【不壊×三志郎】二十二話:「個魔の在るべき姿と姿勢について語る」

 眉間の皺、常より1.5倍。
 赤い瞳は常より細く。眇められた先に掌。
 裂けたような口唇は一文字に結ばれ、長い脚を組んだ姿勢の侭動いた様子が無い。
 否、一度だけ脚を組み替えたか。
 さっさと飛ばされた次の舞台、公園のベンチ。
 其処へ、曇天を背負った見るからに不愉快そうな個魔が一人、座っていた。

 例えどんなに納得がいかなくても、其れがぷれい屋の望みならば仕方が無い。
 だからといって、ハイソウデスカと受け入れてやりこなせる訳ではない。
 己には己の矜持というものがある。いや、そんな大層なものでなくても良い。個魔のこの身がすべき事を歪められたのが気に食わないだけだ。
 げぇむの基本。対撃中のぷれい屋は個魔が守る。
 たった其れだけの事だ。個魔たる自分の仕事であり、時に盾となり時に緩衝材となり、ぷれい屋の負傷を出来る限り減らす事。此れは、定められた行為だ。

 ―――だというのに。

 跳ね飛ばされた三志郎を受け止め、抱えたあの瞬間。
 守るなと、一瞬目がそう言ったからこそそうした。
 よくもまあ、ああして何時も通りの皮肉な笑みを浮かべられていたものだ。己の自制心とやらも捨てたものではないと、下らない戯言を頭の中だけで口にした。
 気に食わない。とても気に食わない。
 俺は個魔だ。そう反芻する。弾き飛ばされ、ぎりぎりと締め付けられる三志郎―――違う。ぷれい屋、そう、ぷれい屋だ。断じて個人を指している訳ではない。運命を共にするパートナーが、ああして苦しむ様を黙って見ている個魔の気分がどのようなものか、ご本人に教えて差し上げたい。
 捻じ曲げられた基本理念。かくあるべきと決められた行為を阻まれた。其れ故の苛立ち。
 ―――本当に其れだけか、と、内側で問いかける声。聞かなかった事にしたい。
 目を閉じる事で、問い掛けも一緒に放棄した。一段と気分が悪くなる。
「わり、待たせた!!」
 不意に、そう遠くない場所から掛けられる声を聞いた。
 ふいと横を向くと、駆け足で寄ってくる三志郎の姿。表情はいつもの笑顔であり、太陽の宛らの其れが、フエの背負った重たい苛立ちの曇天を、少しばかり晴らした。
 待たずとも、走る為にあるような脚は素早くフエの傍らに到着。亜紀によって突き落とされた所為で濡れた服を絞りに行っている間、フエを待たせ―――影の中に入ってしまえばいいものを、気分が向かず離れた場所で待っていたのだ―――戻って来たその姿、少しばかり水気は抜けたが、髪は濡れたままだ。
 帽子の無い其処から、ぽたりと一滴、水滴。
 猫背に座るフエの方が少しばかり、視線が低い。赤い瞳で見上げると、三志郎が歯を見せて笑った。
「どっかふらっと行っちまうかと思ったぜ」
「そう離れられる身じゃないもんでね」
 離れようと思って離れられるような関係ではない。影たる個魔の、現し世での行動範囲は狭い。此処とて、三志郎の気配が色濃い距離のうちだ。
「ったく、嬢ちゃん相手にその体たらくたァ、格好悪いねェ」
 それとも池の水ン中が好きなのか、と、たっぷり皮肉を利かせて言ってやる。思ったとおり、三志郎は頬をむっと膨らませ、大きなお世話だとそっぽを向いた。
「好きで落ちたんじゃねェよ!そんなに言うならフエが拾ってくれりゃいいじゃんか!」
「…そりゃあ悪かったな」
 軽口で返せる気分ではなく、つい。
 溜息混じりに呟く返事。他意はない、解っている。だが対撃での事を言われているような気がして―――そうさせたのは三志郎なのだから、万が一にもそのように詰られる可能性は無かったのだけど。其れでもどうしても、ベクトルは其方に向かってしまう。
 切り返しが来ない事に驚いた顔をした三志郎が、彼方へ向けた視線を直ぐに戻してきた。
「フエ、何かあったのか?」
 瞳が、心配の色を灯して寄ってくる。上半身を乗り出し、何の臆面もなく顔を近づけてくる少年―――誰の所為だと思ってんだ。
 琥珀色に映り込む自分の表情は目に見えて不機嫌そうで、格好悪いと言ったらない。
 見たくない醜態から眼を逸らし、
 「何でもねェよ」
 口にしながら、誤魔化す心算で三志郎の頭を掻いた。髪から滴が飛ぶ。
 頬に触れ、冷たい其れ。そう良い天気でもない気候だ、いくら今が夏だといっても水は冷たい。一時の暑さを凌ぐには良いが、時間が経てば身体の芯を冷やすだろう。ろくに拭いてもいない髪は、ぬるく温度を下げていた。
 ちらりと見れば、両腕に浅い痣。締め付けられた時に出来たものだと容易に想像がつく。
 手加減なしにやりやがってあの野郎、と相手の妖に向かって、内心吐き捨てた。痕が残るようなものではないだろうが、其れでも痛みは明確に感じた筈。
 そうならない為の個魔が、目の前にいたというのに。
 むざむざと怪我までさせてしまった―――抱き起こした身体の重みまで良く知っているというのに。
 案じる相手と苛立ちを生む相手は、全くの同一。だからこその歯痒さ。
 苛立ちと、そうではない感情を込めて、髪から頬を辿った。返されるのは、くすぐったいのか、瞳を細める仕草。
 …いとおしいなどとは口にしない。決して。
