【独普】Hallo! Mein bruder.後日談 ON YOUR MARK

独×普人名パラレル・兄弟設定


「………………は?」
  気の抜けた声が聞こえたので振り向くと、ギルベルトがBierの入った袋を両手に下げ、道の真ん中に立ち尽くしていた。

「ああ、やっと来たのか」
  抱えていた荷物の箱を玄関先に降ろし、俺は一月ぶりに会う兄に向けて軽く手を上げた。
「遅いから気になっていたんだ。道に迷ったか?」
「え、あ、いや、ちょっと迷った、けど、え?どういうことだ?」
「どう、というと」
「だから、お前、ここで何してんだ?」
「見てのとおり、引越し荷物を室内に上げている最中だが」
  足元に並んだ荷物を指差し、俺は言う。かなりの整頓をしたがやはり本の類はかさばるもので、並んだ箱の中身は殆どが書籍の類だ。事前に家具の類は購入し た店に頼んで運び込んであるので、ここにあるものを運び込めば外観の体裁は整う。何往復かすることにはなったが、フェリシアーノが車を所持していて助かっ た。箱にまとまる程度の引越し荷物を運ぶのに、業者を頼むのは気が進まなかったところだ。…運転はすこぶる不安だったが。
「引越し?」
「ああ、既に大方の所は済んでいる。友人が車を出してくれたんだ。今は買出しに行っているが戻ったら紹介しよう」
「ちょ、待てルッツ、お兄様は混乱してんだ!順を追って話せ!」
  勤めて冷静な俺に、兄は塞がった両手を振りかざそうとして失敗し、何やらじたばたと不思議な動きをしながら目の前まで詰め寄ってそう叫んだ。いや、狙ってやったのだからこれくらいの反応をしてもらわなければ困る。
  とりあえず重たそうだった袋を受け取り、箱の上に置いた。その脇の箱に腰掛けるよう進めるが、彼は見向きもせずに、きつい視線で俺を睨む。目が動揺しているのを、素直に愛しいと思う俺は恐らく重症だ。
「…お兄様はお前に、『酒を飲むのにいい場所があるから来い』と言われて来たわけだが」
「ああ。いい場所だろう。実家ほどではないが庭もあるしガレージもある。今日は天気もいいしな」
「…お前はここで何をしてんだ?」
「引越しだ」
「誰の」
「無論、俺のだ」
  ぐは、と、おかしな声を上げて兄は顔を引きつらせた。反応がいちいち大きすぎて、見ているこっちが少し心配になるほどだ。そんなに身体全体で表現せずとも、狼狽しきった瞳の色を見ていれば十分に分かるというのに。
  だがそんな反応のひとつひとつを、心配ながらも楽しいと思ってしまう。口をつくのは兄を惑わせるような言葉ばかりだ。
「兄さんと暮らす為の第一歩というところだな」
  内心を隠し、真面目な声でそう告げる。すると白い手は勢いよく、俺の胸倉を掴み上げた。
「てめぇ条件忘れたのか!?約束したろうが、親納得させてからだっつったぞ俺は!」
「安心してくれ、きちんと話し合った。了承を得てこうしている」
「…あ?」
「兄さんを更正させたいと説明した。二人は理解してくれたぞ」
「っ…だ、大学はどうした!?」
「無論、ここから通う。実家よりも近いからな。かえって楽になる」
「家賃は!引越しの金はどっから出てんだよ!親からだったら俺は認めねえぞ!」
「貯蓄がある。…兄さん、俺は子供ではないんだぞ。貯金もあれば学業をこなしながら働くことも出来る。兄さんだって昔はそれで家を出る資金を作ったのではないのか?」
「あ…」
  決まり悪げな声を漏らし、ギルベルトは手を離した。だがその手の置き場所が定まらないらしく、目は落ち着かない。驚くだろうと予想して今まで何も知らせなかったのだが、予想をはるか超える驚愕ぶりだった。
  卒業するまで数年。説得にも時間がかかると思っていたのだろう。そして資金についても。
  俺が兄の空白の時間を知らないことと同じように、兄もまた、離れて暮らしていた間の俺のことを知らない。彼の中ではまだ俺は少年で、手のかかる子供のままだ。
  その認識を改めさせたかった。だから、あのバーで過ごした日の翌日から、俺は迅速に行動を開始した。
  出張中への両親への連絡と、住居の獲得。諸々の手続き。予定ではもう少しかかると思っていたが、住まい探しと説得が思いの外早く済んだこともあり、こうして何の問題もなく家を出――そして、兄を驚かせている。
