほの明るい白い室内には料理好きの獏良らしく、様々な食材が並んでいる。最初に目についたのは鶏腿肉のパック。もう何でもいいという気分で、バクラはそれをメイン料理にすることにした。幸せそうに笑っている獏良は、何をふるまっても文句を言うまい。
 と、不意に背中に、気配が寄り添う。
「さっき言ったの、無し」
 全く重みも感じないけれど、微かに触れたぬるま湯のような温度は獏良の額。無いはずの吐息が確かにちいさく、ありがと、と続けた。
「……どういたしまして」
「うん、だからさ、嬉しかったから」
 肉のパックを手にしたまま、バクラは動けない。何故だか動きたいと思わなかった。
 こんな行為はただの手管なのに。ずっと昔に無くした何かが疼くような、気持ちの悪い居心地の悪さ。しかし不思議と、苦くはない。
 バクラの青い瞳は振り向くこともなく、なんとなく、ただキッチンの壁を見ている。その向こうにはカレンダー。何の印もついていない、只の九月二日の火曜日――
 そうして、きゅ、と、獏良の手が、掴めないバクラの服の裾を掴んで。
「ボクの身体のぶんの誕生日は、お前にあげるね」
 滲むように、あふれるように。
 バクラに二度目の誕生日を与えた「宿主」は、潤んだ声でそう囁いた。