「ちゃんと拭いとけよ、風邪引いても知らねェぞ」
 其れとも、何とかは風邪引かないんだったか?
 らしくない甘ったるい言葉の代わりに、一言多く足してやる。思ったとおり、先の疑問など吹っ飛ばして、三志郎の顔が再び感情豊かに膨れた。よしよし。
「ま、情け無く鼻水垂らす前に、とっとと拭くモンでも探すこった」
 と、追加に意地の悪い言葉をもう一つ。此れで最後に軽く頭でも叩いてやれば、単純に背中を向けてくれるだろう。
 今はどうにも、軽口の応酬―――と呼ぶには此方が優勢すぎて一方的かもしれないが、此れも趣味のよろしくない楽しみの一時だ―――を交わす気分ではない。解りやすく、気分が良くない。
 暫く影に引きこもれば、其のうち忘れられるだろう。感情は単純に出来ている。
 そんな事を考えていたものだから、暫し気づかなかった。
 去る筈の三志郎が、じっと此方を見上げていた。
「…すげぇ顔してる、お前」
 ずいと近づく、琥珀色が迫る。思わずたじろいだ。
「やっぱ、何かあったろ」
「何もねェって」
「嘘だ」
「嘘じゃねぇよ」
 ああだから問答をする気は欠片も。
 真実ではない分、此方の方が分が悪い、視線を逸らすと、視界の端にぬうと腕が伸びてきたのが見えた。
 何をされるのか想像は付いた。その上で、逆らえなかった。
 赤痣を刻まれた両腕が首に。三志郎の身体が、未だ少し濡れた其れが、重なってくる。
「…何のつもりだい、兄ィちゃん」
 かろうじて、出た言葉が其れだった。情け無いと言う無かれ、認めたくはないが、惚れた弱みだ。
 曲げた膝を跨ぐ形で、よいしょと乗り上げてくる体重は、小柄な身体にそって軽い。よく知る重みだ。其の重みが更に近づき、抱きつかれている実感が、空虚な影の身にじんと染みた。
「今日、フエにあんま触ってもらってねぇから」
「…抱え起こしてやったじゃねェか」
 不本意ながら。其れは口に出さないけれど。
 すると三志郎は、暫く口篭ってから、フエの髪に鼻先を押し付けるようにしてしがみついて。
「でも、此処に入ってねぇし」
 此処―――と、掴む外套。
 盾になり緩衝材になり、また、時に包み込むようにして。
 一番近くで、何時如何なる時も。
 思わず眉間を険しくすると、気配を感じ取ったのか、慌てて声が訂正した。
「あ、いや、守って欲しいとか、そういうんじゃ全然なくて」
 そう、唇が柔らかく、語る。
「何でお前がヤな顔してんのか、知らないけど。でも」
 微動だに出来ない。情け無い、と溜息をつく余裕も、今は無し。
 原因は誰にあると思ってんだ。そう吐けたら楽になるか。自分の言葉が苛立ち諸々を引き出しているとは、欠片も思っていない無神経な子供が、気遣う声。
 意識とは無関係に腕が動きそうだ。抱き締めてしまいそうだ。そんな気分ではないと言ったのは何処の誰だ―――自分だ。
 密着する幼躯の感触に、目の奥の目眩。
 首の裏の腕に更に力が込められるのを、僅か感じて。
「…こうしてっとさ、気持ちよくねぇ?」
 嫌な気分、忘れるくらい。
 なあ、と、否定できない促しに、勝手に腕が応えてしまった。
 畜生、と呟く声は、多分聞こえていない。其れで良い。
 解ってる、解っている。個魔だからぷれい屋だから等と、あれは只の口実だ。嘘ではないが全てでもない。
 目の前で三志郎が、顔を歪ませるのを見たくなかった。苦しげに喘ぐのは、自分の腕の中だけで良い。泣くのも笑うのも此処でだけで良い。だがそんな事を、誰が口に出せる?
 ああ畜生惚れている。気に食わねェんだよ当たり前だろう。
 立てた作戦だろうがなんだろうがそんなものはどうだって良い。お前がそうしろと目で言ったからそうしてやったんだ、納得してやった事だと思うなよこのクソ餓鬼。
 漸くというか引きずり出されたというか、兎に角、此れが本音だった。
「…全く、笑うに笑えねェ」
「ん?」
 心の底から、そう、ようやっと溜息が吐けた。蟠っていた感情ごと吐き出すと少し軽くなった。
 何か言ったかと首をかしげる、この子供。
 苛立ちの理由を口で言ったところで、三志郎は理解できないだろう。そう思う。
 手取り足取り、詳しく説明してやるのは面倒臭いし何より格好悪いので御免被る。
「―――次はねェぜ、兄ィちゃん」
 囁きは聞こえないように、唇の内側で。
 もう二度と、守るななんていう頼みは叶えてやらない。
 もしあるとすれば、個魔として、そして身を交わす相手として、きちんと納得行く理由を頂かなければ、とてもじゃないがお受けできない。此れだけ苛立たせた責任、どうやって取って頂こうか。
 そんな惚けた、強ち冗談でもない思案を浮かべていると、三志郎が軽く身体を揺すってきた。
「おーい、フエ?ちっとは機嫌良くなったか?」
 色気もへったくれもない(望む事自体が間違っているのだろうか)、元気の良い声がそんな言霊を飛ばしてくる。
 …ああもう、これだから。
 溜息をついて、ぽんと濡れた頭を叩き、フエの口からはいはいと気の抜けた返事が零れた。
 それから、お望みどおり外套の中に抱え込んで、その唇に痺れる接吻け一つ。
 取り敢えず今回は其れで許してやろうというのだから、安いもんだろう。