それ相応の報復【!】

ソファに獏良が腰掛けている。それはもう、底冷えするような表情でもって。
  明らかな不機嫌を肩にまとわせて、見下ろす先には千年リング オン ザ 床。しかも暖かそうなラグをわざわざずらし、剥き出しのフローリングに放置の姿勢である。
  獏良の目にだけ見えるバクラの姿が、そのリングの傍らで正座させられている。こちらも不本意な表情で。
  爪先でリングの端をつい、とつついて、獏良が口を開いた。
「なんでそうなってるか、解ってる?」
「…知らねえよ」
  邪険にあつかわれ、ぷいとそっぽを向くその頬に一筋の汗。
  本当はわかっている。昨日の今日だし思い当たるのはあれしかない。それほど怒られるとは思わなかったし注意されたのが真っ最中だったので、わざと約束を破ったのだ。日常振り回されているお礼参り――というかささやかな仕返しというか、とにかく、優位に立てる数少ないタイミングだったので、つい。
  知らん振りをするバクラに、獏良はすう、と表情を変えた。笑う。
「中出ししないでって、言ったよね」
「……」
「おかしいな、お前「わかった」って言ったはずなんだけど」
  はい、言われました。了承しました。内心何故か敬語になりつつ、それでもバクラは最後の黙秘権を行使する。
  だんまりを決め込むと、再び爪先がリングに触れた。というか踏んだ。
「てめっ、踏むな!何しやがる!」
「ああよかった、喋れなくなっちゃったのかと思って心配したよ」
  そのまま、ぐりぐりぐりぐり、とかかとで踏みにじられる。痛みはない、ないがとても不快である。自分の本体が決定的にぞんざいな扱いを受けているのを見て、掴みかかろうとしてもその手は獏良に届かない。心の部屋であったならよかったのに。そうしたら――いや、そうだとしても、どうだっただろう。考えたくない。
  かしゃんと音を立てて軽く蹴飛ばしてから、獏良はバクラの顔を笑顔のまま見下ろした。
  無言の重圧。
  に、負けて口を開く。
「…別にいいじゃねえか、身体に影響ねえんだから」
「気分の問題なんだよね」
「そんなら余計どうでもいいだろ」
「へえ、ボクの快不快はどうでもいいんだ?」
「オレ様が良けりゃ基本はどうでもいい」
「ふうん。じゃあ何であんなにしつこくボクのを擦ったり舐めたりしてくれるの?お前に関係あるの?」
「は、そんなもん喜んで股開く前に言いやがれ」
  ああいえばこう。ねちねちとちくちくと、バクラを苛む獏良の言葉はまるで針の筵だ。だんだん腹が立ってくる。
  何故ここまでしつこくご機嫌ナナメになられなければならない。バクラの胃の中の苛々とした塊が膨れあがる。大体同意の上の和姦で中出しがどうとか、どうでもいいではないか。
  攻める側の楽しさを知らない獏良には、何も言っても無駄かもしれない。頭のてっぺんから爪先までくまなく弄りたおした後、入れる前から溢れる先走りを入口にたっぷり含ませて、奥まで突き上げた時にあがる悲鳴が良いのだとか、女と違って緩くない直腸の容赦ない締め付けが具合良いのだとか、その締め上げの中でたっぷり中出しした時の搾り取るような蠕動が溜まらないのだとか、そして、中に吐き出した後にぬるぬるのどろどろになった性器を引き抜いて逆流する精液に唇を噛み締める顔を眺めるのが何よりもいっとう最高なのだとか、獏良は知らない。知らないからこそ、このように責める。
  そうだこれは不当な扱いだ。そう思って舌打ちをしたバクラと同時に、獏良がふう、と、物憂げに溜息をついた。
「身体と違って洗えない、汚れちゃった感覚のまま気持ち悪い気分で学校に行く気持ちなんて、お前にはわからないよねえ」
「っせえな、男がグチグチねちこく拘ってんじゃねえよ!孕むわけでもあるめぇし!!」
  その瞬間、キン、と空気が冷えた。
「………ふうん?」
  あ、今オレ様失敗した。と思った時にはもう遅い。
  魔闘気のようなおかしなオーラを背負った笑顔のまま、獏良は突然立ち上がった。手がリングを繋ぐコードを掴み、ぞんざいにぶらさげてすたすたとソファを後にする。
  気分的に引き摺られるような感じで、バクラはその後を追った。
「お、おい、宿主サマ…?」
  かけた声に返答は無い。獏良の足は冷蔵庫の前で止まり、そして、ばたんと開いて目的のものを取り出して、叩き付けるようにして扉を閉める。
  シンクの上にはお徳用ひきわり納豆三パック。
  水切りしたばかりのボウルを引っ張り出し、それらを開封。三つ全部投入。からしを混ぜる。
  そして、ぶらさげていたリングを手の高さまで持ち上げた。
「おい、まさか…」
  恐る恐るかけた声に、獏良は振り向かなかった。
  振り向かないまま、ぱ、と、欠片の躊躇いもなく手を放した。
「ちょやめ話せば解るぁあああ宿主いいいいい!!!?」
  絶叫が響く。すぐさま救出したい千年リングは獏良の容赦ない箸捌きによってさらにこねくりまわされ、茶色い粘ついた豆の餌食となる。輝く黄金に、精緻な彫り目に粘りが入り込み、ちなみに臭気も半端無い。
  全身をくまなく納豆に犯された悪寒にバクラが鳥肌を立ててのた打ち回るその姿を、獏良は見もしなかった。
  見もしないまま、ボウルにサランラップをかけて冷蔵庫にしまうという追い討ちをかけた。
「おいこらふざけんなてめえ洗え!せめて代われ!身体寄越せオレが洗う!」
「同じ気持ちを味わってもらえたら止めるかなあって」
  このくらい不快なんだよ?と、漸く振り向いた獏良はもう笑っていなかった。
  ばたんと冷蔵庫の戸を閉められて、バクラはそこに飛びつくが、悲しいかな物体には触れられない。今すぐ納豆地獄に落とされたリングを救出したいのに、どこからその力が出るのか交替を拒む獏良を身体から追い出せない。それどころか、あくびをしながら悪行の主はキッチンの明りを落としてしまう。
「ボクもう眠いから休むね。あ、当分リング身に着けないから。納豆臭いとか皆に言われたくないし」
「他人事みてえに言うんじゃねえよてめえがやったんだろうが!」
「うわっ臭っ。気安く話しかけないでくれる?納豆リング」
「納っ…殺すぞてめえ!おいこら宿主!いや宿主サマ!待て寝るな!おいぃぃぃ!!!!」
  絶叫するバクラを放置して、ぱたん。寝室の扉は音を立てて閉ざされた。

 ――三日後、新品の家庭用洗剤を空にするほど洗浄された千年リングが日干しされている傍らで、深く頭を垂れるバクラの姿が獏良家のリビングで目撃された、らしい。