ラプンツェルの末路【ラプンツェルは蜜髪を垂らす】別ED
※同人誌【ラプンツェルは蜜髪を垂らす】の別EDバージョンです。
ネタバレを若干含みますが端的に「かえってこなかったらこうなってた」といういわゆる鬱エンドってやつです。当初はこうなる予定でした。
「うそつき」
シャン、と、金属が擦れる音が響いた。
「うそつき」
もう一つ、同じ音が繰り返し。
ひとつ言葉を発する度に、鋏が上下する。フローリングにはらはらと春の雪のように舞い落ちるのは、無残に切り落とされた白髪だった。
洗面所のシンクでは蛇口が捻られたまま、もう数時間も水を無駄に吐き出している。水は泡と共に排水溝に流れていき、幾度も詰替えたトリートメント剤のボトルが水面に浮かぶ。
部屋のゴミ箱からはみ出ているのは、ドライヤーのコード。プラスチック部分は叩き壊され、修理してももう使えそうにない。豊かな髪を梳いていたブラシも、燃えるごみの中で役目を終えて真っ二つ。
手入れなどもうしない。したくない。
だから、捨てた。
「……うそつきバクラ」
洗面台の鏡に映っている獏良の顔は、髪よりもなお白かった。
上等なリネンのように滑らかだった髪は、見るも無残に切り落とされている。手に握った銀色の鋏によって、台無しになってしまった。
眉を隠す重たい前髪はジグザグに。耳から頬へ流れる房も左右非対象のばらばらに。そして、バクラがよく梳いていた背中の白い滝ですら、むんずと掴んで切り落とす雑な動きで処分された。
やつれた頬を隠せない、ひどい有様だ。
それもこれも、全てあのうそつきが悪い。
「お前の、せいだよ……」
キン、と、澄んだ音を立てて、鋏がフローリングに転がった。
散々迷惑をかけていなくなった男を、忘れられないままどれくらい経過したのか。昨日だった気がするし、もう数か月前のことのようにも思える。
『ままごと遊びもお仕舞だ、宿主サマ』
最後の言葉は、確かそれだった。
何も知らされずすべてが終わった。バクラはバクラ自身の為に彼の戦場へと向かい、そうしてきっと死闘を演じて、負けたのだろう。何一つ目にしていない獏良には、ことの顛末を友人から聞いても、遠い世界の物語のようにしか感じられなかった。
ただ、自分が切り捨てられたこと。
執着も依存も、残っているのに対象だけが居ない、そんな世界に自分が一人取り残されたことを、獏良は知った。一層のこと、発狂できたら幸せだったと思う。されど異常に慣れたこの脳みそは案外に丈夫で平常で、休む間もなく日常の隙間から、鋭利な孤独を突きつけてくる。
バクラが与えた感情は今もしっかりと生きていて、鏡を見るたびに思い出して、泣いた。
耐え切れずに手にした鋏で、首を切ってもよかったのかもしれない。思考せずにすむ場所に行ける方が、よほど幸せなことかもしれない。
――それをしなかったのは。
「何期待してるんだろうね、ボクは」
水音がうるさい。蛇口をひねると悲鳴のような音がした。
水面を打つ雫の音が、ぴとん。静かにがらんどうの部屋に響く。
「あんまりお前が、ボクの髪のこと、好きだから」
だから、ぼろぼろにしてやったら、怒りに来てくれるんじゃないかって思ったんだ。
我ながら空しく、我ながらいじましい、愚かな願いだった。
かつてのバクラは否定したけれど、やっぱり彼にとって、獏良の髪は特別極まりなかった。性感を凌駕した複雑な感情を向けていることを、終わりに近づく日々で悟った。汚して喜び、愛でて笑った。ああ、そうだ、ジオラマを作っている時など彼は上機嫌で、まるでいとしいものにするように、撫ぜてくれたりもしたのだ。
嬉しくて誇らしかった。バクラが自分の一部を気に入ってくれていること、依存していること、求められていること、疑いようのない事実として受け止めた獏良はいよいよ乙女のごとく髪を労わった。学校でも噂になるくらいに、それは見事なものだったのだ。
バクラは嘘をついたけれど、一つだけ、嘘ではなかった。
別れ際の言葉を告げられた時、バクラはやはり、髪を梳いたから。
『ままごと遊びもお仕舞だ、宿主サマ』
何度も繰り返して思い出す、最後の時。
歪んだ笑みと裏腹に、優しかった指の感触。
あれだけは、嘘じゃない。
「うそつき…… じゃ、ないって」
言ってよ。
また一つ、雫が落ちる音がする。
「こんなに言ってるんだよ、うそつきって。違うって、間違いだって、怒鳴りに来てよ……」
鏡像はバクラにはなりえない。それでも、そっくりな自分の現身に向かって、獏良は訴えた。
「見てよ、この髪。お前があんなにお気に入りだったのを、ボクが駄目にしたんだ。腹が立つなら、怒ってよ、ねえ――」
水滴は蛇口からではなく、瞳から溢れていた。
滑稽だ。
子供の癇癪だ。
相手をうそつき呼ばわりして、大事なものを壊して。それで怒らせたい。出てこさせたい。天岩戸の向こうの神様にだって、こんなことは通用しない。
第一もう、居ないのだ。
どこにも。
バクラはもう、どこにも居ない。
「ねえ、もう、許してよ……」
あの白い檻はまだ、獏良を捕えている。世界はバクラがいなくても回るのに、この細い体を閉じ込める世界は永遠に閉じたままだった。
顔を覆うと、無様な前髪が手の甲に触れた。
バクラのいない日々で痛んだ髪に艶はなく、乾いてぱさぱさと、くしゃくしゃと揺れた。怒って欲しい。いっそ嫌ってほしい。もう許して欲しい。
最後の日にどうして、切り離してくれなかったのだ――この髪のように。
お前はもう用済みだとか、今までのことは全て演技だったとか、利用するためだけに一緒にいただとか、何でもいい。そうしたら、白い檻の錠は砕けて、獏良は自由になれた。
解放されないまま放置されて、それで、こんな愚かなことをしている。
せめて一言。夢でもいいから。
「お前なんかいらないって、言ってよ……」
そうしないといつまでたっても、ボクは。