  両親は初めこそ難しい返事をしたが、思う所もあったのだろう。バーで言われたほどの反対は無かった。ギルベルトが思うより、彼は疎まれてはいないのだ――そう思った。
  父も母も、俺に全てを任せると言った。それが兄に対する放任なのか親愛なのかは、結局俺には分からなかった。出奔の理由も知らないままだ。
  だが、それはそれで良いのだと思う。出奔も、たった一人親と認めるという『あの人』なる人物のことも、彼が俺へ打ち明けられるようになった時が、知るに相応しい時期なのだろう。
「無理とか無茶とかしてねえのか?」
  それでもまだ、疑わしい視線をよこすギルベルトに、俺は軽く口の端を持ち上げて見せた。
「誰かと違って、周りを心配させたり困らせるようなことはしていないな」
「あん?嫌味か?別に俺は何も――」
「貴方が居なくなった時、俺は心底心配した。昔も、一月前もだ」
「…執念深い奴だな」
  悪かったという言葉は、今回は聞けなかった。あのバーで聞いたあの声をもう一度聞きたかったのが、仕方ない。
「卒業と説得という条件を満たした時、貴方は俺の元に来ると言った。準備は早い方がいい」
「そりゃ、そうだけどよ…」
「ここに住んでくれ、とは言わない。それは俺が卒業した時に改めて言うことだ。それに、こっそり逢引したっていいと言ったのはそちらだぞ」
「あん?お前、その為にとっとと住むとこ用意したってのか?」
  流されるかと思ったら食いついてきた。いや違う、それは冗談であって、そちらもあの時冗談で言ったのだろうが――と慌てて否定する。この手の冗談はやはり、うまくいかない。
  からかうのはそろそろ止めにすることにした。あまりふざけて、怒らせると後が大変だ。
  持ち上げていた口元を引き締めると、兄はなんと表現したら良いか分からない、不安げな顔をして俺を見上げた。
「と、とにかく、いつでも気兼ねなく会える場所になればいい――おかしいだろうか」
「悪くねえ、けど…」
  急に今までの勢いが無くなり、ギルベルトは目をそらし口を尖らせた。所在無い仕草と表情は、不満なような、満足なような、複雑な感情を持て余しているように見える。
  だが、今更引くつもりも無かった。あの時のように、あの時よりも強く、その腕を掴む。
  ばつの悪い顔をして、兄は顔を上げた。
  俺の目に映っているであろう自分の顔を見て、驚けばいい。そんな表情を浮かべて、それでも手を振り解かないその意味を感じて欲しい。
  そして、いつまでも振り回されているばかりの弟ではないこと、俺が兄の為にならば何であろうと行動できる、そのことを理解してもらわなければ困る。一ヶ月前は情けない姿を見せたが、これからはそうはいかない。
「たまには顔を出してくれ。ここなら問題ないだろう」
「お、おう」
「実家に置き放しだった兄さんの荷物も持って来ている。…それは、俺が卒業したら箱から出してくれ。それまでは持っている」
「…おう」
  そこでようやく、肩の力が抜けた。俺もまた抜けたし、兄もそうだったろう。
  息を吐いて、ポケットから鍵を取り出す。手渡されたそれを、紫の瞳はまるで珍しいもののようにまじまじと見ていた。
  誰かと鍵を共有すること自体が、懐かしいことなのだと表情が語る。まともな生活をしていなかった兄――更正させると両親に告げたのは嘘ではない。歪んでしまった生活観を、日常を、取り戻させるという使命が俺にはある。
  俺の知らない兄、兄の知らない俺、その空白の時間は埋めていけばいい。出来る筈だ。一度決めたことを揺るがせる気はない。
  手始めにすることは――そうだ。
「…フェリシアーノ達が戻ってきたようだ」
  不意に背後から、通常運転では有り得ない爆音を住宅地に響かせながら、音に混じって友人の歓声と悲鳴とが聞こえて来た。フェリシアーノが俺を呼ぶ声と、破天荒な運転に対するキクの絶叫だった。
  あれが友人かと、声と音に驚いているギルベルトを横目に、俺は思う。
  そう、まずは兄の知らない俺の友人達を、日当たりの良い庭で紹介することから始めよう。
  きっと、今まで生きてきた中で一番美味いBierが飲めるはずだ。